2009年8月 3日 (月)

おまけの230分

(空港へ・・・・・・・・⑨おわり)

Dscf5026

この日は緒っと近周りの散歩のつもり

時間は午後3時ごろだったので

このまま戻ろうかどうか迷った

迷った時は前に進めで歩きだす

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以前から一度来てみたかった勝間田城址

空港から歩いて70分もかかってしまった

このまま城址を散策すると帰りが遅くなる

駐車場で引き返すことにしました

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どうやら城址は山の上にまで広がり

行って来いで一時間はかかるだろう

高天神城同様戦国時代の要害です

いつの日かゆっくり来ることにしよう

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帰り道は来た道と違って

小高い尾根にある坂口工業団地を

通って帰るとSUZUYO倉庫の近くに

FDAの事務所があり谷の向こうが空港でした

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昨年熱射病寸前で歩いた

あの懐かしい空港トンネルを通過

ここは勿論空港直下にあるトンネルです

約一キロの長さはひんやりと気持ちよい

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牧の原大茶園を横切り

七福神の蓬莱へ戻ってきました

蓬莱橋の向こうに暮れなずむ島田市

勝間田城址から蓬莱橋の駐車場までは

160分もかかってしまいました

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2009年8月 2日 (日)

飛行機が一機もいなくなった

(空港へ・・・・・・・・⑧)

Dscf4956

食事の後二階の土産物売り場へ戻る

コーナーの一画に喫茶コーナーがあり

静岡の地元大井川の川根茶のサービス

無料だそうだが込み合っていたので次回に

Dscf4958

空港西側の展望台へ寄ってみる

皆さん集まっているところを見ると

どうやら間もなく飛行機が飛び立つらしい

一番身近にみられるところらしい

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お客様を乗せて滑走路を移動して行く

風向きの関係で西から東に向かって

飛び立つらしく展望席にの前を通過して

西側に向かう姿をカメラが追いかけていました

Dscf4996

JAL便が飛び立った後再びFDA一機残り

今度は反対側の逃がし側展望台の石雲院へ

ここは昨年の真夏に歩いてきたところ

カメラと三脚を持った人が2人いました

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話を聞くと離着陸を写すには

ここが一番良いポイントだとのこと

赤いFDAが今度は東まで移動して

一番端から西に向かって飛び立ちました

Dscf5008

ついに空港には一機も残っていません

2~3時間後には夕方の便が来るそうで

それまでは静かな空港になるらしい

せっかくなので少し周辺を歩き回ろう

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2009年8月 1日 (土)

ばなな食べながらおしゃべり

(空港へ・・・・・⑦)

Dscf4935

3階から人が降りてくる

展望デッキがあるようだから

飛行機が飛びったったのだろうか

とりあえず昇ってみよう

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3階に上がるとすぐに食堂

午後1時を回っていたけど

唯一あるレストランはまだ列が

寿司だけではなく何でもあるらしい

Dscf4939

展望デッキに出てみると

FDAの赤い飛行機が一機だけ

他には何もありません

しかもFDAはまだ就航してないと思ったが

Dscf4945

まあとりあえずリュックから

おにぎりを取り出して昼食タイム

隣に年配のご夫婦が座ったので

持っていたバナナを差し上げおしゃべりを

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そのうちにJALが着陸してきた

人びとが集まりだしたのはこのせいね

ご夫婦もこの着陸風景を見たかったらしい

見晴らしの良いところへ移動していく

Dscf4955

着陸風景を楽しんだ人たちも

今度は離陸するところを見たいらしく

なかなか立ち去ろうとしません

食事の後他から見ようと移動する

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2009年7月31日 (金)

一階から二階へ

(空港へ・・・・・・・・⑥)

Scf4925

一階へ入るとコンビニがある

でも出発前に買い忘れた物を

調達するにはやっぱりコンビニだね

地方空港には絶対必要

Dscf4926

正面には総合案内所

まだ慣れない田舎者には

強い味方でしょう

タカアシガニ苺ウナギがお出迎え

Dscf4928

チェックインカウンターは

飛行機が飛び立った後なので

閑散としているのが

ちょっとばかりさみしいね

Dscf4929

二階へのエスカレーターを昇る

お姉さんたちはすたすたと階段を

外光を十分入れたロビーの中は

とても明るい雰囲気ですね

Dscf4931

2階では大きな富士山の写真

それに有名版画家の絵と

ミニチュアの富士山の置物

記念写真にはぜひここで

Dscf4932

国内線も国際線も同じところにあり

わかりやすさではこの上ない

出発ロビーを探してうろうろするのは

ここではあり得ませんね

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2009年7月30日 (木)

空港ビルへ

(空港へ・・・・・・・⑤)

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雨にぬれてしまう前に

なんとか建物まで到着できるか

2000台の無料駐車場も

まだ空きがあるようです

Dscf4911

駐車場の向こう側の丘には

四阿があって人びとが群がって

飛行機の発着を眺めているようです

後でそこまで行ってみよう

Dscf4917

駐機場に一機だけ赤い飛行機

ブラジル製のエンブラエル型機

FDA(フジドリームエアライン)の

新鋭機の一つのようです

Dscf4918

空港ビルへの歩道には

旅馴れた感じのお姉さんが

さっそうとタームナルビルに向かって

旅行バックを引っ張っていきます

Dscf4922

ターミナルビルの目と鼻の先に

お客様駐車場がありとても便利ですね

屋根の形もスマートでさすが空港

静岡もいよいよ空港のある都市へ

Dscf4924

駐車場のまん前にビルへの入り口

富士山静岡空港という文字も

何となく初々しくてうれしいね

始めてはいるのでうきうきした気分

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2009年7月29日 (水)

とうとう雨粒が落ちだした

(空港へ・・・・④)

Dscf4874

空港脇を歩いて行くうちに

再び飛行機が飛び立っていく

開港したばかりで飛行機が少ない

これでは到着まで飛行機が残っているか

Dscf4880

空港の北の隅までやってきました

大きくカーブしていよいよ表側に

この左側がニュースになった立木の

あった場所ですが道路からでは見えない

Dscf4888

カーブの斜面にはキノコがいっぱい

どこかの山から持ってきたものか

それともここに元からあったのか

文明を笑うがごとく自然がほほ笑む

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カーブを曲がり切り西側に出ると

前方に空港ターミナルの建物が

小さく見えてきました

空の様子があやしくなりました

Dscf4899

開港から一カ月で見学者も

だいぶ少なくなってきたのでしょう

それでも搭乗客とはレーンを分け

まだ渋滞の心配をしているようだ

Dscf4900

空港直前になり大きな雨粒が

勢いよく落ちだしましたが

合羽を着ようかどうしようか迷いつつ

とにかく早足で歩きだした

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2009年7月28日 (火)

青い機体が飛び立って

(空港へ・・・・・③)

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大茶園の向こう側に

少し盛り上がった山と管制塔が

小さく見えてきました

空港は谷の村を一つ越えた先

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茶園の端の坂道を下る

蓬莱橋からはほぼ一直線の

西の方向です

空は今にも泣きだしそうだ

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坂を下っても茶園は続きます

谷の村の向こう側の岡が

いよいよ富士山静岡空港です

自然と文明の狭間に時は流れ

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谷の村に降りると案内板が空港を指す

少し南下して右に曲がる道を

曲がって坂を再び上ります

暑い日だったら田舎道は辛い道

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幸い雨が降りそうな空の色

緩やかに上る空港への道

まっ平らな滑走路の岡が見えます

大韓航空の青い飛行機が飛び立って行く

Photo

滑走路の岡に沿って

真っ直ぐに伸びる自動車道

でも歩道の広さに驚きます

私一人ではもったいない広さです

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2009年7月27日 (月)

蓬莱を越えて

(空港へ・・・・・・②)

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全長約900mの蓬莱橋

何度も橋桁がさらわれ崩壊しては

また修理され復活してきます

新しい橋の欄干の色が白く見えます

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蓬莱橋は蓬莱への道標

まずは恵比寿様がお出迎えです

ここはJR主催のウォーキングコース

もう何度も渡ったお馴染みの橋

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観光バスのお客様だろうか

雨上がりの道を降りてきました

今日は雨に降られることを覚悟

雨具の支度もいつも通り万全です

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大黒様と毘沙門様にお参りして

弁天様のところまでやってきた

ここを左折すればいつものコース

今回はそのまま直進して坂を登る

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やや急坂をゆっくり上る

覆いかぶさる木の葉から

雨上がりのしずくが肩に落ちる

暑さをしのぐには絶好です

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坂を登りきった先は牧の原大茶園

新芽のころの霜よけの扇風機が

ズラーッと並び畝を見守っています

明治維新の武士たちの悔恨の賜物

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2009年7月26日 (日)

いつもの蓬莱橋へ

(空港へ・・・・・・・①)

006_2

空港が開港して1カ月過ぎた今月初め

梅雨空でどこへも行けない心を

晴らすように近周りを歩こうと

念願の静岡空港へ歩いてみた

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梅雨の間隙をぬっての歩きだったため

スタートは毎度おなじみの島田蓬莱橋

この日はなんと観光バスが止まっていました

駐車場もかなり混んでいます

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橋守はその昔名物おじさんでしたが

今では若い60前後のおじさんです

賃取り橋で有名な蓬莱橋は

現在通行量は100円でした

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橋の袂には昔と変わらず

「世界一長い木造の橋」と言う

ギネスブック認定の証書が

石に刻まれ輝いていました

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映画テレビドラマコマーシャル映像で

何度も使われた蓬莱橋は

勿論私ウォーキングでは何度も

登場して楽しませていくれている橋です

Dscf4789

この橋の向こう側にある牧の原台地

全国有数のお茶の産地でもあり

近代日本のお茶文化の原点でもある

その向こうに富士山静岡空港があります

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2009年2月15日 (日)

神様の住むところ

(八幡山散歩・・・・・・⑥おわり)

032

八幡山といえば八幡宮ですね

実はここへ寄るのも初めてでした

全国にある八幡宮で祭神は

誉田別尊(ほむたわけのみこと)

033

応神天皇といわれるています

源氏ゆかりの神様でここも

家康が戦勝祈願で建てたようです

境内は工事中で古い狛犬がにらんでいます

035

大きく見えていたのは拝殿で

本殿はその奥の急な階段の上

この坂は普段は通行禁止だそうです

それにしても急な階段でした

040

本殿を取り巻くように

さまざまな神様がいらっしぃます

どうやら八幡宮以前から

この山にいた神様のようです

042

いざなぎ・いざなみの神様も小さな祠でした

その前の燈篭も遺跡のように壊れたままの状態です

日本版アダムとイブのように大切な神様でも

後からやってきた神様のほうが強いのかな

047

のんびりした一日を八幡山で過ごし

焼津の戻ったのはもうすっかり夕暮れでした

わが町の「三丁目の夕日」の中にも

やさしく見守ってくれている神様がいるようでした

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2009年2月14日 (土)

春の香りの中に

(八幡山散歩・・・・・・・⑤)

025

検定会場へ入ったら人がいっぱい

どうやらのんびり遊びすぎたらしく

後で気が付いたことだけど

試験にはテキストを見ても良かったらしい

026

遅れていったことで説明を聞けなかったか

それともいつものように思い込みで

説明を無視してしまったのかもしれない

記憶だけでの答案では満点は無理でした

027

せっかく来たのだからと試験の後

もう一度八幡山を通って帰ることにした

今度は麓を一回りすることにした

神龍院というお寺がありました

028

駿河一国百地蔵尊第三十三番とある

きっと駿河には地蔵尊が百もあるのでしょうね

いつの日か時間でも会ったら数えてみましょう

そして歩いてみるのも楽しいかもね

029

お地蔵さんは一般的には

野辺に在って人々を守っていますが

ここではひょっとして建物の中かな

私の近所にも地蔵尊は大きなお寺です

030

晴れた日には梅の香が

境内にほのかに漂い

冬篭りしている生き物達を

目覚めさせようとしていますね

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2009年2月13日 (金)

静岡学検定に挑戦

(八幡山散歩・・・・・・④)

019

山を降りながらも気になるのは

やっぱり富士山ですね

他所の人から見れば静岡人は

毎日見ていると思われるかもしれないが

020

毎日見られるものでもなく

たとえ毎日見えたとしても

毎日感動するものです

山を降りて振り返ると

八幡山はやっぱり低い山です

021

山の南を走る道は

以前は狭い道だったはずだけど

今ではメインロードのように広く

時の移り変わりを感じます

022

急ぎ足でツインメッセに向かう

まあどうでもいいようなことに

とりあえず楽しんでみようと

いろんなご当地検定に挑戦

023

久しぶりのツインメッセには

なんとなく親しみを感じます

ここへ来るといつも楽しいことばかり

体験しているのでうきうきする

024

今回は「静岡学検定」と言う

チョットばかりいかめしい名前ですけれど

前回の「静岡検定」を引継いでの

ご当地検定らしい

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2009年2月12日 (木)

ゆったりとした時間の中に

八幡山散歩・・・・・・・・③)

013

東静岡駅方面も手に取るように

すぐ間近に見えます

docomoの大きなビルと

グランシップが威容を誇る

014

目を少し右にずらすと

NTTの曲金ビルがすぐ目の前

その手前にイトーヨーカドーと

やなだけ見えているツインメッセ

015

さらに右側真南には

日本平が裾を引き

駿河湾とその向こうに

伊豆半島も見えます

016

家族連れが静かに遊んでいます

ここでは言葉が要りません

このゆったりとした景色と

のんびりと過ぎ行く時間さえあれば

017

なんて気取っている場合ではない

今日はツインメッセに来たのだった

余りのんびりしていると

時間に間に合わなくなってしまう

018

静岡一低い八幡山を

急ぎ下ることにしました

本当はもっとのんびりしたかったが

まあ帰りにまた寄っていこう

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2009年2月11日 (水)

神々の住む山

(八幡山散歩・・・・・・・②)

007 

街中の小山は大昔から

人々の心の拠りどころだったところ

自然に信仰心が芽生え

八百万の神が見守っています

008_2

その神々に抱かれて今でも

人々は毎日この山に登るのでしょう

それは日々の挨拶に行くようなもの

そこに自然に道ができるのか

009

小山の上は平になっています

どうやら戦国の昔ここには

城があったようです

駿府の街を360度見渡せる要塞

010

木の間越しに富士山が見えました

この時期富士山ほど美しいものは無い

静岡に住んでいる人間でも

決して見飽きることはありません

011

海側の広場に出ました

前方には日本平の丘陵

そして駿河湾が青空に映え

街の喧騒をしばし忘れます

012

広場ではさえぎる木々も無く

富士山はくっきりと見えました

手前の低い山は先日歩いた

清水の梶原山あたりでしょうか

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2009年2月10日 (火)

八幡山へ登る

(八幡山散歩・・・・・・①)

001

一月の最後の日曜日

静岡の駅南今は駿河区を散歩

前回の登呂遺跡同様

静岡駅よりスタートしました

002

目指すは駅南にちょこんと在る

八幡山の頂上です

数十メートルの小さな山

お馴染みの山のはずですが

003

一度も上ったことが無い山

さて登り口はどこだろう

市街地に在って狭い道を

右往左往しながらやっと見つけた

004

それらしいフェンスに囲まれた階段

マンションの横に申し訳程度の狭さ

もう何十年もこの界隈で仕事をしていたのに

一度も上らなかったのは何故だったのだろう

005

それは余りにも近くにありすぎ

あって当然と思っていただけのこと

それは大切な友達に似て

近すぎて分からないことかもしれない

006

階段は急だったけど

何の苦労もなしにどうやら

登ることができた

町の中に僅かに残された自然だ

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2008年11月 6日 (木)

秋の実に人と恋い初めし

(朝比奈川散歩・・・・・・・⑦おわり)

040

田舎道を歩いていて農家の畑で

狐の顔をしたナスを発見しました

いわゆるフォックス・フェイスだ

狐は最近とんと見かけなくなったね

041

どんぐりの実はまだまだ青いままで

間か良く肩寄せ合っています

秋の日差しを燦燦と浴び

まだ青春を謳歌しているのかな

042

槙の木はいっぱい実を付けています

赤い実と青い実がつながっています

青い方が種で赤い方が果肉だと

胡南さんが教えてくれました

043 

昔住んでいた下町でも槙の垣根があり

子供の頃よくその実を取って食べたもの

懐かしさに手にとって見る

食べてみるとほのかに甘く昭和がよみがえる

044

静岡の山はいたるところに蜜柑がある

黄色くなり始めた蜜柑はやがて山全体を

黄色に染め上げて明かりを灯す

秋から冬への山のシンフォニー

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この形は一目見て秋葉燈籠です

遠州から続く秋葉信仰は駿州まで

今でもこの田舎の街角で息づいて

人々の心にも灯火をともす

045

焼津でもいたるところにあった火の見櫓

もうすっかり見ることもなくなりましたが

ここ岡部の街にはまだまだその存在を

誇示しているようでした

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2008年11月 5日 (水)

菜の花畑の真中で

(朝比奈川散歩・・・・・・⑥)

032

15分おきに打ち上げる大龍勢

正午から始まり夕方8時半頃まで

延々と打ち上げ続け30数発上げる

実は龍勢と共に昼間から宴会を楽しむ

034

それがこの祭りの最大の楽しみか

普段はのどかな田舎で菜の花が咲き乱れ

この日だけは菜の花畑が宴席となる

1時間ほど大龍勢を楽しんだ後帰途へ

037

花畑の桟敷に友人の顔を見つけ声をかける

まあまあと言う訳で再び桟敷へ上がりこむ

どうやら龍勢を献発するグループ毎の集まり

その席へお邪魔することにする

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コチコチに凍ったお茶とご馳走が出る

私達は今食べたばかりと遠慮して

お茶だけいただいた

そのうち漬物やてんぷらや次々と出てくる

035

周りの人と話していると大龍勢の製作過程を

写真入で説明してくれた

「○○連」と言うチームでそれぞれが独自の

龍勢を丹精込めて作っている様子でした

039

帰り道はできるだけ田舎道を選んで

のんびり帰ることにしました

初秋の風は歩いていると

まだまだ汗ばむような陽気でした

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2008年11月 4日 (火)

大龍勢は大空へ

(朝比奈川散歩・・・・・・⑤)

025

今まさに打ち上げ台に龍勢が設置されました

朝比奈のある岡部町はゴン中山のふるさと

この秋には藤枝市と合併することになり

岡部町としては最後の大龍勢になる

023

台の下から導火線に点火されました

昔住んでいたタイ東北部(イサーン)の

ムックダハーンの隣町がロケット祭りで

有名なヤソトーンンと言う街で無念にも

1週間違いで祭りを見られなかった

思い出がありす

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導火線の火が龍勢に届き緊張の瞬間

ヤソトーンの街へ遊びに行って

話を聞くと日本の龍勢とほぼ同じだそうで

けっこう世界的にも有名な感じでした

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シュウォーという音と共に真っ直ぐ飛び立つ

朝比奈の大龍勢もたぶん負けず劣らず

勇壮なものだしこれを守ってきた地域の人たち

今では日本でも貴重な祭りの一つでしょう

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山よりもはるかに高く上っていく

財政難の大きな市に吸収され

2年に一度のこの祭りが

消えてゆかないことを願うばかりです

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15分間隔で打ち上げられる龍勢も

待ち時間は決して長く感じません

夜の花火違って空から降りてくる

そのプロセスもゆっくり楽しめるのです

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2008年11月 3日 (月)

最前列はカメラマン達

(朝比奈川散歩・・・・④)

019

龍の欄干でお馴染みの朝比奈川

玉露の里の傍に常設の大龍勢の

櫓が建っているのは歩いて知っていた

2年に一度の行事だけど今回初めて

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胡南さんと連れ立って歩いてきた

日本三大龍勢は

静岡県岡部町 朝比奈の大龍勢

静岡市清水区 草薙神社の大龍勢(流星)

埼玉県秩父市吉田 椋神社の龍勢

だそうです

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菜の花畑に桟敷が出来て

それぞれ自分達の宴会場を作っています

私達には席が無いのでどこか座れる場所を

探してうろうろしていました

029

もちろん危険が伴うので周囲に縄張りをして

観覧エリアを規制していますが

アマチュアカメラマンはぎりぎりまで

接近してそれぞれの場所を決めています

030

老夫婦もカメラを構え

土手の一角に席を造り

仲良く並んで観覧中

その後ろに我々も席を占めた

031

本当は土手の上は立錐に余地もない

わずかに敷物が敷いてない場所を探し

なんとなく大きな顔で座り込んで

さっさとおにぎりを広げたわけです

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2008年11月 2日 (日)

最初の狼煙が上がった

(朝比奈川散歩・・・・・③)

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歩き回っていると新東名の工事現場に

何度も出会います

その度にその橋脚の大きさに驚きます

ここでは上り線と下り線で橋のデザインが

違っていることが良くわかります

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秋の祭りはいたるところで始まっていて

途中の神社にも幟旗が立っています

田舎の秋はどこも絵になりそうな

郷愁をそそりますね

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朝比奈川を遡っていると

JR主催の「さわやかウォーキング」と

合流しました

皆さんご高齢にもかかわらずとても元気

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玉露の里まであと2.5kです

のんびり歩いても7.5kも歩いたのだね

延々と続くウォークの列に加わって

稲刈りの真っ最中の田舎を行く

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朝比奈地区とは瀬戸川支流の

朝比奈川沿いに細長い村です

かつて歩いた時は源流まで行き

遂に静岡市まで入った事を覚えています

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突然前方の山の向こうに狼煙が上がる

丁度最初の大龍勢が正午に始まったところ

一番には間に合わなかったけれど

まあそのうちに到着するでしょう

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2008年11月 1日 (土)

シャトルバスを横目で見て

(朝比奈川散歩・・・・・・②)

007

コンビニでお昼を仕込み

旧国一を東に向かう

私の幼少時の原風景の松並木

昔は両側に松並木があったのを覚えています

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岡部のJAの傍から

旧国一を左に折れて朝比奈方面へ

「朝比奈大龍勢」と標示されたシャトルバスが

この日はピストン輸送でお客を運ぶ

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我々は勿論歩きです

片道10kmと調査してくれたHさん

この距離はバスに乗る距離でない

歩きの原点を思い出しながら

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懐かしい川面を眺めると

浅瀬の一箇所にカラスがたむろしています

街や人ごみを生きるカラスより

ここに生きるカラスが自然に見えました

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朝比奈川を少し遡ると

山々を貫く巨大な新東名が現れる

現在の東名に比べて一段高い

トンネルの多い高速道路です

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いつ見ても見事な工法ですね

橋桁から少しずつせり出していく

先端部分を良くそれで支えられるものだと

いつも感心してしまいます

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朝比奈川へ

(朝比奈川散歩・・・・①)

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秋たけなわの10月18日(土)

26500歩 5時間ほどの歩き

高草山をバックに秋の彩が

一面に満ち溢れていました

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東名焼津取り付け道路と国一が交差する

東海道の岡部宿と藤枝宿の境界に建つ

ご存知道標からこの日はスタートです

朝比奈川を上るつもりです

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東海道岡部宿へはここが入り口

私のウォーキングの中での

源流への旅シリーズが始まったのは

この朝比奈川が初めてでした

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その時もこの旧街道を歩いたものです

今では松並木も少ししかありませんが

あの官軍の隊列や明治天皇の

東下りもこの道を通っていったもの

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朝比奈川に差し掛かると橋の下に

投網を構えた男が水面を見つめている

落ち鮎を狙っているとのこと

男をあざ笑うように足元に銀鱗が光る

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橋の袂には大きな松明がたっている

「あげんだい」と書かれています

大井川町では「とうろん」と呼び

お盆の送り火に使われるものですね

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2008年8月12日 (火)

初のギブアップ宣言

(空港へ・・・・・・・⑰おわり)

099

参道は日影が多く歩くには

こちらの方が断然楽なはずだ

中段ぐらいにも立派な門がありました

こちらから登れば

それなりの雰囲気があったはずだね

100

同じ下り坂でもこれはこれで歩き易い

あの日影の無い工事用道路を

登ってきたのは一体なんだったのだろう

山を下りきって平地に戻ると

110

再び炎熱の田舎道がはじまりました

こちらも日影は望めそうも無い

回復していた体力も

再び急激に衰弱を始めてきた

111

最短距離を探しながら島田をめざす

空港の下を貫いて新しいトンネルがある

長さは約900メートルもある

経験上トンネルの中は涼しいはずだ

115

ところが全然涼しくないどころか

トンネルを抜けてもこの通り

やっぱり日影は無い

遂にギブアップ宣言を弟橘姫にする

117

再び倒れる寸前になって

工場の片隅にある水道の蛇口を見つけた

すがりつくように頭から水を浴びる

今度もほぼ上半身ずぶぬれで

120

東名取り付け道路を左折

さらに島田大橋方面に左折

坂道をあえぎながら登っている最中に

電話を受けた弟橘姫の車が前方から走ってきた

ウォーキングで途中ギブアップしたのは

今回が初めてでした

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2008年8月11日 (月)

三門の威容

(空港へ・・・・・・⑯)

090

三門をくぐって一気に帰る事にする

重厚な造りの三門の彫刻も

凄い迫力で私を見送る

道元さんも三蔵さんも見送っているか

091

門を出ると私が歩いてきた道に

観光バスが止まっていました

歩いてきた道は空港建設道路で

新たにできた道のようでした

092

ガイドのおじさんの後から人が降りてきた

どうやら建設中の空港見学ツアーのよう

ついでに石雲院の説明も兼ねて

今後の観光開発のヒントかな

093

もと来た道ではなく表参道を帰る事にします

どうやらこちらには日影があるらしい

急な石段を下ります

こちらにも人影はありません

094

階段を少し下りてから振り返ると

堂々たる三門の威容が迫りくる

この石段自体がそれを意識して

作られているのでしょうね

095

森影といえどもここは表参道

左右には神仏併せ持つ社が

ひっそりとたっています

登る時もこちらから来ればよかったね

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2008年8月10日 (日)

老典座(てんぞ)に学ぶ

(空港へ・・・・・・・⑮)

084

石雲院はどうやら名刹のようです

山中に在ってこの堂々たる威容

15世紀に開かれて末寺は孫末まで

600寺を数えるそうです

085

そういった目で見ればさすがに大きい

でも、観光化されているわけではないので

とても静かなところがなんとも言えず

素敵でした

086

私たちアルキニストの大先輩の

玄奘三蔵法師像は憧れの的

中国西安の大雁塔で見た

あの巨大な坐像と違い

こちらの方が親しみが湧きます

087

この老典座と道元さんの像を見てから数日間

ネットで調べて凄いカルチャーショックを受けました

人間いくつになっても悩み多く悟りは遠い

以後少しだけ老典座に自分を重ねることが

できるようになりこの日の最大の収穫でした

088

翌日の新聞にタイ国より石雲院へ

タイの仏像が寄贈されたことが載っていました

静岡空港を視察したタイ航空の人が

この寺に感動して贈るられたとのこと

089

本堂から三門を眺めると

さすがに堂々たる三門が威容を誇り

五百年以上の歴史の重みを感じます

道元さんの教えが今も息づいているようです

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2008年8月 9日 (土)

人と自然との調和の中に

(空港へ・・・・・⑭)

077

飛行機が侵入してくる海のほうを眺める

最後まで反対運動があった辺りの斜面が

造成し立てで色が変わっていました

これも一つの語り草となるのでしょう

079

体力が回復したところで山を下る

今度は周りの景色をゆっくり堪能

森の小道は小鳥の声も穏やかで

とても素敵なところです

080

元々自然豊かなところ

そこを人間が利用させてもらうことは

何処の場所も同じことです

それなりの敬意を払うのが仏の道か

081

ヒメヒオウギの花も元々ここにあったものか

全ての自然を残すことは人間には無理でしょう

できるだけのことをするしかありません

自分の生きている時代だけが全てではない

083

幾十年幾百年の単位でものを考えた時

そこには自然と言えども移ろい行くもの

同じところに留まる程のものは何も無い

歩き続けていても同じ刻には廻り合えない

082

開港して飛行機がやってきたら

再び訪れてみよう

石雲院に戻ってきました

少しゆっくりしていきましょう

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2008年8月 8日 (金)

とりあえず眠る

(空港へ・・・・・⑬)

073

展望台にある四阿に着いて

水をいっぱい飲んだだけで

とりあえずテーブルの上に横になった

後で来た家族連れが何か言っていたが

かまわず一眠りした

071

10分ほどして起き上がり

ようやくおにぎりタイムにしました

管制塔は完成しているようで

その向こうの待合室などが

目下建設中のようでした

072

駐機場のところは白いコンクリートで

ひときは目立ちます

方向としては島田方面を望む

山の上なので見晴らしはよさそうだ

074

曇っていなければ文字通り

富士山がくっきりと見えて

絵になるはずだけど

この季節ではちょっと無理かな

075

やっと体力も回復して

落ち着いて景色を見る余裕ができた

空港はいつも見飽きないが

飛行機が無くても興味をそそられる

076

空港は思ったより大きく見えた

短方向でもこんなに広いのだから

結構大きなローカル空港なんだね

工事も最後の追い込みのようです

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2008年8月 7日 (木)

更に一層の楼に上る

(空港へ・・・・・・・⑫)

066

頭から水を浴び生き返った心持

ふと目を上げると驚くほどの三門

こんな近くに大きなお寺があるなんて

全然知らなかった

067

帰りに寄っていく楽しみが増えた

とにかく今は展望台まで早く

到着したい気持ちでいっぱいです

観音様に手を合わせる暇も無く

068

お寺の脇から少し上り坂となる

ほんのちょっとの道だろうと思いつつ

それでも足を引きずるように

のろのろとした足取りで登る

069

林の中は木漏れ日が癒す

なのにベンチを見つけて座り込み

息を整えるのが勢いっぱいでした

目と鼻の先が随分遠く感じます

070

こんな無茶な歩きに疑問を感じつつ

ふと目にした立て札の文字

そうだよね、きっとこのために

私は歩いているんだと

気力を振り絞ってみた

078

遂に展望台に到着しました

この道を知っている人から見れば

何でそんなに大変なのと笑われそうですが

なんと家を出て5時間も掛かってしまったのだ

14時30分到着やっと昼飯タイムだ

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2008年8月 6日 (水)

炎熱地獄に仏

(空港へ・・・・・・⑪)

061

空港への坂道を登る

20メートル歩いては休み息を整える

その連続なので一向に進まない

勿論炎天下で日影がまったく無い

ようやく工事現場の庇の影を見つけた

060

倒れこむようにその影に腰を下ろす

平地より少しは風があるが慰めにならない

へたり込む膝小僧に虫が遊びに来ても

払いのける気にもならなかった

062

もう少しだと言い聞かせふらふらと登る

工事現場があり数時間ぶりの

本物の日影にめぐり合う

旗振りのおじさんと話し込み休憩

063

数十メートル先の旗振りのおじさんの所で

再び休憩しながら空港への道のりを聞く

「10分で行けるよ」といった後

私の足取りに気がついたのか

「いや、20分掛かるかな」と言いなおした

しばらく行くと小さな建物が見える

064

お墓参り用の水場でした

この流し台に体ごと崩れ込んだ

頭から水を浴びしばらく冷やした

水がこんなにもありがたいものだと

涙が出そうな気がした

065

上半身も水に濡れたがそれも嬉しかった

炎熱地獄に仏とはまさにこのことだ

傍らの六地蔵が私を導いてくれたのか

難行苦行の僧ではなくただの阿呆の私を

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2008年8月 5日 (火)

わずかな日影に憩う

(空港へ・・・・・・・⑩)

054

お地蔵さんに願掛けて

歩き出したもののこの先まだまだ

炎天の道は続きます

僅かでも影がほしい

055

あった、影があった

ほんのわずかだけど日影があった

勿論風は微動だになし

しばらくここで休むことにした

056

息吹き返すほどではないけれど

エネルギー充電して歩き出す

案内板によるとまだ数キロ先だ

スピードは通常の半分以下に落ちる

057

右方の平らなところは滑走路か

そこに向かって新しい道ができている

どうやら空港の真下を貫通して

島田方面に抜けられそうだ

このまま帰ろうかと弱気になる

058

思い直して進むと石雲院の

参道への道が現れた

ネットで調べた時上り口は

まだこの先のようだった

059

空港方面の道が現れた

やっとここまで到達できた

時間は午後1時半を回っている

お腹も空いたがもう少し我慢だ

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2008年8月 4日 (月)

誘導灯の橋が

(空港へ・・・・・・⑨)

048

携帯電話は弟橘姫からだった

この炎天下でどこかで倒れているのでは

と心配してのことだった

そのまま迎えに来てほしかったが

049

話し声を聞いたとたん空元気がでて

もう少しがんばってみる気になった

田園地帯とお茶畑の風景は

見た目には涼しそうですが

050

頭の中は夢うつつの状態でした

道野辺になにやら立て看板

ふらふら足が自然に近寄っていく

ほんの少しでも日陰がほしい

051

日影らしきものは地蔵さんだけにありました

一つの地蔵に見えるけれど

柱の六面に刻まれた六地蔵で

どうやら深いいわれがあるようでした

052

ふと目を上げるとわずかな山の端に

赤い鉄の橋が見える

あれがどうやら滑走路への

誘導灯の橋のようだ

053

目的地は近そうだ前を向いて進め

誘導灯の橋が次第にはっきり見えてきて

私を空港へといざなっていく

でも足取りはまだまだ重いままだ

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2008年8月 3日 (日)

携帯電話がとつぜん鳴って

(空港へ・・・・・⑧)

042

坂道を降りるとお馴染みの

東名高速道路に差し掛かる

いつの間にか正午を過ぎて

お腹もぼちぼち空きだした

043

暑さにそろそろ参りだしていた

ガード下で少し休もうと思ったが

風が無いだけに外より息苦しい

早々にその空間から脱出した

044

夏草は太陽に照らされて生き生きと

成長しています

そんな景色もまともに見ることができないほど

ぎらつく太陽にさらされています

045

道を北西に進路をとる

これより先は車でもいったことがない

前方には戦国時代の城址もあるらしい

しかし、もうそんなところは関心ない

046

再びこのまま帰ろうかと弱気になる

元論バスなど走っていは居ないようだ

日影の無いまっすぐな道に戸惑いながら

それでも前方に歩を進める

047

もう完全に影はなくなっている

足取りは随分と重くなり

思ったより一時間ぐらい遅いペースだ

行くか戻るか悪魔のささやきが聞こえる

その時とつぜん携帯電話が鳴った

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2008年8月 2日 (土)

坂を下る

(空港へ・・・・・・・⑦)

036

峠にはたいてい町の境がある

焼津市・大井川町・吉田町を通り

今また牧之原市に入りました

いよいよ空港の町に到着です

037

坂を下る時眼下には東名高速が

はるかに見渡せました

山懐に広がる田畑や町の様子

それでも風は吹いていません

038

海のほうを眺めると茶畑の向こうに

寺院を囲むように村がかたまってあり

その向こうは田園地帯が広がり

ここではまだ人々が自然の中で

039

生きているのかもしれない

しかし、じっと見ているとどこかで

何かが少しずつ変わっているような

そんな気がしました

040

坂を下る時も日影は期待できない

ここまで来てもまだ引き返せたが

そんなことを気にせず

一気に坂を下ることにした

041

坂の途中には別の寺院がある

どうやらこの辺りには古くからの

信仰の対象が多くあるようだ

民家を見下ろす寺院群は

日本の伝統的風景ですね

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2008年8月 1日 (金)

影が次第になくなってきて

(空港へ・・・・・⑥)

030

足元を見るといよいよ影はなくなり

太陽は容赦なく降り注いでいる

先ほど休んだばかりなのに

もう汗が全身にあふれてきた

031

少し前までこんな田舎らしい風景が

そこここにあったような気がします

ゆるやかな坂道に沿って

まだまだこんな懐かしさに出会えます

032

いつもは自動車でさっと通り過ぎる

そんな小さな坂道もどこか違って見える

それはこの太陽に焼かれた脳天が

景色を狂わせているのか

033

影が消えモノ皆沈黙した真昼の

坂道で珊瑚樹の実だけが

色づき始めその身を赤く燃えさせ

馬鹿な旅人を眺めていた

034

住宅地が切れると原風景が現れてくる

そこには暑さの中で生き生きと伸びる葛と

茶畑と森があるだけの疑いようのない

人間の命の原点が息づいている

035

ゆるやかな坂道もいつかは終る

前方に峠が見えてきました

もう随分登ってきてしまったのか

暑さがなければ苦にならない坂だったが

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2008年7月31日 (木)

田園の居に帰る

(空港へ・・・・・⑤)

024

交差点で信号待ちしていたら

コンビニが見えたので寄っていく

この先コンビにはないだろうし

おにぎりの補給とクールダウンをかねて

025

少しからだが落ち着いたとこで歩く

湯日川は大井川のそばを流れているが

大井川に注いでいないので

一級河川にはなれませんね

026

そこを越えると海側の小高い丘に

かつて我が「乾峰一路」号でやってきた

吉田の小山城が彼方に見えてました

旅客機は多分この真上を通過予定

027

のどかな田園地帯も数年後には

跡形もない住宅地になるかもしれませんね

空港ができてその経済効果は

試算通りかはたまたそれ以上か以下か

028

反対運動も最近は少なくなってきたが

その名残の看板がまだがんばっています

でも反対の文字は赤色だったのか

むしろ空港と言う文字だけが残り

空港を歓迎しているかのよう

029

道がゆるやかの上り坂になって

前方にゴジラのような木の影が

待ち構えています

でも日影なすほどのものでもなく

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2008年7月30日 (水)

日影恋しき神社

(空港へ・・・・・・④)

018

大井川の橋を渡りきって

振り向くといつもはそこにあるはずの

富士山は霞の彼方にかくれています

夏の富士山は恥ずかしがりやだね

019

橋の袂を反対側に渡りたいが

車のスピードに勝てる自信がない

やむなく交差点の信号機まで

歩くことにする

020

交差点から西方面に転進します

ここまでは御前崎への旅で歩き

これからの道は車では何度も行ったけど

歩いていくのは初めての場所です

021

道を再び南に折れて菊川方面へ

なんとおいしそうな日影が現れた

この灼熱の道にオアシスのような

心地よい影へ足は惹かれる

022

ここは徳川勢が高天神城攻略の

基地にした神社だそうで

その功績で江戸時代には

かなりの恩寵に預かったそうです

023

先へ進むとアレッと思うような道が

これなどは新空港の関連道路なんだろうね

空港完成時と呼応しての供用になるのか

空港と共に変わり行く榛南の村々

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2008年7月29日 (火)

風はピタリと止んで

(空港へ・・・・・・③)

012

クールダウンが成功

冷たいジュースも功を奏し

今度は日よけのタオルをかぶって

どうやら先へいけそうだ

013

歩くスピードもぐんと遅くし

どうやら大井川までやってこれました

私のウォーキングの原点です

ここを越えるだけでも今日は十分

014

勿論日影などない長い橋です

気合を入れていざスタート

いつもは風が吹いている川の上

皮肉なことに風はピタリと止んでます

015

河口方面を眺めると水量は多くない

川原も少し埃っぽく感じます

鳥たちもどうやらこの暑さには閉口か

元気な声が聞こえません

016

川上は少し霞んでいるものの

遠くに南アルプスと夏の雲

以前歩いた辺りを思い出し

真夏は川縁を歩く方が良いなと

017

それでも大井川町を抜け

川の真中で吉田町に入りました

対岸に工場群そしてその向こうに

私が目指すべく空港があります

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2008年7月28日 (月)

100円ショップでクールダウン

(空港へ・・・・・・②)

006

前日までの梅雨空で栃山川も流れゆたか

水辺で餌を漁る白鷺もなぜか穏やかです

いっそのこと水の中に飛び込みたい心境

今年は山の水瓶もいっぱいになったろう

007

ひび割れしかけた稲田も

たっぷりと水を湛えています

干からび始めたタニシの卵も

これで元気が出てきたのだろう

008

後ろからの太陽に首筋を焼かれ

帽子を後ろ向きにかぶって

ようやく何とか暑さを凌ぐ

でももう限界が近くなっていた

009

先ほどまで併走していたランナーは

すぐそこの交差点で折り返してきた

でも走っていると言うよりもへとへとで

早く家に戻ろうとしている感じ

010

いつもなら50分ぐらいなところを

1時間以上かけて歩きさすがの私も

クラッときてバスに乗って帰る決心を固めた

目の前の100円ショップへとりあえず避難

011

店内でクールダウンを10分以上して

リュックの中にまだ飲み物はあるが

冷たいものがほしくて105円で買って飲む

あれっ 体に元気があふれてきた

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2008年7月27日 (日)

その日梅雨は明けていた

(空港へ・・・・・・①)

Photo

富士山・静岡空港まで

2008・7・19

38000歩  

7時間30分

001

稲田が青々と伸びはじめ

毎日梅雨の暗い空が続いていたある日

天竜川の旅でも始めようと思っていたが

朝起きるのが遅く断念しました

002

そこでちょっとそこまでご近所歩きで

来年開港の富士山静岡空港へと思いつき

そそくさと家を出発した

例によって国道150号の旧道を歩き出す

003

ところが後で知ったがこの日梅雨は明けた

まだ背中を押しているお日様の影は

少しだけ延びて言いました

予想に反して暑くてたまりません

004

静岡福祉大学を通過するころ

今日の歩きはまずかったかなと言う

自責の念に駆られましたが

日ごろ夏は好きと負け惜しみを

言っている手前 空元気をフル回転

005

信号待ちをしているお母さんも

わずかな電柱の影にその姿を

かくして少しでも自己防衛だ

それなのに私は一体何をしているのだ

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2008年5月22日 (木)

旅人は花の季節へ

(ご近所歩き・・・・・⑦)

057

焼津の市の花は「さつき」だけど

さつきとつつじの明確な区分けは

ないそうだけど先に咲くのがつつじで

皐月に咲くのがさつきという説もある

058

かつて焼津の道路の中央分離帯は

さつきの植え込みで綺麗でしたが

そこへ毎日缶ジュースの空き缶を

捨てる人がいるということで

市長命令で植え込みを撤去

059

分離帯も撤去して花壇はなくなり

殺風景な景色になりました

でもこの商店の垣根は見事に

満開のつつじが咲いています

060

その昔住んでいたあたりを

懐かしい思いで歩きながら

そこここに友の面影を追いながら

ゆっくりした足取りで歩きました

062

公園近くの小川では

葉桜がその緑をますます濃くし

鳥たちもかまびすしく囀り

一気に初夏の気配を漂わせ

066

早々と菖蒲の花が開き初め

わずか2時間のウォーキングの

疲れを癒してくれています

季節の旅人は

明日からどこへ行くのでしょうか

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2008年5月21日 (水)

懐かしき田子の橋

(ご近所歩き・・・・・⑥)

047

小さな施設ですがミュージアムには

タカアシガニが展示してあります

たしか駿河湾にしか住んでいない

世界最大のカニですね

051

海岸端から街の中に戻ります

杉玉がぶら下がっている家があります

焼津が誇る銘酒「磯自慢」です

この付近は古くからの漁師町です

052

田子の橋は元の焼津と

小川(こがわ)の街をつなぐ橋

昔からの庄屋さんも住んでいた

中心地です

053

かつてこの黒石川では

お母さんたちの洗濯や

子供たちの水遊びの場所だった

いったんは水産加工で汚れてしまったが

054

河川の改修などで石垣も整備されて

少しずつよみがえろうとしています

鮒が満ち溢れ鯉が泳ぎ

ウナギだってたくさんいたあの川に

050

街角に北京オリンピック出場を決めた

レスリングの松永共広君を応援する

ポスターが貼ってありました

レスリング王国焼津の代表です

がんばれ松永君!!

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2008年5月20日 (火)

おいしい深層水

(ご近所歩き・・・・・・・⑤)

037

「うみえーる焼津」の店内の

日よけのカーテンは大漁旗

勿論焼津の特産品がずらり並んで

どれもおいしいものばかり

039

2階には食堂があるようです

普段から焼津の人たちは

マグロを食っているのですが

やっぱりおいしいものはおいしいね

041

海側の公園もほぼ完成したみたい

昨年の写真と比べると格段の違い

親水公園になるようで久しぶりに

水遊びも出来そうな感じです

044

このエリアでは一番最初に出来た

海洋深層水ミュージアムにも

一年ぶりの訪問です

次第にいろいろなものが揃ってきますね

045

ここでは日本一深い駿河湾から

深層水をくみ上げ脱塩したものを

有料で配付しています

お客さんはポリタンク持参です

046

ミュージアムの中では試飲が出来ます

以前ちょっと塩辛い記憶があったが

今回はまったく真水そのもの

ちょうどのどが渇いていて

とてもおいしく感じました

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2008年5月19日 (月)

尾根を行く少年

(ご近所歩き・・・・・・④)

029

小川港から焼津港へ向かって

左に連なっている堤防の右側は

昨年ここを歩いた時は

海だったような気がします

027

それが今では白つめ草や

蓮華草の咲く立派な土地に変身

したがってここを歩くのは

今回が初めてです

031

表面の土はどこから持って来たのかな

名も知らぬ花がびっしり咲いていました

数年でこの花たちも姿を消すのでしょう

でも今は精一杯咲き誇っています

032

手にとって見ると黄色い小さな

いがぐり頭がとても可愛い花でした

この辺では見かけない花だけど

どこにもある花なのか

034

埋め立ての進んだ岸壁では

釣りを楽しんでいる人がいます

新しい釣り場というものは

なぜか釣れそうな気がしますね

でも子供には尾根の征服のほうが

興味があるみたいです

035

この巨大化する港の中心に

タラソテラピーの「アクアスやいづ」と

地場産品のお店「うみえーる焼津」が

近年姿を現し発展途上を象徴しています

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2008年5月18日 (日)

消えてゆく海

(ご近所歩き・・・・③)

019

閘門を過ぎると新港になりますが

今はまだ発展中の港

埋め立てがかなり進んでいるのが

手に取るようにわかります

020_2

埋立地の海岸に

干し網が広げられています

昔ここは有名な

乙女ヶ丘海水浴場があった場所

021

浜辺に落ちているこんな紐も

半世紀前の子供たちには

凄い宝物に思えました

この紐一本で様様な遊びが出来た時代

022

一年前にここを歩いた時と

微妙に景色が違う気がする

それは何だろうとしばらくながめて

視界が広がっていることに気がついた

023

ここは日増しに埋め立てが進み

前方に見える離岸堤まで

ほぼ陸地がつながってしまっている

ひたすら領土が広がっていきます

025

埋め立てられた水際を見てみると

大きな石とどこから持って来たのか

土の塊が徐々に海を侵食していきます

焼津の開発はこうして海に広がるのでしょう

028

でもそんな土くれを眺めていて

なぜかむなしい気持ちのなるのは

可笑しいのでしょうか

来年ここを訪れる頃は

きれいな埋立地が出現しているはずです

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2008年5月17日 (土)

もやい舟

(ご近所歩き・・・・・②)

007_2

港の岸壁には親子で釣りをはじめようと

支度をしていました

ここでは親子の断絶どころか

楽しい語らいの場が広がるところ

011

岸壁につながれている舫舟

そういえば昨年の防災訓練で

もやい結びというのを教えてもらったけど

この船の舫(もやい)がそうなんだね

013

かつて幼少の頃縦横に遊びまわった

この付近も景色がすっかり変わり

向こう側に見えるコンクリートの橋が

当時では唯一の大橋だった

014

のんびり釣り糸をたれている青年

この付近では河口なので

狙っている魚は多分ハゼでしょうね

初夏のすがすがしさで一杯です

015

小川港の旧港を過ぎると

今度は焼津港につながる

小川新港の入り口になります

大きな陸閘(りくこう)がみえます

018

東海大地震の津浪に備え

巨大な開閉式の堤防です

陸閘と言葉を知ったのも

これが出来てからのことでした

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2008年5月16日 (金)

海を見に行く

(ご近所歩き・・・・①)

001

焼津に住んでいながら

うっかりすると海を見ずに何ヶ月も

過ごしてしまうことがある

・・・海を見たくなった

002

天気はいいし昼間で2時間ほど

時間が空いたので小川港へ向かって

リュックも背負わずに歩き出した

焼津には大きな港が2つある

町村合併して大井川港まで

焼津市になると一大港湾都市だ

003

漁業が衰退の方向に向かっていますが

焼津はやっぱり漁船が似合う

大きな船が修理のためかドックに

陸揚げされています

004

天気は良いのにあいにくの花曇り

前方にあるはずの富士山は

霞の中に隠れていました

こんな景色を見ていると厭きません

005

何か凄く懐かしい感じの船が

停泊しています

焼津市のマークがついているけど

何の仕事をする船でしょうね

006

小型船もいっぱい繋がれています

この景色は子供たちの図画の時間の

昔からの格好の画材です

大人だってこの港は絵を画きたくなります

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2008年4月 8日 (火)

焼きそばとヴァイツエンビール

(新東名・富士川・・・・・・⑨最終回)

045

さすが富士宮に近くなって

日蓮宗のお寺が目立ってきます

あの富士川の旅では何度も見かけた

独特の筆遣いの文字が目を引く

046

ウォーカーたちもてんでにお寺の中に

入って行き裏から表にぬけて行きます

我々はお腹もすいたこともあるし

とりあえず素通りしました

047

富士宮駅の南に到着しました

私たちが住んでいた頃は

確か南口があったのかどうか

記憶にありません

でもなんとなく懐かしい思い出の街

048

橋上駅を南から北に抜けると

そこは浅間神社に向かう道

街角には金剛杖デザインしたものが

立っています

050

とりあえず駅に一番近い店に

入って食事をすることにしました

お店の名前は「トトロ」

先についていたウォーカーで一杯

運良く4人席が空いてホット一息

049

勿論B-1グランプリ2年連続

チャンピオンの富士宮焼きそば

大盛りです

それに富士山の水で磨かれた

ヴァイツエンビールで乾杯です

フルーティーな香りが疲れを癒しました

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2008年4月 5日 (土)

勘助の里

(新東名・富士川・・・・⑦)

033

ちょうど足元に新東名の上下線が

富士の町を切り裂いて走っている

所々途切れていますがほぼ全形が

姿を現し始めましたね

034

お茶畑の向こうは富士宮の町

仕事で来ていた時代はこの景色の中

車で走り回ったりしてお馴染みの

懐かしい場所でした

035

勘助坂の道しるべがあります

多分この坂のことを言うのでしょう

勿論大河ドラマの山本勘助のことです

どんないわれがあるのでしょうかね

036

面白いことに平野部とは別に

この丘陵地帯にはお屋敷が

たくさんあり歴史を感じさせる

そんな地域です

037

ここは山本と言う地名でした

つまり「山本村の勘助」と言うことで

山本勘助になったようですね

戦国の世には平地より栄えていたのでしょう

038

もとのウォーキングコースに戻る

勘助の母の安女さんのお墓がありました

このあたりは大河ドラマの前半部分で

出てきた場所と言うことになりますね

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2008年4月 4日 (金)

ベストアングル・富士山

(新東名・富士川・・・・・・・⑥)

027

トンネルの先には富士山が待っている。

こんなアングルの写真もこの日限り

2度と写すことはできません

いいカメラといい腕があれば

もっと綺麗に写せたかもしれませんね

028

トンネルを抜けたところで

高速道路ともお別れ

工事用の取り付け道路をおりて

橋桁の下をくぐります

029

この時点でお昼の12時になりました

日の当たる斜面でそれぞれお弁当を広げて

休憩に入る人たちが大勢います

我々は先に楽しみを残して

そのまま歩き続けます

030

左に高速道路を見ながら

やや上り坂を再び富士山に向かい

歩き続けます

相変わらず風は強く吹いてます

031

岩本山から富士宮に抜ける道

かつて富士山一周の旅では

この道を車を飛ばし朝霧や

富士五湖方面に向かったものでした

お茶の工場ではウォーカーのための

お茶の接待がありました

032

ウォーキングコースを少し外れ

「勘助坂」の表示につられて

ちょっと横道に入ってみる

富士市と富士宮市の街は

ほぼつながっていて眼下に

その様子がはっきり見えました

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2008年4月 3日 (木)

風の強い高速道路

(新東名・富士川・・・・・・・⑤)

021

工事中の高速道路は美しい

白いシルエットが清水方面に

曲線を描き山に向かい

消えてゆきます

022

高速道路の上では記念撮影

順番待ちの長い列が出来ている

道路に降りて驚いたのは

ものすごい風だった

前向きに歩くと大変だったので

後ろ向きになり風に寄りかかりながら

歩きました

023

富士川橋が出来るまでの様子を

写真と絵で展示してあって

係りの人がいろいろ説明してくれました

こういった技術は日進月歩なのでしょう

024

両側から鉄塔で吊りながら伸ばし

アーチ型の橋を作っていく

それが出来ればもうこっちのもので

鉄塔は解体してアーチの上に

平らな道路を作って行く

025

今回解放されたのは下り車線のみ

反対側に上り車線が見えます

最近は山の中の道路にも

この技術が使われているようですね

026

パピーウォーカーの元から

帰ってきたばかりのような犬君が

訓練師に連れられて一緒に

ウォーキングしていました

かわいそうになるぐらい

厳しい訓練のようでした

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2008年4月 2日 (水)

流麗な木花咲耶姫

(新東名・富士川・・・・・④)

016

高く登るにつれて富士山は

広く裾野を見せてくれます

まさに理想的な美しさで

冬の富士山は女性にたとえられます

017

長く裾を引いた稜線は

やがて愛鷹(あしたか)山に流れ

そこでもう一度いくつかの峰にわかれ

大きなパノラマを展開しています

018

峠を越えた向こう側に

新東名が見えてきました

先に行った大勢の人たちが

もう歩いています

これだけで片側車線ですので

かなり広い道だと感じます

019

今歩いている道は一般道で

その下に高速道路です

今までは第2東名といっていたのに

いつの間にか新東名と呼ばれていますね

この辺りから風が強くなり

帽子が吹き飛んでしまいます

020

一般道から振り返ると

富士川を跨ぐように道路が

延びているのが解かります

今日一日だけはウォーカーに

解放された建設中の高速道路

迫力がありました

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2008年4月 1日 (火)

砂煙立つ富士川

(新東名・富士川・・・・・・③)

012

てっきり山越えなんかないと思っていたが

どうやらみかん畑の中を歩いて行くらしい

最近ウォーキングを怠けていて

体がなまっているので大丈夫かな

013

道はますます上り坂になる

でも子供もおばあちゃんも

みんな元気に登っています

ベビーカーの人も

子供を背負った人もいます

014

しばらく登ってから下を見ると

富士川が見えてきました

水が枯れた川床から

埃が濛々と立ち上がっています

あの富士の町を覆っていた

ピンクの靄の原因はこれだった

015

再び上り坂をえっちらおっちら

ちょっときついけど日ごろから

ウォーキングの薀蓄たれている手前

なんでもない顔をして登ります

016

今まで一人で歩き回っていたので

こうして仲間と歩くのはとても楽しい

歩くペースもゆっくりなので

景色を見る余裕も十分です

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2008年3月31日 (月)

富士川楽座で渋滞

(新東名・富士川・・・・・・・②)

007

この道はいつか来た道♪

富士川の旅でお馴染みの

川沿いの道を上流に向かって

皆さんルンルン気分です

008

まずは東名高速道路の

富士川橋が見えてきました

あのサービスエリアから橋に向う

上り車線は雄大な富士山が

見えることで有名ですね

009

東名高速の下をくぐると

すぐにあるのがこの富士川楽座

いわゆる富士川サービスエリアです

川沿いの国道からも東名からも

どちらからも入ることが出来ます

ここでひと時ウォーカーが渋滞です

010

とりあえず我々一向はトイレの後

すぐに出発です

対岸の岩本山の向こうに富士山が

相変わらず顔を覗かせています

011

目前の迫った新東名の橋

と思いきやウォーキングコースは

道路を左折して集落の間の道へ

進路が変わってしまった

道はやや登り坂となる

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2008年3月30日 (日)

ピンク色の霞は何だろう

(新東名・富士川・・・・・・①)

001

2月24日

富士川駅ーー富士宮

5時間 25000歩

久しぶりのウォーキングでした

JRが毎週主催している

さわやかウォーキングに参加してみました

今までは土日休み出なかったので

参加していなかったが

今回は新東名を歩けるということ

富士川駅に降り立つと富士が出迎え

002

駅の改札口を抜けると大変な混雑

まずはスタート地点なので地図を

貰うための人で順番待ち

今回友人を誘っての4人で参加

003

特に中高年は元気がよい

工事中の新東名を歩けるとのことで

遠くから参加している団体も

いらっしゃるようでした

004

旧国道に出てすぐ4人目の友人が

次の列車で来るというので

交差点でしばらく待つことにした

別に急ぐたびでもないしのんびりと

005

友人が到着して4人揃って歩き出す

到着する列車は富士川駅で大勢の人を

毎回吐き出しているとのこと

とにかくウォーカーの列が延々と

つながって切れ目がありません

006

お天気は申し分ありません

旧道の富士川橋に到着

かつて富士川を上流目指して歩いた

懐かしい交差点です

でも対岸の町を覆うピンクの靄は

一体なんだろう

煙でも黄砂でもなさそうだし

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2007年6月22日 (金)

山中で迷いうろうろ

シナリオに書いてある通りにヒル君は訪朝して、将軍様の演出による名脇役を演じていますね。これで、やっと6カ国協議も完全に崩壊して、似た者同志の米朝二カ国による○○世界の構築に向けてスタートです。

遠大な将軍様の計画と、次期大統領選と自分の任期における有終の美を飾るための焦りとが交錯して世界を翻弄していますね。どこかの国でも、官僚のために天下りをなんとかしてあげようと必死になって奔走し、その法案を絶対通すために、選挙の投票日まで後ろにずらしている首相となんとなく似ていますね。

そんなに焦ってみたって、世界は2人にためにあるわけでもなし、自分の立場を自覚して、もっと広い世界を視野において目覚めてほしいものですね。

偽装ミンチ事件で社長の横に座っていた人、えーと専務でしたっけか忘れたが、その人の名文句「社長は雲の上の人ですので」社長を諌める事も進言することもできなかったとの事。おいおい、どこの世界でもそれは事実だけれど、公の席でそれを言っちゃあおしまいよ。みんなそれを言いたくても言い出せないで入るんだから。大統領側近も将軍様の取り巻きも首相の顔色を伺っている連中も。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(千葉山散歩・・・・⑥最終回)

どうだん原から尾根伝いに歩く

Photo_1654

森の中は暗かったが

倒木の上には新しい命が

しのぎを削りあって芽生えていた

お山の杉の子の夢は何だろう

Photo_1655

切り通しのような道が現れ

そろそろ山を下りきったと思うころ

そこから大井川に素直に出れば

よかったが

Photo_1656

山越えの最短距離と思われる

コースを選択してしまった

なんとここから道を失って迷ったり

引き返したりしながら

Photo_1657

やっと峠まで登ったが

ここで中央公園を選択したつもりが

再びコースを間違え

山の中をうろうろさまよった

Photo_1658

眼下に光る水田が見えた時には

これでやっと下に降りられると

ほっと胸をなでおろした

今度は遠回りでもあの水田を目指して

素直に降りていこう

Photo_1659

平地に降りても見覚えが

無い景色だったがとにかく歩き

はるか前方にバラの丘公園が見え

到着したころにはもう閉園後だった

ちょっとの散歩のつもりが

7時間半もかかってしまった

いつものように反省!

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2007年6月21日 (木)

花の終わった花の森

渋谷の温泉施設爆発で女性が3人も犠牲になってしまいましたね。昨年10月にこの施設のある付近を散歩したことがありますので、地理がわかるだけにぞっとしました。

静岡も温泉が多数ありますが、あまり爆発というのは聞いたことがありませんでした。地下深くからの温泉のくみ上げには天然ガスも一緒に出てくるのですね、初めて知りました。

それにしても不思議なのはガス抜きと称して、空気中にガスを放出していて大丈夫かね。今回の事故はこのガスが建物の中に充満したことによる事故だそうですが、屋外に放出する分には問題ないのかな。通りがかった人がタバコでも吸っていた場合引火しないのかななんて心配してしまいます。

そんなことはどこの新聞にも書いてないけれど、普通の人は普通に疑問を感じますよね。まあそんなことが話題にならないのだから大丈夫なんだ。このガスを有効利用して何とかならないのかなんて考えるのは貧乏人の浅はかさかな。

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(千葉山散歩・・・・・・・・・⑤)

お坊さんについて頂上まで行くと

Photo_1647

阿修羅坊大権現という

いかめしい名前の社があり

そこのお世話すするために

お坊さんは上ってきたのでした

Photo_1648

周囲はうっそうとした森で

千葉山の十本杉もこのあたりに

その巨大な姿を見せていました

近年台風で倒れたものもありましたが

朽ち果てもご神木でした

Photo_1649

大井川筋に出ようと思い

お坊さんに道を教えてもらい

歩き出すと次々に巨木が現れる

不動明王を護るようにでんと構え

とても威厳がありました

Photo_1650

森の中で出会ったヒキガエルも

なんとなくスマートできれいな色で

平地では見かけないほど

神々しい感じがしました

Photo_1651

ハイキング道の途中に

ペンションが現れる

「どうだん」という名前で森の中

ここはドウダンツツジで有名なところ

Photo_1652

どうだん原というところは

一面どうだんつつじの群生地ですが

いつもピントはずれの私の旅は

花の時期がとうに終わったあとです

Photo_1653

せめて花の咲いている姿を

イメージして辺りを見回すと

可愛い釣鐘型の白い花が

見えてくるような気がしました

来年に期待して又来ようかな

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2007年6月20日 (水)

おびんずるさんに祈願

「アウンサウンスーチーさん誕生日おめでとう」の横断幕を掲げてピースボートが18日、シンガポールに寄航したそうです。

シンガポールは屋外での政治活動を制限している国なので、規制されることを覚悟で掲げたらしいが、何のお咎めも無かったらしい。ピースボート側も規制されてニュースになればしめたものと思っていたのでしょうが、当てが外れた結果になってしまったのかな。

スーチーさんも戦争中の抗日運動の英雄アウンサウン将軍の娘らしく頑固ですね。ミャンマーとしては早くイギリスへ帰ってほしいのだけれど、頑として帰りませんね。NLDや反政府運動のシンボルに徹しきっているのでしょう。

シンガポールには朝行って夜には出国しただけの日帰り出張一回だけだったので、なんともいえないけれど、第一印象だけは残っています。空港に着いて町までタクシーに乗ったとき、あれっ、ここは中国かなと思いました。町のきれいさはぜんぜん比較にはなら無いけれど、中国語の文字が氾濫していました。中国の植民地?というのが印象でした。

町の中でもスタイルのいいOLが近代的なオフィスに出入りしていました。他の東南アジアの国とはちょっと違った印象でした。現地駐在の人に聞いたところ、中国人の性格を知りぬいた政府が、どうすれば本国とは違ったきれいな町にできるかを考えて「あらゆることに規制をかける」政策を採ったのだとのこと。なるほどと、うなずけたがなんとなく違和感がありました。

アジアの国々は国民の政治に対する関心が高いですね。フィリピンなどでも選挙戦の盛り上がりはTVを通しても有名だし、タイでも時々クーデターもあり、何かとにぎやかですが、シンガポールではほとんどそういった事が無いのは「屋外での政治活動」を制限しているからですね。諸事を規制するついでに、中国本土にみなっらった、政治活動の制限というお利巧な政策を採ったというわけですね。

お利巧なのは言語にも言えて、国語を「マレー語」に決めている点ですね。公用語としては英語、中国語、マレー語、タミル語があり、普及しているのはこの順番との事。つまり第三位の言語を国語にしているのは、東南アジアに配慮してのことなのですね。短時間の滞在でしたがマレー語(マラユ語)が通じたのは、助かりました。もし、中国語を国語にしていたら反発が起こることは目に見えているでしょう。そして労働者として確固たる位置を占めているインド人のポリシーを守るためにもタミル語を公用語にするなど、実験国家として世界のモデルに充分なりえるでしょう。日本もシンガポールに学んで行きましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(千葉山散歩・・・・・・④)

民家が見え初めて峠に

差し掛かったのがわかりました

Photo_1640

道中ほとんど家が無いのに

頂上付近に道路が通っているため

人家が現れるわけです

数十年前一度だけ車で来たことがあります

Photo_1641

峠のお店の前に案内板があります

千葉山智満寺という大きなお寺への

階段がここから始まっています

そして、ハイキング道路もあるようです

Photo_1642

階段をえっちらおっちら上り

家康が立てたといわれる仁王門をくぐると

巨大な萱葺き屋根の本堂がある

いつ見ても見事なものだ

Photo_1643

本堂の中には「おびんずるさん」が

参拝者を待っていました

見つめられるとちょっと怖いけど

体をさするとそこを直してくれるので

私も数箇所触ってお祈りしました

Photo_1644

昨夏川根大仏をたずねた時

確かあそこも千葉山智満寺だった

どうやらこのお寺と密接な関係が

あるということだったけど

Photo_1645

10本杉があるとの事で裏山にまわる

山道にいろいろな仏様や神将があり

その中に「大黒天女」が俵を持ち上げています

はじめてみましたが凄いと感激

Photo_1646

なかなか頂上にたどり着かない

通りがかったお坊さんに聞くと

すぐそこだとの事で

付いて行く事にしました

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2007年6月19日 (火)

それぞれみんな元気です

今日に始まったことではないが、アメリカ軍がアフガニスタンでテロ組織を空爆して、もちろん武装勢力は殺したけれど、ついでに子供7人を含む市民も殺されたそうだ。

アルカイーダとか言うテロ組織が市民の中に潜伏しているので、これは市民を盾にしていると解釈される。盾の向こうの人間をやっつけるには盾ごとぶっ飛ばすに限る、というのは非常に合理的なやり方ですね。

今回はモスクやイスラム神学校に潜伏していたので、お祈りしていた人や、学校で勉強していた子供たちがたまたま犠牲になったのだが、テロ組織がそれらの人を「盾に使ったのだから卑怯なテロ組織の責任で無実の人々が犠牲になった」と18日に主体の米軍が発表したそうです。

そういう理論もあるのですね。もし、市場に潜伏していたら市場の人間を盾に取ったのだから数百人が犠牲になってもテロ組織の責任になるね。もし、キリスト教会に潜伏していても、キリスト神学校で学習している欧米の子供たちの中に潜伏していても同じ理論で実行するだろうか。先ほどの理論が正しいのだから、やはり空爆はするでしょう。そして、それを盾に取ったもの達の責任といってアメリカ人は喝采を送ることになる。なぜならそれは正しいことだから。

あの9・11の時、乗っ取られた飛行機ごと米空軍が撃ち落したという話もありましたね。事実かどうか知りません。乗客が皆で立ち上がりテロ組織と闘って、その結果墜落したとも言われましたね。その時のことを携帯電話で家族と話した録音というものが公開されましたね。後で検証してみると矛盾だらけの録音記録だけれど、国民は喝采しました。闘った乗客たちをアメリカの英雄扱いにしましたね。今ではそのことに触れることさえタブーなのか、あまり報道されなくなりました。

少なくても、アメリカを救うために、乗客の立場で自分たちの乗っている飛行機を墜落させることは考えないと思います。そうなると、一番信頼できるのは、アメリカを救うために、乗客ごと米軍に撃墜されたと考える方が自然ですね。

それが事実であるならば、イスラム神学校の子供でも、キリスト神学校の欧米人の子供でも同じ理論で犠牲になることになりますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(千葉山散歩・・・・・・・③)

Photo_1632

山路はゆっくり行くに限る

草花でも愛でながらのぼる

早く歩いていったとしても

周囲が見えないでは何もならない

Photo_1633

金平糖は小さな花と

まだ青々とした頭を

つくつく伸ばしながら

おじさんに声をかけている

Photo_1635

マムシ草は鎌首を枯らし

その中から緑色の粒粒の

種をいっぱいつけた実が

にらみを利かせて持ち上がってきた

Photo_1636

白糸の滝では壁一面の葉っぱだったが

こちらでは威勢のよい茎をすくっと立て

ユキノシタが一せいに花をつけ

旅人を誘っています

Photo_1637

雨季を待つ山路に

破れ傘だってその傘をいっぱいに

広げて準備万端

梅雨がいつ来ても大丈夫

Photo_1638

ホタルブクロもそっと吹く風に

その鈴の音を聞かせようと

かすかに揺れながら

うつむき加減にご挨拶

Photo_1639

蝶々も旅人の足を止めさせ

軽口を言いながら話しかける

別にこれといって話題も無いけどね

なんていいながら飛び去った

小さな小さな山の中にも

生き物たちは存分に

今日を謳歌していますよ

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2007年6月18日 (月)

鳥の声と慈母観音

熊本市の慈恵病院で運用開始から1か月あまりで「赤ちゃんポスト」に預けられた乳幼児が3人目になったそうですね。国民皆で是非論をたたかわせて考えて行きたいですね。

よく読むと、「赤ちゃんが預けられた」という表現と「赤ちゃんが置かれた」という表現の2種類の言葉が数行のうちに掲載されている。新聞社も表現に迷っているのかな。ただ「捨てられていた」という表現が無いのがこの問題の救いになっています。

子供を道連れの心中というのが一時期激しかった。もちろんいつの時代でもあるのだし、親心もわからないでもないが、せめて子供の命だけは道連れにするなといつも思っていた。子供の命は子供のものであって親のものではないという根本的なものが日本人の思想には希薄かもしれないね。

慈恵病院の是非論をたたかわせる前に少なくても3人の子供の命が救われた事実をまず確認しておきたいとと思います。

変なたとえですけど。昔阪神の名捕手の田淵幸一が、打者が空振りした玉を後逸してその玉をバックネット側に捕りに行きかけてやめ、主審に「今のはファウルチップだ」と抗議したことがある。その間に塁上の走者が走り、確かホームまで帰ってきてしまったことがありました。つまり、今大事なのは主審に抗議することでなく玉を拾いに行くことという根本をわきまえなかった伝説的な物語です。

田淵にすればファウルチップという事実の追求をすることも大事だったかもしれないが、もっと大事なことに気が付かなかったわけだ。赤ちゃんポストの是非論の前に現実に消えかかっている命救うこを、まずやってからでも遅くは無いかもしれない。

今日やっておかなければならないこと、一週間後までに、1ヵ月後までにそして何年かかってもやらなければいけないことなどありますね。理想論を封印してでも、今日やら無ければいけないことは、今日しっかりやっておきたいものですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(千葉山散歩・・・・・・②)

千葉山への道の途中に

長屋門の案内を見つけた

Photo_1625

江戸時代初期のお代官様の

長谷川家の長屋門ということで

現在もお住まいになっているようでした

萱葺き屋根に風情がありますね

Photo_1626

出掛けが遅かったので天徳寺に

着いたときはもうお昼を過ぎていました

案内書きによると駿河遠州では

曹洞宗の最初のお寺だそうです

Photo_1627

境内の参道は山茶花のトンネルが

有名だそうですが花の時期ではなし

静かなたたずまいの中に

歴史の重みだけが漂っている

Photo_1628

やさしく微笑む観音様の足元の

芝生席をお借りしておにぎりタイム

周囲の森の中には小鳥の声が

あちこちに響いていました

Photo_1629

境内のすぐ脇の道に

案内板が1時間の距離を示している

のんびり登ることにするか

無理しない無理しない

Photo_1630

しばらく行くとビルの建設現場のような

毎度おなじみの第2東名の工事現場

巨大クレーンが腕を伸ばしているが

山でも吊り上げようというのか

Photo_1631

東名高速が日本の産業を変えたように

第二東名も世の中を

変えてくれるかもしれない

谷を一跨ぎする巨大な足は

日本をどのように支えてくれるか

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2007年6月17日 (日)

バラの香りによみがえる青春

人類の祖先は樹上生活をするうちに2足歩行を獲得したという新説を英国の大学などのグループから発表されました。従来は樹上から大地に降りてその後2足歩行を獲得したと言われていましたね。

ゴリラやチンパンジーが地上を歩くとき前足の甲を握りそれを地に着けて歩きますね。握るので「ナックル歩行」というそうだ。考えてみれば4足歩行が基本ならナックル歩行はむしろ不自然ですね。つまり、前足の指があんなに発達したのは樹上生活が長かったことの証でもある。ゆらゆらゆれる木の上ではぶら下がり行動がとても重要なのですね。

前足つまり手の指が器用に使えるということは、食料の確保はほとんど手が中心になる。足は歩くための専業に使われるようになる。そして、ゆれる樹上生活ではむしろ2足歩行の方が楽なのである。というわけで、大地に下りる前に2足歩行を獲得していたということになるのかな。

私たちの今まで教わってきたことやテレビ番組などでは、大地に降りて後2足歩行が獲得されたと教わってきたが、こういう新説が出ると、とても愉快ですね。思い込みによる固定観念に対して揺さぶりをかけてくれます。

如何に科学が発達しているように見えても、あと50年もすれば「昔はこんなこともわからなかった」なんて現代人も馬鹿にされるかもしれませんね。しかし、今を生きている人間には、今わかっていることが全てであるのでやむを得まい。せめて、まだまだわれわれの知らないことの方が多いということを認識して、「なぜ、なぜ」を繰り返し、あらゆることを探求していきたいですね。

一般社会にもいろいろ意見の相違があり、なかなか折り合いがつきませんね。「日曜討論」など見ていてもそう思います。それぞれの立場に立ってなぜこの人たちはそういった発言をするのだろうかを考えて、その上で自分の意見を持ちたいものですね。頭に刷り込まれたものだけでなく、発想の転換が必要に思います。2足歩行起源論のように。

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(千葉山散歩・・・・・・・・・①)

6月1日

朝の目覚めが遅かった

そこで遠くへ行く気がなくなり

近所の千葉山へちょっと散歩した

ところがちょっと嵌り大変だった

38000歩7時30分でした

千葉山は島田市にあります

Photo_1618

まずはバラの丘公園まで車で30分

入場料300円也を払って園内へ入ると

バラの香りが私を包む

さて右から見るか左から見るか

Photo_1619

満開のバラの中

香りの元を探しながら歩き出す

静岡県はバラの産地としても

全国有数らしく気候も適しているのか

Photo_1620

青いバラの花にも浜名湖花博以来

久しぶりに出会いました

真っ青な色にはまだまだ遠いけれど

世界中で挑戦していますね

楽しみにしていきましょう

Photo_1621

バラの花には有名人の名前が

いっぱい付けられていますね

プリンセス・美智子とか

プリンセスオブウェールズとか

もちろんゆっくり見ていけば

出会えたのに素通りしてしまった

残念

Photo_1622

名前が付いているのに気が付いたのは

この花の前でした

なぜか魅かれて立ち止まりました

「イングリッド・バーグマン」です

名前を聞いただけで青春がよみがえる

でもちょっと赤すぎて彼女のイメージに

そぐわないかもと思いながら

Photo_1623

隣の花を眺めると

「マリアカラス」でした

これは彼女のイメージとぴったりだ

その隣には

「クリスチャン・ディオール」や

「ビクトル・ユーゴー」など

男性の名前もある

Photo_1624

ここで時間を取れないし今日中なら

再入場可能とかでまずは千葉山へ

田植えの終わったばかりの涼風をうけ

山に向かって歩き出しました

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2007年5月24日 (木)

戦争の無い世界を祈ります

国道一号静清バイパスが23年度までに6割が4車線化になるということを23日に発表がありました。4年後にはようやく車もスムースに走れるようになりますね。

静清バイパスは全線開通したとたんにすでに時代遅れになっていた。というのもバイパスの機能という交通の流れのよさよりも、慢性的な渋滞から始まってしまったからだ。建設当時から住民の方々といろいろ検討されより良い方向を模索されたことでしょうが何せ長くかかり過ぎましたね。

静岡県の県知事が西部出身のとき、飛躍的に西部地区の道路が立派になりました。仕事で伺ったときは浜松を中心とした西部地区を車で走り回るのが楽しいくらいに感じました。その後東部地区から県知事が出たときは沼津を中心とした伊豆地方を含めた地方の道路がすごく良くなりまして、平気で伊豆まで車で通勤したこともありました。

東西の道路が立派になってもその時点でまだ静清バイパスは完成していなかった。ようやく完成しても、渋滞から始まってしまったため地元の人たちはあまり使わなくなってしまった。残念ながら私もできるだけ使わないようにしています。時間の計算ができないからです。いま高架化の工事をしています。多分この高架化で今までの倍以上の効果は出ると予想されます。そうなったら利用していきたいと思って言います。

中国に行ったとき、バスガイドが自慢していたことに「北京市街から万里の長城までの高速道路はわずか1年半で完成しました」と言っていた。土地が国家のものなので土地の取得の手間が無い上、人海戦術で建設するためとてつもなく早いわけだ。ちょうど道路の法面の補修をしていたけど、竹で組んだ巨大な足場に人がいっぱい群れていた。日本ではお目にかかれない光景に驚いたことがある。

今度の静清バイパス数キロの4車線化も4年かかってもしょうがないね、ここは日本だから。今までバイパスと言われていた道がいつの間には国道になり国道だった道が県道になっているのが歩いていると良くわかります。静清バイパスも国道一号線と普通に言われるようになるのを期待します。

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(航空祭・・・・・・・④)

ブルーインパルスが飛び去って

プログラムが終了しました

Photo_1458

赤ちゃん連れの家族は

早々に荷物をまとめて

帰り支度をしていましたが

多くの人はまだ帰りがたく

Photo_1459

それぞれお目当ての飛行機の

そばに集まってゆっくり見つめています

今になってようやく飛行機のそばに

接近できるからでしょう

Photo_1460

親子連れも改めて近くに寄り

飛行機をじっくり見ています

そして記念写真を

何枚も何枚も撮っていました

Photo_1461

近くで働いているだろう

外国からの人たちも多く見かけました

航空機と言うものは

洗練された美しさがある

Photo_1462

今では珍しくなった頭の丸い飛行機

T-6型練習機もなつかしい姿を見せていた

かつて零戦に似た飛行機があり

特攻隊の映画の撮影に何度も

静浜基地は使われたことがあります

Photo_1463

一機ずつ応援に来ていた飛行機が

帰っていきます

多くの人たちがその飛び立つ姿を

いつまでも見送っていました

Photo_1464

応援の隊員たちが乗り込むとき

手を千切れんばかりに振って

エールを送る若者もいました

戦争も無くこうして航空祭が

いつまでも続くことを祈ります

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2007年5月23日 (水)

重量感ある轟音に興奮

ドイツ自動車メーカーBMWが開発した水素自動車が日本で7月から12月まで公道試験をするそうですね。まあ宣伝をかねてのことでもあるが2台で全国を周るそうです。

日本ではマツダのロータリーエンジンを使った水素自動車が開発されています。気体燃料のためBMWの液体燃料と違ってタンク自体を冷却しなくて良い分、値段は高くは無いそうです。双方に一長一短あるわけですね。

世はまさにエコ時代で、あらゆる分野でエコ対策がうたわれています。元凶といわれるCO2の規制に自動車の排気ガス対策がある。これを押さえるためにバイオエネルギーはじめハイブリッド車の開発などが盛んに言われています。次の時代はCO2とは無縁の燃料電池車の開発、そして水素自動車の開発と続きます。

新しいものを開発するときは、そのリスク面をクリアしてこそ実用として供されなければならないわけで、今度の水素自動車も、同様なのです。水素と相性の良い金属の開発や水素の製造にCO2を排出しない方法とか事故があったときの対策、水素スタンド、貯蔵方法等、数え上げれば切が無いほどの問題が行く手には待ち受けています。それに果敢に挑戦している技術者達にエールを送りたいと思います。

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(航空祭・・・・・・③)

いただいたプログラムの中に

T-7Jrというのがあったので

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どんな可愛い飛行機が

出てくるのか楽しみにしていたら

写真のようにまあ可愛いバイクでした

6台で編隊飛行さながらの演技

面白いのだけどやっている方は

真剣そのものでした

女性のドライバーもいました

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午後の最初の演技はピッツ

この複葉機による曲芸飛行で

変幻自在小回りが効く分

華麗な飛行でした

Photo_1452

最後の呼び物はなんと言っても

ブルーインパルスの演技だ

ぱっと現れてあっという間に

視界から消えてしまうスピードで

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その音はかつて見たことがある

F-1レースのあの音を髣髴とさせる

耳で聞くというよりも

体で聞く音という感じで

興奮を覚えざるを得ない

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2機ので描く大きなハートマーク

見事に決まって大きな拍手が沸く

もっと青空だったらきれいに

見えただろうと少し残念

Photo_1457

観客の頭上を低空で飛ぶ時は

さすがに圧巻でした

その小さい機体でありながら

重量感さえ感じるような

気がしました

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2007年5月22日 (火)

ミニジェット機かっこいいね

中国南部の広西チワン族自治区の玉林市で住民の暴動が起こったそうだ。当局が一人っ子政策に反した家庭に平均年収の最高10倍の罰金(社会扶育費)を科したのが原因らしい。19日には1万人が放火や略奪をしたらしい。当局の発表では「平穏な状態だ、報道は誇張されている」というのだから、まあ問題は無いでしょう。

日本は少子化問題があるのにおかしなものですね。中国もこの先数十年後、当然少子化問題が起こると思われますが、対策は十分立てておられることでしょう。

私の出会った中国の青年はひとりっ子第一期生ですといっていました。話を聞くと、一人っ子は早くから家を出て独立する人が多いといっていました。十分な学力をつけてもらったので、親の援助なしに自活しています。親は親で子育てが終わって自分たちの生活をエンジョイしているそうです。多分裕福な家庭で育った青年だと思いますが、ちょっと日本の青年とは自立心ということでは違う感じがしました。

玉林市といえば同じ自治区に桂林市がありますね。中国の最南部の熱帯地帯に属し稲作やトロピカルフルーツの豊富な地域。そうなると、ほぼインドシナ半島の人たちと同じ感覚で生活できるところですね。中国が画一的に人口抑制運動をしていますが気候も風土も違うところで果たして大丈夫かな。都市部と同じやり方に問題があるやも知れません。

あの巨大な上海の町と、悠久の歴史を流れるような桂林の風景と両方見てきましたけれどそれぞれにすばらしさはあっても、決して同じものではないと思いました。中国はこれからどちらの方向へ行くのでしょう。しばらく関心を持ってみていきたいと思っています。

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(航空祭・・・・・・・・②)

お昼休みは

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格納庫の中にも家族連れが

ところ狭しとくつろいでいます

強い日差しを避けるには

絶好のところですね

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空港所属の練習機T-7では

記念写真の列が延々とつながり

お父さんとお母さんが連携をとり

写真撮影のポーズ決めに余念が無い

Photo_1446

売店はまるで縁日の人出

いや、縁日以上の人出で

歩くのもやっとでした

昼食のお好み焼きや焼きそば

その他いろいろ列を作っていました

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子供たちに人気はやはり

ミニジェット機ですね

大人の人も品定め

結構売れていました

かっこいいもんね

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おにぎりを食べながら

町内の人たちの踊りを見ました

焼津の港祭りに出演してくれた

大井川町の人たちが踊っていました

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2007年5月21日 (月)

ジョーズ顔の愉快な戦闘機

国内の自然界では43年ぶりにコウノトリの雛の誕生が確認されたそうですね。一年半前秋篠宮ご夫妻立会いの下で放鳥されその後計14羽放鳥した中の一つがいだそうです。

兵庫県豊岡市は地域上げて保護活動をしていて、今度の快挙も地域全体の努力の賜物らしい。コウノトリが生息できる環境を作ることは人間が知らず知らずの間に破壊してしまった自然を元に戻すことからはじめなければならない。特に農業においては生産性向上や作業性の向上のために農薬や河川改修などいろいろやってきた。

それらのメリットは確かにあるのだが、その中で犠牲になった自然は計り知れない。幼少のころ春になれば水深わずか10~20センチしかない小川にもメダカをはじめフナや泥鰌がいて当たり前だし、海に釣りに行くために小川でエビガニ(ザリガニ)をとりそれを餌にしたこともあった。あまりに豊富にあった自然が、われわれの世代であっという間になくなってしまった。いやなくしてしまったのだろう。

人間から見ればずいぶん生活が良くなった。もう後戻りなど絶対したくないと思います。こんな状態で自然界を取り戻そうなんて不可能に思えるのだが、豊岡市ではそれに挑戦して、まず農薬を控える農業から開始したようだ。そしてコウノトリの餌となる自然界の生物を増やすことから取り組んだとのこと。並大抵の努力では無いでしょう。

私たちの住宅地でもわずかに残った小川に毎年一つがいの鴨の夫婦が訪れていたし白鷺も一羽だけでさびしそうだったけど訪れていました。それは昨年までのことです。今年はその小川もついに埋め立てられてしまいました。そして町は次第にきれいに整備されて行きます。

大きな世界から見れば、動植物が絶滅していくいく世界は、その一員である人間にも同じ運命が迫りくるのは当然でしょう。逆に絶滅を食い止めるには、人間がその欲望からいかに抑制の効いた生活をするかにかかっているような気がします。

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(航空祭・・・・・・①)

家の蘭の花がずいぶん前から

きれいに咲いていたのだが

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花を愛でる心の余裕が無いのか

いつもチラッと見るだけだった

よく見るよ少し枯れかけている

申し訳なく思い一枚写しておきました

5月13日(日)

静浜自衛隊基地で

航空祭を見てきました

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チャリでえっちらおっちら走っていくと

交通整理のお巡りさんが空を指差し

「F-16だよ」と教えてくれました

ついでに自分の持っていたプログラムまで

私にくれました

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二輪専用の駐車場へ行くのに

風が強いのと路上駐車の車で

なかなか前に進めない

15分ほどのF-16の演技を

路上で見上げて愉しんだ

すばらしい演技にタダタダ関心

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プログラムも半分終わっていて

お昼休みといったところだ

空港内でそれぞれ家族連れが

お弁当を広げたり寝転んだり

和気藹々と楽しんでいます

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県警のヘリの演技

昨年は事故で中止したとのこと

あの事故をの煙を目前で見たので

新しいヘリの安全を祈らないわけには行かない

大いに活躍していただきたいと思います

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空港内では古い航空機も展示して

楽しい雰囲気です

家族連れの記念写真の一番は

このジョーズ顔の戦闘機でした

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2007年5月20日 (日)

天女も神馬も御穂神社へ

トトのBIGで56千万が7本出ましたね。売上高が61億円超ということで、今回で当選者が出る可能性が増大しましたね。6本だったら6億円だったが7本ということで、それでもこの金額、すごいね。

トトが始まったころ、近くのほかはか弁当屋で毎週買っていたが、なんとなく買いにくくなってきてやめてしまった。もちろん一度も当たらなかったが、もう少しというところまで行った時はそれでも楽しかった。買いにくさが結局だんだん人気の無くなったことにもつながっているのでしょうか。

もう一つは、当選金に上限を設けたことと配当率が低いことにあったようですね。今回6億にあげてみても投票数が低いので6億にならない。今回繰越が多くなったということでようやく6億の出る可能性が出てきて、みんな集中して買いだした。結果61億以上の金額が集まってしまったわけだ。

今回のことを踏まえ、6億の上限もはずせば、絶対に人気が出ると思うね。射幸心をあおりすぎるという批判が出ると思うが、結局は夢を買うのであって、欲望を満たすものではないからいいのではないか。確率は3800万分の一ということはほとんど当たらないということを承知で買っているのだから、問題は無いと思うよ。

第一、コンピュータに任せるこのBIGのやり方は少々好きになれないね。普通の宝くじと違って、ある程度自分の研究が生きるような、自分で数字を選ぶ方法にしてほしいと思う。そうすれば外れることにも自己責任があって、笑って済ませられるし、すれすれのときはまた挑戦してみたくもなるかもしれない。

小生、宝くじもジャンボは買っているが、いまだかつて、300円以外が当たったためしがない。これだけ当たりに縁の無い人間もちょっと珍しいかもしれないね。それでもやっぱりジャンボは買ってしまう、懲りない人間です。

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(三保半島・・・・・・・・④最終回)

半島をぐるっと一回りして

三保神社に戻ってきた

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三保神社は正式には

三保大明神であり御穂神社である

すごく長い歴史があり

由緒正しい神社なのだ

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境内の馬小屋にいる神馬は

静岡浅間神社大火のとき

ここまで逃げてきたうちの一頭で

もう一頭は戻ったので

浅間神社には一頭と空きの小屋が

今でもあるとのこと

左甚五郎作とも言われる

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神社から松原までの参道は

松の並木です

数々の文学が紹介されています

万葉集から現代文学まで

その中で特に興味を引いたのは

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北原白秋作詞の「ちゃっきりぶし」

一番はいいのだが2番以降が

私の知っているものと違う

特に3番目に焼津が出ている

初めて目にする歌詞ばかりだった

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並木の最後の方にあった

「羽衣」の小学唱歌には

何かほっとするような

なつかしさがありました

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2007年5月19日 (土)

熱帯魚幟が泳いでる

有識者という方々が集まって日本の将来について初会合を開いたそうですね。有識者というからにはすばらしい知恵で日本の行く末を考えていただけると思いますがいかがでしょうか。

現在の日本の政治の方向はとても判り易い。やはりリーダーの姿勢がはっきりしているからでしょうね。有事法制、自衛隊法、教育基本法の3点セットの流れを見ていると、首相就任以前にテレビ番組などで超タカ派の発言を繰り返していた持論を、いよいよ実現しようとしていることはがはっきりわかります。わかりやすい政治はそれはそれですばらしい。持論実現のために、内外には曖昧路線を使い、手段を選ばないところもわかりやすくていいですね。

なぜわかりやすいかというと、たとえば自分の親族が犯罪に巻き込まれて被害があった場合、人間の人情として報復するの気持ちがわくのは当然ですね。良く、テレビのインタビューでも「犯人をこの手で・・・」という父親の言葉を耳にします。父親だけでなくおじいちゃんも親戚の人もそういいます。しかし、実際はそれはできません。法律が報復を規制しているからです。心情として、見ていて気の毒になることがあります。でもどうすることもできないのは、人間が長い間かかって築き上げた、法の下の一員であることの証です。

上記の話を、国家に置き換えたとき理論はひっくり返ります。戸締りを厳重にして、危険なところへ行かないだけで国は守れるのか。やられっぱなしでいいのか。危なくなったら、先に相手をぶっ潰しておこう。親戚に被害を及ぼそうとしている奴をぶっ潰すことに協力しよう。それでも万が一被害をこうむったら、必ず報復をしよう・・・・となる。人情的に非常に判り易い。できることなら、どこの国もそうしたいものだ。

だとしたら、何が起こるのだろうか。自分の家族が被害をこうむったら、自分で報復できる。当人にとってこんなうれしいことはない。自国に被害を及ぼそうとしていると(調査の結果?)わかったら、先に相手を爆撃出る。

何のための、過去の歴史だったのだろうか。過去から学ぶものがこんなものでよいのだろうか。わかりやすいことだが、だからといってその方向に行っていいのだろうか。以前「戦争を知らない子供たち」といわれた世代があった。「戦争を知らないくせに」といわれたこともあった。「平和ボケ」といわれたこともあった。その連中が、もう一度そのときのこと思い出してそのとき同様ただただ平和を希求することを願うことができるか。それとも、当時のことに袂を分かち、戦争も理解できない世代がまことしやかに振り回す自衛論に飲み込まれていってしまうか。

すべては国民がアジア人が地球人が自分自身で決めることなのだろう。人類の成長の遅さにあせりはしても、だからといってその自主性を否定してもいけないかもしれない。

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(三保半島・・・・・③)

半島の先端部分はにぎやかです

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晴れあがった浜辺には

釣り人がいっせいにさおを広げて

家族連れも恋人同士も

楽しんでいました

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もともとの白灯台も

今では先端ではなく

砂浜の中に取り残されたように

ぽつんと立っていました

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本当の先端には

小さな黄色の台が

港を行く船を監視しているように

がんばっていました

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半島を回ったところには

レジャーボートがたくさんありました

清水港の内側になるため

波も穏やかです

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風が強かったため

羽を担いで水際まで行くのは

大変そうで

何度も風にあおられていました

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組み立てさえ終わってしまえば

この風に乗って

かなりのスピードが出ていました

浜辺は楽しみがいっぱいだね

Photo_1431

大水槽がある水族館

東海大学海洋科学博物館前に

練習船が展示してあります

とても大きな船でした

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もちろんここの吹流しは

熱帯魚ほか海の魚の幟です

先頭のふぐが率いる魚たちに

今年からクラゲ幟も参加しました

風が強いので皆必死に泳いでいます

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2007年5月18日 (金)

白波の騒ぐ磯辺の松原に

長い長い人生の、その中でも大切にしたい一日というものが誰にでもありますね。今日を私は心静かに過ごす一日にしたいと思います。

ご存知のように、日本中でも、今日このとき、騒がしい事件が起きています。世界に目を向けても、なんとも理解しがたい紛争が続いています。本当は一人一人がそれらに関心を持って、自分自身ができる範囲のことをしていかなくてはならないと思っています。自分ひとりの力は小さくても地球上の一人一人の力が集まれば、きっと明るい世界の実現は可能だと思います。

でも、それらのこともとりあえず思考停止して、何も考えない一日があってもいいのかな。今日からこの世にもう一度棲み始める、そんな初々しい気持ちを持って、明日からの人生に夢を持って再スタートしていきたいと思います。

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(三保半島・・・・・・・・②)

GWの中日の平日で

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観光地といえども静かな日でした

ゆっくり眺めてみれば

松林は思索には良いところだ

風の音と波の音

それだけあれば舞台は十分です

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松林の遊歩道でなく

波打ち際の水辺を歩くことにした

砂に足をとられながら

潮風を身に浴びながら

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本来この景色の中に

富士山があるはずだが

あいにくの天気のため

お風呂屋さんの看板にはならない

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浜辺には貝殻に混じって

人でも大の字になり

日光浴を楽しんでいるようだった

なんとまあ気持ちよさそうに

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浜昼顔の咲く浜辺に

小さな小さな空港がある

申し訳ていどの柵が

あるだけの空港

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港からはフェリーが出て行く

春に河津へ桜を見に行ったとき

このへリーに乗っていきました

これから松崎に向かい出航です

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2007年5月17日 (木)

イペの花に出会いました

朝鮮半島の南北列車の試運転が今日行われるようですね。東海線と京義線の2つの路線だそうです。実に56年ぶりだそうです。韓国では待望の、北朝鮮では心配の種の始まりですね。

56年ぶりというとその前はどうなっていたかの報道が余りありません。歴史を学んでいる人はかつて日本の莫大な資金を投入して建設された鉄道が有ったことをご存知でしょう。しかし、今の時代そんなことを言ったら、韓国や北朝鮮の人は植民地時代のことだといって怒るでしょうね。だから、あまり言わなくなりました。

第二次大戦後の朝鮮戦争で56年前その鉄道をはがしてしまって以来、列車は通れなくなりました。4年ほど前ようやく線路はつながりましたけれど、今度は「安全」を理由に北朝鮮側が試運転を許可しないので今日まで延び延びになってしまったらしい。

6カ国協議での韓国側の北朝鮮に対する友好ムードと日本に対する態度などを評価したのでしょう、一日限りの試運転を北朝鮮側が許可したそうです。許可していただいたのでもちろんお礼のためたくさんのお土産を持っていくようです。これから複数回列車を運行するにはお土産の重さにかかっているようです。ともあれ今後両国がこれを機会に友好を深めいつの日か統一されることを祈ります。

鉄道といえば「戦場にかける橋」で有名な泰緬鉄道や台湾や南の島などで日本は幾多の建設をしています。ある面、アジアの国を先進国並みに発展させようと協力したこと。ある面植民地的に支配した事。その両面から本来はアプローチしたいのだが、それこそ、青筋立てて怒り出す国がいるのでやめます。

最近でも「(わが国の)歴史的真実を曲げて教科書を作ったり、政治家がよからぬことを言う」と何かにつけて発言する国があるので、食傷気味になっています。発言の中の(わが国)という部分を省いたり、(世界の)とうっかり言ったりしているので、困ったものです。

今日の南北列車の試運転に若い友人が取材に行っています。私たちとは違った歴史を学んできている人たちの、若い感性でどのようにこの世界を見てくれるだろうか。帰ってきてからいろいろ話を聞かせていただきたいと思っています。マスコミや噂話でなく実際に見聞きしたことより強いものはない。話を聞くのが今から楽しみです。

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(三保半島・・・・・・・・①)

今年のGWは3連休4連休と

うまくすれば9連休にもなり

大型でしたね。

その間私はありがたいことに

仕事をさせていただきました

2日と3日がお休みでしたので

2日に三保半島を一周しました

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その日天気も良くなさそうだったので

近回りを歩こうと思い立った

最近新聞にのっていたイペの花を

見てみたくなったのも関係している

久能山の近くの

宝台院別院に咲いているという

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イペの花、またはイッペイ、イペー、

YPEとも書くらしい

ブラジル原産で沖縄でも

その美しい姿が見られるという

住職が丹精こめて

温暖な静岡でも見事に咲かせています

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ブラジル在住の友人からは

日本の桜に相当する花で

黄色、白、むらさきなどの色があると

教えてくれました

紫のypeは薬用にもなるという

実はこのとき雨が降っていて

濡れながら写真を撮っていました

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歩くのはあきらめて車を

Uターンしたとたん雨がやみ

急に晴れ間が出てきた

再びUターンして三保に向かう。

松原の駐車場は日が射していた

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近くに住んでいながら

来たのは久しぶりだった

幾百年の風雨にさらされても

けなげにたっている羽衣の松

あの浜名湖の弁天島にいらっしゃった

天女がやってきた三保の松原

新日本三景だそうです

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2007年4月28日 (土)

倒木の森に別れ

この2年だけで違法取引による象牙の押収は40トンもあるそうだ。約6千頭分のアフリカゾウに相当するそうだ。いまだにこんなことが行われているんだね。ワシントン条約で象牙の取引が禁止されてからもう20年近くなるのにどうなっているのだろう。

1989年に禁止されるまでの10年間に120万頭いた象が半分の60万頭に減ってしまったことが条約の締結を促した要因だった。ところがこのわずか2年で6千頭分ということは単純計算で20年で12万頭になる。しかもそれが押収された分だけだから、いかに象が減っているかが推測されるというものですね。

禁止されてから、当然のごとく象牙の値段が数倍に上がる。そこに輪をかけるように密漁が盛んになるという悪循環になる。そういえば条約締結中に日本にだけ一度輸入を許可されたことがある。なぜだろうかと不思議に思ったことがある、記憶はあいまいだが確か「在庫の分だけを売り切る」というのだったように記憶している。

アジアの旅行に行くと、必ず象牙製品が売られているし、日本人と見ると売り込みをされる。条約で禁止されているからと断ると、「大丈夫、これは以前に手に入れた分だから」といわれる。日本で実印などの作ろうとすると高級品として必ず象牙が出てくる。やはりうたい文句は「当社の在庫品のため貴重なものです」ということになっている。

この膨大な量の象がいまだに密漁にあっている背景には、日本と中国の需要が大いに関係があるようだ。この、循環を止めるには簡単な手段しかない。それは誰でもわかること「象牙製品の一切の取引の禁止、取引した者は厳罰に処す」という御触れ書きを出す出すしかない。当然、越後屋が役人に山吹色の菓子折りを持ってくるが一切拒否するのだ。

もちろんもう一つの消費国に対しても声をかけなければなるまいが、あのおばさんがまた出てくるかな。以前小泉時代に日本まで来ていて会見をボイコットして中国に帰ってしまったあのおばさんが、昨日もテレビで「CDやDVDのコピーを少しも認めないアメリカのやり方は横暴だ。WTOに提訴するとは何事だ!」といきまいていた。違法コピーがさも中国の文化だといわんばかりだ。おばさん、ぜんぜん変わっていないね。

地球の仲間、象さんをぼちぼち保護していかなければなりませんね。私も実印には象牙を使いませんし、お土産にも買ってきませんでした。需要が無ければ象さんも殺されなくなるのじゃないかな。

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(焼津アルプス・Ⅱ・・・・・④最終回)

満観峰は高草山より少し低いだけだが

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頂上付近にもお茶畑が広がっていた

ハイキングと違ってここまで来るのも

大変だろうなと思いました

今ではモノレールがあるから良いのかな

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高草山の頂上と違って満観峰の頂上は

その名のとおり景色は抜群によい

頂上付近の木が整理されているのだ

ここは静岡市の管轄か

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静岡の街や遠く浜石岳も遠望できる

天気さえ良ければもちろん

富士山の雄姿も見えるのだ

山はやはりこうでなくちゃいけないね

花沢山も高草山もこうなれば

天下一のハイキングロードになる

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満観峰からは日本坂に向かって下る

以前用宗から登ってきた

道が畑の中に見えた

ここからも尾根の道

少しだけ登ったり降りたりする

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季節にはまだ少し早いが

マタタビのような花を見つけた

昨年の夏随分楽しませてくれた

あの変わった葉っぱのマタタビだ

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もちろん森で一番の目覚めは

青木の花だ

十文字の手裏剣のような

海老茶の可愛い花

いたるところに目覚めっている

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もちろんこちらの道も

倒木がかなりの確率で

行く手を騒がしている

自然の摂理と見るか

人間に見放された状態と見るか

Photo_1314

日本坂峠に到着

椿の花が散り敷いている

峠のお地蔵様に最後のご挨拶をして

焼津アルプスの旅を

終わることにしました

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2007年4月27日 (金)

谷に煙る山桜

バイオガソリンとかバイオエタノールなどといって、石油に代わる自動車燃料として今日から首都圏で試験販売が始まった。以前にも書きましたが試験販売といったってすでに欧米やブラジルではかなり普通に売られているようですから、日本が遅れているわけだ。

バイオなんてかっこいい名前がついているが、糖から作ったアルコールです。ということは砂糖の原料で一般的なサトウキビが圧倒的に有利なのは分かりますし、当然北海道の砂糖大根のテンサイなども良いわけだ。糖の元は炭素だから木材でも稲の藁でも良いし、そうなると今まで焼却処分していたものはほとんど利用できる理屈になる。

鉱物資源の少ない日本は一生懸命働いて、石油を輸入してきました。おかげで減反までして農業人口を減らしてきたのに、ここへ来て燃料として農作物が脚光を浴びるようになって来たのだ。ところがそれさえも日本は輸入に頼らざるを得ないので、一向に燃料が安くならない理屈。

沖縄に行ったとき、ザワワザワワとサトウキビが一杯植えられていたが、オーストラリアやインドネシアで見たサトウキビ畑に比べたら桁が違っていた。ブラジルのサトウキビ畑は見てないが、数十年後には産油国といえばこれらの国のことを言うようになるかもしれないね。

日本の場合はいろいろ問題が出るようです。技術的な品質問題もさることながら、農産物振興や食糧問題に絡めてまたぞろ族議員の利権争いの材料になりかねない。環境問題以前にそれらのことが先行するおかしな国だから、他国のことを批判している暇は無いね。いずれにしても総合的に見守っていきましょう。

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(焼津アルプス・Ⅱ・・・・・・・③)

峠までの下りはけっこう楽しめる

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山の北側になるためか

自然林も残っていて

立ち止まり大木の上を見上げて

見たくなります

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谷間の方には

山肌をうっすら霞めるように

山桜の花も煙って見えました

植林されてはいるのだが

ほぼ放置林に見えるところが良い

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峠はおなじみの十字路で

ここからはいよいよ満観峰への

上り坂になる

降りたことはあるが登るのは初めて

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満観峰は焼津から見ると

一番奥になるため距離があるが

一直線に斜めに登る道で

ゆるい坂になっているため

ウォーカーにとってとても歩きやすい

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方向転換も無く単調な道ゆえに

周りの景色を見る余裕がある

春は黄色に目覚めています

山吹の花に挨拶しながらゆっくりと

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足元の岩陰には

くるくる回ったぜんまいのような

芽吹きも顔を出しています

皆それぞれの春を謳歌しています

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2007年4月26日 (木)

根こそぎの倒木

長島ダムのシバザクラがピンチだそうです。何でも、野生の鹿が新芽を食べてしまうそうで、昨年綺麗に植えた苗も根こそぎ食べられてしまたっとダムの管理事務所が嘆いているそうです。

昨年私も長島ダムには何度も出かけました。夏の暑い日でもシバザクラを植えてある広大な斜面におばさんたちが大勢でお世話をしておりました。大井川鉄道と井川線のトロッコ電車、特にアプト式電車はたった一駅だけですが風情のあるものです。多くのお客さんが訪れる観光地で、とても気持ちのよいところです。

長島ダムで出来たダム湖のため駅が湖上に出来たその名も「湖上駅」で昨年はじめてカモシカに出会ったことは今でも忘れられない思い出になりました。カモシカと10分ぐらいお見合いしてあの目が何かを語っているように感じました。このダムが出来る前までは自由に野山を駆け巡り、川の対岸までいけたはずの彼らが今では文明の巨大な力の前に悲しい瞳で見つめることしかできなくなっている。

そんな彼らにとっては、人間が罪滅ぼしのために、おいしい餌を提供してくれたと思っているのかもしれない。とくに、シバザクラは特別においしいものかもしれない。昨今の観光ブームはこのシバザクラにより人集めに成功する例がある。泥鰌を狙った人間の浅はかさをあざ笑っているのではないかな。

今年は熊の出現が早いらしい。例年ではこの時期あまり人と遭遇しないらしいが、昨年の暖冬で森の木の実が少なくなったらしい。そこで餌を求め早くから人に遭遇してしまうらしい。この分だと昨年以上に殺される熊が多くなるかもしれない。どうすればよいのかは誰でもわかるのだが、それを実現する力が残念ながら庶民には無い。一部の権力者とその取り巻きの力が地球生物を危機に追いやっているのかもしれないね。

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(焼津アルプス・Ⅱ・・・・・・・・②)

頂上には小さな高草山大権現の祠がある

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お賽銭を上げて無事到着を報告

祠に張り紙があって読んで見ると

どうやらここは毎日登山グループの

伝言板にもなっているらしい

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頂上からの景観は以前登ったときに比べて

随分開けていました

少し木を切って整備したようだ

ますます大きくなる焼津の港が

手にとる様に見えてすばらしい

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ここで昼食休憩を取る

辺りの山桜は花がまだ着いていて

一足早い季節が通り過ぎようとしていた

この山は黄スミレの群生で有名だが

登る途中うっかり通り過ぎてしまった

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足元には黄色のタンポポがいっぱい

咲いていました

春の花は黄色から始まるようですね

黄色は強い色なのかな

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頂上から満観峰に向かうべく

鞍掛峠方向に下る

こちらはしっかりと階段だ

慎重に降りることにする

Photo_1299

なぜか倒木の多いのが気になる

しかも根こそぎ倒れている

けっこう大きな木も倒れているのだ

どういうわけだろうとしばし疑問

Photo_1300

倒木の根によって持ち上げられた

大地はまるで壁のように

ハイカーに迫ってくる

しかも倒れてまだ間もない感じでした

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2007年4月25日 (水)

牡丹鍋待ってるよなんて

てんびん座の方向に地球に良く似た星をフランスやスイスなどの研究チームが発見したと24日発表した。ということは地球外生命の存在がぐっと身近になったということですね。久しぶりに胸がわくわくするニュースでした。

地球外生命の存在を信じている人たちにとっては、宇宙人の存在はなんでもない当然のことですが、否定する人にとっては、どんなにこの宇宙が大きかろうと生命はこの地球にしか存在していないということになっている。

肯定論によると、地球と同じ環境の星は宇宙には何億何十億とあるのだから、環境が同じなら同じような生命が存在するはずだ、そこには当然知的生命体がいて、地球より高度な文明が栄えている可能性はある。もしかしたらこの地球に何千または何万年前にやってきているかもしれない。いや地球人の中にその末裔がいるかもしれない・・・・。なんて空想は広がっていくわけだ。

否定論者の意見は、例え同じ環境が何億あろうとも、最初の生命が生まれなければ決して生命が増えることは無い、というものです。地球という環境で生命が誕生したのはまったくの偶然で神様の仕業と考えるしかないぐらいだ。なぜなら、こんなに文明が発達している地球で、何もないつまり無機物からいまだに生命を生み出すことが出来ないではないか。つまり、どんなに宇宙が大きくても生命の星は地球だけだ。だから、この地球が核戦争で生命を根絶やししてしまったら、宇宙に生命の息吹が耐えてしまう。だから地球は我々が守り続けなければならないのだ、という意見です。

今のところ、両者の意見を否定するだけの根拠が見つかっていない。肯定する前に否定できないわけですね。「Gliese581」という白色矮星の周りを回っているその星は、水の存在は確認されていませんが平均気温が零度から40度、太陽もあるし、地球の1.5倍の大きさとのことで大いに期待される星だ。しかも近い、なんと20.5光年との事で、ラジオかテレビで「おーい、誰かいるか?」と呼びかけるて、もし「俺がいるぞ~」と返事が返るのにわずか40年しかかからないほど近いのだ。

戦争やってる暇があったら、世界中が協力してぜひ「宇宙特使」の宇宙船を飛ばしてほしいものだ。何百年か何千年後にはきっと返事のを載せた宇宙船がやってくるかもしれない。そのころには地球上で、今より人間は成長しているかもしれないか、また存在していないかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(焼津アルプス・Ⅱ・・・・・・・①)

3月27日に2回目の焼津アルプスへ

今度は今までと違った方からいく

高草山ー鞍掛峠ー満観峰ー日本坂

初めての逆コースです

Photo_1284

まず、登り始めの石脇で道が分からなくなり

立ち話していたおばあちゃんたちに聞く

この道ではなくいったん下へ戻れとのこと

「猪いるから、帰りは牡丹鍋だね」と

からかわれてしまった

Photo_1285

いったん振り出しまで戻ると見覚えのある場所

昨年高草山一周のときにチェックしたところ

もうすっかり忘れていた

登山口から改めて登り始める

Photo_1286

農道をしばらく登るとハイキングコース

地元の人たちが杖を備えてくれている

竹製の杖を一本拝借して山道へ

ここから頂上までは一直線だ

Photo_1287

山というものは登っている間は

目的の頂上は陰に隠れて見えないものだ

林の中の道も私の好きな自然道で

とても歩きやすい

Photo_1288

途中のお茶畑には早くも

新芽が立ち始め春の香りがいっぱいだ

相変わらずのうす曇だが

気分は爽快だった

Photo_1289

振り返るとカンポから連なる海側の

焼津アルプスの尾根が見える

先週はあのぼこぼこの尾根を

登ったり降りたりして歩いたのだ

Photo_1290

頂上までは何度か舗装の農道と

クロスしながらコースが出来ていた

けっこう急な坂道もあったりして

楽しいコースです

Photo_1291

かつて登った坂本の林叟院からの道が

この舟形花壇のところで合流していた

ここを右に下る道は何度か通ったコース

それから登るコースも知っていた

Photo_1292

ところが頂上直前になって

擬木の階段が見事に整備されていた

恐怖の階段には出来るだけ脇をとおり

慎重に登ることにした

Photo_1293

階段を登りきったところで

「坂本Bコース」の案内板

このコースは登ったことが無いので

いずれ、来ようとチェックを入れておいた

もう頂上はすぐそこだった

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2007年4月24日 (火)

タコに群がる子供たち

エリツィン元ロシア大統領がお亡くなりになったそうですね。在任中のテレビの映像でも少しふらふらしていたし心臓の手術などしていたから、健康的にすぐれなかったのだろうと推測します。

ロシアの初代大統領と言うことで新聞には大々的に載っています。つい錯覚しがちなのが、初代大統領はゴルバチョフじゃなかったかと言うことです。あの時代世界が変革を求めていた時代だったし、共産主義国家が崩壊しつつあった時代なのだから錯覚してもおかしくは無いでしょう。実際はゴルバチョフはソビエト連邦の最初で最後の大統領だった。

実質はソビエトがロシアに変わっただけなのだが、名目はソビエトとロシアにそれぞれ大統領がいて、ロシアが連邦から脱退したので連邦が崩壊してしまったと言うわけだ。愛すべきこの両大統領のキャラは歴史上の人物誌をこれからも飾っていくでしょう。

歴史に「もし・・・」は禁物だが、あの混乱期にノーベル賞をもらっておきながら割を食ってしまったゴルバチョフの方が面白い。素人目にはエリツィンよりも理知的に見えるし行動力もあるようも見える。健康的にもすぐれているようだし、柔軟性もあるようだ。ところがあのクーデター事件のとき監禁拘束されたのが唯一の汚点として国民に印象付けられてしまったわけだ。人生どこで逆転劇が起こるかわからないね。

ゴルバチョフのアフガニスタン撤退の決断は前政権の汚点を一掃する印象を強烈に焼き付け、ノーベル賞の選考に大きく作用したように思います。そのアフガニスタンを舞台にしてアメリカが育てたウサマ・ビンラディンなる人物たちがソビエトを撤退させたが、その後の歴史は単に同じ舞台でアメリカが取って代わっただけなのか。

90年から93年辺りはサザエさんからチビマル子ちゃんに変わる時期で「踊るポンポコリン」がレコード大賞や紅白歌合戦まで占領した時代。日本も自民党が野党になった時期でもある。私はといえばそんな時代に海外から日本を眺めていた。ドイツ人から見たベルリンの壁崩壊やオーストラリア人から見た宗主国イギリスのサッチャー首相の印象など面白い話題をいっぱい知ることが出来ました。

エリツィンさんの死はそんな一つの時代が確実に歴史に存在した事を思い出させてくれました。

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(春の海へ・・・・・・・・③)

潮の香りをいっぱいに浴び

Photo_1279

歩いて家まで帰ります

焼津の市の花は「さつき」です

町のあちこちに「ツツジ」咲いていました

5月咲きのツツジを「さつき」と言うとか

そんなことはどうでもいい

しばらくこれから花を楽しみましょう

Photo_1280

花咲く公園では

子供たちの野外授業だろうか

わいわいがやがや楽しそうだ

それを見守る先生の真剣な眼差し

先生も一緒に楽しめばいいのにね

Photo_1281

タコは子供たちに取り付かれて

くすぐったそうにその身を

捩じらせせているようだった

辺りは甲高い声が満ち溢れている

Photo_1282

公園の藤の花は

やっとほころび始めただけだけど

街角の藤の花は

見事な色合いを見せていました

Photo_1283

ふと立ち寄ったお寺に気になるものが

牛の乗った観音様か弁天様か

ちょっと珍しいなと思いました

牛に乗っているのは

ヒンドゥー教ではシヴァ神だけど

一体このお方は・・・・・

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2007年4月23日 (月)

海鵜とウナギ

統一地方選挙が終わりましたね。東洋町の町長に反核派勝利と新聞に載っていました。町民の審判の結果がこういう形に現れたようです。

私は止むを得ない場合を除き、選挙の投票には必ず参加しています。自分の一票がどんな重みがあるのかいまだに実感はしていませんが、それでも参加だけはしています。国民の義務だと思っています。翌日の新聞を見て自分が投票した人の得票数を見て一桁目の数字が5か6かの違いに私の存在感を感じるだけです。それだけです。

でも、選挙の結果がどうなろうと、私は結果には従います。なぜなら、国民、市民がそれなりに選択した結果であるからです。若者の選挙離れが言われますが、彼らも自分の将来の選択をそのようにしか決められないのだから可愛そうだけれど現実として受け止めるしかありません。もし、世の中が悪いと言う若者がいたら、そういう世の中を選択した自分の責任として感じてほしいものですね。

ところで東洋町はどこでしょう。高知県の東のはずれ、徳島県との県境にある町です。沖縄補選や夕張市長選の話題の合間に小さな町の町長選が割って入ってがんばっていた。ぜんぜん知らなかった町の名前も今度の選挙で一気に全国区に名乗り出ただけでも宣伝効果は大きかったかもしれないね。

私も今回始めて地図検索で位置を知りました。よく言われることに、廃棄物を捨てる場所は自分たちの生活圏の一番端と言うのがあります。ゴミの収集場所は隣組の一番端で不燃物収集場所も町内の端、焼却場や浄水場の建設場所は市の一番端、核廃棄物も国土の端へ、出来れば外国へ、と言う構造になりますね。

でも、昨今流行の市町村合併で結局は焼却場が市の真ん中になったりするのは皮肉な現象ですね。東洋町の場合も高知県が黙っていると思ったら、結局県の端っこの町だから静観を決め込んだのかな。もし、隣組や町や市や県の境が存在していなければどこだって同じ日本の中だ。地球だって国境線が無ければどこだって同じ地球なのだ。どこだって、ゴミ捨て場ではないはずなのにね。

核廃棄物は宇宙に捨てましょうと真剣に考えている人たちがいます。宇宙に線を引いてここからこっちが地球のテリトリーだから、その外に捨ててしまえばいいのだというわけだ。発想としては隣組の発想と一歩も出ていないところが愉快ですね。

私が町内会の役員をやっていたころ、この発想を変えようということになり、ゴミの収集場所を隣組の真ん中にしました。そうすると、その場所はいつも綺麗に清掃しなければならないからです。快く場所の提供をしていただいたお宅に感謝しつつ隣組で毎回お掃除しています。もちろんゴミを出すのは顔見知りばかりで、決して他の組の場所へはゴミを出しません。いわゆる自己責任ということですね。今でも、がんばって続いていますよ。

電力をもっとも使う東京のど真ん中に核廃棄物の貯蔵所は出来ませんかね。発想を大転換しない限り、端っこ理論は延々と続き、弱者いじめの世相はますます常識化していきますよ。

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(春の海へ・・・・・・・・・・・・②)

突堤の先に向かって歩く

空から小さな雨粒が一つ二つ

Photo_1273

いつもと違って7つ道具は背負っていない

濡れたら濡れたでまあいか

釣り人も空を気にする様子も無く

竿を繰り出していた

Photo_1274

数十年にわたり延々と

沖に向かってのびて行った白灯台

まだまだ伸びるのかここで終わりなのか

幼少のころ慣れ親しんだ

乙女が丘海水浴場を呑み込んで

拡大していった巨大港湾

Photo_1275

プレジャーボートが帰ってくる

港は新時代に向かって飛躍か

埋めたて地には深層水利用の

タラソテラピー施設「アクアスやいづ」と

地域物産店「うみえーる焼津」が見える

港の可能性に期待だ

Photo_1276

港内の片隅には

青少年の野外活動のための

船も係留され海の季節の

到来を待ちわびているようです

Photo_1277

船のドックには

大きな船が陸揚げされ

点検修理の真っ最中です

ここは昔から小学生の写生ポイント

Photo_1278

プレジャーボートの周りで海鵜の一羽が

自分の身体ほどある大きなウナギを

くわえて格闘していた

やっと呑み込んだけどお腹の中で

ウナギが暴れているようだ

首を伸ばしたり口をあけたりして

目を白黒している様子がおかしかった

10分以上見入ってしまった

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2007年4月22日 (日)

浜昼顔が微笑んでいた

少年法を変えて小学生まで少年院に入れてしまおうということが、国会でまもなく決まるそうだ。悪いことをした子供は先生の体罰ぐらいでは直らないから、大人なみに収監してしまおうという奴ですかね。

今回は12歳だが次回は10歳ぐらいでおいたをしたら、大人は怒って10歳まで年齢下げて収監する様に法律を変えるぞって言うのかな。いっそのこと年齢無制限にして5歳でも収監しましょう。くそ生意気な幼稚園生の多い昨今だからなんて、言い出しかねない。

何のために少年法は子供たちの保護・更正を優先してきたのだったろうか。今の時代それさえ思い出すことが出来ないほど大人の心はすさんでいるのかもしれない。よく言われることに、昔の大人は近所の子供をしかってくれたというのがありますね。先生もそうだったなあ。私も教室の廊下に立たされたことのあるガキでした。

大人が子供に対する教育を放棄してもうだいぶ年月が経ちますね。「義務教育」という言葉の意味知っている大人は何人いるだろうか。大部分の大人は「子供は教育を受ける義務がある」と解釈しているのではないかな。本当の意味は「子供に教育を受けさせる義務がある」のであって、義務は大人の側にあるのです。

給食費問題のとき「小学校は義務教育だからタダのはずだ」と言ったお母さんがいたが、根本的に間違っていますね。義務は親である「あなた」の側にあるのだよと、誰か説明してあげなくてはいけないのだ。

少年たちの反逆はそういった大人に対する警鐘なのに、それに対して収監という報復を持って対応するのは大人の未熟さをさらけ出しているだけだ。「美しくない人」たちの焦りにも似た改正法成立への動きは一体どんな「教育改革」を目指しての所産だろう。これも、教育改革を錦の御旗に進んでいる大将に一刻も早く阿ようとする駕篭かきたちの声の大きさのたまものだろうか。

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(春の海へ・・・・・・・①)

海の近くに住んでいても

毎日海を見ているわけではない

Photo_1267

4月20日(金)・突然海を見たくなった

天気が良くないこともあって

遠くへ行く気が無くなり

ましてや明日は臨時出勤だし・・・

こんな時は海が慰めてくれる

家から歩いて遠回りして40分

何時もの防波堤に着く

Photo_1268

防波堤を越えると

これまた いつもの浜昼顔が

優しくお出迎え

砂の上にも季節が満ち溢れている

Photo_1269

浜辺を歩いていると釣り人が一人

「キス?」「イシモチ?」と声をかけると

綺麗なルアーの箱を広げて

「アオリイカです」とのこと

浜辺は彼の一人舞台でした

Photo_1270

前方に見える小川港の突堤

昔はこのあたりは海の中だったが

突堤が先へ先へ伸びるに従って

海の砂が集まってきて陸地が増える

Photo_1271

突堤に打ち寄せる波を見ていると

突然海の声が聞こえてきた

年のせいで幻覚かなと思ったが

やはり海が私に語りかけている

しばらく海の声に耳を傾けた

Photo_1272

突堤の先の方には釣り人が数人いた

長い突堤の途中に砂が打ち上げられていた

ちょうどそこだけは右側の外海にテトラが無い

波の力の強さとテトラの効力が分かる

前方には先日行った

焼津アルプスの山影が

曇り空の中にうっすらと浮かんでいた

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2007年4月21日 (土)

谷間に咲く姫シャガの花

今日のテレビニュースで「タカアシガニの脱皮」を見て,思わず「見事!!」と言ってしまった。殻から体が出てきたところは普通だと思ったが、あの長い足を殻から抜いたところなどはお見事と言わざるを得ない。感動的だった。

駿河湾は日本の湾の中では日本一深い湾なので、不思議な生物もたくさんいる。タカアシガニもサクラエビも駿河湾特産だし、生きている化石と言われる深海ザメのラブカも駿河湾だ。

もちろんその深い海の底では東海大地震のエネルギーが徐々に高まりを強めている。そんな中、深海魚が時々ご挨拶に現れたりしますので、ちょっと不気味な感じもします。

駿河湾に面して焼津の「県水産技術研究所」がこのタカアシガニの脱皮をビデオに収める事ができたとの事。近いうちにウェブで公開されると言うので、ニュースを見なかった人も後日是非御覧下さい。

甲殻類や昆虫のように体の中心に骨格の無い生き物は身体を支えるために表面を硬くする。そうなると自分が成長するためには殻を破らなければならない。脱皮だ。脱皮をするためにはその身体を軟らかくしなければならない。大変な危険を冒してまでも彼らは成長のためには脱皮に挑戦するのだ・・・・・。なんちゃって・・・・まるで人生劇場を語っているみたいだね。

もし、今の自分に行き詰っていたり、体や頭が硬くなってしまった人は「タカアシガニ」の脱皮を見て何か参考にしてください。

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(焼津アルプス・Ⅰ・・・・・⑥最終回)

見晴らしのよくない山道でも

Photo_1260

一箇所だけきれいに見えるところがある

そこでは富士山こそ霞の彼方だが

静岡の街と日本平が見渡せました

これだけのすばらしい景色のコース

ぜひ、周囲の木々の整理をお願いしたい

Photo_1261

そうすればもっともっとハイカーが

楽しめるはずだし

他の地方からも訪れる人も増えるだろう

前方に見える「満観峰」を見ながら

そう思いました

Photo_1262

日本坂峠まで降りてきた

ここはまさに十字路だった

花沢山・満観峰と焼津・静岡コースが

ここでクロスしているのだ

Photo_1264

交差点には「鳥獣保護区」の看板と

「有害鳥獣(イノシシ)駆除」の張り紙が

並んでありました

一体どんな獣を保護しようと言うのか

昨年出会ったあの猪たちの姿が

懐かしく思い出されました

Photo_1265

木陰でもきれいな姿を着けはじめた

私の大好きな姫シャガの花を見ながら

一気に山を下りました

峠からは比較的楽な下り道です

Photo_1266

途中の水源の岩場で足が止まった

カジカが啼いています

まるで子犬が私に甘えるような

とても可愛いキュンキュンと言う声で

啼き合っていました

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2007年4月20日 (金)

巨大電波反射板

「『事務所費領収書添付』持ち越し」と言う今日の新聞の見出しを見て、日本人なら松岡農相の「なんとか還元水」だなと、ほとんど思うでしょう。まさか、どこかの会社の事務所経費のことだと思う人は今の日本にはいないと思います。

自衛のためとはいえ戦争容認のための憲法改革には強行採決してでもあれほど迅速に対応して、首相の指導力を発揮したのに、たかが水道水の領収書を付けるの付けないのではそれほど難しい問題なのだろうか。不思議な世界もあるものだ。まさか、首相が持ち前の指導力を発揮して領収書を付けることには相成らんとこれだけは守っているのだろうか、それなら理解できる。

日本の場合伝統的に、政治屋さんは賄賂(献金)で飯を食っているのであるから、領収書なんてものはもともと存在していないし、国民の税金を給料としていただいているなんて考えが無いのだから国民に報告する義務は無い。従って、農相と言えども、一本何千円もする水を毎日数本飲もうが何に金を使おうが、一般国民ががたがた言ってはいけない。という理論は成り立つ。

領収書を普通の会社並み以下のせめて5万円以上の場合だけ付けましょうということで大の政治家たちが頭を寄せ合って法律を作りましょうと喧々諤々。いくら頭寄せ合って協議しても結論は出無かったが、どうせ国民の税金を使って会議してんだから結論出ようが出まいが関係ないね。結論出して助かるのは国民で政治家ではないし、いや困るのは政治屋だから結論は出すなと言うのが本音かな。

「美しくない日本」を作っているのは、どんな人たちか誰でもわかりますよね。最近、首相の肝いりで「美しい日本の粋(すい)」を募集することになりました。粋は水(すい)の間違いじゃないの?てっきり世界一きれいな水道水を日本は作っていると思っていたのに、農相が飲めないのだから。ちょっと首相に聞いてみようかな~。

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(焼津アルプス・Ⅰ・・・・・・・・・⑤)は

花沢山へと進路をとると

Photo_1253

山頂への案内と同時に

東海自然歩道の看板も現れる

あれ、ここってそうだったかなと疑問

今まで意識して歩いたことは無くても

東海自然歩道はけっこう歩いている

Photo_1254

看板をしっかり見てみると

バイパスコースと書いてある

東海地方を縦断する一本の本線

それと呼応するように魚の小骨のように

バイパスコースがあり

いつの間にか紛れ込んで

歩いている場合が多い

Photo_1255

やっと頂上に到着

巨大なマイクロ波反射板が

南北に2枚立っている

最近山の下から見えないと思っていたら

周囲は木立が生い茂っていて

景観がよくない

ここは元航空灯台があったところでも有名

Photo_1256

木の間からかろうじて静岡の街が

少しだけ見えていました

折角のハイキングのコースだし

山頂付近の景観をもっと良くして

ハイカーを喜ばせてほしいものだ

そうすればもっと自然に親しむ

人を惹き付けるかもしれない

Photo_1257

花沢山を日本坂峠に向かって降りる

こちらの方が野性味があって

私の足には快適だ

まるで南の国のような板根の

大樹が道を塞いだりして

一人ご満悦だ

Photo_1258

かなりの急斜面の割には

擬木の階段が少なく

この木の根が階段代わりだ

足元に注意しながら一歩一歩降りる

人の声がして

Photo_1259

足を止めると

登山道の整備をしている人たちだ

背負子でここまで木を背負ってきて

木製の階段を作っていた

階段は苦手だが作っている人たちの

ご苦労にも感謝しなければと・・・

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2007年4月19日 (木)

花沢山が見えてきた

ロシアの科学アカデミーが18日は発表したところによると「アムールヒョウ」は30頭前後しかこの世に存在していないとの事。30頭ということは絶滅するのはほぼ間違いないだろうとまで言われている。人類はまた一つ貴重な地球の仲間とお別れしなければならなくなる。

日本にはかつて「ニッポニアニッポン」と言う学名のついた生き物がいましたね。ついこの前その種を日本は守りきれなくて失いました。そう、佐渡だけにに残っていた「朱鷺(とき)」です。今では中国からやってきた朱鷺によりもう一度佐渡に朱鷺の舞を復活しようとしているが、あのニッポンの朱鷺が帰ってくるわけではない。歴史上文化のうえでも貴重な「朱鷺色」の語源にもなった美しさが逆に人類のターゲットになってしまったのですね。

アムールヒョウの絶滅は時間の問題だが、それを加速しているのが日本かもしれないというのだ。ご存知のようにアムール川はあの世界遺産に登録された知床半島にやってくる流氷のふるさとだ。日本は流氷だけでなくシベリア・アムールからは木材も供給されている。日本向けの違法森林伐採が森の小動物たちの餌を奪い、それによって生きてるアムールヒョウの絶滅に拍車をかけていると言うのだ。

それとともにシベリアー極東を結ぶ石油パイプラインがこのアムールヒョウの棲息地のそばを通っていくと言う。日本に供給する石油のためにますます絶滅が早まると言う構図らしい。これはルートを変えることで解決は出来るのだが、はたしてどうなることやら。もちろんこのパイプラインの建設には日本の多額の資金が投入されることは間違いない。直接間接日本は世界の動物を絶滅に追いやっている尖兵かもしれないが、我々には自覚が無いのが恐いところ。

あのヘミングウェーの「キリマンジャロの雪」のヒョウのように、雪の上のヒョウには一種物言わぬ孤高を感じます。ライオンよりもその生息環境を広げ雪の世界まで生き抜いてきたヒョウもついに人間の手でその静かな楽園をも失うのだろうか。

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(焼津アルプス・Ⅰ・・・・・・・・・④)

切通しの先のしばしの陽だまり

Photo_1248

眼下には大崩で唯一の人里である

元小浜の村が見えた

風が無いと随分と穏やかな景色だ

しかしすぐ尾根の道の戻る

強烈な風が戻ってきた

Photo_1249

しばらく歩くと「道了権現」が現れる

ここにも同じように竹のおまじないが

奉納されていました

道はお堂の脇から裏へ抜ける

Photo_1250

前方に今日の目的地花沢山が見える

山頂までは下ったり回ったりして

意外としぶとい道になる

これからが正念場だ

Photo_1251

ましてや私にとって恐怖の

擬木の階段が続く

出来るだけ道の脇を登りながら

ゆっくり進む

Photo_1252

途中崩れたような道に出会うと

ほっとしてしまう

こちらの方が登りやすい

倒木も現れだして

風の音は激しさを増してきた

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2007年4月18日 (水)

歴史の十字路

同じ時期にアメリカと日本で銃による事件が起こった。いわゆる惨事と言える事件は世界中で同じ種類のものが同じ時期に起こると言うジンクスがある。諸説がありますが、まだ確かなことは分かりません。たぶん事件の背景には潜在的な要素が充満していることでしょう。いわゆる、ハインリッヒの法則的なもので説明できるかもしれない。

アメリカは自由の国。銃を持つことも憲法で保障された自由です。有名な「全米ライフル協会」は大統領選挙を始め知事選などにも民主党、共和党ともに影響力を持ち当落の行方は彼らしだいと言われています。アメリカの政権は彼らが握っていると言っても加減ではないそうです。と言うことは世界の行方まで彼らの手に委ねられているかも知れませんね。

銃を持つ自由はアメリカ建国以来の憲法に定義されている。ところでアメリカの憲法の改正は元の文章を残したまま「修正第○条」と言う様に変えていくそうだ。日本が今目指しているように「戦闘行為の放棄」を削って「戦闘行為のを容認」にするのではないらしい。だからもともとの精神である「銃保持の自由」を変えられないのかもしれない。

規制法案もほとんどが時限立法で5年ぐらいとの事。結局元に戻ってしまうと嘆くアメリカ人もいるということで国民の中にジレンマがあるらしい。日本の場合のように圧倒的多数で政権が決まるのではなく「全米ライフル協会」の思惑で政権が決まるのだから等分「銃を持つ自由な国」は継続するでしょう。

日本もかつて刀狩をしたことがあった。秀吉の時代武士以外から特に農民から刀を狩った。「自衛のための刀」を狩られた農民はある程度、自由になったのかもしれない。明治維新で武士が刀を捨ててクワを持った。「権威としての刀」を捨てた武士はある程度、自由になったかもしれない。日本は刀社会からスタートしたから、それ以上の武器である銃の出現で「自衛のための武器」ではない刀を捨てることが出来た。

今でも日本の武器は「刀も銃も」自衛のためではなく、攻撃用なのである。だから警察だけに武器を容認するのは国民の総意といってもいいのかもしれない。裏返せば庶民は銃を持ってはいけないのだ。ここの考えが出発点から違うため「核」も「ミサイル」も根本的に意見が食い違うもとになるのかもしれない。

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(焼津アルプス・Ⅰ・・・・・・・③)

いよいよ未知の領域です

Photo_1242

小浜の道しるべを少し下ると

文政年間に作られた道しるべ

府中(静岡)の孫右衛門さんが

作ったものという銘がありました

Photo_1243

その道しるべのところに

竹で作った何かのお供え物

どこか遠い記憶の中にあったような

それでも思い出せないもの

一体これはなんだろうか

Photo_1244

道しるべのすぐ先に大日堂がある

道はこれからずっと上り坂になる

大日堂も江戸時代からの歴史の

交差点の一部です

Photo_1245

宇宙をつかさどる大日如来さまも

なぜか親しみのあるお顔で

旅行くものの心をほっとさせる

道中の安全を祈願

Photo_1246

お堂の扉にも

あの竹で出来たものが奉納されている

一本の竹を削り中央を折り曲げてある

昔の水筒かなと考えた

何の祈願だろうか

Photo_1247

大日堂の脇は切通しになっていて

ここを過ぎるとそれまで吹いていた

尾根伝いの強い風がぴたりとやんで

しばらくぽかぽか陽気になりました

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2007年4月17日 (火)

昔を語る道しるべ

シルクロードの東方起点は「洛陽」だと中国国家観光局が公表したそうだ。てっきり唐の都長安があった「西安」と思っていたが洛陽と決められてしまったからにはそう思い込むしかあるまい。

以前西安に旅行したときその気になって観光していたから、今度は「洛陽」にも行ってその気になろうかな。中国観光局の思惑にのって見るのも楽しいかもしれない。

起点と言う言葉をこの一年たくさん目にしてきている。もちろん私の場合は川の起点だ。今までみてきた川の起点で「なぜここに起点を決めたのか」といつもイメージします。だいたいは二股に分かれた同じような沢があるところで、これ以上車が通れる道を作る気が無いといったところでした。と言うより起点までは何とか車でいける道を作りましょうというのが本音かな。

川の起点は川を管理するためには決め事をしなければと言う意味だと思います。しかし古代シルクロードの起点となればはっきりここだと決めて作ったわけでもあるまい。観光局の説明では「歴史書にそう書いてある」とのこと。洛陽も長安も長い歴史の中で都が行ったり来たりしたところで、中国の歴史読み物の面白い部分がいっぱい詰まっている場所だ。安倍仲麻呂の長安、芥川龍之介の杜子春に登場する洛陽の都。起点はどうせ人間が決めることで歴史の真実も同じだからどちらでもいいでけどね。

でも、松本清張さんのように「シルクロードの東の果ては奈良の都だ」なんて言ったら、中国国家○○局などが怒るだろうな。「中国が決めた歴史の真実を捻じ曲げようとしている」なんて言って。

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(焼津アルプス・Ⅰ・・・・・・・・②)

このハイキングコースは

焼津駅からスタートすれば

健脚で1日コースです

Photo_1236

もちろん私は健脚を

自認してはいませんので

半分でも歩ければと言うつもりです

誰かが石を積めば私も遊ぶ

Photo_1237

道を塞ぐ石があれば

コースは優しく石をよけて

カーブしてゆきます

木漏れ日は私だけに語ります

Photo_1238

昔に比べ周りの景色が見えにくい

やっと明るい場所に出たら

身の丈を越すお茶畑の

放置林だった

こういった畑がいくつかある

Photo_1239

やっと景色のよいところへ出る

左下の谷間を見れば

日本の頚動脈といえる日本坂地区

国道・新幹線・在来JR・東名が

このわずかな地区に集中している

Photo_1240

右に目をやれば

駿河湾が広がっていた

伊豆半島は春霞の中に溶け込み

富士山の姿も見えません

Photo_1241

いよいよ小浜・元小浜の分岐点

ここまでは何度も来たことがある

ここからは私も始めての道になる

峠には古い道標がありました

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2007年4月16日 (月)

めぐる季節の中に

先日の温首相の「漢俳(かんぱい)」の披露には驚きました。噂には聞いたような気がしましたが実際の漢俳を見たのは初めてです。いわゆる漢詩の俳句版みたいなもので漢字を5・7・5で使用したものです。どうも調べてみたところでは中国では少しずつ広まっているようです。

もともとは1980年に中国の詩人が初めて詠ったものだそうです。その後徐々に広まっていき日本でも創っている人がいるそうです。そんなわけで温首相の漢俳の披露には抵抗無く日本人には受け入れたのではないでしょうか。

作品としては80年に作られた「緑陰今雨来 山花枝接海花開 和風起漢俳」(趙樸初)最初の漢俳を受けたような作品でしたね「和風化細雨 桜花吐艶朋友 冬去春来早」(温家宝)。漢字だけだけどなんとなく分かるような気がしますね。ともにお互い仲良くしましょうと言う雰囲気が現れています。

漢字文化圏は日本朝鮮ベトナムがあります。でも微妙に使い方が変わり完全に漢字を使っているのは今のところ中国だけですね。日本で創られた漢字も中国では使われています。人々の知らないところで文化の融合が始まっています。

しかし、こういった漢俳のように漢字そのもので俳句の要素を取り入れるところから文芸を受け入れることは比較的容易なようだが、そっくり言葉はそのままには出来ないね。日本も明治から西洋の詩を取り入れ、形式をまねしてきたが完璧には行かないだろう。それは翻訳された日本語にアレンジされた詩でしかない。ところが漢俳ともなれば俳句由来の中国発祥だからむしろ日本が受け入れる形になる。

以前、中国で聞いた話で「小学生は1年生から文字の学習には苦労する」そうです。日本人以上に苦労することはうなずけますね。漢字を中国から教わったから、日本で出来た表音文字の「ひらがなを導入してはいかがですか」なんて言っただけで中国の若者がむっとしたことを思い出します。「ピン音(イン)があるからいいです!」とのこと、なるほどひらがなより「アルファベット風」な「ピン音」の方がより正確な発音に近い。小学生でも学んでいるとの事で、これは失礼いたしました。

文化の押し付けはいけないけれど、お互いによいところを模倣しあうことは文化の原点のような気がします。たとえばインド発祥の弦楽器が西東北に広がって様様な楽器が出来たように・・・。気まぐれに「漢俳」で遊んでみようかな~。

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(焼津アルプス・Ⅰ・・・・・・・①)1

菊川の旅を終わってから

しばらく行方を決めかねていて

その間近回りで遊んだ

3月22日に焼津アルプスに挑戦

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そんなところ知らないよだって

マップの四つの山を縦走して

海岸にある尾根を

煙を吐いている船まで歩く

そんなコースです

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今回は「カンポ」と呼ばれる

簡易保険保養センターのホテルの

横からのスタートに決めた

マップ写真の煙の船のあたりです

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ホテルの脇の階段を上って裏に出る

柵が見えたがどこにも出口がない

良く見るとの入り口が封印され

通行禁止になっていた

危険と言うことで支配人のお言葉

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自己責任で柵を乗り越える

まったく危険性は感じられない

きっと何かの問題で封印されてのだろう

30メートルも行かないうちに

「かんぽ下」と「小浜・花沢」の表示

正規ルートは「カンポ下」が

登山口ということらしい

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このコースはハイキングコースとして

けっこう人気がありコース案内の

看板もしっかりしている

と言うより尾根の一本道だ

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アルキニストにとって尾根道は

いつもうっかりとだまされやすい

アップダウンは足に堪える

ましてや擬木の階段とくれば最悪

贅沢な文句だ

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こんな急斜面でも

擬木の階段よりもましに感じる

ここは小学生のときの

遊びのホームグラウンドであり

青春時代の思い出の場所だ

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森の中ではいち早く

アオキの芽が伸び

先端に臙脂色の十字花を

もう開いていた

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尾根の少し開けたところに

一面オオイヌノフグリが咲いている

人の営みとぜんぜん関係なく

花たちは季節を疑わない

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野イチゴの花も一斉に咲き出している

あの夏の日私を楽しませてくれた

赤い実が今から準備を始めている

そうだ、また新しい季節が目覚めたのだ

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2007年4月12日 (木)

踊りは進化していく

日中首脳会談は予想通り「よかった、よかった」で握手して終わりましたね。お互い深いところまで話が入らないところで止めておきながら、問題の存在としての確認をするあたりさすが政治屋さんだね。素人ではこんな風には話せないところがたいしたものだ。

私のようにまったくの無責任男が言いたい放題言っていても国際問題にはならないのは、政治屋の関係者ではないからだ。それでも長年生きていると自分の身の回りのことでいつもの調子でしゃべっていて、痛い思いをしたことがある。それだけしゃべるのだから「お前が責任を取るのだな」と言う一言で黙ったことがあります。

いくら自分の理論だ正しいと言っても、責任を取れない発言は「空論」以外の何物でもない。逆に理論的におかしな発言でも、さいごまで責任を全うするならば「実論」となるわけだ。「負け犬の遠吠え」は前者になる。

実論も空論も結局は自分の立場から見たものであり、相手からみればこれがまったく逆になるものかもしれない。そういう世間のしがらみを分かった上で「言いたい放題」もまた楽しいものである。出来るだけ自分の生活に近くない範囲でこれからも勝手な意見を書いていきます。

ネタだけは「浜の真砂」のごとく、有り余るほどその辺に転がっていることが楽しくてしょうがない。テレビや新聞や他の人の話など、正面から見ては見えてこないものでも、少しだけ斜めからみると立体的になり、本当の姿が見えてくるかも知れない。それが私のネタになります。

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(焼津みなと祭り・・・・・・・・・・③)

会場では恒例の

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マグロの解体ショーが終わったところ

漁協のおじさんの名調子に

ゲストの「こらーげんはいごうまん」さんも

むしろ圧倒されそうだ

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今では焼津では定番になった

「魚河岸シャツ」も売っていました

老若男女誰でも着れて

小粋なところが人気です

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祭りの呼び物の一つは踊りです

数十チームが入れ替わり立ち代り

踊りますが「一緒に・・・」と声をかけると

他のチームも踊りに参加します

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声をかけなくても

踊りの好きな若者は

待ちきれずにどんどん飛び入り参加

みんな上手に踊ります

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かっぽう着軍団の踊りのときも

大勢参加していました

もちろん観客も手拍子などして楽しみます

ワン君も見やすいように

お父さんに抱っこされて楽しそうに

見ていました

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突然観客の中に笑い声が

踊っている人も突然視線が集中

なにやら異様な動きの男が闖入!

踊りの流れに逆らっている

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異様な腰の動きといい

パンツ姿と言い

まさしく イ・ノ・キ か?

最後の決めは「ダーッ」と言って

消えてゆきました

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踊りも楽しいが

それぞれのコスチュームも楽しい

特に背中がチームをアッピール

この人は「おやじダンサーズ」?

そういえば「みなと群舞」の原点は

パパイヤ鈴木プロデュースだもんね

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昨年のねんりんぴっくバージョンも加え

「みなと群舞」の踊り自体

年々進化していっているのが

とてもうれしい

もっともっと進化することを期待します

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2007年4月11日 (水)

ドイツビールがのどにしみる

結局アメリカが両替してあげたのかな。2ヶ月以内に核施設を停止すると言う話がいつの間にか凍結資金の解除にすりかわってしまった。つまり2ヶ月以内に資金洗浄したお金を渡さなければ協議の席に戻ってあげないよと言われ、中国は自分のところで両替なんかしたくないのでいやだと言うことで、期限の14日に間に合わないとあわてたヒル君が大統領にお願いして10日に両替OKを出したみたいだ。

これで「マネーロンダリングという事実は存在しなっかった」という将軍様の声が聞こえる。これで核施設の話に入れるとヒル君は思って安堵していますが、今度はテロ支援国家の問題が主題になりますよ。ミャンマーと国交回復して「ラングーン事件はすでに解決済み」と言うことでもう存在していない。拉致の片棒を担いだ「よど号」グループの帰国を加速させ「拉致はすでに解決済み」となり、航空機爆破事件も南北融和路線によりもはや存在していない、と言うわけだ。

勿論、麻薬や偽札はアメリカがきれいにしてくれたので「もはや存在していない」ので「テロ支援国家」はどこにも存在していないことになる。核問題を協議してほしかったらまずアメリカが「テロ支援国家」の指定をはずすことだ。そうすれば将軍様もアメリカを許し協議に応じてくれるだろう。同じ核保有国大国として胸襟を開いて話をしましょう、と言うことらしい

唯一残っている問題は「日本の強制連行事件と慰安婦問題となどの戦争賠償問題だけだ」との北朝鮮側の報道がありました。今日は温首相が安倍首相とお話しするそうでお互いどんなお話をするのでしょうかね。「よかった,よかった」と握手して終わりかな。でも一番「よかった」と思っているのは、先日来マカオの銀行の前でキャッシュカードもって行ったり来たりして待っていた誰かさんの息子さんではないでしょうか。

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(焼津みなと祭り・・・・・・・・・②)

新港へはまだ続々と

市民ランナーが到着していました

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焼津旧港の方が祭り本会場なので

そちらに歩いていく

とりあえず鰹が当たる福引を引いたのだが

見事に外れでした

「はんべ」だけではお腹がすく

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そうだ「焼津おでん探検隊」の人が

お店を開いているはずだ

探したらもう店じまいしてスタッフが

自分たちの食事中でした

遅かった

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やむなくドイツビールのお店を見つけて

生ビールを注文

隣でフランクフルトソーセージを焼いている

それにしようかと思ったが

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反対側の隣で韓国のチジミを焼いている

どうもそちらの音に惹かれてしまった

「熱いよ、熱いよ、熱いよ」

3回も言われながら受け取った

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ビールとチジミを持って水際へ

ポカリ飲みそこなったから

ビールのおいしさがのどにしみる

ちょうど「八丁櫓」がこれから

出発するところだった

大人500円で港内一周体験航海

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八丁櫓はその名のとおり八本の櫓

徳川家康から唯一許された八本だ

現在焼津には「たける」と「たちばな」の2艘

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と

弟橘姫(オトタチバナヒメ)です

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そこへ突然2台の車が

舳先を掠めて走っていく

手前の大型は日本で唯一のトラック改造

水陸両用自動車だそうです

乗っているお客さんが手を振って

大歓声でした

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2007年4月10日 (火)

ポカリを飲んでさあ走れ

マイクロソフトでワードやエクセルを開発したシモニーさんが5人目の宇宙観光客になってISS(国際宇宙ステーション)に今滞在しているそうだ。団塊世代でもがんばった人にはちゃんとご褒美が用意されているのですね。まあ旅費は12日間ぐらいでわずか30億円ぐらいだからそんなに高いものでもないらしい。

かつて日本では一太郎とロータス123と言うソフトで我々もけっこう楽しくパソコンを動かしていたのだが、マイクロソフトのウィンドウズシリーズ辺りからワードとエクセルになってしまった。パソコン買うと付いてくるし、周りがそうなるとそうせざるを得なくなって結局世界の流れに乗らざるを得なくなってしまったのだ。

ソフト開発者は尊敬に値するが今まであまりに優遇されすぎたたかもしれない。中国ではソフトはタダという考えがいまだに抜け切れていないかもしれない。2000年問題のとき航空機さえ海賊ソフトを使っているため落っこちるのではないかと噂され、国家の偉い人が「政府幹部は世紀をまたがる99年の大晦日には飛行機に乗れ」と言って問題解決に躍起になったのは今では笑い話になっている。

最近どこで資金調達したのか国家ぐるみでIBMのパソコン部門を買収に成功したが、ソフトではWTOに提訴されてしまった。海賊版は悪いと言う観念が無いので、始めは1000枚以上ソフトを所持していたら罪になると言う法律を作ったら、業者は在庫をそれ以下で抑えて罪を逃れた。アメリカが怒ったので今度は500枚以上に変えた。業者もそれに従って対策を取り在庫を500枚以下に持っていったわけだ。そこでアメリカは完全に頭に来てWTOに提訴したわけだ。

中国としてはこれだけ努力しているのにアメリカは提訴と言う横暴な手段をとって来たと反発するそうだ。得意の「圧力ではなく対話を」と言いかねない。問題は何かを考えれば身勝手な努力ではなく、基本的な姿勢であることが分かるとは思うのだが・・・。

ところでシモニーさんはハンガリー出身だそうです。今話題のアメリカ大統領候補のオバマさんのお父さんはケニア人だそうです。みんなアメリカンドリームですね。

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(焼津みなと祭り・・・・・・・・①)

8日の日曜日は焼津のみなと祭りでした

めずらしく休みにのなったので

ちょいと顔を出してきました

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祭りのイベントの大学対抗ペアマラソンも

最近ではけっこうメジャーになりつつある

何せ箱根駅伝の大学や選手も出るらしい

ハーフで2人の合計タイムで争うのだ

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会場まで歩いて1時間なので勿論歩く

海岸近くのオーシャンロードへ出る直前

先頭がパトカーに引率されていったばかり

シャッターチャンスを逃した

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この日は天気が良すぎて熱かった

焼津を歩くにもリュックが無いとかっこ悪い

そう思ってポカリ一本リュックに入れて

歩いていた

20キロ地点でおじさんがスピーカで

「もうちょっとだでがんばってくりょう」焼津弁

フラフラ歩きながら一人選手が来る

「おらおら、どうした走れ走れ」

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おじさんの檄に選手は怒ったように

「水、水、水は無いか!!」

ゴール近くだあたりに水は無い

おじさんスピーカを下げ困っている

選手に駆け寄りリュックから

ポカリのふたをあけて差し出すと

丸ごと一本くれと言うので「いいよ」

キャップもあげると選手は飲みながら

今度は走り出した(赤いユニフォーム)

おじさんスピーカで

「ご協力ありがとうございました~」

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ゴールの焼津新港へ行く

今度はこちらののどがカラカラだ

サービスの緑茶をかけつけ3杯

いっきに飲み干してほっとする

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隣のテントで焼津名物天下の「はんべ」

お母さん3人で汗だくで焼いている

並んだら私の一つ手前で終わった

次が焼けるまでそのまま待つ

どうやらこれが最終の焼きだった

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ゴール付近では走り仲間や家族たちと

お弁当を広げたり楽しそうな団欒

出店の「富士宮焼きそば」には

長蛇の列でした

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2007年1月24日 (水)

熊谷直実が行く

人類はなかなか成長しないものだなとつくづく感じる。

かつて世界中が水爆実験をやっていた頃、自国では危険なため○○領△△諸島というところでやっていた。その時の核保有国の言い分が「自国領土内でやっているのだから文句があるか」だった。

だけど、そのために多くの人々が苦しんだことは歴史が証明していますね。先日ある国が自国の衛星を宇宙で狙撃破壊した。スペースデブリ(宇宙ゴミ)が拡散し国際宇宙ステーションや気象衛星などの多くの衛星が被害にあう危険性があるとのこと。

昨日になってようやく「なんか文句あるのかよ」というコメントをその国は出した。この人類の成長の遅さは情けない限りだ。日本も含めて・・・・・・・。

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(乾峯一路号・・・・・・・・・④)

大井川の土手の道は快適な一直線で

すいすい走れます

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河川敷に写る私の影は背中に大きなリュックを背負い

まるで熊谷(くまがい)次郎直実のようです。

乗用車とすれ違っても大して影響は無いが

トラックが通り過ぎたときは風圧で土手下へ

飛ばされそうになりました

それからはトラックが来るたびに自転車を止め

通り過ぎるのを待つことにしました

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大井川港までたどり着きました

釣り人はあまり居なくてとても静かです

水面には渡り鳥がたくさん浮いていました

この港もとても大きな港です

焼津市と大井川町が合併すると

港の保有ではとても強力な市になりますね

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大井川港からは海岸沿いの防波堤にある

遊歩道を一直線に焼津に向かう

左に松林、右に駿河湾、正面に富士山

銭湯の壁の絵の風景のなかをひた走る

乾峯一路号の面目躍如だ

一応6段変則だが最高速度の6段で

ほぼママチャリと同じ速度が出ます

後ろからスイーっと自転車が抜き去っていく

乗っている人も自転車もスマートな

スポーツタイプで勿論リュックなど背負ってない

あっという間に影が小さくなってしまった

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ほぼ直線9キロの堤防のどんづまり

小川港に到着

少し影が伸びてきた

堤防の端からは自転車が降りられない

高い階段を自転車を抱えて

エッチラコッチラ降りました

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2007年1月23日 (火)

窮屈そうな日本三大蘇鉄

三菱自動車がブラジルで07年度中にエタノール100%の車を発売するそうだ。先行するホンダを追うようにトヨタも今春投入していよいよ本格的にエタノール時代に世界が進んでいきそうだね。

ブラジルはサトウキビの生産が盛んでもう何十年も前からエタノールを混合した自動車が走っていたいわば環境先進国なのだ。

地球が長いことかかって空気中の炭素を地中に封じ込め動物たちの繁栄を支える酸素量を安定してきたのに人間がその封印を解きパンドラの箱の蓋を開けてしまった。

これを再び地中に封印することは難しい。せめて今、空気中にあるCO2だけをサイクルさせて生き延びることを考えるのが現代人の使命かもしれない。

ブラジルのサトウキビだけでなく藁でも木材でも大概の物からアルコールは出来るのだからブラジルだけに依存せずどの国でも可能なことなのだ。

まずは大量消費国から考えよう・・・・・

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乾峯一路号・・・・・・・・・・・・・③)

小山城の天守閣から

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城内の三日月掘りなどの作りを眺めていたら

私の乾峯一路号をしげしげと眺めている

おじさんが居ることに気が付いた

下に降りて自転車を引きながらおじさんに挨拶

おじさんはこの広いお城の庭を毎日掃除

しに来ているといっていました

75歳だがゲートボールよりこちらの方が

運動になってよっぽど良いと言っていた

おにぎり食べたり見物したり

おじさんとちょっと話し込んだこともあり

結局2時間もお城を楽しんでしまった

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駐車場側に降りるのに女坂でも階段だった

がっくんガックンしながらゆっくり降りた

お城の下には能満寺がある

歴史のあるお寺だそうで方丈の前には

屋根にかぶさるように大きな蘇鉄の木がある

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ここまで離れないとカメラにその全体を

収めることが出来ないほどだ

日本三大蘇鉄の一つとのこと

狭いところにあって可愛そうだ

建物を壊すわけには行かないから

塀を壊して少し枝を広げてあげたいくらいだ

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毎度のことで歩きと同様道草が多い

お城を後にして大井川の富士見橋に戻り

今度は河口側にある太平橋に向かって

土手の道を走ることにした

冬には珍しく風も無い穏やかさ

富士山も私と併走するかのごとく

川の向こうを動いていました

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2007年1月22日 (月)

武田武士の夢の跡

神戸で世界77の国と地域が集まって、マグロの資源管理の国際会議をやっているそうだ。

マグロが少なくなっていると言われだしてもう随分と久しい。焼津を語るにマグロ無しでは語れないぐらい依存しているので心配しています。

栽培漁業でマグも養殖の段階に入ったがそのマグロの稚魚さえ乱獲されているとのこと。資源管理が急務となってきている。そのうちマグロは養殖しか食べてはいけない世の中が来るかもしれない。

ところで世界中の肉食文化を支えている牛は現代では野生の物って居たっけかな。アフリカの国立公園に保護されているものはあってもそれ以外は全て管理されている物ばかりだよね。

やっぱりマグロもそのうちそうなるかも知れませんね。

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(乾峯ー路号・・・・・・・・・・・・②)

ケンポウイチロと読みます。

カンポウイチロではありません

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今のところピカピカなのでお城とも良く合います

小山城はもともとこの堀の左側にあって

背後を大井川が滔滔と流れ

前側を何重にも深い堀を構えた

難攻不落の城でした

さすが武田の城造りの技術力のすばらしさ

小笠ににある高天神城ともども遠江を

代表する城だったことでしょう

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城内の展示物も武田家ゆかりの物ばかりだ

現在のこの地方は武田家というより

今川か徳川の方がメジャーだし

武田を語る人はほとんど居ないのだが

歴史だけは静かに往時を忍ばせている

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長期にわたる激しい攻防戦のなかに

女人たちの悲話が今でも語り継がれている

そんな面影を映すかのごとく

白梅の花がほっかりと咲き始め

お城を見上げていました

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天守閣からは駿河の国の志太平野が

一望の下に窺えて

富士の山もしっかりその姿を

霞がっかった青空の中に見せていました

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2007年1月21日 (日)

乾峯一路号発進す

任天堂のWii(ウィー)を買いたいというある人のために、朝から列に並んでようやく手に入れることが出来ました。

日ごろからウォーキングで鍛えた忍耐力が発揮できた、なんて大げさなことを言うほど、一年前の自分は軟弱だったかもしれない。9時開店先着100名様J電気店7時に行けば十分だろうとたかをくくっていたら何とすでに200人ほど並んでいた。

「だめだ、こりゃー」と思いつつ列に並ぶそのうち「160台手に入りました」とのアナウンス。少し希望が見えてきた。2時間待ってさて整理券配布という頃「180台確保しました」とのアナウンスますます希望が・・・。結果は154番目でした。小学生の親子連れが居たから何とかその順番になったのかと安堵した。

地域活動もようやく最近になって参加しだし、ましてやスーパーの買い物などぜんぜんやっていない世間知らずの親父はこういったことにさえ疎くなっている。

100台限定だったら今朝の場合は6時ごろ列につく覚悟が無ければ手に入らないといっていた妻の言葉の正当性をあらためて身にしみて感じました。

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(「乾峯一路号」発進す・・・・・・・・・・・・①)

相変わらず大げさな名前だ

実はホームセンターで1万円で買った自転車

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以前から折りたたみ自転車がほしいと思っていたが

なかなか買う機会が無かった

ウォーキングでひたすら歩くのもいいがたまにはどこかへ

のんびり自転車で行くのも良いかもしれないと思い

車に乗っけられるものがほしかったのだ

折角だからと名前をつけておいた

「乾峯一路」・・さてなんて読むのでしょう

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1月16日・・・・・・・

いつも自転車では町内を走り回る程度だったので

さてどこへ行こうか

一時間でいけるところと決めて南に向かう

多分静波海岸ぐらいだろうと思って走ったが

大井川を越した時点でそれは無理と分かり

急遽吉田にあるお城を目指した

湯日川の脇にこんもりとした岡の上の城

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何回か来ているがいつもは駐車場から登るので

反対側から登ったことがない

こんなとき自転車は便利だ

坂道をえっちらこっちら自転車を押しながら登る

ほんの少しの坂でも自転車は大変だね

坂を上りきると

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大手門が見えてきた

息を整えるために乾峯一路号と坂の上で一服

駐車場側から来るとこの大手門は裏になるので

今まで見たことが無かった

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門を入ってすぐ右側に「勘介井戸」の跡があった

今をときめくNHK大河ドラマ「風林火山」の山本勘介

の・・・・・である。自身なさそうな立て看板の文字。

もっと自信を持って堂々と書いても怒る人は

いないと思うのだけど、きっと真面目な人なんだね

久能山東照宮にも「勘介井戸」が残っている

山本勘介は今の富士宮出身で甲州武田家に

つかえた軍師だから山の上に井戸を掘ることを

得意としていたのかもしれないね

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この場所はれっきとした小山城の建っていた場所

だけれどお城は現存してなくて近年のご当地城

ブームのとき展望台兼展示場として復元されたもの

何回か訪れているが形としては私の好きな城だ

秋に訪れた志太平野の田中城同様、武田と今川

それと徳川軍の攻防の最前線にあった砦で

10数年にわたる激しい歴史の渦中にあったところ

戦国の歴史研究家にとっては避けて通れない

ところのはずです。

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2007年1月11日 (木)

記念塔のピラミッド

静岡空港建設のための代執行を

今日請求するのではないかと

新聞に書いてあった

一日でも早く開港してほしい一人だが

地域の人たちと円満に解決してほしいと願う

自然や環境との折り合い

それと地域住民とのことなど

いろいろあるが・・・・・

・・・・・・・・・・

(虚空蔵さん・・・・・・・④)

仁王門を過ぎると六町目だが

そこはもう頂上です

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普通の山は十合目が頂上ですが

ここは「町」だから六町目が頂上で正解ですね

お寺の名前は「香集寺」です

階段の上には「六町目」と「当目山」の表示が

石に刻まれていました

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頂上からは眼下に焼津港と焼津の町

それと霞の彼方に御前崎まで眺望できる

右の端に見えているのが旧焼津港

左側に拡張されているのが新焼津港

まだまだ整備中で写真に写っているのは

半分ぐらいです

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反対側には静岡の町と富士山

それと大崩海岸の眺望

木を切って整備してくれてあるので

以前より景色が開けて見えた

この景色が見える場所には

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ピラミッドがたっている

「船舶無線電信発祥の地」ということで

ここから神奈川県の三浦半島の

三崎との間で長距離の船舶無線の実験が

日本で始めて成功したそうです

日露戦争の日本海海戦で活躍した

無線機です

それにしてもこのピラミッドは

1ドル札に描かれたフリーメーソンがらみの

ピラミッドに角度が似てますね

「眼」が書いてない分だけ救いですが

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2007年1月10日 (水)

仁王様の怒りは何でしょう

なかなか決まらない今年の方針に

やっと兆しが見え出してきました

そこで準備としてホームセンターと

100円ショップへ行って

ちょっとした買い物をしてきました

さてどんな作戦が行われることやら

・・・・・・・・

(虚空蔵さん・・・・・・・③)

四町目から五町目の間には

仁王門があります

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朱塗りの門の両側に

阿形と吽形の金剛力士がひかえている

子供の頃は「仁王」さんと「が王」さんと

呼んでいたけど「が王」さんと言うのは何でしょう

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力士像の前にはワラジが奉納されている

私の今年一年の旅の道中の安全を

両手を合わせて祈りました

像の前の格子がなぜか歯抜けである

像自体もなぜか色あせている

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向かって右側の阿形像も同じように

埃が積もっている

ちょっと残念な気がしました

この巨大な阿吽(あうん)の像は

宝永三年(1706年)の建立である

今からちょうど300年前なのだ

・・

あれっ そうなると富士山が

最後に噴火したのが宝永四年(1707年)で

建立された翌年ということになる

そんな昔から焼津の町を

守っていてくださったんだ

埃まみれで誠に面目ない次第です

暦が60年で還ってくる

宝永四年の富士山の噴火は

奇しくも今年と同じ亥年ということになる

なぜか私の興味も富士山に向かっているのも

何かの縁でしょうか

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門の正面から見た先ほどの写真も

横から見たこの写真も

建物全体が歪んでいるのが分かります

地震でも来ればすぐにでも崩壊しそうだ

中に居る力士たちが必死の形相で

建物を守っているのかもしれない

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階段の上から藪椿の花も心配そうに

門を見守っていました

経済的にも精神的にも

余裕の無い世界になったのかも

知れませんね

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2007年1月 9日 (火)

登り始めは一町目

今日 やっと初歩きに行ってきました

車で片道50キロ6時間歩行(内20分電車)

25000歩という感じです

報告は後日します

それにしても今日はいい天気だったね

・・・・・・

(虚空蔵さん・・・・・②)

虚空蔵さんは頂上にお寺があります

一応日本3大虚空蔵尊だけど

第3番目がどうやらたくさんあるらしく

これも興味があったら調べてみてください

登山口に

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石碑があって毎度のことで読めないが

どうやら酒を飲んでの入山禁止と読めた

正月の酒がまだ体に残っているけど

ごめんなさいと謝って登ることにした

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り口の脇に六地蔵が並んでいる

近所のおばさんが花を添えたりしていた

老夫婦が説明書きを読んでいました

毎度のことながらひなびた登り口です

この後この老夫婦も私と一緒に登ることになる

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この山の面白いところは

「一町目」から始まっていることです

通常は一丁目とか一合目だと思うが

他の地区ではいかがなものでしょうか

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ということは当然次は二町目ですね

こうして次々出てくる石の案内も

みんな形が違って面白い

しかも控えめにたっているので

つい見失ってしまいそうだ

Photo_741

三町目、四町目と登っていくが

私の足にはこの階段は苦手だ

したがって階段脇の坂の道を登っていく

その方がよっぽど楽なのである

小さな山だけどゆっくりゆっくり登る

老夫婦と私と同じスピードだ

Photo_742

山の上から野球部の一行が降りてくる

足取り軽くすたすたと

大きな声で「こんにちわ」と私たちに挨拶する

誠に気持ちのいい連中だった

今年の必勝祈願でもしてきたのでしょう

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2007年1月 8日 (月)

虚空蔵さん冬景色

(虚空蔵さんへ・・・・・・①)

抜けるような青空だったが

今日は一歩も外に出なかった

たぶん外へ出たらそのままどこかへ

歩いていってしまったかもしれない

焼津の暖かさをありがたく思います

・・・・・・

4日の日に虚空蔵さんに行ってきました

今年になって本来のウォーキングは

まだやっていません

2時間だけちょっと歩いてみただけです

Photo_733

虚空蔵さん・・こくぞうさん・・焼津の人はそう呼びます

独立した山に見えるが以前にも話したように

大崩海岸同様 

南アルプスから連続している山並みの

最も海に近い山

海に面しているところは波に洗われ

浸食されてしまっている

虚空蔵尊・虚空蔵山・当目山など

いろいろな名前があるが

昔から慣れ親しんだ「こくぞうさん」がしっくりする

Photo_734

この山の麓を「当目」「浜当目」と言う

虚空蔵さんの海の向こうに見える日本平

その向こうに清水港

清水港といえば東海一の侠客清水の次郎長

次郎長といえば二十八人衆の子分

と言うように一つ話になるが

実際の次郎長の明治以降の活躍は

あまり知られていない

・・・・・・

暇があったら調べてください

その手がかりとして

この当目出身の「当目の岩吉」を

キーワードにすれば面白いですよ

次郎長親分が信頼していた子分たちの

その中でもかなり大物

写真にもすぐ隣に写っています

検索をお楽しみに

Photo_735

かつて有名だった

焼津の「乙女が丘海水浴場」がなくなって

随分久しいが

今ではここが焼津の唯一の海水浴場です

正月早々 突堤で釣り客が

波しぶきを浴びながら糸をたれていました

突堤の根元と先端では狙っている魚が

違うと言っていました

・・・・・

Photo_736

風が強いせいかあまり釣れていなかったが

雪をかぶった富士山を見ながらの釣りは

それだけで気分は爽快に成りますね

私も富士山を見ながら

ふとあそこまで歩いていってしまおうかな

なんて誘惑に駆られました

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2006年12月31日 (日)

来年もよい年でありますように

(ちょっとそこまでⅡ・・・・・・・⑥)

大晦日になりました

今年一年もいい年でありました

山あり谷ありですけれど

楽しかったことだけを心に残し

来年もいい年でありますように

今日はこれから仕事です

明日(元旦)の朝11時ごろには

帰宅できるかな

・・・・・・・・

さて 大崩海岸の絶壁も

一箇所だけ集落がある

Photo_703

元小浜(もとおばま)の村である

小学生の頃は遠足でよく来たところです

海岸沿いは工事中で

防災のためか観光用なのか分からないが

静かな磯で心しずかなひと時を

すごしてみるのもいいかもしれない

Photo_704

元小浜へは自動車で楽々降りられるが

小浜・花沢へは山越えで歩いていくしかない

いわゆる焼津アルプスの尾根に出る道です

山を越えると東名と新幹線とJR東海と150号線が

一箇所に集まる日本坂になる

そこが小浜であり花沢なのである

今回はそちらへは行かないで

そのまま大崩海岸進むことにする

Photo_705

この道沿いには

何ヶ所か喫茶店やレストランがあります

眺望がよく静かなので

もし近くを通りかかったら寄ってみては

いかがでしょうか

ただし、あっという間に通り過ぎるので

入るタイミングを見失わないように

Photo_706

元小浜を過ぎるといよいよ静岡市になる

静岡の町が富士山を背景に見えてきた

こんな贅沢な景色は

普段車で通り過ぎてしまうだけでは

じっくり味わっているわけにはいかない

ゆっくりゆっくり歩こう

Photo_707

山肌にまだ残っていた烏瓜も

花の無い季節の彩り

山の蜜柑と同様青い海に映えて

駿河湾の旅は華やかに続きます

・・・・・・

それでは皆様よいお年を・・・♪♪

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2006年12月30日 (土)

激突するプレートが見えるか

(ちょっとそこまでⅡ・・・・・・・⑤)

分散帰省のためか道路もさほど込んでいない

次第に寒くなってきていよいよ年の瀬

今年のレコード大賞は今日30日と言うことで

いつものように紅白とのぶつかりが無い分

大晦日の感じがつかめないな~。

・・・・・・・・・

さて トンネルを抜けるとそこは・・・・・

Photo_698

断崖絶壁に建つ旅館・・・といきたいが

どうやら今は使われていないらしい

遠く日本平と愛鷹山そして富士山を眺望する

絶景なのに時の流れは

大きなホテルに流れていってしまったのだろう

振り返れば

Photo_699

ホテルから崖下まで延々と階段がある

いったいこの階段を下りていくのは誰なのだろう

今の私では無理だ

この梯子のような階段を降りていって

いったい何をしようというのか

Photo_700

海に落ち込むこの絶壁は

地球規模で見れば超すごいところなのだ

ユーラシアプレート・フィリピン海プレート

北アメリカプレート・太平洋プレート

この四つのプレートが一点に集まるところだ

夏の間歩き回った南アルプスが

その巨大なユーラシア大陸の先端として

今まさにここで激突し駿河湾に落ち込んでいく

崖下に目をやれば

Photo_702

その激突の夢のかけらのような岩が海に浮かんでいる

私の幼少の頃にはこの「たけのこ岩」も

もっと大きかったはずだ

時の流れは確実に地球の奥深くに

記憶の切れ端ををひきずりこんで

いってしまうものなのかもしれない

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2006年12月29日 (金)

焼津の観光ホテル

(ちょっとそこまでⅡ・・・・・・・④)

年末になってなんとなくあわただしい感じ

随分寒かったので思いきって車で出勤したら

思いのほか朝は道路がすきすきで

帰りは大渋滞だった

・・・・

さて 瀬戸川を渡るといよいよ

天下の大崩(おおくずれ)海岸への道

Photo_693

ここは焼津の観光の中心で

大きなホテルが3つ並んでいるところ

どのホテルからもすばらしい眺望が期待できる

手前にある3角屋根のかつての喫茶店

Photo_694

今は大きな陶器などを展示販売しているようだ

何せ飾ったあるのが大きなものばかりで

驚いてしまう

はたしてどんな人が買っていくのか不思議だ

Photo_695

大きな石に白い花が描かれている

水墨画かなと寄って見ると

これが何と自然石だった

菊花石の類だろうと思うが

菊よりもハイビスカスの花に見える

自然の造形の妙を感じました

Photo_696

ホテルの真下にあるトンネル

名前が「當目隧道」と右から書いてある

これは随分古いトンネルだと思われる

建設年月を書いたプレートがどこにもないが

戦前それも昭和の始め頃だと思われる

いやもっと古いのかもしれない

トンネルの中は

Photo_697

削ったままの壁にコンクリートを吹き付けて

固定してあるだけで「隧道」といってはばからない

パイパスが出来るつい先ごろまでは

切番のりっぱな国道150号線だったところだ

トンネルを過ぎればさあいよいよこれから

天下の奇勝「大崩海岸」です

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2006年12月28日 (木)

第五福竜丸を思い出す

(ちょっとそこまでⅡ・・・・・・③)

今日は昨日とうって変わって

冬らしい寒さと

電線をうならせる風が戻ってきた

冬の寒さは嫌いなはずだが

なぜか安心した気分になった

・・・

旧焼津港といえどもまだまだ現役だ

かつて東洋一の漁港とうたわれた港だ

Photo_690

親父は小川港の漁師だったが

尊敬する従兄が遠洋漁業の漁師だったので

この港から何度かテープを投げて

出航を見送った懐かしい港なのだ

今は新港のほうに主力が移ったのか

比較的静かだけれどまだまだ海の男たちの

声が聞こえるような気がする

Photo_691

カモメの数も新港よりこちらの方が多い気がする

それだけ時間がゆったり過ぎようとしているのか

大きな船が停泊していた

名前をよく見ると「第弐拾壱福龍丸」と書いてある

懐かしい名前に出会った気がした

この同じ港の同じ岸壁に今から半世紀前

「第五福竜丸」が美しい珊瑚礁のビキニ諸島から

帰港した場所なのだ

第五福竜丸は今は東京夢の島で

半世紀の波乱に富んだ流転を

噛み締めるかのように

後世の人たちに静かに語りかけています

旧港を通り過ぎ当目大橋に差し掛かる

Photo_692

駿河湾にそそぎ込む河口

右岸は焼津港の倉庫群

思い起こせば今年の3月25日この河口から

源流への旅が始まったのでした

この瀬戸川を遡り

まずは支流の朝比奈川の源流へ

そして瀬戸川の源流を極め

大井川に移り河口からも南アルプスへ

安倍川河口から安倍峠へ・・・・

来年の計画はまだ立っていません

とりあえずは・・・・ただ前に歩くだけです

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2006年12月27日 (水)

焼津港内

(ちょっとそこまでⅡ・・・・・・・②)

今日はとても暖かかった

十何年ぶりとかで静岡では20度を越えていた

歩いてお使いに行ったら

汗をかいてしまったほどだ

焼津港からの続き

Photo_686

新焼津港には大型漁船が停泊していた

富士を背に船を見るのは大好きです

子供のときから見続けていて

一番心の休まる景色かもしれない

Photo_687

船からはコチンコチンに凍った

鰹の水揚げの最中だった

マグロかなと思ったぐらい大きな鰹だった

お正月用になるのかな

船からベルトコンベアーで次々と運ばれ

荷捌き場に横付けされたトラックに

直接詰まれて入るところだった

Photo_688

港内の道は広々としているが

横断歩道も信号機も無い

人間が歩くためのものでも一般車のためでも無く

漁業のための車の道なのだ

歩いている私はそれらの車優先で

遠慮しながら歩かなければならない

Photo_689

以前はこの橋の袂にある船玉浦神社が

港の最奥部だったが

今では新港と旧港のちょうど中間になってしまった

通称「船玉(ふなだま)さん」と呼び

焼津の花火大会は「船玉さんのお祭り」の一環だった

今では神社の祭りと花火大会は別物になってしまったが

八月の焼津海上花火大会には

この新港も旧港も大勢の人でにぎわいます

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2006年12月26日 (火)

東へ・・・新焼津港から

(ちょっとそこまでⅡ・・・・・・・・①)

家のすぐそばで悲惨な事件がありました

全国ニュースとなってとても悲しい気持ちです

心優しい焼津を外国の人と共生しながら

守り続けて行きたいといつも思っています

(12月21日)そんな焼津から

用宗(もちむね)港まで歩いてきました

前日のローテーションのペースが戻らないまま

朝起きたのは10時過ぎだった

天気が良かったのでもったいない気持ちになり

11時半にはリュックを背負っていた

前回の(ちょっとそこまで)では真西に向かったので

今回は家から真東に向かい突き当たったのは

Photo_681

今年7月にオープンした「アクアスやいづ」

これは焼津港と小川港の中間と言うよりも

いまや焼津港の一部となった小川港との中間

駿河湾深層水を利用した健康施設です

Photo_682

付近はまだまだいろいろな施設が出来るようで

この巨大な埋立地のあちこちで工事をやっている

私はアクアスやいづをまだ利用していませんが

いずれゆっくり利用してみたいと思っています

ここから新焼津港方面に左折

Photo_683

快晴とまではいかないが天気は良く

うっすらと富士山もうかがえる

この埋立地にはどんな建物が出来るのだろうか

世界中には海岸沿いの活用の仕方で

いろいろな楽しい例がある

それらを思い浮かべながら

ここだけはゼネコンの言いなりになるだけの

海岸にしたくないなと思いながら

歩いていきました

Photo_684

平日の昼間にもかかわらず数人の釣り人が

岸壁で竿を入れていました

声をかけると「鯵でも釣ろうと・・」という返事

岸壁沿いに回って他の人に声をかける

「随分大きなタモですね」

「先日大物を逃したので今度は・・・」と言う返事

私もリタイヤ後はこんな近くにある海に

毎日釣りに来て見ようと思った

清水港のように「自由な釣り禁止」に

ならないことを願いながら

Photo_685

少し霞んではいるものの富士山は

何とか一日私に付き合ってくれそうだ

さあゆるりと歩き出そう

・・・

この日 用宗港までの

27000歩5時間の歩きでした

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2006年12月23日 (土)

鴨たちの季節がやってきた

(ちょっとそこまで・・・・・・⑤)

平野の中をのんびり流れる小さな川

Photo_674

傍らの お地蔵様はお顔も消えかかっていて

随分長い間村人を見つめつ続けて

いらっしゃったのでしょう

それでも祠に入れていただいて

隣にいらっしゃる馬頭観音がたくましく見える

Photo_675

川面にはカルガモと思しき軍団が

悠々と群れを作っている

彼らは渡りをしないのでカルガモといわれ

ずっとこの平野のこの川で生きているのだろう

Photo_676

そこへ大挙して渡り鳥がやってきた

マガモの軍団だ

近くに寄ってカメラを構えると

連中はサッと飛び立ってしまう

いろいろ世間のしがらみを旅してきた連中のこと

結構警戒心が強く鍛えられている

遠くからやっと彼らをとらえることが出来た

中には頭の白いものも混じっていた

同じ種類なんだろうね

Photo_677

こちらは多分コガモだろう

二匹でだけで泳いでいた

意外と鴨はペアで泳いでいるのを見かける

オシドリは見ていないが

結構仲のよい鳥なんだろうね

Photo_678

こんな色の鴨?も仲間に入っていた

黒い体で側面が白い

形も泳ぎも鴨だったからきっと鴨だろう

これからの季節は渡り鳥の越冬の季節

水辺がずいぶんと楽しくなってきますね

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2006年12月21日 (木)

さすがJAのパワー

(ちょっとそこまで・・・・・④)

藤枝に入ってからは栃山川沿いに島田に向かう

栃山川は志太平野のほぼ半分を縦断している

Photo_670

途中で東光寺川と合流しているが

そちらは水無し川だったのでパス

栃山川は平野の水田に水を供給する役目もある

川であり天然の用水でもある

大井川より取り水しているようだ

Photo_671

川の途中で何ヶ所か水門があった

水門自体川の割には随分と立派なものばかり

水門の左側に何か変わったものがある

通り過ぎたけれど何か気にかかる