2008年9月 7日 (日)
(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・⑧おわり)
相良藩には勿論田沼意次
「白河の清き流れに住みかねて
昔の田沼今は恋しき」
どこかに現代を映しているのかもしれない
萩間川の河口にある小さな町ですが
その心意気は古きよき伝統を守る
人々によって支えられているのでしょう
その昔相良の水運はこの河口が主で
幾つもの船が浮いていたような
そんな記憶がありました
今では港が整備されて
そちらに移動したのでしょう
船宿の雰囲気を残す風景か
その昔栄えた相良の水運の面影
それはなぜかノスタルジックな叙情
なぜかタイムスリップしてしまったような
現代への回帰か
今はレジャーボートがひっそり浮いて
河口には水門さえできてしまい
川はその生き様を静かに終る
川を中心に栄えたお屋敷も
その長い板塀に僅かに誇りを残し
今は無用とも思える沈黙に
耐え切れない寂しさを醸し出す
港には落日の美しさだけが
遠い昔を偲ばせる
田沼意次の城下町
戦国の攻防の声は霞んでゆく
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2008年9月 6日 (土)
(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・⑦)
この砂の風景は砂浜ではありません
港の中の道路の中の上です
御前崎を中心とした遠州は
風の強いところで砂との戦いの場
せっかく作った港だけれど
数十年後は砂に埋もれるのかな
砂浜に降りて振り返ると
土手は巨大な船の様にも見えます
大きな流木も半ば砂に埋もれ
助けてくれーと叫んでいるようだ
沖のテトラにまで砂が迫るのも
時間の問題のようですね
流木は随分たくさん流れ着いて
一体どのように始末するのか
ちょっとばかり心配ですね
じっと見ていると造型の妙を感じます
勿論砂浜は相良若布の
格好の干し場です
砂と風と太陽との大いなる合作
おいしさをその体内に醸しているのか
往きは海沿いだったので
帰り道は山沿いの道を選びました
相良の町に戻ってきました
風の町相良は凧揚げの伝統を
今でも守り続けているのが誇りだ
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2008年9月 5日 (金)
(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・⑥)
自分が立っている巨大な土手は
左端にちょこんとある出っ張りで
その右にはこれまた巨大な
御前崎港が控えています
土手の先端の足元には
なにやら大きな建物があります
土手の上であった藤枝の人に
映画の撮影セットだと教えてもらいました
中井貴一などが出演していた
「亡国のイージス」の艦橋セットでした
最高性能のイージス艦は諸刃の剣にも
なることを庶民に教えてくれた映画でしたね
下から見上げると本物の迫力です
この映画の後イージス艦については
数々の問題が起こり普通の人でも
その存在を認識するようになりましたね
ここに巨大な船のセットを造り
撮影したのだそうです
あの東京湾に入っていくシーンは
何とこの駿河湾の海ということです
艦橋から更に下を見ると
砂の風紋が綺麗に出ています
でもそこは砂浜ではなく
不思議なことに港の中の風景です
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2008年9月 4日 (木)
(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・⑤)
地頭方港はとても穏やかでした
波一つ立てない構内は
まるで昼寝でもしているように
静かでした
元々はただの海岸だったところに
巨大な港を造ったもので
港の中に細長いどてのような
岡ができています
その土手に上り先端まで行ってみる
ここは「わかふじ国体」のセーリングの
会場になったとかで秋篠宮ご夫妻が
訪れたとの記念碑が建っていました
土手の先端から御前崎方面を見る
ほぼ隣に御前崎港もつながったように
見えていました
御前崎先端が遠くに見えます
牧の原台地や小笠の台地の果てが
ここで太平洋に向かって途切れているところ
それにしても船が少ししか見えませんね
大きな港がちょっと寂しそうでした
岡の上でであった藤枝の人に
焼津から何回かで歩いてきたと言ったら
驚いた風には見えず自分も良く歩いて
運動していると言われました
遅ればせながら私のウォーキングの
励みになりました
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2008年9月 2日 (火)
(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・・・③)
海岸の水際を歩くのは楽しい
打ち寄せる波は生き物のように
旅人に語りかけて時の過ぎ行くのを
うっかり忘れそうになる
しかしほんのわずかな川でも
飛び越すにはちょっとばかりできない
その度に水際を離れ水門のあるところまで
残念ながら戻らなければなりません
海岸が国道に迫るあたりから
堤防の上を歩くことにする
海に入って何かを採っているのでしょう
若布ではないようだから何かな
少しずつでも御前崎は着実に
近づいてきています
光る海を横に見て
全身に汐の香りを浴びながら
所々海に降りるところがある
港ではないけれどここに船を上げるのが
一番近いところなんでしょうね
それは堤防ができるずっと以前から
若者が海で採った若布は
砂をつけて海岸で干すのは
大きなお母さんの役目だろうか
相良の砂は細やかな心が宿っている
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2008年9月 1日 (月)
(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・・②)
駿河湾西岸は海に出てみれば
富士山はそこにある
次第に遠ざかっていくけれど
どこまでも見え続ける
前方を見れば逆光の中に
御前崎の港がはるかに見えてきました
海沿いの道なき道を進んでいきます
風のささやきがとても柔らかでした
広々とした砂浜には
犬を連れた人が一人だけ
海と景色を心行くまで堪能して
何を思っているのでしょう
自然は時には偉大な芸術家
それは一期一会の美
無作為の作為だろうか
流木と砂だけの一人芝居
流麗でいて素朴の極み
ただそこにあるだけで確かな存在
砂浜を旅する者には
気になってしょうがない
波がもたらした贈り物
貝殻のオブジェと旅人の足跡
海が笑っています
風が微笑んでいます
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2008年8月31日 (日)
(駿河湾西岸の旅・Ⅳ・・・・・・・①)
2006・2・14
相良ーー地頭方
4時間半 22500歩
・
今年の夏はとても暑くそして天候も不順でした
まとまってのウォーキングができませんでした
昨日もがんばろうと思ったが突然の雨で
歩くのを断念しました
結局、一旦ここで2年半前の歩き始めたころの
駿河湾シリーズの続編でお茶を濁します
都合により9月中旬までお付き合いを
焼津から歩き始めてまだ4回目で
ようやく相良から南に向かって
歩き始めた早春のころでした
車社会に甘んじていた自分自身への
新しいチャレンジの始まりの頃でした
相良は鈴木梅太郎博士の古里
子供時代から知っている偉大な人
その旧跡もこうしてゆっくり訪ねることが
歩くことによってできる喜び
まっすぐ南に向かって歩く道には
もう春の息吹がどんどん迫ってきます
ウォーキング初心者ですが少しずつ
その喜びを実感し始めていました
花や鳥そして風までもが
生き生きと私を歓迎してくれる
この頃は果たしてどれだけ歩いていけるかは
まったくの未知でしたけれど
その日その日出合う光を大切にしよう
城下町の面影を残すほんのちょっとした光景も
少し立ち止まっていくだけで何かを
語りかけてくれるような気がしたものでした
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2008年6月28日 (土)
(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・・・⑦おわり)
大鐘家のお庭は昔の栄華そのままに
今はひっそりとそのたたずまいの中で
静かに時を偲んでいるようでした
栄枯盛衰は人の世の常
街道の神社にも昔からの
人々の知恵や心意気が感じます
果たして現代人はその伝統を
しっかり受け継いで生きています
帰り道は田沼街道を歩きます
勝間田川にさしかかる
海側にそびえていたホテルも
今はなく静かな静波海岸に戻る
街道筋で何か視線を感じる
二匹の目が私を見つめている
一瞬対抗しようとしたが
二匹とも置物でした残念
吉田町に戻ってきました
相変わらず川面の鴨たちは
仲良く集まっています
私の旅もまだ始まったばかり
めったやたら私の被写体にならない
かの青鷺もこの日ばかりは
遂にその飛び立つ姿を
コンデジに捉えることが出来ました
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2008年6月27日 (金)
(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・⑥)
所蔵の水墨画の屏風など
母屋に展示してありました
すばらしい絵なのですが
鑑定団ではないので価値未定
幼少の頃にはこの竈で
よく飯炊きをしたものですが
今ではまったく見かけませんね
ダッシュ村ぐらいなものかな
母屋そのものが文化財で
そこかしこに貴重な技術や
生活の知恵がいっぱい隠されて
ゆっくり見れば面白いものでしょう
特に土間の天井の梁は
ものすごい迫力で見るものに迫る
どのようにしたらこんな組み方の
発想が生まれるのか不思議だ
部屋の中ではつるし雛
地元のお母さんたちの力作
さすが女性のパワーは
年齢と共にますます盛んです
水引で作った作品もありました
日本古来の伝統の力は
現代でも脈々と流れています
温故知新もう一度見直したい
そんな日本ですね
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2008年6月26日 (木)
(追憶・駿河湾Ⅲ・・・・・・・⑤)
歴史の古い大鐘家では
明治時代でも結構有名だったらしい
こんな細密画が残されていた
ほぼ今と変わらないところがいいね
重要文化財に指定されているのは
この長屋門では萱を葺くのが
大変だそうで子孫の方が
私に説明してくれました
母屋は瓦葺ですが
絵図面とほとんど同じですね
数年前までは実際に住んで居られた
とのことでした
裏にあったお倉も絵図面と同じです
萱葺きの門は地方のCMにも登場
引き出物の語源の説明と共に
「馬を引く」場面に登場しています
ご先祖様の大鐘様は戦国時代に
活躍されたそうで
絵図にも残されているそうです
そういえば遠州は一番攻防戦の
激しかったところですね
ご先祖が仕えた大将は
かの有名な柴田勝家だそうで
どこか豪放磊落な性格が
共感したのでしょうね
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