2008年9月 7日 (日)

昔日の船宿に

(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・⑧おわり)

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相良藩には勿論田沼意次

「白河の清き流れに住みかねて

昔の田沼今は恋しき」

どこかに現代を映しているのかもしれない

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萩間川の河口にある小さな町ですが

その心意気は古きよき伝統を守る

人々によって支えられているのでしょう

その昔相良の水運はこの河口が主で

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幾つもの船が浮いていたような

そんな記憶がありました

今では港が整備されて

そちらに移動したのでしょう

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船宿の雰囲気を残す風景か

その昔栄えた相良の水運の面影

それはなぜかノスタルジックな叙情

なぜかタイムスリップしてしまったような

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現代への回帰か

今はレジャーボートがひっそり浮いて

河口には水門さえできてしまい

川はその生き様を静かに終る

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川を中心に栄えたお屋敷も

その長い板塀に僅かに誇りを残し

今は無用とも思える沈黙に

耐え切れない寂しさを醸し出す

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港には落日の美しさだけが

遠い昔を偲ばせる

田沼意次の城下町

戦国の攻防の声は霞んでゆく

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2008年9月 6日 (土)

砂と風と太陽と

(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・⑦)

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この砂の風景は砂浜ではありません

港の中の道路の中の上です

御前崎を中心とした遠州は

風の強いところで砂との戦いの場

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せっかく作った港だけれど

数十年後は砂に埋もれるのかな

砂浜に降りて振り返ると

土手は巨大な船の様にも見えます

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大きな流木も半ば砂に埋もれ

助けてくれーと叫んでいるようだ

沖のテトラにまで砂が迫るのも

時間の問題のようですね

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流木は随分たくさん流れ着いて

一体どのように始末するのか

ちょっとばかり心配ですね

じっと見ていると造型の妙を感じます

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勿論砂浜は相良若布の

格好の干し場です

砂と風と太陽との大いなる合作

おいしさをその体内に醸しているのか

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往きは海沿いだったので

帰り道は山沿いの道を選びました

相良の町に戻ってきました

風の町相良は凧揚げの伝統を

今でも守り続けているのが誇りだ

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2008年9月 5日 (金)

亡国のイージス

(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・⑥)

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自分が立っている巨大な土手は

左端にちょこんとある出っ張りで

その右にはこれまた巨大な

御前崎港が控えています

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土手の先端の足元には

なにやら大きな建物があります

土手の上であった藤枝の人に

映画の撮影セットだと教えてもらいました

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中井貴一などが出演していた

「亡国のイージス」の艦橋セットでした

最高性能のイージス艦は諸刃の剣にも

なることを庶民に教えてくれた映画でしたね

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下から見上げると本物の迫力です

この映画の後イージス艦については

数々の問題が起こり普通の人でも

その存在を認識するようになりましたね

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ここに巨大な船のセットを造り

撮影したのだそうです

あの東京湾に入っていくシーンは

何とこの駿河湾の海ということです

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艦橋から更に下を見ると

砂の風紋が綺麗に出ています

でもそこは砂浜ではなく

不思議なことに港の中の風景です

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2008年9月 4日 (木)

巨大な人工土手

(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・⑤)

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地頭方港はとても穏やかでした

波一つ立てない構内は

まるで昼寝でもしているように

静かでした

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元々はただの海岸だったところに

巨大な港を造ったもので

港の中に細長いどてのような

岡ができています

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その土手に上り先端まで行ってみる

ここは「わかふじ国体」のセーリングの

会場になったとかで秋篠宮ご夫妻が

訪れたとの記念碑が建っていました

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土手の先端から御前崎方面を見る

ほぼ隣に御前崎港もつながったように

見えていました

御前崎先端が遠くに見えます

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牧の原台地や小笠の台地の果てが

ここで太平洋に向かって途切れているところ

それにしても船が少ししか見えませんね

大きな港がちょっと寂しそうでした

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岡の上でであった藤枝の人に

焼津から何回かで歩いてきたと言ったら

驚いた風には見えず自分も良く歩いて

運動していると言われました

遅ればせながら私のウォーキングの

励みになりました

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2008年9月 2日 (火)

やさしい汐の香りの中で

(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・・・③)

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海岸の水際を歩くのは楽しい

打ち寄せる波は生き物のように

旅人に語りかけて時の過ぎ行くのを

うっかり忘れそうになる

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しかしほんのわずかな川でも

飛び越すにはちょっとばかりできない

その度に水際を離れ水門のあるところまで

残念ながら戻らなければなりません

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海岸が国道に迫るあたりから

堤防の上を歩くことにする

海に入って何かを採っているのでしょう

若布ではないようだから何かな

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少しずつでも御前崎は着実に

近づいてきています

光る海を横に見て

全身に汐の香りを浴びながら

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所々海に降りるところがある

港ではないけれどここに船を上げるのが

一番近いところなんでしょうね

それは堤防ができるずっと以前から

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若者が海で採った若布は

砂をつけて海岸で干すのは

大きなお母さんの役目だろうか

相良の砂は細やかな心が宿っている

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2008年9月 1日 (月)

風と波のささやき

(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・・②)

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駿河湾西岸は海に出てみれば

富士山はそこにある

次第に遠ざかっていくけれど

どこまでも見え続ける

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前方を見れば逆光の中に

御前崎の港がはるかに見えてきました

海沿いの道なき道を進んでいきます

風のささやきがとても柔らかでした

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広々とした砂浜には

犬を連れた人が一人だけ

海と景色を心行くまで堪能して

何を思っているのでしょう

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自然は時には偉大な芸術家

それは一期一会の美

無作為の作為だろうか

流木と砂だけの一人芝居

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流麗でいて素朴の極み

ただそこにあるだけで確かな存在

砂浜を旅する者には

気になってしょうがない

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波がもたらした贈り物

貝殻のオブジェと旅人の足跡

海が笑っています

風が微笑んでいます

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2008年8月31日 (日)

再び南へ向かう

(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・①)

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2006・2・14

相良ーー地頭方

4時間半  22500歩

今年の夏はとても暑くそして天候も不順でした

まとまってのウォーキングができませんでした

昨日もがんばろうと思ったが突然の雨で

歩くのを断念しました

結局、一旦ここで2年半前の歩き始めたころの

駿河湾シリーズの続編でお茶を濁します

都合により9月中旬までお付き合いを

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焼津から歩き始めてまだ4回目で

ようやく相良から南に向かって

歩き始めた早春のころでした

車社会に甘んじていた自分自身への

新しいチャレンジの始まりの頃でした

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相良は鈴木梅太郎博士の古里

子供時代から知っている偉大な人

その旧跡もこうしてゆっくり訪ねることが

歩くことによってできる喜び

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まっすぐ南に向かって歩く道には

もう春の息吹がどんどん迫ってきます

ウォーキング初心者ですが少しずつ

その喜びを実感し始めていました

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花や鳥そして風までもが

生き生きと私を歓迎してくれる

この頃は果たしてどれだけ歩いていけるかは

まったくの未知でしたけれど

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その日その日出合う光を大切にしよう

城下町の面影を残すほんのちょっとした光景も

少し立ち止まっていくだけで何かを

語りかけてくれるような気がしたものでした

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2008年6月28日 (土)

視線を感じて

(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・・・⑦おわり)

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大鐘家のお庭は昔の栄華そのままに

今はひっそりとそのたたずまいの中で

静かに時を偲んでいるようでした

栄枯盛衰は人の世の常

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街道の神社にも昔からの

人々の知恵や心意気が感じます

果たして現代人はその伝統を

しっかり受け継いで生きています

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帰り道は田沼街道を歩きます

勝間田川にさしかかる

海側にそびえていたホテルも

今はなく静かな静波海岸に戻る

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街道筋で何か視線を感じる

二匹の目が私を見つめている

一瞬対抗しようとしたが

二匹とも置物でした残念

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吉田町に戻ってきました

相変わらず川面の鴨たちは

仲良く集まっています

私の旅もまだ始まったばかり

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めったやたら私の被写体にならない

かの青鷺もこの日ばかりは

遂にその飛び立つ姿を

コンデジに捉えることが出来ました

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2008年6月27日 (金)

隠された伝統美

(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・⑥)

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所蔵の水墨画の屏風など

母屋に展示してありました

すばらしい絵なのですが

鑑定団ではないので価値未定

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幼少の頃にはこの竈で

よく飯炊きをしたものですが

今ではまったく見かけませんね

ダッシュ村ぐらいなものかな

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母屋そのものが文化財で

そこかしこに貴重な技術や

生活の知恵がいっぱい隠されて

ゆっくり見れば面白いものでしょう

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特に土間の天井の梁は

ものすごい迫力で見るものに迫る

どのようにしたらこんな組み方の

発想が生まれるのか不思議だ

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部屋の中ではつるし雛

地元のお母さんたちの力作

さすが女性のパワーは

年齢と共にますます盛んです

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水引で作った作品もありました

日本古来の伝統の力は

現代でも脈々と流れています

温故知新もう一度見直したい

そんな日本ですね

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2008年6月26日 (木)

ご先祖様の雄姿

(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・・⑤)

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歴史の古い大鐘家では

明治時代でも結構有名だったらしい

こんな細密画が残されていた

ほぼ今と変わらないところがいいね

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重要文化財に指定されているのは

この長屋門では萱を葺くのが

大変だそうで子孫の方が

私に説明してくれました

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母屋は瓦葺ですが

絵図面とほとんど同じですね

数年前までは実際に住んで居られた

とのことでした

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裏にあったお倉も絵図面と同じです

萱葺きの門は地方のCMにも登場

引き出物の語源の説明と共に

「馬を引く」場面に登場しています

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ご先祖様の大鐘様は戦国時代に

活躍されたそうで

絵図にも残されているそうです

そういえば遠州は一番攻防戦の

激しかったところですね

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ご先祖が仕えた大将は

かの有名な柴田勝家だそうで

どこか豪放磊落な性格が

共感したのでしょうね

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2008年6月25日 (水)

大根の目覚め

(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・④)

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海岸に近い畑には防風林

遠州灘ほどではないけれど

風は時折強く吹き細かな砂を

その海岸に敷き詰めて行きます

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防波堤の内側の畑は砂地で

大根の見事な畑が広がって

その白い足にかじりつきたい

衝動に駆られました

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榛原(はいばら)相良(さがら)御前崎の

このあたりの海岸線は夏になると

多くの海水浴客でにぎわいます

遠浅で波の穏やかな静波海岸です

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ここから少し進路を山側に変え

大鐘家(おおがねけ)を訪ねる

戦国時代から続く旧家で

地方の豪族でもあった家

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その萱葺きの長屋門は

勿論地方の重要文化財であって

維持していくのはとても大変だと

当家のお母様が言っていました

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早春とはいえまだ梅の花も

目覚めてはいなかったようでした

主なき梅の大木もなぜか寂しそうに

太平の江戸の昔を偲んでいたのでしょね

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2008年6月24日 (火)

折り返しは相良港

(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・③)

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駿河湾の透き通った水に

穏やかに育った若布は

腰があってその上柔らかい

まるで静岡県人のように

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海岸沿いの道が川辺にぶつかり

すぐ隣を走っている国道150号に出る

橋の袂の小さな公園もちょっと洒落て

トイレだって綺麗でした

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橋の袂には灯篭があります

国道を走る車には

ここは相良の入り口だとわかるように

洒落ているのですね

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相良藩といえば天下に名を残した

田沼意次ですね

東海道の藤枝宿からの道を

今でも田沼街道といっています

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今回は相良港までで折り返す

今までは海沿いを歩いたので

今度は国道より山寄りを歩いて

帰ることにします

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私のウォーキングスタイルが

往路復路でコースを変えるという

その原型がこの頃から形になりだし

以後ずーと引継がれ今に至っています

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2008年6月23日 (月)

浜辺の歌が聞こえるように

(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・・②)

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水辺に群れている鳥がいる

波が引いてゆくとその後を追いかけ

波が押し寄せるとわらわらと

砂浜を小走りに歩いて逃げてゆく

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こちらはカモメ軍団だろうか

まるで波と戯れているようだ

よく見ると違った種類の鳥も混じり

ほのぼのとした雰囲気です

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小さな平田漁港には小型の船が

浮かんでいました

何十回となくこの付近を走りまわっているが

この港の存在は知らなかった

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再び海岸を南に下ると

早春の陽光はますますきらめいて

少し突き出した突堤の脇に

なにやら人々が水につかっている

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近づいて見ると若布を採っていました

砂浜担当はおばあさんの役目

採りたての若布に砂をつけて

天日にさらします

ここ相良の若布は天下一品です

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地域に人たちが丹精込めて育てた

相良の若布はこの時期が刈入れの時

仲間たちが共同で収穫です

水はまだ冷たそうですが

なんとなく喜びに満ちているようでした

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2008年6月22日 (日)

イノシシのエールで

(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・①)

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吉田ー相良

2006年2月13日

以前歩いたウォーキング原点を

しばらくUPして行きます

まだ地図がまっさらな頃でした

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前回の歩きで初めて志太平野を抜け

大井川を越えて歩き出した頃

今度は吉田より御前崎に向かって

歩き出しました

畑の中からイノシシがエールを送る

こういった楽しみを初めて知りました

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海辺に出て見るとまぶしいまでの陽光

私にとって水辺を歩こうと思いがまし

以後のウォーキングが水辺中心になった

その原点がここだったように思います

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快晴の空と遠くに浮かぶ富士

駿河湾沿岸では普通の景色

改めて眺めてみれば

心打ち震える景色です

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焼津もはるか彼方です

今から思えばなんでもない距離も

歩き始めた頃はこんなにも遠いとこまで

自分は歩けるんだという思いでした

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何気なく転がっている錨も

何でもかんでもいとおしく思え

歩くことの楽しみが少しずつ

心の中に広がって行きます

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2007年11月28日 (水)

陽だまりの中の寺社

ブッシュ大統領の呼び掛けによる中東和平国際会議が27日アメリカの海軍士官学校で開かれたそうですね。イスラエルと国交のないサウジアラビア、シリアなどの閣僚も参加したそうです。

何でいまどき、中東和平なの?どうも2008年末までには「俺の言う通りの和平案」をイスラエルとパレスチナは完成させろとのこと。そうだよね、でないとブッシュ君それ以上伸ばしたら自分の任期がなくなっちゃうよね。

大体この話は2003年には一度は決まったはずだし、今回の和平交渉だって7年ぶりのこと。そう簡単にはことがはかどらないでしょう。何が問題で、何が和平交渉の妨げになっているかは、世界中の人はあらかた分かっていることなのに、言い出せないでいるだけだよね。

2000年間に亘って、流浪の民と化していた人々を、「約束の地」地ということで中東に集結させたのは一体誰なんでしょうね。そこに住んでいた人たちを追い出した責任は誰が取ったのでしょうか。それだけならまだしも、建国したイスラエルと言う国がやりたい放題にパレスチナの国土を侵すことを放任したのは誰でしょう。

かつて国連がまだまともだった時代、イスラエルに対する制裁処置を可決しようとして、アメリカ1国の拒否権で成立しませんでしたね。面白いことに、可決しないと言うことは、むしろイスラエルの行為を奨励すると言うように理解されてしまうもの。その後も、占領地からの撤退は依然として実行されていませんね。

イスラエルは航空機や重火器をアメリカからいくらでも供給できる。それによる攻撃は正しい戦争行為で、それらを持たない相手であるパレスチナは小火器で戦わざるを得ないし、日本がかつてお手本を見せたように、持たざるものは己の命を掛けてでも敵に向かっていかなければならないもの、それをテロと言うそうだ。

パレスチナ側は譲歩し尽くしている現状で、後はイスラエルが過去の戦利品を返却できるかどうかにかかっていると言うのが、和平交渉の本質らしい。現在のテロ社会というものをこの世に現出させた原因もイスラエルとアメリカにあるのでしょうね。でも、根本的なところはそのアメリカを後ろで操っている輩の仕業とも言われていますね。

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(追憶・駿河湾・Ⅱ・・・・・・・③)

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太平橋を渡って再び

しだ平野に戻る

静岡では安倍川と大井川で

下流の橋から富士山が

正面に望めます

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大井川橋と太平橋では

車では感じないが歩くと

結構な距離がある

したがってその間を戻るのに

土手だけでは面白くないので

村の中を歩いた

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まだ田んぼの残るこの地方

ところどころに存在する寺社が

見渡せます

あっちの神社へこっちの寺へ

畦道を通ってたずねながら

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ジグザグに歩き回る

神社などを村落で造営して

それを守り続ける事の大変さ

そしてその楽しさも

最近味わったのでそんなことも

考えさせられた

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冬枯れの景色には

電線に並んだカラスさえ

絵になるような気がします

もうすぐこのあたりも

住宅地になってしまうことだろう

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冬の寒さの中にも

季節のさきがけ蝋梅の花が

生き生きと咲いています

駿河湾は温暖なところです

追憶はしばらくお休みして

この続きはまたいつの日か・・・

明日からまた現実に戻ります

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2007年11月27日 (火)

大井川は野鳥の宝庫

民主党の小沢代表の「出会い頭の解散も十分ある」の発言を受け、当の本人の福田首相は「政治とはそういうもの、一瞬先は闇。あまり予想してもしょうがない」と26日記者団に話したそうです。

どうやら、額賀君のことでピンチになってきたので、新テロ特措法なんて言っている場合ではないらしい。額賀君をクビにするために、一気に内閣改造しようという勢いみたい。そうしないと、来年度予算に取り組むことができなくなるようだ。

それにしても、福田君は「予想する」ことが嫌いなようですね。就任早々から週に一度は言う言葉で「仮定の話に答えるつもりはない。仮定の話に答えてもしょうがないでしょう」というのがありますね。どうも普通の政治屋さんと違うようだ。

この理論で行くと「○○国が責めてきたらどうしますか」「テロが日本で起こったらどうしますか」「国民の生活はこのままでは大変なことになりますよ」「東海大地震が起こったらどうしますか」etc・・・すべて「仮定の話しに答えるつもりはない」で片付けられますね。

政治家の任務は「もし○○が起こっても大丈夫」な世の中を作るために仕事をしているわけで、戦争やテロや経済恐慌や高齢化や自然災害やその他いろいろのことを想定して国民の税金を使う訳だ。つまり未来のことを「仮定」しなければ彼らの仕事はないことになる。

福田君の場合は、一瞬先が「闇」にならなければ、重い腰を上げるつもりはないらしいね。

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(追憶・駿河湾・Ⅱ・・・・・・・②)

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大井川を越え

国道150号を南下する

このときカメラが故障して

20枚ぐらいの写真が写っていない

榛原の手前で左折し海に向かう

吉田町住吉でカメラが再び作動

住吉神社で遅がけの初詣

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作動したものの時々写らない

そんなカメラをだましだまし使って

少しでも多くの写真を撮る

なんとなく変な感じ

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住吉神社から大井川に向かう

途中の神社はまだまだ正月気分

このころはよく狛犬の写真を

たくさんとりました

ちょっとばかり狛犬通になりました

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再び大井川に戻ってきました

今度は最下流にある太平橋です

ここからも富士山が真正面に

くっきり見えていました

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この太平橋は少し前までは

自動車が走れる木造の橋で

途中ですれ違いの場所がある

珍しい橋でした

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今では立派な橋に生まれ変わったが

その分だけ風情が無くなった

将来はこの道が正規な国道

150号線になるようです

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吉田から見る大井川河口

河口の対岸は大井川港です

駿河と遠江(とおとうみ)とは

大井川が境界線

冬枯れの景色ながら

暖かな駿河湾です

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橋の上から見る水面には

鴨たちの群れがいっぱい浮いている

雪の北国を逃れ南国駿河へ

大井川はこの時期野鳥の宝庫です

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2007年11月26日 (月)

越すに越されぬ大井川を

マレーシアの首都クアラルンプール中心部でインド系住民5千人がデモをし、解散させようとた警官隊と衝突し、双方に負傷者が出たそうですね。

わずか5千人のデモのことが、なぜ世界中を駆け巡るニュースになるのでしょう。それは、アレーシアという国の成り立ちから見てみないとわからない問題がいっぱいあります。それはそれとして、今回は戦時中インドから英国によってつれてこられたインド人労働者の末裔が、差別されていると言うことから問題が発生したらしい

マレーシア自体、先住マレー人を優遇していかないとたちまち、マレー人が国内より駆逐されかねないと言う心配から政策をとってきたのにも、それなりの根拠があったのでしょう。なぜなら知的なものはインド人にはかなわないし、経済的なものは華人にはかなわないと言う認識が彼らにあったからだ。

戦後独立したマレー連邦から、シンガポールが離脱して独立し、シンガポールがほぼ華人の国になってしまったことを踏まえていいるのかもしれないね。多民族国家マレーシアはマレー人優遇策をらなければ、シンガポール同様華人の国になってしまうだろう。結局そのあおりを食ったのがインド系の人々と言うことになるのかな。

東南アジア全体を見回しても、経済では華人の底知れないパワーが渦巻いていることは周知の事実。西欧諸国の植民地から、一時日本の植民地となり、今、見えないところで中国による植民地化が粛々として進行しているような気がしますね。

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(追憶・駿河湾・Ⅱ・・・・・・・・①)

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私のウォーキングの記念すべき日が

この日だったかも知れません

なぜならそれまで志太平野を

歩き回っていただけなのが

初めて大井川を越えたのだ

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自転車で越えたこともある

自動車では数限りなく越えた

その大井川を初めて自分の足で

越えていきます

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胸が打ち震える感動でした

いつもぐうたら親父を自認し

メタボ親父だった男が

何かを越えようとした瞬間です

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橋を渡りながらふと振り返ると

雪をかぶった大きな富士山が

男の背中をぐいと押してくれているようで

とても感動しました

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橋の中ほどまでさしかかり

上流を眺めるとそこに連なる

南アルプスの山々が

遥かに眺めることができました

いつかこの川の源流まで

歩いてみたいと思いましたが

その時はまだ

夢の夢でしかありませんでした

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2007年11月24日 (土)

粋な狛犬

インド洋での給油活動を終えた海上自衛隊の護衛艦「きりさめ」は佐世保港へ、補給艦「ときわ」は東京晴海埠頭へと帰還しましたね。6年間に及ぶ海自の活動が完結したと言うことだそうです。長い間、ご苦労様でした。

さすがに世界に誇る日本の軍隊です、完璧に補給をする能力に世界が絶賛したそうです。来るべき将来に向けて、莫大な費用に見合う訓練をされたのではないでしょうか。国民はこぞって増税に耐えてもその活動を応援してきたのだから、拍手喝さいというところですね。

自衛隊の司令官は「我々の子供たち、孫たちの笑顔のため」給油活動をやってきたと言っています。おかげで世界中の子供たちがこの長い間にずいぶんと笑顔の生活をしてきたのでしょう。

6年は長いのでしょうか短いのでしょうか。次の世代の子供たちのために、この任務の完結は有効だったのでしょうか。それとも、あと何年続けていれば、平和な世界が実現するのでしょうか。

その利権に喰らいついて生きていた、官僚や政治屋はこれからどうやって生きていけばいいんだろう。商社を通じて燃料を供給していた中東の業者と、これからどんな契約をしていけばいいんだろう。

子供たちの笑顔のためには(たとえ戦争でも)、どれだけでも税金を使いましょう。国民に還元する福祉や年金については、消費税でも何でも理由をつければ国民は納得して賛成する、従順な国家だからね。

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(追憶・駿河湾・Ⅰ・・・・・・・・②)

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南に向かった歩みは

しっているはずのこの平野に

ずいぶんと未知の事柄が

あふれていることを知らされた

明治の時代の村人は未来のために

組合を立ち上げ小学校を作った

子供や孫の笑顔のために

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そして農業や漁業の繁栄のために

神社を造り神に祈った

歩いてみると一つの町内に

一つ神社があるように見える

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正月過ぎの神社の境内

注連縄が狛犬の鉢巻に

なっていて粋な感じだね

村には村の方便があるようだ

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小さな生簀の後には

鴨と白鷺が仲良く休んでいます

かつてあった広大な農地や

湖沼も消えていくそんな時代

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そんな昔を偲ぶように

立派な松の木が忘れ去られた

時のハザマにたたずんでいます

彼は何を見てきたのでしょうか

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いやはや見事な槙の木の垣根

その上に船が浮かんでいます

私の知っている志太平野

私の知らない志太平野

狭くて広いこの大地に

見せられていく自分を感じながら

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2007年11月23日 (金)

記念すべき第一歩

C型肝炎を発症した患者418人の症例資料を厚生省が放置していた問題で、2002年当時、担当職員は「患者には病院が告知している」と思い込んでいて、あらためて患者本人への情報提供は不要と考えていたと22日調査委員会が表明したそうです。

人間は思い込みの激しい生き物で、よく勘違いする物だ。分かっていて勘違いする物と、わからないで勘違いする物もある。私も最近では高村光太郎と島崎藤村を勘違いしてあるブログにコメントを載せてしまった。愛嬌として受け取っていただいたので、そのままにしています。前日まで光太郎のことをある雑誌で読み、そのことが頭から離れなかったのが原因でした。

でも、厚生省職員の場合はわからないけど思い込んだことで、しかも自己の職業上のことであるし、大変な失態だと思います。たかが418人のこと告知をしたかしなかったか電話で連絡してもそんなに時間のかかる問題でもあるまいに。しかも患者本人にとっては一人一人の命に関することであることを認識すれば、とる行動は一つのはずだ。思い込みでは済まされないですね。

それはそれとして、どうも気になるのは「病院が告知している」と言う発言です。この問題については現場の病院は製薬会社に報告し、製薬会社は厚生省に報告したはずですね。患者さんは公表を望んでいたはずで、早期治療開始を望んでいたと思います。2002年当時も問題だが、その後この問題が裁判沙汰になっていることを承知していれば、担当者は「病院が告知しているはず」なのに何でそんなに騒ぐのかと、いぶかしがるはずですね。

こんな構造を見ていると、何か意図があって厚生省は発表しなかったと言うことが素人なりに判断できますね。それが裁判官にも影響を及ぼし「国や製薬会社に責任なし」というお決まりの判断を下す要因にもなっているのかな。

そういえば一般会社でも「現場作業員がミスを犯した」といって、原因を作業者だけに押し付け、それを「私が何とか解決しました」と報告すると、その現場責任者は出世します。なぜならそんなその現場責任者はいったん事が起これば「上司の管理者に責任が及ばないように努力する者」として評価されるからである。「私の指導が至らなかった」なんて現場責任者が言おうものなら、その会社では一生うだつの上がらないものとして抹殺されていくのが世の中の仕組みです。

そういう観点から言えば2002年当時の担当者は、教科書どおりの公務員だったことになりますね。

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(追憶・駿河湾・Ⅰ・・・・・・・・①)

このところの忙しさで1ヶ月もウォーキングを休んでいたため、正直なところブログのネタがなくなって来てしまった。そこでこのブログの原点であるウォーキングを始めたころのことを時々アップしてお茶を濁そうと思いたちました。そこで写真を調べてみると、元々ブログの予定がなかったため、それらしいものが余りないけど、まあいいか。

本来、健康のために2年前、近所歩いていた。仕事から帰宅して食事をして夜中に30分歩く。1ヶ月ぐらい続けたが、毎晩のように会うおばさん連中がいるものの、排気ガスを吸いつつ歩くのもつまらなくなり、今度は無理してでも1時間歩いてみた。範囲を広げてもやはり同じようにどこにも、毎日会う人は同じだし車も相変わらずだった。

休みの日に、家から一時間行って、1時間半を掛けて帰ってくるというのをやってみた。自分の住む静岡のこの志太平野。面白いことにどの方向に行っても1時間歩けば平野の隅に到達することが判明し、放射線状に歩き出した。

このことが、私のウォーキングのスタイルを決めた一つの要因でした。

Photo

誰だって生まれ故郷はあります

そこに住み続けることができる人

第二第三の故郷を見つけた人

それぞれに故郷はいいものですね

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数ヶ月このすばらしい故郷を

歩き回り

あらためて大好きになりました

今まで忘れていた物を

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拾い集めるように一歩一歩

噛み締めながら歩きました

わが故郷にはどこにも負けない

漁港があります

そして、恥ずかしがり屋の

富士山が時々顔を出します

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漁師の血を引く私だが

船にはからっきし弱かった

親父の船に乗せてもらっても

海にコマセを撒いてばかりだった

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ある日 私の足は南に向いた

1月の寒い日だったが

心はとても暖かい

同じ平野の中の栃山川を越える

遥か南アルプスには

雪が白く光っていた

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そんな中にも枇杷の花芽は

もうほころび始めている

わが故郷は常春の邦

一月は春がどこかに隠れている

この南へ向かった日が記念すべき

その第一歩だったように思えます

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