C型肝炎を発症した患者418人の症例資料を厚生省が放置していた問題で、2002年当時、担当職員は「患者には病院が告知している」と思い込んでいて、あらためて患者本人への情報提供は不要と考えていたと22日調査委員会が表明したそうです。
人間は思い込みの激しい生き物で、よく勘違いする物だ。分かっていて勘違いする物と、わからないで勘違いする物もある。私も最近では高村光太郎と島崎藤村を勘違いしてあるブログにコメントを載せてしまった。愛嬌として受け取っていただいたので、そのままにしています。前日まで光太郎のことをある雑誌で読み、そのことが頭から離れなかったのが原因でした。
でも、厚生省職員の場合はわからないけど思い込んだことで、しかも自己の職業上のことであるし、大変な失態だと思います。たかが418人のこと告知をしたかしなかったか電話で連絡してもそんなに時間のかかる問題でもあるまいに。しかも患者本人にとっては一人一人の命に関することであることを認識すれば、とる行動は一つのはずだ。思い込みでは済まされないですね。
それはそれとして、どうも気になるのは「病院が告知している」と言う発言です。この問題については現場の病院は製薬会社に報告し、製薬会社は厚生省に報告したはずですね。患者さんは公表を望んでいたはずで、早期治療開始を望んでいたと思います。2002年当時も問題だが、その後この問題が裁判沙汰になっていることを承知していれば、担当者は「病院が告知しているはず」なのに何でそんなに騒ぐのかと、いぶかしがるはずですね。
こんな構造を見ていると、何か意図があって厚生省は発表しなかったと言うことが素人なりに判断できますね。それが裁判官にも影響を及ぼし「国や製薬会社に責任なし」というお決まりの判断を下す要因にもなっているのかな。
そういえば一般会社でも「現場作業員がミスを犯した」といって、原因を作業者だけに押し付け、それを「私が何とか解決しました」と報告すると、その現場責任者は出世します。なぜならそんなその現場責任者はいったん事が起これば「上司の管理者に責任が及ばないように努力する者」として評価されるからである。「私の指導が至らなかった」なんて現場責任者が言おうものなら、その会社では一生うだつの上がらないものとして抹殺されていくのが世の中の仕組みです。
そういう観点から言えば2002年当時の担当者は、教科書どおりの公務員だったことになりますね。
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(追憶・駿河湾・Ⅰ・・・・・・・・①)
このところの忙しさで1ヶ月もウォーキングを休んでいたため、正直なところブログのネタがなくなって来てしまった。そこでこのブログの原点であるウォーキングを始めたころのことを時々アップしてお茶を濁そうと思いたちました。そこで写真を調べてみると、元々ブログの予定がなかったため、それらしいものが余りないけど、まあいいか。
本来、健康のために2年前、近所歩いていた。仕事から帰宅して食事をして夜中に30分歩く。1ヶ月ぐらい続けたが、毎晩のように会うおばさん連中がいるものの、排気ガスを吸いつつ歩くのもつまらなくなり、今度は無理してでも1時間歩いてみた。範囲を広げてもやはり同じようにどこにも、毎日会う人は同じだし車も相変わらずだった。
休みの日に、家から一時間行って、1時間半を掛けて帰ってくるというのをやってみた。自分の住む静岡のこの志太平野。面白いことにどの方向に行っても1時間歩けば平野の隅に到達することが判明し、放射線状に歩き出した。
このことが、私のウォーキングのスタイルを決めた一つの要因でした。
誰だって生まれ故郷はあります
そこに住み続けることができる人
第二第三の故郷を見つけた人
それぞれに故郷はいいものですね
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数ヶ月このすばらしい故郷を
歩き回り
あらためて大好きになりました
今まで忘れていた物を
拾い集めるように一歩一歩
噛み締めながら歩きました
わが故郷にはどこにも負けない
漁港があります
そして、恥ずかしがり屋の
富士山が時々顔を出します
漁師の血を引く私だが
船にはからっきし弱かった
親父の船に乗せてもらっても
海にコマセを撒いてばかりだった
ある日 私の足は南に向いた
1月の寒い日だったが
心はとても暖かい
同じ平野の中の栃山川を越える
遥か南アルプスには
雪が白く光っていた
そんな中にも枇杷の花芽は
もうほころび始めている
わが故郷は常春の邦
一月は春がどこかに隠れている
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この南へ向かった日が記念すべき
その第一歩だったように思えます
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