2008年10月26日 (日)

東海道の旅ひとまず完結

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・⑥完結)

159

駿河路や花たちばなも茶の匂い  芭蕉

清水寺の境内に建つ大きな句碑

江戸時代の文人墨客の多くが

この駿府に草鞋を脱いで寛いでいます

160

2年半の間、寄り道しながら

ついでの旅や暇つぶしの旅や

それらを繋ぎつないで

県内の東海道はいつの間にか

161

歩ききってしまいました

そして今静岡駅までたどりつきました

私の東海道はどんな方向へ行くのか

今のところ分かりません

163

駅前の地下道もつい最近

リニューアルしました

路上ライブの得意なグループが

早速道行く人の足を止めています

164

地下道のど真ん中にぽっかり空いた穴

そこにエスカレーターができ

タクシー乗り場やバス乗り場へと

人々が楽しそうに上って行きます

165

穴は大きな明るい天井に覆われ

その向こうには再開発ビルも建設中

静岡も静かに変貌中です

私も東海道の旅を終わり

次なる変貌へと一歩踏み出しますかな

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2008年10月25日 (土)

静岡の清水寺

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・⑤)

153

谷津山の麓をぐるり回って

清水公園にやってきました

本来は尾根伝いでくるつもりが

ちょっと残念でした

154

街中の公園なのに滝があります

以前はこんなの無かったはずだけど

大分ご無沙汰してしまっている証拠だね

勿論この上に川など無いのは知っています

155

一応確認のために登ってみましょう

もう登る気力も余り残っていないけど

綺麗に整備されたなつかしの

公園を少し楽しみましょう

156

滝の上にはやはり川はありません

展望台から市街地が見えています

ここから見える街はその昔家康が

世界に誇る文化都市を作ったところ

157

清水公園は勿論清水寺の境内です

家康以前今川氏が創建したもので

京都の清水寺から招かれた大僧正が

故郷を偲んで名付けられたそうです

158_2

日はだいぶ西に傾き

梵鐘も幾多の遍歴を経て

静かな時代を見つめているようでした

月日は百代の過客にして・・・

6666666

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2008年10月24日 (金)

コース間違え下に降りる

(寄り道東海道・Ⅵその2・・・・・・④)

146

尾根道は下から上る道が

数ヶ所在るようでいこいの広場が

時々現れる

付近の人たちが散歩で登って来るのかな

147

なんとなく矢印通りに歩いてゆけば

なんとかなるだろうと進んでいく

ちょっと疲れていることもあり

足の向くまま気のむくままに

148

道路を走る車の音や

学生達の歓声が聞こえるが

木々や竹に阻まれて

周囲の景色は全然見えない

149

ふと見晴らしの良いところ出たら

なんと谷津山の鉄塔ははるか彼方

一つ尾根を間違えて横に進んだらしい

今さら鉄塔まで戻る気もなく

150

下へ降りようとしたが

なんとどこかの家の裏庭へ

畑を踏み荒らさないように

そっとお庭へ下りました

151

山裾を回って谷津山の先にある

清水(きよみず)さんに向かって歩きます

このあたりの山やお寺は40数年前

部活のトレーニングで走り回ったところ

久しぶりに来て迷ってしまったわけだ

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2008年10月23日 (木)

西日に輝く街

(寄り道東海道・Ⅵその2・・・・・・・③)

139

沓谷公園で幼児と遊ぶ老夫婦

そんな姿を見て心癒された

公園の傍から山に登れるはずだ

とりあえず行ってみるが行き止まり

犬に吼えられてそそくさ戻る

140

少し先を行ったところに案内板

どうやらここが谷津山への登り口

頂上まで50分とある

他の楽しみを飛ばして山に挑戦する

141

立派な階段だけれど

この急坂を見たとたんに

どっと疲れが増してきた

とりあえず何とかなるだろう

142

階段の途中から今日歩いてきた道を

振り返ると西日に輝く街の向こうに

梶原山と帆立山その向こうには

由比の浜石岳も見えました

富士山は相変わらず雲の中

144

最初の山はあたご神社の境内

神社の裏から回ってきて

拝殿を拝んでいる人に道を聞く

神社の表の石段の途中に道はあるらしい

145

すこし迷ったけれど尾根道を見つけ

いよいよ縦走開始です

街中の山と言えども山は山

竹林交じりの林の中を行く

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2008年10月22日 (水)

風神と雷神

(寄り道東海道・Ⅵその2・・・・・・②)

131

光鏡院の三門の金剛力士像

かなり力強くて立派なものだし

でも見たところそんなには古くないし

デザイン的にもどこかで見たような感じ

129

左右の金剛力士像勿論

阿吽の形相だから正しい像だが

その背面の寺院側に回ると

異様な像が一対になって隠れていた

130

これまたどこかでお会いしたもの

そうあの有名な俵屋宗達の「風神雷神図」の

風神と雷神が絵の中から飛び出してきた

こんな三門は初めて出会いました

134

常葉大学の前を素通りして

瀬名の街道を日本平方面に向かう

向かった先は北街道です

バイパスを越えてすぐ先を右に曲がる

136

北街道は東海道と平行に走り

なぜか姫様たちはこの街道を利用して

往来したとのことだが用途は不明だ

梶原山から見えた谷津山が目前にせまる

138

平地をすたすた歩いたので

少し疲れてしまった

谷津山の麓にある沓谷(くつのや)公園で

少し息を整えて小休止

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2008年10月21日 (火)

瀬名に下る

(寄り道東海道・Ⅵその2・・・・・①)

121

一直線に歩いてきた山道も

自動車道になると曲がりくねって

大きく迂回するのでなかなか下に

下りなくて距離が長く感じます

122

静岡市街のど真ん中にデンと

谷津山が見えます

次の目標をこの山に決めました

縦断して駅まで行くつもり

123

坂道の途中に「瀬名古墳群」

聞いた事が無かったので

ちょっと寄ろうかと思ってあたりを

見回したけど見つからなかった

125

ようやく瀬名の町が大きくなった

以前に比べて住宅が随分増えたようだ

道は大きく迂回して下に見える

お寺につながっているようだ

133

曹洞宗光鏡院どうやら名刹のようだ

家康の正室築山殿は元は瀬名姫と

呼ばれていたことなどを思えば

ここ瀬名は歴史に名を残している

127

栄枯盛衰は人の世の常

鎌倉時代の梶原景時

戦国今川の時代をへて

徳川の栄華そして大政奉還

15代将軍の戻るべきところ

駿府は時代を静かに見つめてきた

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2008年10月20日 (月)

磨墨の歯型が

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・・⑲)

109

梶原山からは下るだけだ

直線的に山を下るつもりでいたが

山道に「びんみず」の表示がある

素通りするつもりで進んだが

112

再び案内の標示が現れて

どうしても寄り道せざるを得ない

瀬名に下りる前に横道に入ってみる

梶原親子が自害の際寄ったところ

115

最後の時のための身だしなみを整え

鬢(びん)を洗ったところといわれ

今でも滾々と水が湧き出ていました

でもすこし暗いところで無念さがにじむ

114

傍らにあった説明板よ読み涙する

景季の愛馬磨墨(するすみ)がこの時

空腹に耐えかね竹の葉を食べたので

それ以来この付近に生える竹の葉には

磨墨の歯型がつくようになったとのこと

余りにも切ない伝説ですね

119

ハイキングロードは林を抜け

茶畑に入っていく

本当にこの道でいいのかなと思えるような

狭い道で一本の足の幅さえない

120

ようやく自動車道にぶつかって

ハイキングコースはここで終わり

こちらから上ろうとしたらこの上り口は

きっと見つけられなかったかも知れません

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2008年10月19日 (日)

記憶された歴史の中で

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・⑱)

103

梶原山頂上からは清水三保は勿論

正面には日本平その山裾の草薙

そして静岡側には谷津山が見えます

谷津山の向こうには静岡市街のビル群

そして「花沢高草満景峰の焼津アルプス

106

この景勝の地は梶原親子終焉の地でもある

鎌倉幕府の最初から最後まで武勇をはせた

景時景季景高が時代に追われここで自害した

その史実(伝説)に因み命名された山

107

巨人の星の「梶原一騎」の景高

名馬磨墨(するすみ)の景季

「涙の二度駆け」親父の景時

鎌倉本体の武士と詠われた親子だ

104

栄枯盛衰は人の世の常と言えども

あの壇ノ浦まで平家を追い詰めた

源氏の武将達も終われる身となれば

鎌倉からわずかの駿河の名も無き山で

105

自害にまで追い詰められてしまう

宇治川の先陣争いに勝った景季の

絵馬の姿も少し寂しそうですね

でもその名声は梶原山として

永遠に残ることでしょう

108

石碑を見上げるように一本の大きな木がある

なんの木でしょうか

その名も「ナンジャモンジャの木」だそうです

時の流れとはナンジャモンジャだろうか

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2008年10月18日 (土)

梶原山山頂

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑰)

096

帆掛山の一本松公園から一気に

梶原山を目指す

両側から覆いかぶさる木々の道

蜘蛛の巣を払いながらすたすたと

097

槙の大きな木の間を行くのだが

なぜか風通しがよい

みんな頭をちょん切られているけど

なんか意味があるのでしょうね

098

25分ほどでどうやら梶原山の入り口まで

到着したようです

梶原親子供養塚の案内

そうあの有名な梶原景時ゆかりの地

099

帆掛山よりは低いのだが

静岡側ではこの梶原山のほうが

名前は通っているようです

最後のゆるやかな道を登る

100

梶原山の頂上には展望台があり

ベンチもありますが

一本松公園よりはなぜか少し寂しい

雰囲気が漂っています

101

でも眺望はこちらの方がぐっと良い

清水方面を見ただけでも

視界が随分と広く感じる

もしかしたら静岡一の眺望かも

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2008年10月17日 (金)

茶畑爽快

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑯)

090

どうやらここがこの辺では

一番高いところらしく前方に在るはずの

梶原山は見下ろすような感じです

門の柱には清水と静岡つまり境界線ですね

091

振り返ると四阿にいた女性達も

昼寝をしているようでした

公園を跡に一気に梶原山へ

予定ではかなり遅れています

092

ここを左に下ると霊山寺だそうで

桜に時期は綺麗だそうです

一般的にはここから昇ってくる人が

多いとのことだった

093

そのまま茶畑の中の道を行く

やっぱり茶畑は静岡側だけで

片側は見晴らしはほとんど望めない

目的地の景色も良くわからない

094

林に入ると親切にも擬木の階段があります

それでも脇の道が通れるので

階段を避けて下っていきました

ハイカーにとっては自然のままが好きです

095

茶畑は道が狭いけれど

景色が見える分だけ気分爽快

このコースでは今まで静岡市街地が

見えなかったけれど

ようやく見え始めてきました

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2008年10月16日 (木)

空行く雲を眺めながら

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑮)

084

わずか300mの山だけど

すばらしい展望です

丁度テーブルも日陰になっている

遅くなったけど昼食にしよう

085

興津方面を眺めると

見えるはずの富士山も

霞の中に隠れてしまっています

清水の町を横断しているのは

東名とバイパスです

086

誰もいないと思っていた公園には

若い二人の女性が屋根のついた四阿で

横になって楽しそうに話をしています

私ものんびりと横になりたい

087

石碑の横には小さな松の木

元々ここには大きな一本松があり

ランドマークになっていたそうで

倒れた木の変わりに

新しいのを植え名前を残したそうだ

088

食事の後、ベンチに横たわり

空を見上げると青空の中を

白い雲がゆっくり流れていく

余りの気持ちよさにうつらうつら

089

なんと50分の休憩でした

寝ぼけ眼を擦り山原中継所を望むと

その更に向こう側にかつて登った

由比の浜石岳も雄姿を見せていました

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2008年10月15日 (水)

帆掛山頂上へ

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑭)

078

茶畑の中には放置された畑に

ぼうぼうと伸びたお茶の木が

寂しそうに旅人に立ちふさがる

綺麗に刈られてこそお茶なのに

079

お腹も空いたし少し疲れたし

三叉路が現れてどちらに行こうかと

迷うとやっぱり左の道を選んでしまう

少し楽の方へ行きたがる

080

しかし左へ入ってすぐに案内板が

こちらの道は間違いだと教えてくれた

戻って再び登りの道を行く

距離感が分からなくなってきた

081

しばらく行くと頂上が見えた

大きな電波の反射板が見えます

それと擬木の階段が見えるところは

どうやら公園のようです

082

ひだりての谷あいは沼上の村

馴染みのところだけど上から見ると

随分谷あいの村なんだと気がついた

谷の奥には新東名の橋も見えます

083

ここは帆掛山と言うそうで三保の湾から

見ると帆掛け舟の帆のように見えたとか

頂上に大きな松があったところから

一本松とも言われたそうです

梶原山はまだ先のようでした

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2008年10月13日 (月)

バナナの実るふるさと

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・⑫)

066

片側が槙の垣根が続く道になる

垣根の中を覗いてみるとミカン畑だ

尾根の左側は清水で林が繁り

右側は静岡でミカンやお茶の畑だった

067

尾根がくびれて道路に面したところに出る

サトイモ畑が少しだけあって

人間のにおいがする

あたりの景色が急に明るくなって

068

見晴らしもぐっと良くなってきた

峠より大分歩いた気がするが

まだまだ清水の街が近くに見えるから

そんなには歩いていないことになる

069

突然目の前に芭蕉の葉が現れた

と言うよりも明らかにバナナの木です

ここは日本だし低いと言えども山の尾根

一瞬目を疑いました

070

枝の先には大きな花がついているし

その根元にはしっかりとバナナの実が

ふさふさと付いているではないか

我が懐かしい南国を思い出しました

071

ことの真実を確かめるべく

道路に下りてみると道の両側に

確かにバナナの木が生い茂っていました

改めて南国静岡を実感してしまいました

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2008年10月12日 (日)

蜘蛛の巣払いながら

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑪)

060

この時期尾根道では蜘蛛の巣が

数メートルおきに張り巡らされ

生き物愛護の無門でもさすがに

棒切れを回しながらの歩きにもなります

061

ここは東海道ではないというご意見

でもちゃんと東海道のマークがあります

このあたりはどこでも東海道だ

私のなんちゃって東海道を

祝福してくれているようです

062

勿論生き物は蜘蛛だけではなく

名も知らぬチョウチョウだって

飛んでいました

葉っぱの上にいるのがわかるかな

063

尾根の道はゆるやかに下ったり

上ったりしながら木立の間を行く

この時期ここを歩く人もいないのか

だれにも会いませんでした

064

それだけに棕櫚の木も

のびのびとその葉を広げて

この小さな世界を独り占めです

差し込む日の光がまぶしい

065

少しずつでも山の上のほうに

登っているようです

お腹も空いてきたことだし

少しピッチを上げて歩きましょう

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2008年10月11日 (土)

いきなりのロープ道

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・⑩)

054

景色を一緒に見ていた人に

梶原山への上り口を聞くと

駐車場の脇の階段を指差して

教えてくれました

055

階段を登り始めて

すぐいきなりのロープ道でした

ウォーキング靴ではちょっと大変

足裏がかなりきつい感じです

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軽く尾根道が続くものとばかり

思っていたのであてがはずれ

先に昼飯食べた方がよかったかと

少し後悔しました

057

でもきつい坂道は数十メートルだけで

あとは森に囲まれた木の根道でした

こうなれば後はるんるん気分だね

足裏の気持ち悪さはまあ我慢しましょう

058

麓の高部地区のお父さん達の

森に対する気持ちがこの山道を

整備したり案内板を立てたり

しているのでしょうね

059

素朴な手作り感がやさしいね

どうやら一本松までは少しクネクネした

道ですよと言っているようです

ゆるやかだけど少しずつ昇っています

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2008年10月 9日 (木)

柏尾峠のお地蔵さん

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・⑨)

048

一人でなかったら遠に置いてけぼりだ

峠に差し掛かるにしたがって道は細く

急坂になり休み休みの登りです

空気だけがさわやかに胸に入る

053

柏尾峠に到着です

意外なことに峠には

立派な駐車場がありました

腕を組んでじっと見詰めている人がいます

049

私も並んで景色を眺める

ここまで来ると三保半島の形も

駿河湾越しの伊豆半島も一望のもとに

目に飛び込んできます

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峠についたとたん空は晴れ渡り

日差しを避けるようにひっそりと

峠のお地蔵さんが佇んでいました

日本の峠になぜか地蔵様が似合います

050

峠の割には随分と立派な石碑です

海抜わずか230mだそうですが

この峠を愛する清水の人たちの

心意気がこの石碑から伝わります

051

この峠からは北へ山原(やんばら)中継所

南へ一本松を経由して梶原山への

ハイキングコースの案内板があります

時間は丁度正午をさしていますが

これから南の梶原山へ向かって一歩き

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2008年10月 8日 (水)

九十九折の道を

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・・⑧)

042

厳しい夏を生き抜いた蝶が

道路の端で休んでいます

羽は破れてぼろぼろです

じっと見つめてみると

彼は足を踏ん張って立っていました

043

登るにしたがって坂が急になる

道も狭くなり九十九折になって

さすがに休み休み登ることになる

草花を愛でながらでは楽しいもの

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見晴らしの良いところへでると

麓の老人ホームが見えました

そんなに高くは無いのに

急坂だったにを実感できます

遠くに伊豆の山々が見えました

045

則面の秋の草花は

白い綿をいっぱいに広げ

今にも大空に向かって飛び立とうと

風を読んでいるようでした

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虫達の秋は蜘蛛の秋でもある

鬼蜘蛛は草木の間に堂々と

これ見よがしに網を張っていました

なぜ蜘蛛はいつもさかさまなのでしょう

047

次第に峠が近くなってきたようだ

山の狭間に清水の町が遠くなります

歩き始めてもう2時間は有に過ぎた

時間は正午に近かった

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2008年10月 7日 (火)

清水湧き出るところ

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑦)

036

柏尾峠への道は舗装され

いわゆるどこにでもある農道です

前日までの雨で道路は濡れていて

山陰の道の雰囲気が出ています

037

山路にはコンニャクの葉っぱが

こんにちはと言うようにご挨拶

見たところ峠までは近そうだけど

それなりに山の存在感を醸し出す

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道路は軽自動車が通っても

いっぱいいっぱいの細い道

あたりは自然のままの樹木や

草花が季節を謳歌しています

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静岡では山の額アジサイは

一年中どこかで生き残っています

湧き出る泉からあふれ出る滝の飛沫

清水は清水の湧き出る里でもある

040

葛の花も紫色をますます鮮やかに

夏の名残を惜しむかのように

しっかりと咲いています

せせらぎの音と妙にマッチします

041

簡単に見えた農道の山登り

思ったより手こずっています

途中一度だけ軽トラックとすれ違う

車は苦労して坂を下っていきました

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2008年10月 6日 (月)

柏尾峠入り口

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑥)

030

道野辺のビニールハウスを覗くと

さすが清水らしく薔薇栽培のハウス

かつて静岡一の生産を誇っていた清水

今でも静岡県は日本有数の薔薇県ですね

031

ふと見上げると柿の実も色づき始め

季節がおいでおいでをしているようです

つられるままに足も弾みます

歩き始めて1時間半

032

案内板に載っていた熊野神社に到着

村の小さな神社には真新しい鳥居より

古木が似合うようでした

秋の祭りも近いようです

033

神社を越していよいよ道の突き当たり

柏尾の里と言う老人ホームがありました

とても大きなホームで背後には山もあり

外歩きができれば環境はいいですね

034

ホームの角の十字路に

柏尾峠入り口の石の道標

どうやらここが登山口のようです

清流の音が心地よい

035

峠への道を進むとさっそく

烏瓜が葉っぱの影から覗いていました

街の近くにも自然が生き生きと

秋を演出しているようです

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2008年10月 5日 (日)

秋に迎えられて

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・⑤)

021

鹿島神社の片隅に案内板

これで見ると一本松までは有るが

梶原山は静岡地区ということか

ハイキングコースには入っていませんね

025

鹿島神社の森を直角に左に折れ

登山口にある熊野神社を目指す

たぶん前方にある山の下まで行けば

見つかることでしょう

026

街から少し進んだだけで

懐かしい田舎の雰囲気が感じられる

そういえばお彼岸の季節なんだな

ヒガンバナが川辺に咲き始めていた

027

無人販売の棚の上には

秋の味覚の栗がイガ付きのままで

旅人に微笑みかけています

こういう光景に逢うと歩くのが楽しくなる

028

道路わきのキュウイの棚にも

丸々と実ったおいしそうな実が

幾つもぶら下がっていました

知らない間に秋は静かに忍び寄る

029

こうなるとどんな景色を見ても

旅愁を感じてしまいます

歩き旅の楽しさにはまっている自分

景色の方から私に迫ってきます

 

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2008年10月 4日 (土)

一つ目の目標鹿島神社

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・④)

018

清水の町を縦断する最後の線

一番山側は東名高速道路が走る

静岡ー清水間は狭い空間に

お互いクロスした各線が絡み合う

019

東名を越えると山まで見通しが開ける

右前方に見える鉄塔のある山は

どうやらこの辺では有名な

山原(やんばら)無線中継所のようです

020

更に進むと道路右側に森が見える

どうやらここが私が第一の目印にした

神社があるところらしい

ここまで駅から約1時間ちょっとだった

022

こんもりした小さな山の脇に

階段があって神社はその上だろう

少し疲れたので登って休憩することにした

あたりの様子もチェックできるかも知れない

023

低い山なのですぐに登れたが

空気が停まっていてなぜか汗が吹き出る

社の横で休んでいた二人連れのご婦人に

梶原山の情報を訪ねたが良くわからないようだった

024

社の正面の階段を降りると

鳥居には鹿島神社とあり

社の建物はちょっとちゃちだったけど

かなり古い時代からここは要所である雰囲気でした

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2008年10月 2日 (木)

江尻城跡のおもかげ

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・②)

006

清水駅前からまず目指したのは

前方に見える少しだけ見えている山

駅からはほぼ直線で北西方向です

お馴染みの清水静岡でも初めての方向です

007

歩き出して信号待ちをしていると

ふと左手に森が見える

急ぐたびでもあるまいと思い

ちょっと覗いていくことにする

008

町のど真ん中にある八幡宮です

見たところかなり古そうでした

とっとだけ境内を覗くことにして

道を渡ってみる

009

鳥居の横にある案内板を見ると

「江尻城跡」とある

江尻とは江戸時代の清水の名前です

城があったなんて聞いた事も無かった

010

しかしここは街道の要所で

戦国の昔から人の往来の激しかったところ

当然のごとく激しい戦の舞台でもあり

駿府は安倍の大河、江尻は巴川の賜物

011

歴史はしっかり受け継がれているようだ

祭りの準備だろうか子供用の御輿が

準備中で出番を待っているようでし

それにしても立派な御輿ですね

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2008年10月 1日 (水)

清水駅からスタート

(寄り道東海道・Ⅵ・・・・・・・①)

Photo

ちょっと寄り道東海道シリーズ(完結編)

清水ーー静岡

2008・9・20

9時間  40000歩 でした

001

いろいろなところを歩き回り

その寄り道のように東海道を歩き

今度の清水ー静岡で箱根から二川まで

つながることができました

雨上がりの朝清水駅に降り立つ

002

こんなに近くに住んでいながら

駅がリニューアルされたことを

知らずにいました

随分長いこと降りたことが無かったのだ

晴れていれば富士山が綺麗に見えるはず

003

今はやりの橋上駅で

階段も随分広々としていて

港湾都市清水の面目躍如です

すっかり見違えてしまいました

005

外から眺めてみると屋根が翼みたいで

港のかもめをイメージしたのかな

もちろん港側ともつながっていて

エスパルスドリームプラザもすぐ近くだ

004

駅前広場は余り変わってはいないけれど

商店街などは綺麗に整備されていて

清水人たちの意気込みを感じます

今回の歩きはここからスタートです

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2008年7月25日 (金)

新たなる旅へのステップ

(寄り道・東海道Ⅴの3・・・・・③終わり)

149

今から30数年前にこの付近の人から

西部劇に出てくるようなサボテンがあるから

君に揚げるといって置きながらそのままになっていた

ふと見上げると屋根まで届いたサボテン

うーん、まさか

151

木原と言う地名にこの辺りは

こだわりがあるらしい

木原が日本の歴史で現れた時期

つまり戦国時代から家康の時代

152

勝者の歴史にまつわる史跡

そこには神社があり寺院がある

幾百年の時の流れは全てを浄化

でも、そこには多くの怨念が渦巻いている

153

かつての一里塚は歴史の中に埋もれ

気がつかなければただの土くれ

平和な世界を求めた先人は

また一方で忘れ去られた世界に憧憬する

155

医者はかつて名医ばかりだった時

それは建物を見るだけで職業がわかった

今はどうでしょうか

でも、足が止まりカメラ向けるのは

156

そこに何かが存在しているからだ

県内の東海道はこれでほぼ歩破しました

最後の最後は静岡ーー清水間を

綺麗きれいにアグラれシブに歩いてみよう

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2008年7月24日 (木)

蜘蛛の子のゆりかご

(寄り道・東海道Ⅴの3・・・・・・②)

140

倒れたままの倒木が沼にあるが

どうやらそのままにしてあるとこが

自然を大切にしてある証か

トンボの止まり木にもなっているようだ

141

沼から戻るところはほんのちょっとだけど

木道ができていてそれなりの雰囲気も

醸し出していました

こういった湿地帯があるようでなくなって

142

そんな現代だけどやっぱりホッとしますね

笹舟を作った草の葉が折れ曲がっています

私たちの世代はこの中に何が入っているか

誰でも知っています

143

沼の深さは数十センチだけど

いつまでもいつまでも残ってほしい

小さな小さな沼でした

当たり前に隣にあった自然は今では

かけがえのないものになっていました

147

桶ヶ谷沼を後にして袋井に向かう

再び太田川の橋を渡る

相変わらずの曇り空でも

昨年の様にゲリラ雨には会わずじまいだ

148

少しだけ通りを外れながら歩きます

ふとした横丁に楠の大木を見つけ

またあるときは行き止まりの道を

行きつ戻りつゆっくり歩きます

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2008年7月23日 (水)

静かなる沼のほとりで

(寄り道・東海道Ⅴの3・・・・・①)

133

沼の周りを歩いていくにしたがって

沼がどんどん遠くなって行きました

湿地帯になりましたがここも保護が

行き届いていてコースはみ出し禁止です

134

初めは沼の水辺を歩けるものだと

思っていたのだが道は上り坂になる

この沼自体谷の中に入りくんでいて

時には草深い道にもなる

136

どうやら高いところまで

登ってきてしまったようだ

木々の間から時折沼全体が見渡せます

この小さな沼が今となっては

貴重な命の宝庫になってしまったのだ

137

沼を守るためとあたりの自然のため

遊歩道はかなりのアップダウンを繰り返し

ハイキングには最適だけれど

疲れたウォーカーにはちょっときつい

138

3/4周ほどして少し低いところに戻る

静かな湖面に鳥の声が響く

行きかう道にもトンボや蝶がご挨拶

少し体をクールダウンだ

139

大きな観察小屋が見えた

斜面に階段を上っていく2階建て

これが最後の観察小屋だったけど

少し休んだだけでまた歩き出した

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2008年7月22日 (火)

トンボの沼の遊歩道

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・⑨)

144

沼の入り口に到着しました

見たところそんなに大きくなさそう

まあとりあえず右側の道に進む

簡単に一周でできるでしょう

125

子供の時はいつでも出会えた沼が

今では周りから消えてしまい

ここも時間の問題だったところへ

トンボの生息が観測され保護された

126

じっと水辺を見ていると確かにトンボが

たくさん飛んでいました

残念ながら私の腕では写せません

勿論私の目にはトンボが見えますが

127

沼の周りの遊歩道もできるだけ

自然環境を配慮してあるようで

ちょっとばかり歩きにくいところもあり

それがまたいいのかもしれません

129

階段のそばの木の根に近く

キクラゲが生えていました

いつもはカリカリのものばかりでしたが

柔らかいキクラゲを見たのは初めてだった

131

所々に観察小屋がありましたが

どうやらトンボを観察するものではなく

野鳥観察の小屋のようでした

時間がないので素通りして行きます

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2008年7月21日 (月)

桶ケ谷沼へ

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・⑧)

119

大正の道の木陰には

ひっそりと金平糖の花が咲いている

世間にはちっとも目立たないけれど

私にはとても惹かれる花なのだ

120

道に面した自動車修理工場で

「桶ケ谷沼」の場所をたずねた

まだ遠いところかと思ったが

バイパスをくぐった先だよとのこと

121

ガードをくぐってすぐに

ログハウス風建物がみえる

どうやら教えられたところだ

こんなに近いとは驚いた

146

実際このバイパスの道は

何度も何度も通っていたところだ

こんな近くにあの有名な沼が

あるなんて信じられない

145

さすがエコロジーの殿堂ですね

電動自転車の充電スタンドが

一列に並んでいてそれなりに

自己主張をしている感じでした

123

近くにいたおじさんに聞いたら

ここから入っていって

前方の木の並んでいるところに

沼があるよと教えてくれました

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2008年7月19日 (土)

消えた歩道

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・⑦)

109

巨大一里塚愛宕山から見付の街をみる

ほとんどの宿場町には元々見付があった

藩内に不審人物が入らないように監視する

ここ見付は浜松を守るため地名がついたのか

111

一里塚より東に向かう

月見草の咲く国道を行きながら

以前大井川を月見草と歩いたのを

思い出して懐かしい気持ちになった

114

国道の歩道を歩いているつもりが

突然歩道が消えた

突き当たりで何度も確認したが

これ以上歩道がないのだ

116

こんなことは初めてだった

やむなくもと来た道を引き返し

歩道橋を渡って反対車線の歩道へ

あまり引き返さない私もこの時ばかりは

やむを得なかった

117

こちら側の歩道をしばらく行くと

大正の道の道標

往きは明治の道だったので

帰路はこちらを歩いてみよう

118

明治の道に比べて

こちらの道はちょっとばかり根性なし

この左の山の上の明治の道に比べ

なんと平坦な短い道だった

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2008年7月18日 (金)

ここは見付です

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・⑥)

103

見付天神は近郷では珍しく

裸祭りの行われることで有名です

東海道沿線の町には古くからの

祭りが綿々と受け継がれています

104

多きな茅の輪がありました

母の胎内への回帰と輪廻転生

人型は自分の身代わりとなり

穢れを払ってくれるものか

105

狛犬に似て願掛けの牛

雄雌一対になって迎えてくれます

学問の神様もその昔は

怨念の塊であったとの学説も

今は昔の物語になりましたね

106

神社の灯篭のところに「六つ石」

昔からここになったと言われるが

何だったのか今では不明だそうです

多分門があったところではないかと

107

坂を下りて見付天神を後にする

来る時に陸橋があったところに

愛宕神社があり小高い岡になっている

そこは巨大な一里塚でもあったようだ

108

頂上にはちっぽけな祠がある

神社が主ではなくここは物見台

つまり遠州浜松の東の守り

文字通り行きかう人を監視する

「見付」そのものだったのでしょう

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2008年7月17日 (木)

凛々しいしっぺい太郎

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・・⑤)

097

見付学校と神社を後に東へ向かう

鳥人幸吉の墓があるとのことで

大見寺へ寄ってみたけれど

どこにそのお墓があるか分からない

098

もう一度通りへ戻り案内板をみる

飛行家幸吉の墓と確かにある

江戸時代にグライダーのようなもので

それを飛んだとのこと

099

再び街道を東に向かうと今度は

懸社矢奈比賣神社と掛かれた石碑

いわゆる見付天神の入口が現れた

二つの灯篭が坂道へといざなう

100

えっちらおっちら坂道を昇ると

坂の途中に鳥居が現れる

「あと押しさか」というらしい

おじいさんを押してお参りに来たのだ

101

見付天神の赤い鳥居は

この神社の格式を物語っている

静かな境内は数々の伝説の中に

今も息づいているようです

鳥居の横にある高い台の上に犬

102

どうやらこれが「しっぺい太郎」だ

信州駒ヶ根の犬が見付まできて

人身御供の身代わりになり

妖怪を退治した伝説です

気品のある凛々しい姿でした

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2008年7月16日 (水)

狛兎っていうのかな

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・・④)

073

学校の裏に出てみると

これまた白い蔵のような建物

実は明治の写真にもすでに写っていて

江戸時代からあったもののようです

094

同じ写真に写っていた学校の裏の神社

その神主さんが江戸時代から書庫を

境内に開いていてすでに学問の下地は

この辺りではあったそうです

091

神社の片隅のベンチをお借りして

昼食のおにぎりタイムにしました

遠江國総社淡海國玉神社と言うそうで

どうやら大国主命を祀ってあるそうです

092

おにぎりを食べながら狛犬に気が付いた

狛犬ではなく狛兎でした

一瞬目が点になってしまいました

なんちゃって狛犬研究家の私ですが

これには驚いた

093

しかも左は子供を従え右は鞠を持ち

いわゆる正等的な中国風の型です

そのなんともいえない愛くるしさに

おにぎりタイムも楽しく過ごしました

095

神社の境内からは学校の裏が見えます

裏から見てもとても綺麗でした

晴れていればもっと綺麗に写ったはず

別れ際にしみじみと明治の気概を

感じながら見つめてしまいました

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2008年7月15日 (火)

館内写真撮影可

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・・③)

079

子供の時作って遊んだおもちゃが

懐かしさを醸し出しています

「ゴムかん」と言う名前は方言でしょうね

私たちもゴムかんと呼んでいました

080

昭和時代の雑誌を飾るのは

うら若き音羽信子さんの笑顔と

東西戦最優秀選手スタルヒン投手

人々が貧しくても正直に生きていた時代

081

こちらは卒業証書だろうか

良くよく読んでみると

卒業後の生き方に対するものでした

何か教育の原点を見たようです

083

2階に上がる階段の手前に

「館内写真撮影可」と言う表示が

わざわざこういう表現を使うところも

面白いと思いました

084

2階の窓から眺める景色も

百年前と何も変わらないのだろう

生徒たちもこの高いところからの景色に

大いなる夢を抱いた事でしょう

087

5階まで登ってみました

そこはちょっとばかり狭いところだったけど

昔は太鼓があって当番の生徒が登下校の

合図を送っていたそうです

現代の小学生も感動していました

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2008年7月14日 (月)

カラー写真に感動

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・・・②)

067

生徒が読んでいた本をちょいと拝借

ハト・マメ・マスで始まる有名な教科書

面白くなって次のページもその次も

全部読んでしまいました

076

なんとなく懐かしい感じの教材

九九の学習するのに昔使ったような

そんな気がしますね

面白い教材がいっぱいでした

077

ご近所や先輩から集められた教材

それらがいろいろ展示してあります

手作り感のある博物館には

人々の温もりが感じられました

069

一番感動したのはこの2枚の写真

明治八年の完成時の記念写真で

左が白黒右がカラー写真

「行列のできる法律相談」の番組で

白黒からカラーに変換したそうです

068

その写真を見ていると当時の大人たちの

教育にかける情熱と言うものが感じられ

とてもうれしくなりました

昨日の現在の写真と違うのは

当時は4階建てで後で3階を加えたそうです

074

校長先生もとても立派な感じです

「坂の上の雲」を目指した明治の日本

子供たちに学問をさせる父母の喜び

子供たちの輝く声が聞こえそうです

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2008年7月13日 (日)

美しい明治の校舎

(寄り道・東海道Ⅴの2・・・・・・①)

060

ここは紛れもなく見付宿です

街角の小さな小さな公園

その向こうにかすかに見える白い建物

どうやら見付学校に到着です

061

公園を入っていくと目の前に

白亜の洋館のような建物が現れる

これが国史跡の見付学校です

すばらしく美しい建物です

062

門を入ると正面に案内所

パンフを貰って記帳をする

見学は無料とのことでした

ちょっとばかりわくわくします

064

入り口を見てもこれが木造とは思えない

明治5年学制が政府より発せられ

その丁度三年後には小学校として開校

当時の大人たちの意地を感じさせられます

065

中は博物館になっています

当時の写真が展示してありました

長く小学校として使われたそうで

中学校としても女学校としても

病院としても使われたそうです

066

教室の中では授業が行われていて

生徒が立ち上がって本を読んでいました

ドキッとしましたが人形でした

明治の学問の初めの夢を感じます

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2008年7月12日 (土)

ジュビロはためく

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・⑩)

054

蔵のある横丁の道は随分狭い

荷車一台もぎりぎり通れるような道

江戸の昔の間口の狭い家同様

通りの道も狭いもの

055

再び街道に戻る

良く見ると町の並木にそれぞれ

ジュビロ磐田の旗が翻る

町をあげての応援ですね

056

お寺があるとちょいと寄ってみたくなる

別にこれた入った理由もないのだが

なんとなく気持ちが落ち着くものだ

開山は数百年前のこと

057

お馴染みの日蓮宗のお寺

日什というお坊さんの

改名する前の名前が玄妙さんなので

お寺の名前になったとか

058

通りの一角に「いこい茶屋」

ウォーキングなどの旅人が

気楽に寄って行く所だとのこと

今回は素通りしてしまいました

059

なにやら門のようなものが

ぽつんと建っています

そういえば掛川の街の中にも

これと同じものがありましたね

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2008年7月11日 (金)

姫街道で折り返す

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・⑨)

048

東海道を盛り上げるように

案内があちこちにありますが

「不用小路」とは面白い名前です

道幅が狭いところからそう呼ばれたらしい

049

まっすぐ歩いていていつの間にか

終点を通り越したらしい

街道からそれ道が狭くなり三叉路

その分かれ道に灯篭がある

050

秋葉灯篭なのだ

東海道から姫街道が分離し

その道しるべとしての灯篭です

ここで県内の東海道はほぼ制覇

051

Uターンして本格的に寄り道の旅へ

いろいろな案内板をじっくりチェック

「西坂の梅塚」とあるがどうやら

昔の言い伝えらしく今は小公園

052

その脇を入っていくと土蔵の道

明治の昔にタイムスリップです

初めて目にする光景なのに

何で懐かしい気持ちになるのかな

053

門の中を覗くとかつての工場の面影

今は使われてはいないけど

やっぱり懐かしい気持ちになりますね

どこかで見たようなデジャビューを感じます

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2008年7月 9日 (水)

学問に勤しむ館も

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・・・⑦)

042

街道の街角をウォッチングして歩く

何屋さんかなと見るとJAでした

周囲の景観に合わせているのでしょう

和風にデザインされています

043

古い絵図面が飾ってあります

よく見ると他の街道の町より

道の両サイドに家の広がりを感じ

結構大きな町だったように思える

044

橋の袂にある大きな建物

何を売っているのかなと覗くと

何と有名予備校でした

生徒も落ち着いて学習できるでしょう

045

道路際には史跡の案内が

いたるところにあります

いかに寄り道でもそのすべてに

一日で寄るわけにはいきません

046

勿論他の町同様道路の敷石にも

観光案内の絵が描かれています

祭りや川下りそれに物売りの姿

そして犬の絵これは狛犬ではありません

047

レンガ造りの隣には呉服屋さんです

これは改装に苦労したのでしょうね

それぞれの建物がそれぞれに

町の美観に協力しているようですね

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2008年7月 8日 (火)

ゆっくりと街道へ入る

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・⑦)

036

東海道見付宿の絵には

天竜川が描かれています

さすがに天竜川は蓮台では

無理だったのでしょうね

渡し舟が描かれていますね

037

見付といえば見付学校が有名ですね

実は私は行ったことが在りません

今日は是非寄って行きたいと思います

場所がどこにあるかもわからぬまま

とにかく街道を進みます

038

ここはまだ東のはずれです

東坂の松といわれても

故事がわからないので

そのまま行き過ぎることにします

039

東木戸ですからここに

昔は町へ入る木戸があったのかな

今の時代は町の入り口は文字盤だけで

味気なくなってしまったが

江戸の人たちの気質がうかがえます

040

街道の案内板にはいろいろと

見るべきところがあるようで

かつて仕事で何度も来た町だが

ゆっくり眺めて見ようと思います

041

今通り過ぎてきたのは

阿多古山一里塚だったのか

山があったのはわかったが

あまりに大きくてわからなかった

どうやら道なりに見付学校もあるらしい

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2008年7月 7日 (月)

見付宿の入り口

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・・⑥)

030

旧街道が再び国道1号線に出会う

バイパス以前は何度か通ったことが

ある道だけど最近はトンとご無沙汰です

便利さはないけれど味のある道です

031

陸橋はあまり好きではないけれど

アルキニストはやはり安全第一です

もくもくと歩くだけでなくたまには

アクセントとしての陸橋もまあ良いか

032

陸橋に登るとメインの国道と

それに交差する旧街道が見えました

当然私の行く方向は右側の

旧国道です

033

左に目をやると車屋さんの向こうに

照明装置のついた競技場が見える

そうここはジュビロ磐田のホームです

土曜日だったがこの日はアウェーでした

034

目を転じて後ろを振り返ると

前方とほぼ同じ景色が展開している

それもそのはずここで鋭角的に

国道と旧街道が交差していたからだ

035

陸橋を降りて右に進路をとる

文字通り見付宿のここが入り口となる

古くから磐田は見付という名前の方が

通りが良かったところです

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2008年7月 6日 (日)

峠を越えて

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・⑤)

024

坂を上りきったところは住宅地

街角の目立たないところに

「車井戸の跡」と言う石碑

江戸時代の名残なのでしょう

025

辻を曲がると一直線の道

もうこのあたりは街道の名残が

全然ありませんね

たぶん昔は森の中だったでしょう

026

住宅の切れ目からバイパス方面には

磐田のランドマークになっているホテルが

茶畑越しに見えました

いつもはホテルのそばを通過するだけ

027

やがて道は下り坂になり

新しい住宅地も切れ切れになります

ここからは昔からの町に入っていくのかな

相変わらずポツリポツリの雨の中

028

いったん下り坂になったと思ったら

またまた松並木が現れて街道が

姿を見せ始め少し上り道

タチアオイの赤い花が鮮やかです

029

松の根方に植えられた額アジサイも

まだまだがんばって咲いていました

この峠を抜ければ今度こそ

磐田見付宿へと差し掛かります

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2008年7月 5日 (土)

明治の道大正の道

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・・④)

018

街道の案内板にそって道を行くと

やがて松並木に出会います

後世の人たちが街道を記念して

守り続けているようでした

019

街道がいよいよ上りに差し掛かる

わずかばかりの峠でも

どうしても越してゆかなければならない

坂道です

020

道が二つに分かれていました

右に行けば大正の道

左へ行けば明治の道だそうです

江戸の道じゃないんだね

021

左に進路をとると

大きく明治の道と書かれています

えっちらおっちら上ります

今でも立派に地域に根ざす道

022

山肌を抱くように道がカーブします

路傍の赤い花もなぜかエールを送り

久しぶりの人間の到来を歓迎

バイパスの騒音もしばし消えて静か

023

それもつかの間上りきった上には

住宅地が広がってちょっとばかり

寂しい気分になりました

ここからの街道は街に入っていく

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2008年7月 4日 (金)

太田川を越えて

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・③)

012

袋井・磐田方面はバイパスが充実

したがって旧道を通ることもなくなって

忘れ去られたようなお寺など

こうして歩かない限り忘れ去られてゆく

013

太田川に差し掛かる

花火大会の袋井の原谷川も

本流はこの太田川です

菊川よりもよほど大きい川だけど

なぜかこちらは二級河川

014

二級河川のおかげであまり開発されず

むしろ自然が生き生きとした息吹を

謳歌しているような気がして

私の大好きな川の一つです

015

太田川を越してすぐにバイパスと交差

ダイナミックな立体交差はお馴染みですが

下の旧国道は通るのも久しぶりです

ちょっと懐かしい感じです

016

その昔この道を通ったはずだけど

やっぱり良く覚えていません

磐田の町へはどの道を通っていこうか

ちょっと見当がつきかねます

017

道路わきに「三ケ野」の表示がある

ここは旧東海道に違いない

磐田と袋井の間にも小高い峠

ここを越えれば街に出るのだろう

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2008年7月 3日 (木)

花火の季節を待ちわびる

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・・・②)

006

袋井の花火大会の看板が

あちこちにありました

この辺りでは最も華やかな花火で

結構有名です

007

袋井凧は江戸の昔から

有名だったらしく浮世絵にも

大きく描かれています

今の浜松の凧に引継がれる

伝統なのでしょう

008

国一バイパスが充実しているため

旧国道は比較的空いています

歩くには快適だけれど

やっぱり旧東海道のほうがいいな

009

案内板が現れたので見ると

どうやら旧街道は通り過ぎたらしい

まあ良いか帰り道で歩いてみましょう

雨の状態がこのままであることを祈る

010

しばらく行くと磐田市の表示

ここで袋井市ともお別れです

目指すは以前浜松から歩いた

磐田駅前の通りまでです

011

市境を流れる用水には

季節柄もう終りかけのアジサイが

まだがんばって咲いていました

雨に咲く花と雨に歩くおじさんと

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2008年7月 2日 (水)

袋井より

(寄り道・東海道Ⅴ・・・・・・①)

Photo

袋井ー磐田

2008年6月28日(土)

7時間 32000歩でした

愛知県豊橋二川から神奈川県箱根まで

県内の東海道の99%を歩きました

地元静岡・清水間をいつの日か

歩いて最後にしようと思っています

001

とにかく週末に雨が降るサイクルで

歩く機会がなく勿論遠出する気がない

この日ちょっと小降りだったが翌日が

大雨の予報なので思い切って出かけた

002

前回の袋井からスタートです

袋井市役所まで車で行き

そこから歩き出す

思い出したように小粒の雨が

時々頬に当たる程度でした

003

旧国道をまっすぐに磐田へ

袋井橋に差し掛かる

市の名前がついている橋だけど

ちょっとばかり短い橋でした

004

すき屋の牛丼も最近では「うな牛」だ

ウナギの本場静岡だからなのか

全国的に「うな牛」なのか解かりませんが

歩いているとこの看板が良く目に付きます

005

いつものように私の東海道の旅は

寄り道となっているだけあって

「なんちゃって東海道」です

厳密に旧街道行くわけでもなく

思いついたところへ寄っていく旅なのだ

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2008年5月13日 (火)

海に帰る

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・⑪最終回)

140

膝を庇いながら坂道を下る

前方には大海原が眼下に広がり

ここを下れば東海道も平地が続く

旅人がほっとする瞬間だろう

141

再び鍵の辻に戻ってきました

東海道はこの突き当りの家で

直角に左に折れ一路江戸に向かう

江戸の時代からそれはずっと変わらない

142

鍵の辻を私は右折して

道の駅に向かって帰ります

国道一号線から旧国道への

立体交差をくぐります

143

まっすぐ戻るのもつまらないから

そのまま国道のガードをくぐり

海に出てみようと思った

久しぶりの遠州灘の海だ

146

やっぱり海はいいなー

寄せては返す波を見ていると

いつまでたっても去りがたい気持ち

私のウォーキングの原点だものね

148

海沿いの土手の上にテントが

ここを根城にしているのか

それとも単なる遊びの人なのか

いずれにしてもあこがれます

152

道の駅に戻り「勝和餅」を探したが

売り切れでもうなかったので

浜松名物「餃子」買って

お土産にして帰りました

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2008年5月12日 (月)

勝和餅の由来

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・・⑪)

138

歩き始めた朝はまだ開館していなかった

「おんやど白須賀」へちょっと寄っていく

いわゆる郷土博物館ですが

無料で見ることが出来るそうだ

134

潮見坂の様子を再現した

いわゆるジオラマが旅人を迎える

こういうのを見る度に江戸の風物は

なんとなく暖かなものだったと感じます

135

他の大規模な展示館よりも

こじんまりしている分落ち着いた感じ

ボランティアのおじさんたちが

展示品の手入れをしていました

133

白須賀へはポチタマのダイスケ君も

やってきたらしくその時の写真も

一緒に展示してありました

素朴さでは他に引けを取らない町

137

展示の絵本の中に「勝和餅」の由来。

どうやら秀吉に因んだものらしい

お昼に食べたその餅はこの白須賀の

名物だったということが解かりました

139

いよいよ潮見坂を下って

道の駅まで戻ることにしました

登ってきた時より急坂に感じ

右足膝の靭帯がズキズキと痛みだし

慎重に坂を下ることにした

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2008年5月11日 (日)

閻魔大王さまよろしく

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・⑩)

123

新所原経由で再び

白須賀宿まで戻ってきました

行きで見落としたところを

拾いながら歩きます

126

細い小路に入っていくと

なんとなく懐かしい雰囲気が

漂ってきます

どこかで幼少の自分と出会いそう

127

小路の奥にある十王堂

何の変哲もない建物なので

軽く通り過ぎようと思って

手前にある釣鐘を眺めると

128

何と「閻魔大王」と

でかでかと銘がある

あちこち釣鐘は見たけれど

閻魔様のものは見たことがない

129

急に親しみが湧いてきて

ちょっとだけ十王堂を覗いてみると

でっかい閻魔様がお出迎えでした

いずれお世話になることでもあるので

ご挨拶だけさせていただきました

132

十王堂は蔵法寺の管理下ですが

隣にあったのはなぜか禮雲寺でした

遠州観音霊場だそうで片隅に

水琴窟があり不動明王の地下から

かすかに綺麗な音が聞こえていました

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2008年5月10日 (土)

野道を行けば

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・・⑨)

116

街中より田舎のほうが楽しいね

大きな椿の木も花を一杯散らし

野の仏も風雪の中でお姿は

消えかかっていました

117

道の脇にはなぜか大根の花が

微笑んでいます

畑ではなくちょっと場違いなところに

咲いているのがなんとも微笑ましい

118

藪の中の木にまとわり付く

蔦なども若々しい葉をひろげ

小鳥たちの声も一段と華やかに

初夏の訪れを待ち望んでいました

120

元気がいいのは葱坊主です

葉の先端からはちきれそうな

いがぐり頭をズンと膨らませて

一番に季節の先取りです

121

今はあまり見ることが無くなった

麦の穂が元気良く空に向かって

その長い髭をぴんと立てていました

懐かしい光景です

119

でもそれもつかの間の風景

台地を切り裂いて立派な道路が

横切っています

その前方には世界企業の大工場が

その威容を誇っていました

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2008年5月 9日 (金)

工場地帯で位置を見失う

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・・⑧)

109

土手の道はのどかな春の陽気

牛小屋からは牛たちが揃って

エールを送ってくれました

そのうちの一頭とはしばらく

目と目で話してしまいました

110

川が大きく蛇行したところで

道を南にとると工場群に出会う

そのままいけば白須賀だが

もう一度道を東に向けて歩く

112

住宅地を歩いているうちに

方向と距離感が狂ってしまい

駅から県境を南下するつもりが

駅を通り越して迷った状態になった

113

かなりの距離を歩いたが

途中道を尋ねてみたが

土地の人ではなく解からないとのこと

そこで郵便屋さんに聞いて

やっと自分の位置を把握した

114

教えられた道を曲がってしばらく行くと

ソニーの大きな工場が見えてきた

このあたりは大手の工場が進出する

地域で道は工場中心に出来ていた

おかげで歩きにくかった訳だと納得

115

自分の位置がわかったところで

周りを楽しみながら歩くことが出来た

ブロッコリーの畑では満開の花

一瞬絶句するほどの見事な花でした

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2008年5月 8日 (木)

亀軍団に遭遇

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・⑦)

103

街を抜けたところで

街道は白須賀に向かって南下する

JRは新幹線と共にそのまま東へ

私もJR沿いに歩くことにしました

104

多分この川に沿って進んでいけば

新所原の駅にたどり着くだろう

鼻歌交じりに野道を行けば

足取りはずいぶんと軽くなる

105

JRの線路の向こうには

衝立のような切り立った岩山

地元ではロッククライミングでも

有名だそうだ

106

小川に目をやればなにやら水音が

目を凝らしてみるとたくさんの亀が

水に浮かんでいて私の足音に

一斉に水の中に沈んでいく

107

一目、10匹は居そうでした

自然な状態でこれほど多くの亀を

見ることは初めてでした

歩く度に亀の数も増えて行き

108

水門の前では遂に甲羅干しの

軍団に遭遇しました

やっぱり足音で逃げたけれど

それでも逃げ遅れた連中をパチリ

短い間だったけど200匹は見ました

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2008年5月 7日 (水)

つながっている環境

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・・⑥)

095

街道を東から来て西へ行くと言う

旅人と別れて私は西から東へと

桜の木の下でお別れしました

お互いの旅の無事を祈りながら

098

本陣西へ向かうと

そこも古い町並みが残っていて

2百年前に私が歩いた思い出を

ゆっくりかみ締めて

099

東海道の宿場町は間口が狭く

奥行きが長いのはどこも同じ

ちょいと小路を覗いてみると

狭い路地に奥まで家が

建てられているのがわかります

100

こういった街を維持していくのは

地域としても大変なんでしょうね

でも旅人の心をいやす大切な場所

大事にしていってほしいと思います

101

街道筋の神社も通りには

参道だけが面していて

そのずっと奥に社がある形は

江戸の昔から変わらぬもの

102

神社だけでなくお寺も同じように

間口は狭く奥が広い

こういった社会的なルールと言うものが

江戸時代の街づくりの基本だったのだ

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2008年5月 6日 (火)

つい最近の世界

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・⑤)

085

館内にあったお風呂の展示

幼少の時はこんな風呂へ

入った事があるので特に

不思議な気がしません

089

ところがもう一つ展示してあるこちら

同じようなお風呂でも下湯となっていて

どうやら庶民用らしいが広い

上湯は殿様の個室風呂

こちらは皆ではいるので広いのかな

086

トイレだって近年までこんな感じで

日本の文化も変化はつい最近のこと

使用できませんとかかれていても

つい使いたくなってしまいますね

088

食生活は文化であると言いますね。

旅人用としては豪華すぎる食事が

用意されていました

これにお銚子の一本もつければ

旅の疲れも吹っ飛ぶというもの

091

ここでは衣装を体験できるようです

好きな物を選んで記念写真と

いうことも自由に出来るらしく

サービス満点ですね

093

とにかく広い博物館で

街道界隈では一番の大きさですね

あちこち見て回っても

じっくり見きれません

096

すっかり時間をとってしまったので

この辺で切り上げて歩き出すことにする

それでもなんとなくこの大甕が語りかけ

私の足をしばし止めてしまった

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2008年5月 5日 (月)

草鞋を脱いで

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・④)

094

資料館は桜の花も咲いています

とても広くてどこから見ようかと迷う

まずはここから見てくださいと案内

なまこ壁の入り口を入る

079

いきなり江戸時代に迷い込む

町人たちは歩いていこうとするが

侍は駕籠屋と値段の交渉中

侍は威張っているが駕籠屋も

したたかに粘っているようです

080

宿場町は街道に面し

細長いのはどこの町とも一緒です

間口の広さで税金の額が決まると言う

江戸のきちんとした税制のため

こんな町になるとのこと

081

宿場をちょいと覗いてみると

生き生きとした江戸時代の人たちの

姿が目に飛び込んできました

街道の賑わいは相当なものですね

082

ここの展示品は立派なものが多い

殿様用の駕籠は金ぴかで

我々が乗ったら卒倒しそうな

立派な造りをしていました

083

版木も自分で刷ることが出来て

軽く一擦りするだけですばらしい絵が

浮き出るようになっていました

そんなこんなで遊んでしまう

084

宿の裏口から表に回ると

今ついたばかりの旅人が

草鞋を脱いでほっとした様子

女中が水を張ったたらいを用意

私も靴を脱ぎたくなりました

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2008年5月 4日 (日)

二川宿本陣へ

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・・③)

074

二川駅は最近新築したのだろうか

真新しい駅舎にエスカレータ付き

さすが豊橋市の一翼をになう

ベットタウンなのかな

075

駅前を少し出ると通りになる

どうやらここが旧東海道の街道筋

落ち着いた町並みが続いています

帰り道はここでいいでしょう

076

何気ない家々の入り口に

「二川宿」とかかれた暖簾が飾られ

さりげなく町おこしをしている様子が

旅行く人にも感じられます

077

いよいよ街道筋のその雰囲気が

ぐっと迫ってくる家の構えが

見えてきました

旧東海道二川宿の始まりです

097

町並みの中央付近に

二川宿本陣がありました

せっかくだからちょっと寄って

遊んでいきましょう

078

入り口は本陣の横の

木戸を入ったところです

かなり広い駐車場があり

資料館の看板が出ています

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2008年5月 3日 (土)

まじめなゴリラさんも

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・・②)

067

陸橋から振り返ると動植物公園の

大きな観覧車が見えました

街道を歩いていた時には目標に

していたのだがまちに近づくと

消えてしまったが見えてほっとした

068

駅までの道にも動物のモニュメント

もっと漫画チックでもいいかと思うが

皆まじめな動物たちでした

石造りなので迫力満点

069

子供づれのお父さんが娘に

ゴリラのところで脅したので

娘さんは泣きそうになって

お父さん平謝りでした

まじめなゴリラさんご苦労さん

070

二川駅では恐竜がお出迎え

どうやら動植物園と一緒に博物館も

あるようで恐竜でもこのまちは

有名だそうですね

071

駅の南側の入り口は

新幹線のレールの下にあるようで

ただの通路でしかありません

線路下を通って駅舎にでる

072

新幹線とぴったり並列に

JR在来線が走っています

これからこの線路に沿って

浜松方面にしばらく歩いていきます

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2008年5月 2日 (金)

勝和餅の昼食

(寄り道・東海道・Ⅴの2・・・・・・①)

057

動植物園公園というからには

植物もあるのだろうが傍目は

遊園地のようです

周囲は駐車場だけで

お弁当を広げる場所がない

058

どうやら立ち入り禁止のようだが

立ち木の間がなんとなく憩いの空間

低い塀を跨いで枯葉の中に

座る場所を探す

059

朝、道の駅でかった菓子パンと柏餅

広げてみると三色の柏餅だ

腰を下ろし蓬の餅から食べ始める

ちょっとばかりいつもの味と違った

後ほどわかる「勝和餅」と言うそうだ

062

食事の後二川駅に向かってもどる

先ほどの象の親子の向こうに

エレベータ付きの陸橋が見えます

珍しいのでエレベータに乗って上がる

065

ゆったりとした歩道橋は

駅と動植物公園をまっすぐに

お客さんを誘導するためのもの

前方が二川駅方面です

066

橋の上から豊橋名古屋方面を

眺めながら果たしてこの先を

いつか歩くことがあるだろうかと

今のところ予定はしていませんが

その時のことを夢想した

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2008年5月 1日 (木)

山笑う季節

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・⑩)

054

二川の街外れまでやってきました

マンホールの蓋も色鮮やかに

伝統の手筒花火を描いています

そばで見ると凄い迫力の花火で

この近辺の名物です

055

付近の山は若葉が芽生え

どの木もふっくらとして

私の一番好きな木々の振る舞い

どの木も喜び勇んでいるようです

056

新幹線と在来線が平行に走り

その脇を国道も走っています

やがて二川駅前に到着

そこを左折すると豊橋市の

動植物公園です

064

交差点の陸橋を曲がると

早速象さんの親子がお出迎えです

今日の折り返し点をここに決めて

公園のほうへ進む

063

今度はライオンさんが控えています

みんなどっしりした造りで

ちょっとばかり怖い顔

お客様たちを公園へ導きます

061

入り口には立ち上がった熊さん

気の弱い子供は避けて通るかな

なんて思うほどの大きさ

かなりその気になって造ったのでしょね

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2008年4月30日 (水)

初夏の風の中に

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・・⑨)

048

国ざかいのためかあまり民家はなく

延々と田園が続いていました

前方に湖西連峰が見えています

大きな工場も畑の中に見えます

049

キャベツ畑には丸々とした

おいしそうなキャベツが覗いています

昔は青虫が一杯いたのに

今は虫食いの痕なんか見えませんね

050

単調な田園風景と国道を

ひたすら歩くとついつい早足になる

思いっきり腕をふって意識的に

ウォーキングを楽しんでみた

051

昔からの農家だろう

畑の隅にどーんと鯉のぼり

遠目にもほのぼのとした

季節の風を感じます

053

北北西にまっすぐ国道を行くと

やがて新幹線に突き当たる

このあたりは大きな工場が並び

敷地内には風力発電の風車が

勢い良く回っていました

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2008年4月29日 (火)

よろしく三河路

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・・⑧)。

042

雨上がりのような田んぼの中で

コロロコロロと啼く声は

あれはねあれは確か銀の笛

土の中から初夏を呼ぶ声だ

旅人の足をしばし止めさせる

043

ここでようやく国道一号線に出会う

ここからは愛知県を歩くため

右折してわかりやすい道を

歩いて行くことにする

044

実はここからの地理は

残念ながら明るくない

見るもの全てが好奇心の対象だ

一里山七本松とあるけれど

いわれなど解かりません

045

ただ国道をひたすら歩くのは

ちょっとばかり味気ないものです

排気ガスのにおいがいやだけど

それ以上に何もないのがむなしい

046

気持ちがそんな風だと

歩いていても見えるものが

見えなくなっている自分がいる

通りすがりにふと目をやると

一里山の一里塚とある

047

通り過ぎて眺めてみると

確かにこんもりとした森だ

地名が先か一里塚が先か

もっとしっかり周囲を楽しみながら

歩いていきましょう

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2008年4月28日 (月)

国境を超えて

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・⑦)

036

街角に歴史の重みがありそうね

庚申堂がありました

どこの町でも石碑ぐらいなものだが

お堂とはたいしたもので

さすがに狛犬ではなく

三猿であるところが愉快です

037

さすがに江戸の面影までないが

いたるところに立て看板さりげなく

あったりして、イマジネーションを

かき立ててくれます

038

土曜日だと言うのに街道には

人の姿が余りありません

きっと江戸時代のほうが

もっとにぎやかだったでしょうね

039

宿場町を抜けたところで

旧国道に出会いました

遠州の最後の宿場町もこれで終わり

これからはいよいよ三河です

040

村の鎮守のお社は

国境を守る砦のようなもの

少し小高いところを選んで

建てられていました

041

旧国道をさらに歩くと

前方に新国道が交差しているのが

見えてきました

その手前に愛知県と豊橋市の

看板が見えてきました

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2008年4月27日 (日)

心はすでにタイムスリップ

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・⑥)

030_2

曲尺手(かねんて)ここまで来て

確かに異様な雰囲気です

立て看板を見てなるほどと納得

今まで東海道を歩いてきて

初めてこんなのを知りました

029

確かに鍵の手に街道が曲がっている

こういうのを先人の知恵と言うものなんだね

相手の不合理を容認するのが平和だと

思っている現代の人たちとは違って

積極的に問題を起こさないこと

江戸に学ぶべきものがまだありますね

032

何気ないまちのように見える

この白須賀の街道沿いに

先人の徳を顕彰するちょっとした

碑が造られています

そんな気持ちがうれしいですね

033

街道を歩いていて学んだこと

間口により税金が掛かるため

家々は奥に向かって長い土地

したがって寺社などの広い土地が

必要なものは参道だけが道路に面し

建物の敷地は奥にあることになる

034_2

県内の東海道も八割方歩いているので

宿場町の成り立ちやその造りが

大体解かるようになってきました

侍町人貴族文人多くの人たちの

笑い声が少しずつ心にきこえて聞こえてきます

035

街道筋の縁台でにっこり笑っている

叔母様とアイサツを交わしました

私の心はすでに300年前に

タイムスリップしているので

本当にごく自然に言葉を交わしました

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2008年4月26日 (土)

白須賀宿を行く

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・⑤)

020

海沿いに来た道が直角に曲がり

潮見坂の展望台まで上り

これから京の都までは

海ともお別れになります

024

江戸の旅人たちもきっとここで

海の眺めをじっくりと味わったことが

わかるような気がします

ちょうど中央に見えるのが

旧国道一号時代の潮見坂の

懐かしいドライブインですね

026

さてここからが白須賀宿のはじまり

なんとなく旧街道の感じがします

車も多くないので歩くには

安全で都合が良い道

027

東海道に特有の低い軒先

戸板の雨戸に格子戸など

今でも皆さんそのままで生活され

侍や町人がいても可笑しくないね

028

道の両サイドに同じような町並み

私たちの幼少時代には

まだこんな風景があちこちにあった

懐かしい気持ちで歩きました

031

これは公民館でしょうか

東伝馬というのは町名らしく

さすが宿場町らしい雰囲気に

町の人たちの気持ちが伝わりますね

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2008年4月24日 (木)

潮見坂展望台

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・④)

018

白須賀宿は元々は平地にあり

今から300年前の1707年

あの富士山噴火と同時に起こった

大津波で全滅しこの峠の上に

宿場町は移ったとのこと

019

峠の上には多くの石碑が並んでいる

いずれも何かいわれのあるようなもの

ここは人間たちの集積する

宿場町だったところだ

021

おなじみ東海道五十三次の絵

京から江戸へ向かった旅人は

まず近江(おうみ)で初めて海を見

その次はここ遠江(とおとうみ)で

本物の海を見ることになる

022

広重の絵とまったく同じ景色の

この場所こそ始めて海と出会えた

まさにその場所なのである

潮(汐)見坂とは名付けの妙なるかな

025

あの明治維新のとき天皇がはじめて

江戸に向かいこの潮見坂で景色を堪能

勿論西行も芭蕉も木枯紋次郎だって

ここではしばし立ち止まったことでしょう

023

旧東海道の展望台の下には

旧国道1号線が見えます

今では新国道1号線にその座を

譲ったものの旧道たちはそれぞれ

個性のある道たちに感じます

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2008年4月23日 (水)

天下に名を成す潮見坂

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・・③)

012

このところ引きこもりがちだったけど

やっぱり外の空気はいいものだ

季節に置いてけぼりだったので

花々の姿が特に美しく感じます

013

春先のこの季節と

秋の季節が特に自然の彩が良く

ちょっとした草むらや岩陰が

生き生きしていて良いですね

014

坂道の途中に「潮見坂」の立看板

潮見坂と言うのはこの辺一帯を

言うのだと思いますが

まあ帰りまでにはその辺が解かるでしょう

015

確かに立て看板から見ると

坂の下には遠州灘が一望に

京から下ってきた人は

遠江に入ったなと感じたでしょうね

016

坂を上りきると道は平坦になる

浜松からずっと平らだった東海道も

この部分だけが坂になっている

昔に人たちはなぜこの道を

幹線として造ったのか考えながら

上りきりました

017

その上りきったところに「おんやど白須賀」

郷土館になっているようですが

まだ10時の開館まで時間が有るので

帰りに寄ることにして先へ進む

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2008年4月22日 (火)

旧東海道の道を登る

(寄り道・東海道・Ⅴ・・・・・・②)

006

勝手知ったる道を一号線にそって

浜松寄りに1キロほど戻る

今回の旅は旧東海道を

白須賀宿から国境いを越え

愛知県の二川(ふたがわ)までに決めた

007

国道1号ここ白須賀で旧国道へ

インターチェンジで結ばれている

柱には昔を偲ぶ街道筋の絵画が

描かれていて旅人を歓迎します

008

旧国道に出たところで

前方の道は愛知県に向かう道

遠州灘の旅ではこれとは反対側の

浜松寄りに歩みを進めたものだった

009

今回はそこを横切りさらに進み

旧東海道の道に出る

東海道の中でもこれほど見事に

直角に曲がる道も珍しいでしょう

010

直角に曲がった道が

今度はゆるやかな坂道に変わる

古い町並みの雰囲気が僅かに

感じられて幾百年もの歴史の声が

どこかで聞こえてきそうな気がします

011

少し歩いただけなのに

道はかなり急坂になり

久しぶりに歩き出した私には

ちょっとばかりきつい感じです

あせらずのんびり歩きましょう

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2008年4月21日 (月)

さらに西へ

(寄り道東海道Ⅴ・・・・・・①)

Photo

4月12日

白須賀ーーーー二川

7時間  36000歩

001

家を出ようとすると

2羽の鳩が喧嘩している

私が近づいてもお構いなしだ

喧嘩の邪魔をしないように

そっと脇をすり抜けました

002

ちょうどその上ではカラス共が集まって

その喧嘩を見下ろしてせせら笑っている

私が久しぶりに歩き出すと言うのに

連中は暢気なものだ

慎吾ちゃん張りに「あばよ」と言って

その場を離れました

003

伊豆へ行くつもりでした

ところが少し雨まじりの天気は

伊豆地方の大雨を予報していました

車に乗った瞬間に方向転換し

西に向かうことにしました

どんよりした空の中に

粟ケ岳の「茶」の文字が日に照らされて

そこだけ明るく輝いています

004

一時間半でかつて遠州灘の旅の

スタートを切った「道の駅・潮見坂」へ

到着しました

お店もまだ開いたばかりでしたが

ここで昼食を仕入れました

005

私の今日の旅を応援するかのように

風力発電の羽がからから回り

鯉幟も元気良く見送ってくれました

今日はこれからさらに西に向かいます

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2008年2月 3日 (日)

新春の富士山

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・⑫最終回)

116

エコパが大きく影を落とす広場

左へ行けば「愛野駅」はすぐですが

歩いて掛川へ行くにはどの道かな

道はどこでも繋がっている歩こう

117

エコパを背にとりあえず目の前の

道をまっすぐ進むことにする

ここまで来ると車もぐっと少なくなる

天気の良さは足取りにも影響します

119

前方には雪をかぶった富士山が

ちょっぴり見えてきました

その左側に見えるのは

「茶」と書かれた粟が岳かな

122

峠の村の道しるべの文字は

もう消えかかっていますが

己の存在感をしっかりと発して

旅人を案内しているようです

121

道を大きく左に切り

いよいよ掛川へ入ります

富士山も粟が岳もくっきりと

道案内してくれました

124

古い大きな家々が連なる

地区を過ぎていよいよ東海道が

近づいてきます

今日の小さな旅も終わりです

126

ちょっと戻りすぎて大池の橋の袂まで

来てしまいました

今年最初の歩きは

少し余裕の歩きでした

明日からは「ナイル川の旅」を

報告するつもりです

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2008年2月 2日 (土)

夢のスタジアム

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・⑪)

106

再び仁王門を抜けて

屋台の人ごみの中へ

私が追い抜いた車の人たちは

まだ到着していないかも知れない

108

帰り道は来た時とは反対側

掛川方面に向かって坂を上る

こちらも渋滞しています

バイク軍団も初詣ですね

109

どうやらこちら側の道は

エコパへつながっているようです

久々の山の中の道です

ウォーキングコースとのこと

110

こちらの道は行きも帰りも

大渋滞でますますひどい状態

前方から歩いてくる人もいる

さてどこから来たのだろう

右にある駐車場は駐車禁止だ

111

人が歩いてきた方向に進むと

眼下にエコパが見えました

なーんだエコパ専用駐車場だったんだ

だけどこの時期は開放していない

112_2

付近一帯は運動公園になっていて

散歩するには気分爽快です

渋滞を避けたい人たちは

この道を歩いてお参りに来ていた

114

あのW杯の興奮が未だに残る

エコパスタジアムでは親子連れや

老夫婦が明るい陽光の中で

のんびり休んでいました

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2008年2月 1日 (金)

名物厄除けだんご

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・⑩)

096

法多山には何度も来ているが

一人できたのも歩いてきたのも

今回が初めてです

それを楽しく感じるのも不思議です

097

境内のおみくじの樹も白い花が咲き

一番上に縛ってあるのは

どうしてそこまで届いたのか

可笑しくなりました

099

可愛いお嬢さんたちも

振袖姿で階段をすたすた下りて

むしろお母さんの方が大変だ

この階段を下りると待っているのは

101

名物「厄除けだんご」です

お持ちのあんこを乗っけた

赤福の串だんご番のような

とてもおいしいお団子です

100

法多山へ来る度にお土産として

厄除けだんごは欠かせないもの

私も列について券を買い

だんごと引き替えリュックに詰めました

102

もちろんその場で食べることも

できますしおいしいお茶も飲めます

さっき、お昼を食べたばかりなので

私はお土産だけです

103

山門まで戻るゆるやかな坂道は

宿坊なども建っています

庭や植木も綺麗に手入れされて

文化財的な松などもありました

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2008年1月31日 (木)

名刹法多山尊永寺

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・⑨)

088

階段を登ってゆくとやっと境内が

明るい陽光の中に見えてきました

初詣に一人で来る人も珍しい

私は単なる旅の人ですが

089

それでもやっぱりなんとなく敬虔な

気持ちになるのは日本人だね

大変な人ごみですが

お参りしてゆきましょう

090

まずは煙をたっぷり体に浴びて

ボケ防止に頭へタップリかけ

次は膝から下へ無事に歩けるように

祈りを込めました

091

お賽銭箱までは順番待ちの

行列ですがとりあえず並びました

ゆっくりゆっくり進んで一番前まで

行ってから大奮発の願掛け

092

正式名称は「法多山(はったさん)尊永寺」

尊永寺と言う名前を知らなくても

ハッタサンといえば静岡県中西部では

かなり有名です

093

堂内では護摩を焚いていて

年男年女が神妙な顔つきで

祈りの言葉を聴いていました

ささやかな庶民の願いは

094

横から見てみるとお参りの列は

まだまだ続いているようでした

イノシシ年からネズミ年へ

こつこつと生きたいものですね

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2008年1月30日 (水)

初歩きは天麩羅うどん

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・⑧)

077

門前の人込みを見てちょっと早目の

昼食にすることにした

お弁当は持ってないので

正月ぐらいは食堂でと思い

078

手っ取り早く一番近い店に入る

これからお参りに行く人か

それとも終わって帰る人か

店内は結構込み合っていた

079

うまいこと席が空いたが

一人で占有するには申し訳ない

店員は愛想良く席を作ってくれました

おいしいつゆだったので完食

081

縁日の露店は仁王門の前までなので

大変な混雑でした

お店を覗くのも楽しみの一つ

でも歩くだけで精一杯です

082

トルネードポテトと言う聞きなれないもの

良く見るとポテトを輪切りにして

くしに刺しそれを油で揚げたもの

子供たちはおいしそうにほうばっていた

084

仁王門を入ると幾分空いてきたが

何せ長い参道が続きます

左は宿坊などで右は杉木立です

老若男女善男善女の列が続く

085

参道の突き当たりに女坂と男坂

当然のような顔をして男坂へ

正直女坂のほうを歩いたほうが

いいのかもしれないほどちょっとお疲れ

086

散々歩いてきたものにとっては

やっぱりきつく感じられますが

平気な顔与装って後に続く

曲がった先にもまだ階段が

087

写真をとっている振りをして

途中で小休止しながら登る

このところの不摂生がこういうときに

もろに効いてきます

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2008年1月29日 (火)

数百台の車を追い越して

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・・⑦)

065

この道は確か法多山への一本道

さて歩き出そうとすると大渋滞

予想はしていたものの驚く

ここで渋滞なら先はどうなっているか

066

10台20台30台次々と車を追い越す

ほとんど車は動いていないのだから

追い越すのはたやすいものだ

まるで自分の足が速いように感じた

067

先へ行くにしたがって交差点で

合流する車がそちらも大渋滞

これではどの道どこも動きが

取れないと思われる

068

こちらは歩きなので土手に上ったり

横道にそれたり風の音を聞き

梅ノ木の鼓動を聞いてみたり

余裕しゃくしゃくです

069

斜め左前方に白い建物が見えてきた

静岡理工科大学です

ここまできたら道中半分以上

来たことになります

071

思ったより早くついてしまったので

途中にあった勅使塚へ寄ってみる

何でも後白河法皇の時代の伝説が

この塚にはあるらしい

073

エコパから合流する道路も

ここで渋滞を引き起こしている

結局どこも車ではだめなのだ

ウォーキングのお母さんを追い越し

076

法多山の駐車場へ到着

結局数百台と言う車を

軽く追い越してきたと言う訳だ

駐車場付近でも当然駐車待ち

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2008年1月28日 (月)

風光る小さな橋で

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・⑥)

054

しばらく歩いたがやっぱり思い直し

駅まで戻ることにして原野谷川の

土手に出てみると風が光っていた

水没橋でしょうか低い橋が架かっていた

056

土手の道にはまだ誰も居ません

時折おじいちゃんと子供が

凧揚げをしていたり

犬を散歩している人も見かけました

057

やわら橋まで戻って駅に向かう

ずいぶん遠回りをしてしまったけど

初春の陽光は体を温めてくれる

足の痛みはどこかへ消えてしまった

060

袋井駅でトイレを借りて

しばし休憩をしていると

車のご夫婦に法多山への道を

聞かれたがそばにいたおじさんが

親切に教えていました

062

ついでに私も教えていただき

今から法多山(はったさん)まで

歩いていくんだと言うと

驚いていました

線路を越えたところこらは

見覚えのあるかつて車で行った道

063

うん思い出したこの三叉路を

確か曲がっていったよね

まだまだ遠そうだったけど

のんびり行きましょう

064

初詣の車が次々と三叉路へ

入ってくるので気をつけて歩きます

曲がってすぐ「大門大塚古墳」と言うのが

あったのでちょっと覗いてみました

1500年前の円墳だそうです

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2008年1月27日 (日)

早めの折り返し

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・・⑤)

045

松並木がそろそろまばらになり

袋井の市街地が近づいてきました

油山寺・可睡斎行きをあきらめたので

今度は帰りの方向を検討した

048

見覚えのある建物が見えてきた

もう市街地になってきた

近回りなので歩き始めが早く

まだ朝の日は斜めにさしています

049

旧国道へ出て目前に

市役所が見えてきました

もっと先まで計画していたが

今回は折り返し点をここにした

050

次はいつになるか分からないけど

出発点はここにすることになる

市役所方面に曲がったところで

帰りの方向は法多山方向と決まった

051

袋井駅方向へ歩みをすすめる

手前に法多山方向への道標

駅まで行った方がいいような気がしたが

とりあえず道標に従う

052

しばらく歩いて気が付いた

この道標は法多山への交通緩和のため

遠回りでも空いた道へ車を誘導する

そのための道標であること

053

引き返すかどうするか迷っているうち

夢見観音と言う名前に魅かれて

ちょっと寄り道してみました

正月らしい明るい雰囲気です

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2008年1月26日 (土)

街道に残る歴史

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・④)

033

街道沿いにある日蓮宗のお寺

身延山で学んだ日蓮さんの

父母に対する孝行の気持ち

自分にはとても及びません

034

同じ街道沿いの小学校校庭に

「久津部一里塚」の跡とありました

江戸から数えてちょうど60番目

昭和に再現されたものだそうだ

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足元を見れば小さな石碑が

あちこちに保存されていますが

うっかりすると見落として

しまいそうです

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袋井には名刹がたくさんある

そのうちの油山寺への案内

街道からのアクセスを示す道標

街角にそっとたたずんでいます

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もう一つ可睡斎という

優雅な名前のぼたん寺への道標

今回、転ばなければ行くつもりだったが

足と相談して後日に回すことにした

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新旧道路に挟まれて「七ッ森神社」

横溝正史に登場しそうな名前に引かれ

ちょっと休憩のために立ち寄ってみる

江戸の昔は有名だったそうです

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1000年以上もの歴史があるらしく

御神木も貫禄があります

大化の改新以前に「久努」と言う

国があったところからの歴史だそうだ

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2008年1月24日 (木)

のどかな松並木を行く

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・・・②)

010_2

仲道寺を過ぎた辺りから道は

やっと旧東海道の面影が見えだした

老松というわけではないので

地元の人たちの努力でしょう

011

それでも田中の細い道は

それなりに雰囲気を出しています

正月で車のとおりも少なくて

快適な田舎道です

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いつものようにウォーカーを暖かく

迎えてくれる東海道の道しるべ

「原川」と言うらしく江戸時代の絵に

子供たちが凧揚げをしているのが

残されているのどかのところ

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街道筋には幾多の寺院に

いろいろないわれがあるらしく

石碑もいっぱいありますが

今回は軽く通り越していく

016

やがて道はいったん国道と交わり

地下道をくぐって反対側に

出てみると前方に橋が見える

どうやら見覚えのある橋だ

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全国選抜花火大会で有名な

原谷川に差し掛かると山の手前に

白く光る屋根が見える

W杯サッカー会場のエコパです

020

橋を渡りきるといよいよ袋井

ここも東海道の名残が色濃く残る

名跡が期待できそうだ

手はまだ冷たいがようやく体が

だいぶ温まってきました

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2008年1月23日 (水)

東海道のど真ん中

(ちょっと寄り道東海道・Ⅳ・・・・①)

Photo

2008・1・3

掛川ーー袋井 往復

37000歩 6時間40分

1日・2日とちょっとお酒を飲んだので

思い切って3日の朝 初歩きをした

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あまり遠くへ車で行かないで

昨年止まっていた東海道を

ちょっと歩こうと掛川の

大池交差点まで出かけました

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国道を避け、一応旧東海道を歩く

国道のそばなのにほとんど

通ったことがない道でした

東名のガードをくぐると

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小さな橋の袂に目印のような

杉の木が立っていました

天気は良すぎるほどの青空

その分だけ手もかじかんできます

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橋の上まで来ると冷たい風が

迎えてくれました

このところ歩きを怠けているので

胸の辺りが寒さでちょっと苦しい

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橋を越えたすぐ右手の森に

「仲道寺」というお寺がありました

歩き始めたばかりなのでそのまま

通り過ぎようとしてふと目に止まった

「東海道之真中」の文字

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気になったので初詣がてら

ちょっとよってみることにした

明治の初め東海道を測量したところ

この寺がちょうど真中になったとのこと

そこで、寺の名前を仲道寺にしたとのこと

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2007年9月30日 (日)

今日も歩いて二宮金次郎

ミャンマーで長井さんが殺害されるシーンを繰り返しテレビで報道されていますね。もしあれが日本人ジャーナリストでなく一般市民なら、これほど繰り返し報道されることも無いでしょう。

映像に写らない世界で、何が起こっているのだろうか。想像するだけでも戦慄を感じますね。現代社会では宇宙からでも車一台が写る高性能なカメラで監視されています。

今年の4月にミャンマーのカレン族の村が焼く打ちされ消滅、近くの軍事施設のそばに建物が新たに建っている衛星写真を確認したそうです。反政府勢力が潜んでいると言われた村だそうです。

高度成長時代の終わりごろ、日本人も海外出張でずいぶん危険と隣り合わせの状態に置かれたと聞いております。特に国境付近では、それなりに緊張感もあるでしょう。私の場合はパスポート不携帯の状態で銃を突きつけられたりしたことはありますが、現地友人の機転で何とか助かったことがあります。

氷山の一角を見て、その全体はなかなか把握することはできませんが、何かが起こっているだろうということは想像できますね。ニューヨークでは日中の外相がにこにこしながら「デモ参加者も行動を慎む必要がある」と握手している写真が新聞に載っていました。何かどこかで歯車が狂いだしているのかな。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・⑧最終回)

Photo

帰り道は倉真川の土手から

逆川の土手に回り川を上る

なんとなく天気も回復してきそうだ

途中から掛川駅前に方向転換

Photo_2

駅前で久しぶりに二宮金次郎に出会う

掛川は報徳思想の盛んなところ

お城の公園で話したおじさんも

そのことを誇りにしていました

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再び逆川の土手に戻り歩く

途中で土手の道が無くなり

方向を見失い青年に道を聞くと

国道まで戻りなさいと教えてくれた

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やむなく来た時と同じ国道を歩く

しばらく歩いていると雲行きが怪しい

前回の反省を踏まえ早めに

リュックから合羽を準備する

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案の定合羽を着るか着ないかの間に

小雨が豪雨に変わって間一髪セーフ

まさにスコール状態でした

それでも元気よく歩きます

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道の駅まで戻り雨宿りがてら

ご褒美のソフトクリームをたべる

御殿場の「時の栖(すみか)」のお店

抹茶の味はとてもおいしかった

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道の駅での雨宿りの後

すっかり雨が上がり

向かい側の山からは湯気が

私の体からも湯気が上がっていました

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2007年9月29日 (土)

将門の首塚

2006年度に全国の政党や政治団体が集めた政治資金の総額(2691億円)は対前年度比で7%減だそうです。原因としては国政レベルの選挙が無かったからだそうです。

良く聞く話しに「政治活動には金がかかる」と言う言葉ありますね。日本語として正しい使い方でしょうかね。「政治」とは国民生活向上のためや国や世界の平和のために仕事をすることだと思いますが、ここで言う「政治」とはちょっとニュアンスが違うように思いますね。

政治屋の使う「政治」とは、自分の議員としての地位を守るための行動であり、自分に政治資金(賄賂)を与えてくれる人のために働くことを言うように思えます。

本当の「政治」にかかるお金は国民の税金で使えばいいことで、現在政治資金といわれている賄賂はやっぱり0円であるべきだと思いますが・・・・・。ねえ、黄門様。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅲ・・・・・・・⑦)

Photo

町の中のとある寺院の前に

とってつけたような門がある

かつての掛川城蕗の門だそうで

明治の初めの廃城時に移築した

重要な門だそうです

Photo_2

門の鬼瓦は亀でした

位置的には城の東(青龍)で

北(玄武)ではないのに

なぜ亀なのかなと思いつつ

Photo_3

街外れまで歩いてきて

小川の狭い道を入ったところに

成田山がありました

そのときはそのまま通り過ぎる

Photo_4

しばらく行くと「十九首塚」の矢印

金田一探偵ばりの不気味な名前

好奇心がむくむくと湧いてきて

狭い横道に引き寄せられた

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土手の道に出ると

川が合流しているところに青い橋

橋の名前は「将門橋」

ますます興味は尽きない

Photo_6

橋の袂の小さな公園は

成田山の裏手に当たるところ

奥のほうに石柱が並んでいる

どうやらあそこらしい

Photo_7

説明書きによると

平将門以下19人の首を京に運ぶ途中

この小川で洗い首実検をした後

埋葬したところだそうです

そういえば空港そばの成田山は

将門の霊を祭るとこでもあるんだ

凄い歴史がころがっているもんだね

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倉真川の畔の大池橋まで

たどり着きました

小雨の中どうやらこの先には

行く気がなくなりました

Photo_9

この大池橋は東海道と秋葉道との

交差点になっているところ

街道の要所でもあります

ここで引き返すことにしました

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2007年9月28日 (金)

話が弾む公園のベンチ

ミャンマーのデモで一躍話題になったのが、経済制裁の話しですね。国連レベルでは制裁をしようという動きの中に、中国だけが渋っていますね。では日本は・・・なんとなくはっきりしませんね。

本当は知らぬ顔の半兵衛を決め込もうと思っていた矢先、日本人ジャーナリストが死亡。明らかに政府軍にうたれたことが明白なのでいつものように「事実を確認するまでは・・・」なんて時間稼ぎもできなくなって申し訳程度の抗議をしていますね。遺族が騒げば「自己責任論」でも言っておけばよいのだが、最近では皆さん利口になって騒がないので、それもいえないし・・・・。

貧困が政情不安の最大の原因だと言う論理により、世界中が後進国と言われる国にODAによる援助をしています。ところが、ミャンマーだけは軍事政権にODAの援助をすると民主化が進まないと言うことでむしろ制裁の方向に向かっていて、それがまた貧困を呼び軍政の圧制につながっている。

そこで日本は軍事政権に対して、一番の援助を与えています。ミャンマーにおけるODAの最大国だそうです。もちろん、医療・保険・発電所・緑化など、国民に有益になるものばかりです。

日本からのODAについてはスーチーさんが「軍事政権を冗長させるだけだ」からやめてほしいと言っていましたが、聞く耳を持ちません。もちろん人道的見地からの援助に誇りを持っているからでしょう。

その間、中国はろくろく首を長く伸ばし、世界中の油を嘗め回っていますね。もちろん、ミャンマーにも抜かりなく目をつけて、中国までのパイプラインまで敷こうとしています。日本からの援助を当てにしてか、北朝鮮まで武器を売り込んでいます。

今中国の動向に注目が集まっていますね。周囲に北やミャンマーのような民主化していない国が存在していることにより、自国の民主化問題が薄まっているのだから、民主化してもらっては困る訳ですね。

さてさて、ミャンマーがブーマ(ビルマ)に戻る日はいつになるでしょう。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅲ・・・・・⑥)

Photo

お城の石垣の周りを歩こうとしたが

もちろん二方向は堀や絶壁で

そうは簡単に攻められる物でない

どん詰まりで見上げると風雲の城だ

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石垣の片隅の裏木戸から

二の丸御殿に下ります

物陰から忍者でも出てきそうな

雰囲気でした

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重文の御殿は落ち着いた雰囲気で

静けさの中に建っています

苦難の歴史に中でやっと落ち着き先を

見つけたように見えました

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お城の片隅、図書館の前の

公園でおにぎりタイムにしました

古地図で見ればこのあたりも

昔の堀の跡のようです

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橋の向こうで一休みしている

同年代の人とおにぎり食べながら

大いに話が弾んでしまいました

おかげで長時間の休憩でした

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再び東海道に戻り歩き出しました

いまどき公衆電話も珍しいが

電話BOXも洒落た物だ

街づくりの一環なんでしょうね

Photo_7

おっとこちらは両替屋の看板

馬に乗った一豊公と千代さん

銀行もこんな感じに改装して

まさに大河ドラマの街ですね

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2007年9月27日 (木)

天守閣の千代紙

福田内閣支持率57%で、発足直後としては91年以降では5番目の高さだそうです。ところで91年以降では首相は何人代わったのだったかな。日本人がわからないぐらいでは外国の人もわからないでしょうね。

総裁選の最中に何もはっきりしたことを言わない福田君も、唯一はっきりいった言葉が「私の手で拉致は解決します」だった。おーっ、凄いことを言うじゃないかと思っていたら、首相就任と同時に「解決したいなー。するといいね」に変わってしまいましたね。やっと福田君なりの正常な心理に戻ったと言うことでしょう。

安倍君は執念でお爺様の遺訓をまもって、憲法を変える道筋を一年かかってやり遂げましたね。福田はお父様の時代のお土産、拉致を執念で解決するのもいいじゃないかな。

お父様の赳夫さんが首相時代、北朝鮮による日本人拉致がもっとも盛んな時でした。一部の人たちは気が付いていて、警察や公安に訴えていたようですけど、当時の政府は北朝鮮を刺激してはいけないといって、まるで事件が無いように装っていたようです。

今日、北が・核爆弾・偽札によるドル、円・麻薬・そして日本人を質として身代金外交を展開していますね。その原点である日本人拉致を許してしまった赳夫お父様の時代の雪辱戦を御曹司康夫君は総裁選のようにぜひがんばっていただきたいと思います。それともアメリカのように身代金を払って相手の要求を飲むだけかな。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅲ・・・・・⑤)

Photo

木の香漂うようなお城の中

もちろん一豊公のお出迎え

昨年のNHK大河ドラマ

主人公です

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もちろん一豊公には

奥さんなしでは語れませんね

お千代さんは折り紙名人で

「千代紙」の語源になったそうです

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天守閣の窓越しに

涼しい風が吹き込んできます

夏はとても快適だったでしょう

急な階段を登りきると

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掛川の町が広がっています

向かい側にある小笠山

左の端には有名な高天神城

右の端にはW杯のエコパスタジアム

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ガイドのお父さんの話では

東海道が堀の内側を通過しているため

当時の住民はおとなしく生活し

弥次さん喜多さんは遊びができず

大いに不満だったそうです

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お城の横にあるこの掛川城御殿は

学校や庁舎などに利用されてきたので

取り壊しの取り壊しをまぬがれて

現在国の重要文化財になっています

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2007年9月26日 (水)

城下町再興

使い古したクラシックカーのエンジンを物置から引っ張り出してきて、先日買ったばかりで事故った軽自動車に乗せ変えて、さあエンジンスタート・・・・といったところでしょうか。福田新内閣が発足しましたね。

エンジンは保障つきだから、確実に動きますが、現代の世界の高速道路には乗り入れ禁止措置を取られるかもしれませんね。でも、一般道でいいからトコトコ走っていきましょう。多分、運転手任せの福田君なら事故が起こっても、運転手が悪いと言うことでみんなから非難されるようなことも無いでしょう。

前任の安倍君は若かったせいか、お爺さんに買っていただいたスポーツカーを自分で運転しすぎて、どこかへぶっつけてしまい大破させ、自分も怪我を負ってしまったようなものですね。

それにしても惜しかったのは、折角安倍君在任365日(まる1年)だと計算しておいたのに、指名・組閣に手間取って皇居での親任式が今日になってしまったことにより、366日と言う平凡な記録になってしまったことでしょう。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅲ・・・・・・④)

Photo

掛川駅よりまっすぐ城へ向かう道は

城下町の雰囲気を出すように

いろいろ商店も協力しています

もちろんお城の前にある

お土産屋さんもこんな感じです

Photo_2

逆川はお城の堀の一部になっています

川にかかる緑橋を渡って

いよいよお城の中へ入ります

江戸へ向かってタイムスリップ

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古い絵図面を石に描いています

城の復元のためにこの絵図面が

参考になったそうです

かなり正確に復元したとの事

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城門への階段は急でした

清掃作業のお母さんたちは

元気いっぱいで登っていきます

久しぶりに私もやってきました

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入り口に入ってすぐ

お城の模型があります

元々町の中に有った小山に

城を作ったようです

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このお城の復元には

多くの市民や篤志家からの

寄付が寄せられたと聞いております

全国にもまれな総桧作りです

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2007年9月25日 (火)

異人さんの古墳

「美しい星50」って知っていますか。どこかで聞いたような気がしますね。そう、今は内閣府に無き安倍君が提唱した、地球温暖化防止対策の提案だった物です。

温暖化防止についての国連の初の首脳級会合に、どたばたしている日本からは森君が特使として出かけ、この「美しい星50」を一席ぶったわけです。

以前から京都議定書に反対していたアメリカをなだめすかすために、結果をずーと先送りする提案をして、何とかアメリカに追随しようとひねり出した案に見えていましたが、どうやら今回も安倍君の残して入ってくれたこの提案しか、日本も目標を達成できないようだ。

今年12月にはバリ島で締約国会議をやるそうだ。アメリカは今度は「積極的に参加する」そうです。目標を2050年に置くのならまあいいかというわけであるようだ。ライスちゃんも「どうせ、わたしゃ生きていないからね」と言わんばかりだね。

京都議定書では中国は「発展途上国」だから、削減目標は勘弁してくれと言うことで、削減努力はしなくても良いことになっていた。でも、この数年の急激な経済発展により温室効果ガス排出は世界一のアメリカに肩を並べてしまった。おっつけ、1,2年後には世界一の排出国になることは目に見えています。

今回の国連の会合に参加する立場として中国は「(先進国が引き起こした)気候変動で深刻な影響を受ける途上国」と言い続けていますよ。さてさて発展途上国なら、まだまだ温室効果ガスは大量に出してもいいんだよね。

来年の洞爺湖サミットは温暖化防止サミットとも言われていますね。安倍君が言い出したことだから「そんなの関係ない!!オッパッピー」なんていってはいけませんよ、福田君。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅲ・・・・・・・③)

Photo

東海道を駅の近くまで歩き

お城の方角へ曲がってみる

白壁のお寺が見えてきました

少しずつ城下町の雰囲気が出てくる

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お寺の門の脇にある石柱

「ゲースべルトヘムミ先生古墳」

外人の名前と古墳?

異様な組み合わせですね

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むむむっ

古墳と言われれば古墳だが

車の行きかう道路際に洋式墳墓

江戸へから長崎に帰る途中この地

亡くなったオランダの通商使節だそうです

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復元城下町のまず最初は大手門

あの功名が辻の山内一豊公が

移築した位置に復元したとの事

門の向こうは侍の詰め所です

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門の内側に歴代城主の名前

右から3番目に一豊公の名前

丸に三つ柏でひときは目立ちます

幕末まであるようですが

他の人たちは良くわかりません

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詰め所の裏に三光稲荷大明神

京都伏見稲荷にまつわる後醍醐天皇の

お歌に詠われ、一豊公が伏見桃山城の

築城にかかわった縁でここに勧進されたとの事

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お稲荷さんの角を曲がり

逆川のほとりに出ると

いよいよ掛川城が見えてきました

とても風格があります

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2007年9月24日 (月)

馬喰橋の葛川一里塚

軍政を敷いているミャンマーで、この1ヶ月ほどで反政府デモが拡大しているようですね。絶対無いだろうといわれていた、僧侶までがデモ行進で、ニュースとしてはむしろそちらが主体になってきたようです。

かつてはスー・チーさん問題のように、イデオロギーのための反政府運動だったが、8月中旬のガスなどの燃料値上げに伴って、一般市民の間でだんだん不満が高まり、今月始めについに僧侶まで参加したデモに、治安部隊が発砲したことが、仏教界に波紋を呼んだらしい。

僧侶はタイやミャンマーではとても尊敬される対象で、その人たちに発砲するなんて普通では考えられない。僧侶のデモも異例だが、それに対する発砲のほうがもっと異常なことなのです。

今回のデモの発端となった燃料の公定料金の値上げも2~5倍というとてつもない物だったから市民の生活苦も計り知れない物でしょう。軍事政権はこの春、北朝鮮と国交を回復して武器の輸入なども始まったと言う噂もある。政権の維持のために国家の財源を確保すると言う緊急課題もあるらしい。

お父さんとの因縁があるのか知らないが、スー・チーさんとあまり仲の良くない日本政府はどちらかと言うと、軍事政権と仲が良いようですね。欧米の反発を懸念して余り大っぴらには表明していませんが、これから慎重に行動していかないと突き上げを食らうかもしれませんよ。

慎重居士の福田君だから「今は何も考えていないから、これからゆっくり考えさせてください」と、いつもの調子で、欧米諸国を煙に巻いてくれるでしょう。国民はどんなに物価や税金が上がってもおとなしくしていますから、ぜひ外国に対してオトボケ外交力を発揮していただきたいと思います。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅲ・・・・・・・②)

Photo

鳴滝と言う道しるべがある辺りから

いよいよ掛川宿が始まります

再びここから街道は

国道としばらくお別れです

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昔は道野辺にひっそりあったであろう

道祖神も住宅地の一角に

その位置をいただいて

この世の幸せを願っているようです

Photo_3

秋葉灯篭もその位置を

住宅の敷地と分け合って

町の人たちの安全を祈り

今でも明かりを灯しているのでしょう

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馬喰(ばくろう)橋で逆川を渡ると

掛川の市街地に入ります

川の流れはまだまだ海に向かいません

まるで山に向かっているような

そこが逆川の所以かもしれない

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橋の根元の欄干は

名前を聞かなければ何のデザインか

一瞬たじろぐような馬の顔

ふと立ち止まってしまいました

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橋をわったった先には

伊達方の一里塚より

ちょうど一里の距離になる

葛川一里塚がありました

Photo_7

東海道は掛川市街では

もう立派な道と住宅街です

旧街道の面影はありません

でもこの先からは

復活した城下町が展開していきます

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2007年9月23日 (日)

街道は歴史教科書

今日(23日)現在の日本の首相は誰でしょう。おっとっと、ちょっと忘れてもらっちゃ困りますね。引退競争は朝青龍に勝ったものの、まだ安倍君はれっきとした日本の首相です。

「すべての子供に規範意識と高い学力を身に付ける機会を保障する」といって美しい国づくりの最重要課題は教育改革だと旗を揚げた一年前。そして、いじめにあったからと言って登校拒否をしてしまった生徒会長のように、引きこもってしまったようですね。

「法にのっとって適正な・・・・」と言う言葉が大好きでしたね。確かに規範と言うことは法を守ることで、強行採決も法にのっとって行えば規範の範囲ですね。唯一の成果といえるものは、執念で、憲法を変えて軍隊の海外派遣を合法的にできるかもしれないような道筋だけは一年で成し遂げたことは、歴代首相がなしえなかった凄い成果だと評価します。

でも、規範意識となれば、ただ単に法を守っているからと言って許されるものでもないでしょう。法治国家日本では、事実、法の盲点を突いて大躍進を計ったLD社の社長に対しては、道徳、倫理、規範をフルに活用してつぶしてしまいましたね。

この世には聖人君子なんてめったやたらいるわけでもなく、自分のことを思えば片腹痛いけれど、少なくとも旗をあげてしまった人はその範囲において、規範意識を持ち続けてほしかったと思います。

ぐうたら父さんだって、町内会の役員にされてしまうと、にわかに規範意識が芽生え交通安全運動やごみ処理問題に積極的にかかわるようになるのは、これこそ潜在的な規範意識の発揮だと豪語したりして・・・・・。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅲ・・・・・①)

9月5日

日坂――掛川 (往復)

38000歩 6時間

006

8月末から9月の始めに掛けて

台風や豪雨などでお天気が悪く

富士山へは足が向かなかった

そんなときは東海道でも歩きましょう

Photo

出発点の道の駅かけがわ

空は泣き出しそうな雲に覆われ

少しだけ細い雨粒が肩に触れる

前回の六号駅付近の豪雨を

経験してから雨に鈍感になってしまった

Photo_2

国道1号線に出て掛川宿に向かう

旧街道は国道と交わったり

離れたりしながら走ります

普段 車ではなかなか通りません

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だからこそ歩くことにより

隠れた歴史が目の前に見えてきます

東海道は歴史の教科書そのもの

3Dいや4Dの教科書です

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旧家はそのままでも美術館です

文人・墨客が街道を往来して

お互いの芸術を高め合った

まさに東海道は情報ハイウェーです

Photo_5

江戸から数えて57番目の伊達方一里塚

江戸から登ってきた人は

小夜の中山の日坂を越えて

ほっとしたところでしょう

昔は小山があったそうです

Photo_6

歩き旅をしていると

木陰や休憩所のありがたみが

ひしひしと感じます

一里塚もそんな役目があったでしょう

Photo_7

街道脇の神社の静寂

このあたりに多い諏訪神社

東海道は神社の分布が変化し

歩く楽しみの一つです

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今は人の往来も車の往来も

ずいぶん少なくなっていますが

道行く人の心を和ませる

草花はやさしく微笑んでいます

Photo_9

道は逆川に沿って掛川に向かう

このあたりはから遥か彼方に

掛川城が見えてきました

まだ豆粒より小さいけれど

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2007年9月21日 (金)

すべらず地蔵に願掛けて

社会保険庁の職員による着服事例が又発覚したと昨日(20日)報告されました。それに対して、現在ただ一人働いている大臣の舛添君が「厳正に処分する」といきまいています。

今まで社保庁の二度の調査の網をかいくぐり、発覚しなかった着服が、舛添君の一言で、ひょいと出てきたわけだ。まだまだたたけばいくらでも出てくるでしょう。それは、国会議員と同じこと。上も上なら下もしたと言うところでしょう。

1:29:300と言うハインリッヒの法則は普通の会社員なら一回は社内研修などでお目にかかる数字ですね。今回の件に照らし合わせれば、1件の発覚の中には発覚しそうな事例が29件はある、潜在的に徹底的に隠しおおせると思っている事例は300件はあると言うことになる。

今のところ、もう相当数発覚していますが、その数に300を掛けた数字が理論的には本当の着服数なのです。舛添君が「厳正に処分する」と豪語すれば、今後本当の数字は出てこないでしょう。もし、真にすべてを洗い出すのなら、免責を与えてでも正直に報告させ、そしてそれに対して行政責任で陳謝すれば国民に対する真の謝罪になり、再発防止にもなる。

真実を洗い出すには、アメリカ流に司法取引しなければならないし、断罪することが目的なら、真実は隠されてしまうでしょう。

鼠一匹捕まえて、まさか幕引きするようなまねは、さすがの舛添君もしないでしょうね。昨日、一社保事務局を抜き打ち視察して「職員はちゃんとやっており、ほぼ100%間違いなく・・・・・」という気持ち悪いコメントを述べたところを見ると・・・・・・・。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・・⑦最終回)

Photo

いよいよ峠越えの道に差し掛かる

右が明治時代有料道路として作られた

旧国道で左が旧東海道の街道

左へ向かいます

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石畳茶屋」の看板が現れる

ここからが旧東海道の面影が残る

石畳の峠道になります

ここを入って行きます

Photo_3

急な坂道ですが

右側にある「石畳茶屋」までは

車で行くことができます

一日歩いて最後の坂は大変です

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「石畳茶屋」の前からは

石畳の山道になります

この付近の土は軟らかいので

江戸の昔から石を敷いて道を造り

芭蕉もこの道を歩いたのでしょう

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近年地元の人たちや有志が

この石畳をボランティアで

大規模修復しました

石には苔もついてすべりますが

その昔は往来が激しく

苔もつく暇が無かったのでしょう

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前方に赤いのぼり旗が見えます

これがこの日の目的地の

「すべらず地蔵」です

まわりの草が道に迫っています

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春先の入試試験のころは

受験生が家族と一緒におまいりして

のぼり旗を奉納していきます

お笑いタレントもおまいりしては

いかがでしょうか

Photo_8

今回は往復ではなく金谷駅から

電車に乗って帰ることにしました

ふと前方を見ると山の向こうに

富士山がくっきりと見えています

あの豪雨はなんだったんだろう

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金谷駅は毎日SLが走っている

全国でもまれな駅です

大井川の地図を見ながら

昨年の「大井川源流への旅」の

感慨に一人浸っていました

Photo_10

焼津駅まで電車に乗り

再び家まで歩くことにしました

天気が悪かった一日だったが

雲の隙間から夕日が燃えていました

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2007年9月20日 (木)

写真の中の祭

レトルトのカレーやインスタントラーメンが17年ぶりに値上げされるそうです。原因は原材料や包装材料の価格が高騰しているためらしい。

特にインスタントラーメンは世界に誇る日本のヒット食品で、世界中で愛されている普遍的な食品ですね。これは日本の一企業の値上げだけでなく、世界にも影響する話しではないだろうか。

原材料の高騰はもう誰でも知っていることですね。バイオエタノールの増産のために小麦やトウモロコシの生産が抑えられたり、またそちらにまわされたりしていますね。それと温暖化により作物のとれない地域の拡大もありますね。包装材料についてはの近頃のガソリンのすさまじい高騰を見れば、石油製品全体に及ぼす影響も容易に推察できますね。

アメリカの言う「不朽の自由」作戦。「自由主義は永遠なれ」と言いたいけれど、「気に入らない勢力に対して攻撃する自由は永遠です」とも取れる。その片棒を担いで国連で褒められたからインド洋の無料ガソリンスタンドをまだまだ続けるぞ、なんて気勢が上がり全国遊説している仲良し二人組みもいますね。

首相がサボタージュしたぐらいで操業停止している国会や、一緒になってずる休みしている国会議員たちも、のんびり遊んでいる場合じゃないんじゃないの。一企業の努力の限界を超えた、インスタントラーメンの値上げと言う苦渋の選択をしている日本を救うため、首相なんかほかって置いて早く対策を立ててもらいたいものだ。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・・・⑥)

Photo

街角にあった博物館の看板に

島田の昭和4年の祭風景がありました

80年前の写真の中にも人々の

祭りを愛する気持ちが伝わってきます

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島田の町を抜けて大井川橋を渡ります

1026mで大正13年~昭和3年建設

文化財的価値のある橋だそうです

歩き旅ではもう何度も渡りました

Photo_3

昨年の今頃

歩き回った南アルプス方面

厚い雲に覆われて遠くは見えません

なんとなく懐かしい気持ちになりました

Photo_4

大井川を渡り金谷に入る

ここからは昔の遠江つまり遠州です

今では島田市に併合されて

駿河の一部になりました

Photo_5

東海道の道路上に単線のレール

これがSLで有名な大井川鉄道です

時々信号待ちで目の前をSLが通ると

やっぱり驚いてしまいます

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ここからが東海道でも有名な難所

まずは諏訪原城に向かう峠越え

その後が夜鳴き石で有名な

日坂(にっさか)越えと続きます

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2007年9月19日 (水)

大奴の舞

OECD(経済協力開発機構)の18日発表によると、公的な教育費は調査した加盟30カ国のうちギリシャについで日本は最低水準だったらしい。

その他は平均学級人数は多い方、私的な教育費を入れてもGDP比でも平均以下と言うことらしい。反対に私的な教育費はトップクラスで各国平均の倍以上、もちろん教育費全体に占める私的費用の割合もトップクラスということらしい。

簡単に言うと、国が教育のための金を出さないで、親にお金を出させていると言うことですね。日本の教育再生とはなんだったろうか。「戦後レジュームからの脱却」と声高に叫び、軍隊の海外派遣を合法化しようとする中には、当然教育にもそれにともなうよう手を加えなければなりませんね。

介護のための金を負担せよ。道路を作るために金を負担せよ。以前はアメリカの戦争に加担するために金を出せと言った首相もいましたね。今度も介護福祉の充実のために消費税を上げるとは、自民・民主両党とも一致した意見ですね。

お金を負担するのは国民の義務だから当然かもしれない。しかし、そのたびに新税や増税になるのは一体なんだろうね。福祉も教育も道路もみんな我々の納める国税から支出してしかるべき物で何の不思議も無いのに、なぜ切り離すのか。

もし仮に教育や福祉や道路はすべて通常の国税から支出して、国防費を消費税から支出してはいかがでしょうか。世界でもトップクラスの軍隊を維持していく予算、それと「おもいやり○○」といって日本を守ってくれるアメリカ軍の分も負担している現状を国民が真剣に大事なことだと思えるのなら、それに対して消費税を10%と言わないで15%も20%も上げてもいいのではないか。

たとえば、北風の脅威が増したから、今年は消費税を25%にしますなんていって。その次の年はちょっと脅威がゆるやかになったから20%にしますとか。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・・⑤)

Photo

先ほどの豪雨のせいか

大津谷川に水かさも増えて

いつもの清流も濁流となっていました

橋を渡っていよいよ島田市街へ

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御仮屋から街道も町の中を

縦断して大井川に向かって走る

御仮屋とは大井の神様が祭典の時

お出まししてここでお休みなるらしい

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大井神社の祭典は3年に一度

今年はその歳だそうです

「帯祭」と言って天下の奇祭です

この絵の様な「大奴(おおやっこ)」が

大名行列の先頭を行く

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ご多分に漏れずここも宿場町

しかも、幾多の歴史の舞台になった

大井川の渡し場があり「帯」も然り

「刀」も「芸術」も一度は腰を下ろして

川留めが終わるのを待ったものだろう

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駅前を通り過ぎて行くと大井神社

昨年来大井川を歩いていて

下流から上流まで幾多の大井神社に

出会いましたがここがその本家本元

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境内にはもちろん「帯塚」があります

帯祭に因んだ帯塚です

島田には「島田髷(しまだまげ)」発祥地

これも川留めに係わり合いがあるそうだ

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「大奴」の踊りも愉快な物だが

その向こう側の「鹿島踊り」は

子供たちが踊るもので

それぞれ無形文化財登録のもの

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神社としては格式があるのでしょう

社の前の狛犬様も青銅製です

普通は石作りが一般的なのにね

そういえば天安門の唐獅子も青銅だったかな

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2007年9月18日 (火)

土砂降りの中を

元FRB(米連邦準備制度理事会)議長グリーンスパンさんが17日発売の回顧録の中で「イラク戦争の目的は石油だった」と指摘しているそうです。

まあ、いまさら元議長にして指摘されるまでも無く、世界中では周知の事実であり、テロとの戦いではないことは明白ですね。でも、改めて元議長に言わしめると言うことはアメリカ人がいかにその現実を認識していないかと言うことかもしれない。

面白いことに私のような無知な人間は、現在のFRB議長の名前は知りません。知ったとしても、すぐ忘れてしまいます。あまり普段の生活には関係ないからです。でもなぜかFRBといえばグリーンスパンという名前がすぐ出てきます。

よくよく考えてみると、彼は18年以上議長をやっていたと言うから、彼の名前は自然と耳に残っているのでしょう。FRBは日本で言えば日銀に相当するようです。ドルの発行をしているのでしょう。

彼が辞めて1年半以上たちましたね。アメリカはどう変わったのかな。偽札を印刷したり麻薬で得た金のマネーロンダリングをしている国を容認するようになりましたね。むしろその両替まで手伝ってしまうようになりました。もし、彼が在任していたらいたらそんなことは決して容認しないでしょうね。

「お金を渡さなければ相手も交渉(拉致問題)には応じてくれないのではないでしょうか」そう静かに語りかけながら、総裁選を闘っている人もいますが、世の中の流れが、今はそんな流れになってるのでしょうかね。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・・・・④)

Photo

青木の交差点を過ぎてまもなく

「田中藩領牓示石蹟」が現れる

どうやら領内の位置を示す物らしい

広い志太平野には目印が必要ですね

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所々ですけれど松並木も残り

現在でも重要な生活道路です

松並木を見るとほっとするのは

先祖のDNAが蘇るからかな

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やっと田んぼが見えました

もうずいぶん歩いたと思いますが

ずーっと家並みが続いていました

さすが藤枝は「褌街」でした

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この志太平野も大井川の恵みで

水がおいしいのでお酒もおいしいところ

老舗の造り酒屋さんもたくさんあります

穏やかな風土に合う穏やかな酒です

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東海道にはこの目印があります

今はすっかり変わってしまった街道も

その姿をイメージするには大切なもの

これからいよいよ島田宿に入ります

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島田に入って少し雲行きが怪しい

何やらポツポツ頬に当たるものがある

この日はおにぎり用意しなかったので

食堂に入ってご馳走になることにした

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食堂を出て少し歩いたところで

急に土砂降りの雨に襲われた

リュックから合羽を出す間に

もうびしょ濡れになりました

こんなに濡れたのは初めてでした

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濡れたまま合羽を着て

近くの家のガレージに雨宿り

少し小止みになったところで

近くにあった六合駅に向かいました

Photo_10

もう歩く気もなくなり

改札口で合羽を脱ぎ

電車に乗って帰ろうと思いました

しばらく外を眺めていたら

傘を差さずに小雨の中を

歩いている人が目に映った

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やっぱり歩こう

歩いていれば濡れた服も乾くはずだ

ずーと昔そんな体験したじゃないか

何か懐かしい気持ちになって小雨の中を

うきうきしながら歩き出しました

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2007年9月17日 (月)

今も旅するお大師さま

タイ南部のリゾート地プーケットの国際空港で着陸失敗炎上、多くの犠牲者が出ていますね。つい最近も沖縄で中華航空の爆発炎上があったばかりなので、改めて飛行機事故の怖さを感じます。

まだ、100回程度しか飛行機に乗っていないけれど、ローカル線の飛行機はどこか温かみがあって好きです。でも、安全面については乗客には何もわからないので、航空会社の責任はとても重要ですよね。

東南アジアにいたころ先輩から言われたことで「パイロット紹介の時、欧米人の名前だと安心する」と言うのがあります。そう聞いてから気をつけて聞いてみると、なるほど現地人の名前と欧米人の名前などいろいろあることに気が付きました。離陸より着陸の時の感じが欧米人の名前の時の方がスムースに行くような気がしました。

今回のプーケットではタイの国内線ですがパイロットはインドネシア人だったそうで、管制官とのコニュニュケーションがうまくいかなかったのではとも言われています。機械装置の不備はメンテナンスを充分することで防げますが、パイロットの人為ミスはそれぞれのプロとしての意識向上にかかっていますね。

今はちょっとご無沙汰ですけど、飛行好きの私も静岡空港ができるのを楽しみにしている一人です。飛行機事故が無くなり安全な空になることを祈ります。そして、直接人命にかかわる仕事をしている人の日ごろの努力に期待しています。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・・③)

Photo

旧街道は国道の北側にあり

街道沿いに藤枝の街が始まります

藤枝はかつて「褌(ふんどし)街」と言われて

街道に沿って長い街が続いています

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街道に入ってすぐに成田山がありました

街道にある寺院仏閣は

それぞれに歴史を背負っています

もちろんここも江戸からでしょう

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東海道を歩けば弘法大師さまと

いつだって「同行二人」ですね

のんびり旅と言えども無事に歩けることに

感謝して、大師様にご挨拶しました

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もちろんボケは避けて通れない現代

人々は健康とともにボケ除け祈願も

欠かせませんね

そして「敬老」も

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「徳川家康 ゆかりの町」という大看板

子供たちの絵で紹介する

白子町誕生秘話などが

商店街に飾られています

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どうやらあの有名な「伊賀越え」にまつわり

本能寺の変の後の歴史ミステリーにかかわる

三重県の白子町と関係があるらしい

白子は昔の藤枝の中心市街地です

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こちらのお寺では大きな傘型の

松がありました

殿様が京都へ転勤する時に

記念に植えていった物らしい

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幹には時の流れが刻まれて

支えなしでは枝も保てません

人は何代も変わっても

心は受け継がれていますね

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東海道が再び国道と交差する

青木交差点にやってきました

左上方が街道で右側が駅への道

これからは島田に向かいます

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2007年9月16日 (日)

街道を見つめる大楠

明日は敬老の日だったんだよね。今月はうまいこと3連休が2回あって、うっかり何の日だったかわからなくなりそうでした。

「老人がバスや電車に乗ってきたら、争って席を譲る」と言ったら、どこの星の話だと驚くでしょうね。一時そういった国で生活したことがあります。初めは驚いたけれど、そのうちそうすることが当然のように自然にできるようになりました。

最近電車に乗っても元気なお年寄りばかりで、なかなか席を譲る機会がありませんが、それでも機会があればと心がけています。もちろん席を譲られたこともあります。屈強な黒人の青年がすくっと立って譲ってくれた時は、自分の歳を感じたと同時に、ここは日本ではないように思いました。

その昔、日本だって当然のように行われていたこと、今の青年たちが堂々と席を占有してはばからない世界。両方とも現実なんでしょうね。そんな青年たちを見ていると、可愛そうになりますが、いつの日か彼らも目覚める時が来るかもしれないし、それを期待しましょう。

前にも言ったように思いますが、電車やバスはもともとは全席シルバーシートのはずです。それがだめだと言うのなら、せめて入り口に一番近い席をシルバーシートにすべきでしょう。お年寄りを奥のほうまで歩かせていてはいけませんね。

時々、入り口に近い席の前に立ってポールにしがみついているお年寄りの前で、携帯カチャカチャやっている女子高生を見ると、何か異次元の光景に思えてしまうのは、私がおかしいのでしょうかね。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・・②)

Photo

東海道もこの小さな葉梨川を渡り

川沿いに道は続きます

この道は江戸の昔より人々の

大切な命の道なのだ

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十返舎一九の文章を石に刻み

その伝統を後世に伝えようと

町内の集会所の前に

灯篭などを建てています

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今では住宅地になっていても

昔からの心を大切にする

そんな雰囲気がさりげなく

家々の前に漂っています

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街道筋にはもちろん神社仏閣が

たくさん残っています

それぞれに歴史の重さを

感じさせます

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太い根回りの楠木も

樹齢は500年との事

多くの旅人たちを迎え

また見送ってきたのでしょうね

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東海道中膝栗毛にも登場する

鐙が淵付近も区画整理で

新しい住宅地に変わりつつあり

当然のように東海道も曲げられる

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ゆるやかに国道に接していたはずの

街道は直角また直角に曲がり

地理は頭に入っているはずが

標識が無いかぎり歩けません

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2007年9月15日 (土)

夢x挑戦ブログ報告(8月)

「夢x挑戦ブログ」に参加していることを時々忘れてしまいます。挑戦というより、自分が楽しいで居るというほうが強いせいでしょうか。

挑戦のテーマは「静岡県の海岸線をすべて歩く」というものですが、根が浮気性のため、あっちへふらり、こっちへふらりと気分しだいでどこへでも行ってしまいます。

今のところ、もう少しで遠州灘を踏破ですので、これが終われば愛知県県境から遠州灘・駿河湾西岸沼津まで踏破です。残る伊豆半島一周が終わるのはたぶん年を越してしまうことでしょう。

現在並行中の富士山一周も半分以上に達しました。ついでに県内の東海道も七割方歩きました。源流への旅も、狩野川と天竜川はいつの日かまた歩き出すでしょう。

気まぐれウォーカを気長に応援していただきたいと思います。

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(ちょっと寄り道東海道・Ⅱ・・・・・・・①)

006

8月末から9月の始め

天候が安定しなくて富士山周遊は

とても行けませんでした

そこで近回りで楽しみました

8月30日

藤枝(仮宿)-金谷(すべらず地蔵)

6時間30分

45000歩でした

Photo

曇天の中 それでも歩きたい衝動

今回は東海道の中でも

我が家に最も近いところを歩く

国一と東名バイパスが交差する

仮宿交差点の陸橋上です

写真中央から左上方に向かい

旧東海道の松並木です

Photo_2

旧東海道は交差点を斜めに横切り

ほぼ国一と平行に走っています

歩き始めてすぐ道路に松が

覆いかぶさるように一本

その下に石柱があります

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「従是西田中領」と書いてあります

田中領は藤枝を中心とした

田中城の領地で徳川家康ゆかりの城

ここから領地が始まる

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旧東海道は国一に出たり入ったり

しながら並んで走っています

岡部宿と藤枝宿との境付近なので

昔の宿場の雰囲気はありませんが

民家だけは途切れることはありません

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それでもわずかに残る松並木は

旅人の気持ちを時空にいざないます

曇り空ですが風がないので

とても暑く感じる日でした

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街道筋の土手には

ゆりの花も咲いて気分最高

遠くの高草山も

背後から見送ってくれました

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東海道は葉梨川沿いにありました

葉梨川は最初に源流への旅で歩いた

瀬戸川の支流です

こんなに近くにあってここを歩くのは

初めてでした

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虫の嫌いな人は目を凝らして

この写真を見てはいけません

土手の上の松の木に着いている

キノコには生き生きとした

生命が躍動していました

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2007年7月22日 (日)

がんばれジュビロそして磐田

琵琶湖周辺の湖で在来種の鮒などと外来種のバスやブルーギルなどがすみわけしているのが研究所や大学の調査でわかったそうです。

いま、富士五湖を歩いていても、外来種の魚には細心の注意をしているのがわかります。外来種の魚を、勝手に放流して、在来種の絶滅を招くことに危惧しています。確かに日本固有種が年々減ってしまっていることが心配になりますね。

今回の調査では在来種はヨシなどの沼地で、外来種は湖底などの石の多いところに棲んで繁殖しているとのこと。日本全国でうまい具合棲み分けてくれればいいが、そうも行かないでしょう。

でも、少なくても、今の日本では植物だって外来種が勢力を増していますね。ところが、在来種は完全に絶滅しては居ません。何とか棲み分けているようです。考えて見れば湖は別として海だって世界中つながっているし、植物だって空中を飛べば種が日本に来るかもしれないね。現に以前台風が南の国の蝶をを運んできたこともありました。

アメリカザリガニは子供のころの思い出には無くてはならない生き物です。それだって、外来生物だよね。最近たくましく生きている物に大タニシがあります。エスカルゴとして養殖していたものが、今ではわが町内の残り少ない田んぼでも、赤い卵をあちこちに産み付けています。もちろん、ザリガニはもう生き残っていません。農薬漬けの田んぼではもう絶滅しました。

こうなると、外来種でもいいから、生物が生き残っていける世界が恋しくなります。日本という特定な地域を固定するか、アジアまで世界を広げるか、それとも全世界まで広げて考えるかで生物層の生き方を考えることで意義も変わってくる。

あなたのお庭や、玄関の鉢植えの中に、外来植物はありませんか。ひょっとしたら、外来種のほうが多いかもしれませんね。そんな世の中になって来たのだから、それぞれ、うまく棲み分けて生きていきたいものですね。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・⑨最終回)

Photo_1866

新天竜川橋の上の風はきもちい

この長い橋の上をいつまでも歩いていたい

そんな気持ちになる心地良さ

橋の下の川原でもバーベキューなど

若者や家族連れが楽しんでいます

Photo_1867

橋を渡りきった先の土手沿いに

なつかしい町並みがみえてきました

ここにあった独身寮で数ヶ月過ごし

土手を走ったり毎晩焼酎をあおったり

既婚者でありながら

目いっぱい楽しんだところだ

Photo_1868

さあ磐田に向かって歩こう

何度も車で通った旧国道だけれど

足取りはまだ大丈夫だけど

時間がちょっと心配になってきた

Photo_1869

旧国道から磐田駅に向かう交差点に

たどり着いたのは夕方5時半を回っていた

駅までは30分もかからないだろう

ちょっと疲れたけどもうすぐだ

Photo_1870

駅前道路は昔よりちょっと寂しいが

それでもジュビロ磐田を中心に

町はきれいに生まれ変わろうと

動き出していました

Photo_1871

磐田駅に着き電車の時間を見る

6時ちょっとすぎに電車が来るようだ

我ウォーキングの旅で珍しく

電車に乗っての帰宅でした

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2007年7月21日 (土)

思い出の交差点

やっと落ち着いた梅雨の季節がやってきた、なんて言っていていいのかな。もう梅雨も明けていいころなのに、昨今の台風や地震の余韻が残ってか、梅雨も最後の足掻きをしているようです。

おかげで、やっと始まりかけた高校野球の静岡県予選も、またまた中止になり、予定どおり消化できるのかな。優勝校が決まるのがいつも全国でもっとも遅い方なので、はらはらしどおしです。

町内の納涼会も1回延びて、またまた延びて、結局2週延びてしまった。次の土曜日は何とか天気が良くなりそうなので、今度は大丈夫だろう。

この天気の状態が、今後の選挙戦にどのように作用するのでしょうかね。喉をからして叫んだとて、当日の天気が大きく作用することは、周知のごとく。さてさて・・・・・どうなることやら。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・・⑧)

Photo_1859

大学で2時間半ほど遊んでしまった

校舎の周囲の川沿いの土地は

整備中でまだまだ何かが

この辺にできそうだ

Photo_1860

さてこれからどこまで歩いていけるか

磐田方面に向かって歩き出した

浜松の市街地を抜けて

国道一号のバイパスと交差する

ここをまっすぐ行くと

天竜川の駅の近くになる

Photo_1861

浜松の中野町の近くの交差点

何の変哲も無い交差点だが

とても思いで深い交差点だ

25年ほど前、毎朝この交差点

を右折して仕事場に通ったことがある

どおってことない出来事なのに

おかしな物ですね

Photo_1862

旧一号線と新一号線が平行に走る

ここで道路工事に差し掛かり

ついに車の走りすぎる道路脇を

そろそろと歩かなければならない

とても危険な箇所だ

Photo_1863

おまけに旧道にかかる橋は

狭くて車も多く歩道が無いため

覚悟をして渡らなければならないか

と思いながら見回すと

Photo_1864

新道の方に階段ができている

バイパスなのに人間が歩けるのかな

そういえば今までも自動車専用道路でも

橋だけは人間が歩けるところばかりだ

Photo_1865

橋の上に出てみると何のことは無い

自動車が走れそうな立派な歩道だ

前方から自転車が来ても

平気ですれ違うことができます

歩行者にとって右側の旧橋と比べ

天国と地獄ほどの差がありました

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2007年7月20日 (金)

まっ、来年があるさ・・

ニューヨークで蒸気が噴出したまではいいが、その時一緒にアスベストまで噴出してしまった。地震被害でたった一社が操業停止しただけで、日本の産業の米に相当する自動車産業がストップしてしまった。

一般人には計り知れないところで、とんでもないことが起こっています。先進国は産業発展を元に後進国を配下に置き、余裕も持って暇つぶしに戦争を仕掛けたり、経済力でもって、ヤクザまがいの国を相手に茶番劇までやっています。

そんなことより、自分の足元をもう一度見直さなければいけないと、今度の災害が教えてくれているようです。経済優先でバックアップ体制の無い産業界、効率主義のために脆弱になって居まいか?過去の安全基準をもう一度見直して、間違っていたら、それを未来にツケとして残して居まいか?

もし問題を残したままにしたならば、結局高い代償を後の人間が必ず払わなければいけないことが、ニューヨークでも新潟でも社保庁でも明白に教えてくれていますね。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・・・⑦)

Photo_1851

大学の南側中央入り口付近に

当日の受付がありました

ここで受験料1000円なりを払い

試験場に向かう

Photo_1852

ところで何の試験だったっけ

あっそうだ「浜松検定」でした

何を酔狂に浜松くんだりまで

のこのこ出かけてきているのだ

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確か新聞で3週にわたり問題が

掲載された試験に応募しておいたら

なんと3級に受かっていました

もっともネットで答えを探したから

できて当たり前だ

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そこで3級合格者を対象に

2級1級の試験をやると言うので

うっかり応募してしまったわけだ

でも見事に不合格でした

まっいいか、来年がんばりましょう

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せっかく来たので校内を散歩

試験前に勉強している人もいます

ここは芝生があって気持ちいい

これでも2階です

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この大学はエコロジーに配慮して

校内に緑が多くあります

文化芸術大学だけあって

空間的にも造型に工夫され

Photo_1856

極めつけは屋上に芝生が

張り巡らされていて

この写真だけ見ていると

びりの屋上とはわかりませんね

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芝生の屋上への出入り口も

こんな洒落た形で

おっとっと、と言う感じですね

勉学の合間に気分転換で

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屋上に出てみれば

芝の間からはネジ花(文字摺り草)が

いっぱい咲いていて

きっと心を癒してくれるでしょう

 

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2007年7月19日 (木)

家康公に見送られて

18日のプロ野球オーナー会議で、日本のプロ野球の低迷は「NHK」が悪いという意見が主流になったそうだ。NHKが大リーグの放送をやりすぎるので選手がアメリカに行きたがり日本のプロ野球が寂しくなると、いいたいのでしょうね。

本末転倒に思います。相手陣営をアジることで自陣営を宣伝する、国会議員選挙演説と一緒に聞こえます。われわれ一般のスポーツファンから言えば、今日のプロ野球の低迷は自らの内部にあることは明白であることは周知のこと。それをNHKのせいにしているのでは、しばらく発展は望めないと言うことですね。

本来はNHKに感謝してもいいのではないでしょうか。野球ファン以外でもイチローや松井の活躍は楽しみですし、日本人として誇りに思っています。彼らの一途な姿を見ていると、自分たちも国際舞台では恥ずかしいことができなくなりますね。

彼らのおかげで、今まで低く見られていた日本のプロ野球のレベルが高く評価されています。岡島選手のように、ひたすら「あっちむいてほい」を極めていて、日本では評価が低くてもわかりやすいアメリカ野球ではとても高い評価を受ける。

これらのことを冷静に分析すれば、日本のプロ野球の発展のヒントがいくらでもありますね。したがって、大リーグにもっともっと選手を送り出すぐらいの気持ちを日本のプロ野球機構も持たなければならない。プロサッカーの今日の世界的な発展も、選手の国際的な流動の中にあって始めて成り立っていることも併せて考えなければいけないですね。

NHKには今後も大いに大リーグの放送を続けていただいて、野球のすばらしさ、日本人の活躍を伝えてほしいと思います。ファンは遠の昔に国際感覚を身に着けていますので、オーナーさんたちもファンに追いつけるよう国際感覚を早く身に着けるようにしていただきたい。本末転倒な相手を非難するよりも、自己改革を望みますが、いまのところ無理かな・・・・。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・・・⑥)

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浜松城から家康公に見送られて

いざ決戦の場へ出発です

人生山あり谷あり

でも一番は楽しく生きることだと

教えてくれているような姿です

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公園の東のはずれに

クロワッサン型の建物がある

大勢の人たちが出入りしているので

なんだろうと思い寄っていくことにする

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体育館の内部では卓球大会

多分中学生ぐらいでしょう

カラフルなユニフォームが

華やかな雰囲気をかもしています

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体育館から東に向かって歩く

浜松は静岡市より発展しています

今でもまだ発展途上です

アクトタワーをシンボルとして

町の中は美しく変貌していく

Photo_1849

その中に静岡文化芸術大学があります

静岡と言う名前がついていますが

イメージとしては浜松・・・・大学のほうが

ふさわしく感じます

Photo_1850

校舎をぐるりと半周して

南側の入り口に案内されました

今日の目的の一つでもある

会場までもう少しです

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2007年7月18日 (水)

今も昔も出世城

柏崎刈羽原発は放射能漏れはありません安心してください、といったとたん、実は事故はありましたとのこと。「安心です」といった人はその後テレビに現れなくなってしまいました。最近、十分な対策を取ります「安心してください」とか、国民の皆様の年金は「安心してください」とか、やたら「安心してください」という言葉が氾濫していますね。なんとなく変ですね。

「安心」と言うのは安心した人が心から思うことで、「安心」せよという安心の押し付けは本来の安心ではないように思います。よい子達が悪者に襲われた時、月光仮面が必ず現れる。でも月光仮面が現れてもまだ安心はしない。悪者をやっつけた時点ではじめて「安心」できます。でも、「私が来たから安心だ」とか、終わったあとでも「もう君たちは安心せよ」とは月光仮面は決していわない。

今の時代のリーダーのように、何もしない内から「君たちは安心せよ」なんて、ちょっと、もう一度国語審議会に日本語の使い方について研究していただかなくてはいけませんね。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・⑤)

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浜松城公園は浜松城の跡だけれど

徳川家康の出世城の割には

城そのものはあまり有名ではなく

天守閣の存在も定かでない

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公園内にある浜松美術館では

ディズニー展が開催されていて

家族連れでにぎわっていました

私も大好きですが今回はパス

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美術館の脇からすぐに

浜松城の石垣が見える

この上でお昼にしよう

石畳をえっちらおっちら登る

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この日、浜松では政令都市制定の記念で

浜松城の観覧は無料でした

お昼返上で先にお城見物に

することにしました

Photo_1841

もちろん内部は徳川家康一色

戦国の世にあって駿河甲斐尾張

これらの歴史を動かした国々の

いわば交差点に当たるところ

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今の世にあっては豊田佐吉に始まるトヨタ

ホンダ、スズキ、ヤマハ、河合、それらを

育んだ遠州そして浜松地方は

この出世城を柱とした人々の

心の軌跡が生み出した物かもしれない

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しかしよく見るとその石垣は

一見乱雑に積み上げられています

しかし、何百年の年月をこのままで

持ちこたえてきたそうです

Photo_1844

お城を見ながらのおにぎりタイム

そばで若い女性が写真を撮っていました

周りの木々でなかなかポイントが定まらない

ここが一番だねと声をかけながら

同じアングルで写真撮影

よく見ると桜の時期の

カメラポイントでした

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2007年7月17日 (火)

防火意識は石灯籠から

今度の大雨で大井川下流の蓬莱橋とともに、上流の畑薙第一ダムと第二ダムの間の道路も寸断されたようです。昨年8月の31日に私が歩いて往復した、まさにそのあたりで、今の時期南アルプスへの静岡側からの唯一のルートです。

毎年2万人もの人がこの道を通って南アルプス登山に行くと言うから、大変なことですね。今シーズンはほぼ絶望かもしれませんね。昨年私を楽しませてくれたあの渓谷沿いの道ですけど、非常に残念に思います。

今回の台風はラニーニャ現象が影響して勢力が強くなったと言う説がある。エルニーニョ現象もラニーニャ現象もある程度の周期で発生して地球の気候に大きな影響を与えていますが、その発生の原因は今のところはっきりしないらしい。地球温暖化は「影響しているかもしれない」程度の物で「影響していない」とは断言できないらしい。この両者は地球温暖化問題以前から発生しているからだ。

しかし、精査してみると、その規模が少しずつ大きくなってきているのも事実らしい。そうなるとなんらかの関係があるともいえますね。どこかの大統領みたいに、カウボーイごっこしか関心が無い者については「科学的根拠がはっきりしていないので参加しない」なんてこと言わないで、可能性がある限り、考えられる手立てをしていかなければいけないでしょうね。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・④)

Photo_1831

弘法大師のお堂の近く

鴨江観音の東側にある門をでて

再び北に向かって歩く

いよいよお城が近づいた

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その前に秋葉神社が目に付いた

ちょっと寄り道して行こう

遠州でずいぶんであった

秋葉信仰も浜松地方で支えて

来たのであろうと推察される

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鳥居の脇には大きな石灯篭

「松平和泉守」の銘がある

江戸時代のものであることは確かだ

秋葉信仰は徳川家のベースでもありますね

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境内にも各時代の様様な

石灯籠がありました

火を大事にすることにより

防火の意識を高めていったのでしょうね

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神社を通り過ぎると

家々の影から浜松城が見え隠れ

鴨江の住宅地も高台なので

お城はほぼ真横に見えます

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城の入り口にある建物は

警察の交番でした

交番の横から浜松城公園へ

入ることにしました

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2007年7月16日 (月)

心はいつも同行二人

台風の大雨で大井川の蓬莱橋がまた流されてしまいましたね。ギネスブックに登録されている世界最長の木造の橋ですが、正確には板張りの橋といったところですね。(写真はH18.7.25縁台日記参照)

今回は牧の原寄りの60メートルぐらいが流されたとのこと。しばらくは通れないかもしれません。今までも何度も橋の途中が流されても、たくましく復活してくれるのでしばらくの辛抱ですね。

流されるたびに、橋桁が木造からコンクリートに変わるけど、橋の上部の人間が歩くところは板張りなので、世界一の称号を今でもいただいている訳だ。記憶では橋の両際の数十メートルだけが木造の橋桁だった記憶があるので、その片方が今回流されたことになる。コンクリートの橋桁でもいいからがんばって復活してほしい物ですね。

台風の後は新潟の地震ですね。どうも地震の頻度としては、異常に高くなっているとのこと。早く学問的に地震予知が確定してくれることを望みます。東海大地震が予想されて久しくなりますが、いつ起きてもおかしくないレベルにもう来ていると言われる割には、予測がまだ確立されていない不安。た

他の地域に比べても抜群に防災訓練の盛んなわが地域ですが、実際に地震が起きてしまえば、訓練どおりできるかやっぱり心配です。今のところ小生は地域では救助班に任命されていますが・・・・・・。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・③)

Photo_1822

賀茂神社の社の中では

男たちが集まっていました

多分夏祭りの打ち合わせでも

やっているような雰囲気でした

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神社は台地のはずれに位置して

ここから北上するとゆるやかな坂

坂の上は住宅地が密集し

古い時代から人々が生活していた場

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道の突き当たったあたりに

朱塗りの大きな建物が目を引く

なんとここは幼稚園でした

いわれなければ絶対にわかりませんね

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それもそのはず幼稚園の隣は

かの有名な通称「鴨江観音」でした

正式には鴨江寺というのですね

街中にあって見事な朱塗りですね

Photo_1826

仁王門の中に控える仁王さんも

すばらしい体つきで

お顔も迫力があり立派な物です

最近では珍しい男前でした

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本堂も大きくてカメラに収めるのに

いっぱいまで後ろに下がってようやく

写す事ができました

でも本当の本堂は実はこの後ろ

Photo_1828

横から裏へ周ってみると

そこに古い本堂がありました

これまた大きく全体が写りません

でもこちらの方が風格がありました

Photo_1829

境内には他にもいろいろ建物があり

石碑などもありましたが

なぜかこの石像が気になりました

なんだかわからないが

アジアンチックな神様みたい

Photo_1830

本堂脇では弘法大師の法要

同行身代とありますから

霊場めぐりの関係でしょう

私もいつも一人旅ですが

心は○○と同行二人のつもりです

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2007年7月15日 (日)

賀茂真淵生誕の地でした

台風のさなか出勤したが、昼過ぎには風もぴたりと止み、帰るころには虹が出た。久しぶりに見るきれいな虹。二重虹(ふたえにじ)だけど、一方の虹は赤から始まって紫になり再び赤に戻る幅広の美しい虹だった。

いいね~。世間のしがらみも、自分の心の中の憂さも、世界中の権力者の欲望もみんな台風が持っていって、その代わり、何十年に一度の美しい虹を残してくれました。

でもそれも一瞬の出来事かもしれませんね。明日からも、自分の言葉で、自分の気持ちを話していける自分でありたいと思っています。抵抗、多いけどね。

♪ Somewhere over the rainbow
 ♪ Skies are blue
 ♪ And the dreams that you dare to dream
 ♪ Really do come true

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・・・・②)

伊場遺跡のある公園の中に入る

Photo_1809

なんと、公園の中に踏切がある

これは近くにあるJRの貨物ヤード

他への引込み線のようだ

公園はそれらの中に割り込むように

細長くあった

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竪穴式の住居が復元されています

その周りには散歩コースで

きれいに草も刈られていて

鳥の声も聞こえます

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残念なことに住居の仲間では

入れないので

入り口の隙間から中を覗くと

立派な土間と須恵器の壺

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部屋の隅にはかまどもしつられ

すぐにでもここでそのまま生活を

してもよさそうです

遺跡は結構貴重な物だそうです

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細長い公園の奥のほうにも

復元家屋があるようなので

散歩道をそのまま歩いていくと

鳩が飛んできて止まり

道案内を買って出たが

断りました

Photo_1814

公園の奥にあったのは

高床式の穀物庫でした

この地方は天竜川の恵みを受け

昔から肥沃な土地だったようです

Photo_1815

「伊場遺跡資料館」があったので

覗いていくことにした

観覧料は無料でしたが

とても立派な資料館です

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教養の無い悲しさで

貴重な資料もただ眺めるだけで

通り過ぎてしまいました

ただ歩くだけでなく少しは

勉強しなくっちゃねと実感しました

Photo_1817

遺跡からまっすぐ浜松城をめざす

歩き出してすぐ道路の突き当たりに

何か記念碑のような物がある

ちょっと寄っていこう

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賀茂真淵の生誕の地とある

確か歴史の教科書で

名前は聞いたことがある

有名な学者ですね

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住居跡には当時の井戸も残っていて

こうなるとこの井戸の水で産湯を使った

ということになりますね

井戸の石組みも立派な物です

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交差点をまっすぐ行くと

記念館もあるようだが

坂道だったので今回はパス

又来る機会があったらその時に

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交差点を右に折れてまもなく

賀茂神社がありました

この地は「賀茂」づくしです

東海道浜松宿のいわば要所です

公園の入り口まで戻る

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2007年7月14日 (土)

東海道切れ切れ歩き

台風が近づいてきて雨が心配ですが、いよいよ静岡県も高校野球の夏の大会の開幕になりました。何せ、春の選抜を制した静岡県だから、昨年のハンカチ王子とまでは行かないかもしれないが、大いに楽しみですね。

今日14日は焼津ではお盆のお塔処参り(おたっしょまいり)です。焼津の場合、8月には荒祭りが控えているので、7月がお盆のところが多いです。お塔処参りも、焼津なまりで「おたっしゃ参り」となり、「達者でいるかな、ご先祖かさも、お参りする人も」てな感じになっています。まあ、硬いこと抜きに、そう思ってお墓参りするのも、又いいものかもしれないね。

IAEAがどうのこうの、中国人の売春宿経営に抗議した神学生がだとか、証拠が無くても年金支給してやったぞどうだとか、戦争をやめる口実を見つけられないどら息子とか、そんな世間のごちゃごちゃも、たまには頭から一掃して、静かにご先祖様に会いに行き、親戚そろってスイカでも食べるのもいいものかもしれない。

梅雨空に負けない、高校球児の元気な姿を楽しみにしましょう。

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(ちょっと寄り道東海道・・・・・・・①)

7月1日

高塚ー磐田 9時間 47000歩

浜松の静岡文化芸術大学へ行くついでに

東海道を歩いてみました

0707

せっかく浜松まで行くのだから

今までついでに歩いた東海道の

線をつないでみようと

焼津駅から浜松を通り越して

高塚駅まで電車に乗りました

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高塚駅は以前

弁天島ー中田島砂丘間の時

通過した場所ですので

そこから浜松を目指しました

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国道と平行に走る市街地を歩く

時々なつかしい景色のたたずまいに

ゆっくり辺りを見回しながら

歩いてゆきます

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世界のスズキ自動車があるこの通りは

昔仕事でお世話になったところで

なつかしい通りです

20年ぶりぐらいかな

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この餃子屋さんには

毎日お昼になると「餃子定食」を

食べに来たことがあります

浜松は全国屈指の餃子の町です

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歴史の街浜松に近いせいか

神社などが通りのあちこちに

現れますが

その全部に寄るわけには行かない

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日曜日とあって旧国道には

自転車軍団がいくつも通りました

道路わきには昔をしのばせる

松並木の忘れ形見が

1本2本と時々現れます

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前方に浜松アクトタワーが

大きく見え出してきていよいよ

市街地に近くなってきた

このあたりに伊場遺跡があるはずだ

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通りを左折してコンテナーヤードを

横目で見ながら新幹線ガードをくぐると

大厳寺がありその向こうを左折すると

伊場遺跡です

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駅に近く線路沿いなのに

ここだけは静かな雰囲気が

漂っていて

鳥たちの声も聞こえてきます

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