統一地方選挙が終わりましたね。東洋町の町長に反核派勝利と新聞に載っていました。町民の審判の結果がこういう形に現れたようです。
私は止むを得ない場合を除き、選挙の投票には必ず参加しています。自分の一票がどんな重みがあるのかいまだに実感はしていませんが、それでも参加だけはしています。国民の義務だと思っています。翌日の新聞を見て自分が投票した人の得票数を見て一桁目の数字が5か6かの違いに私の存在感を感じるだけです。それだけです。
でも、選挙の結果がどうなろうと、私は結果には従います。なぜなら、国民、市民がそれなりに選択した結果であるからです。若者の選挙離れが言われますが、彼らも自分の将来の選択をそのようにしか決められないのだから可愛そうだけれど現実として受け止めるしかありません。もし、世の中が悪いと言う若者がいたら、そういう世の中を選択した自分の責任として感じてほしいものですね。
ところで東洋町はどこでしょう。高知県の東のはずれ、徳島県との県境にある町です。沖縄補選や夕張市長選の話題の合間に小さな町の町長選が割って入ってがんばっていた。ぜんぜん知らなかった町の名前も今度の選挙で一気に全国区に名乗り出ただけでも宣伝効果は大きかったかもしれないね。
私も今回始めて地図検索で位置を知りました。よく言われることに、廃棄物を捨てる場所は自分たちの生活圏の一番端と言うのがあります。ゴミの収集場所は隣組の一番端で不燃物収集場所も町内の端、焼却場や浄水場の建設場所は市の一番端、核廃棄物も国土の端へ、出来れば外国へ、と言う構造になりますね。
でも、昨今流行の市町村合併で結局は焼却場が市の真ん中になったりするのは皮肉な現象ですね。東洋町の場合も高知県が黙っていると思ったら、結局県の端っこの町だから静観を決め込んだのかな。もし、隣組や町や市や県の境が存在していなければどこだって同じ日本の中だ。地球だって国境線が無ければどこだって同じ地球なのだ。どこだって、ゴミ捨て場ではないはずなのにね。
核廃棄物は宇宙に捨てましょうと真剣に考えている人たちがいます。宇宙に線を引いてここからこっちが地球のテリトリーだから、その外に捨ててしまえばいいのだというわけだ。発想としては隣組の発想と一歩も出ていないところが愉快ですね。
私が町内会の役員をやっていたころ、この発想を変えようということになり、ゴミの収集場所を隣組の真ん中にしました。そうすると、その場所はいつも綺麗に清掃しなければならないからです。快く場所の提供をしていただいたお宅に感謝しつつ隣組で毎回お掃除しています。もちろんゴミを出すのは顔見知りばかりで、決して他の組の場所へはゴミを出しません。いわゆる自己責任ということですね。今でも、がんばって続いていますよ。
電力をもっとも使う東京のど真ん中に核廃棄物の貯蔵所は出来ませんかね。発想を大転換しない限り、端っこ理論は延々と続き、弱者いじめの世相はますます常識化していきますよ。
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(春の海へ・・・・・・・・・・・・②)
突堤の先に向かって歩く
空から小さな雨粒が一つ二つ
いつもと違って7つ道具は背負っていない
濡れたら濡れたでまあいか
釣り人も空を気にする様子も無く
竿を繰り出していた
数十年にわたり延々と
沖に向かってのびて行った白灯台
まだまだ伸びるのかここで終わりなのか
幼少のころ慣れ親しんだ
乙女が丘海水浴場を呑み込んで
拡大していった巨大港湾
プレジャーボートが帰ってくる
港は新時代に向かって飛躍か
埋めたて地には深層水利用の
タラソテラピー施設「アクアスやいづ」と
地域物産店「うみえーる焼津」が見える
港の可能性に期待だ
港内の片隅には
青少年の野外活動のための
船も係留され海の季節の
到来を待ちわびているようです
船のドックには
大きな船が陸揚げされ
点検修理の真っ最中です
ここは昔から小学生の写生ポイント
プレジャーボートの周りで海鵜の一羽が
自分の身体ほどある大きなウナギを
くわえて格闘していた
やっと呑み込んだけどお腹の中で
ウナギが暴れているようだ
首を伸ばしたり口をあけたりして
目を白黒している様子がおかしかった
10分以上見入ってしまった
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