(あいまいな判断)熊本市の「こうのとりのゆりかご」が話題になっている。賛否両論あることはご存知だと思います。
でもドイツの白熊の赤ちゃんクヌート君と一緒にするわけではないが、人間は自然界に生きているのではなく人間界に生きている原則から言って、生まれてきて生きている命は原則すくわなくればいけないのである。それを踏まえたうえでの論理であれば賛否両論耳を傾ける価値があると思います。
ところでこれを開始する上で熊本市長がいろいろ各所に掛け合った結果が面白い。警察サイドは「設置の判断には一切関与しない」とのこと。設置しても悪いとは言わないが良いともいわないということ。強いて言えば幼児遺棄には当たらないということかな。
厚生省は「ポスト自体の是非については良い悪いの判断は出来ない」とのことだった。市長が、それならそういった文書をちょうだいと言ったら、口頭で市長に伝えたから文書では出さないとのこと。言ったことの責任があるのなら文書出しても良いのにね~。
安倍首相は「大変抵抗を感ずる」とのこと。あれっ、厚生省は悪いとは言っていないけど安倍首相は抵抗を感ずると言うことは政府として意見が一致していないと言うことかな。
首相らしくなく、妙にはっきり反対の意見を言うなーと思いました。今まで大臣の不正経理問題も「本人が間違っていないと言うのだから調べる必要はない」といって結局うやむやにしたり、「行くか行かないかは言わないよ」とかあいまいなことばかり言ってがんばってきたのに、今回は厚生省が「悪いと判断できない」ものにたいして「大変抵抗を感ずる」とは珍しいと思いました。
きっとこれらの問題に対して首相としてはすばらしい解決策でも内に秘めているのでしょうね。そうでなければ「良い悪いの判断は出来ないと言うことも出来ない」とかなんとか言ういつもの訳のわからないようなコメントになるはずだけど。
市長はこれらのいい加減な発言の中の「悪いとは言っていない」と言うところをとって『設置認可』を出したわけだ。
先日も代理出産の判決で裁判官が「僕はいいと思うのだけど、法律では良いとも悪いとも言っていないので、良いとは言えない。早く立法府で良いという法律を作ってほしいなー」というように読める判決文を出した人がいた。
一般人には出来ない判断をしなければいけない立場の人たちがこれじゃ困ったもんだね。中国の偉い人が日本に来て、久しぶりに日本の首相と話をするようだけど判断大丈夫かな~。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(菊川・Ⅴ・・・・・・・・・・・④)
頂上には阿波々(あわわ)神社という
立派な社が建っていました
奈良時代からの由緒があるらしいけど
けっこう歴史の中で埋没したらしく
明治に復活して
また近年になって再興したものらしい
最高点には小さな石の杭と
粟ヶ岳532mと言う文字が書かれた
棒切れだけが転がっていたので
棒切れを立てておきました
なんといっても圧巻は
神社の前にある磐座(いわくら)で
巨石がゴロゴロありそれ自体が
一種幽玄な雰囲気を醸し出している
古代の祭祀跡や
伝説にいろどられた穴とか
いろいろあって神聖なところ
岩の上には登ってはいけないそうだ
頂上にあるお店で食事をさせていただいた
午後1時を回っていてお店の中は静か
どうやら桜の季節にはにぎやかになりそうだ
売店の奥さんとしばしお話をする
お店のおみやげ物売り場の棚に
写真がずらりと並んでいる
自転車や徒歩で頂上まで来た人の
記念写真です
なつかしい我が恩師S先生のお姿も
S先生はこの日で290回目の
自転車での登山だそうで
1時間ほど前に来て下ったそうでした
先生は確か70代後半だと思います
まさに鉄人ですね
お店の前には茶祖「栄西禅師」が
眼下に広がる茶畑を悠然と眺めている
背後には遠州と駿河をカバーする
大きなパラボラが
家来のように控えていました
最近のコメント