2007年2月20日 (火)

草庵への郷愁は

10年以内に消滅すると予想される集落が全国で422地域あると、国土交通省が発表した。過疎地域にある集落数が全国で62271あるそうで、そのうちの0.7にあたるのが先ほどの数値となる。

予想だからかなならずそうなるのではないけれど、消滅することはやはり寂しいことなのですね。私も県内の水辺を歩いていて人間の生活が如何に水辺に密着したものであるかが少しずつ分かってきた。

小さな集落に出会うとこの村に初めて住もうとした人はどんな気持ちだったろうかと思ったりする。最初の人は希望に燃えた若夫婦の二人だけだったろうか。また落人のようにやむにやまれず未開のこの地域に移り住んだのだろうかと思ったりします。

廃屋になった民家や家畜小屋の崩れかかったのを見ると時々時の流れを感じたりします。「故郷の廃家」(原題「My dear old Sunny Home」)明治時代に訳詩され「故郷」とともに日本人の心の原風景として愛されてきた歌の風景が今も私たちの目の前にあるということですね。

消滅する集落は過疎化によるものですが元はゼロから始まった村が次第に発展しやがて消滅していくのは必然なのかもしれません。過疎化を食い止めるべきなのか絶対阻止しなければいけないものか分かりません。

国土交通省の発表の中に過疎地域の集落に占める消滅集落(10年以内予想)の割合が最も多いのは我々の住む中部地域で1.5%、最も少ないのは沖縄の0%だそうです。

なぜでしょうね・・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・⑩最終回)

ロープウェーを降りてから右に折れ

小さな樋沢川沿いに下る

川沿いの急坂道に沿って

Photo_921

○○坊と言う名前の寺が

たくさん建っています

長い歴史に中で一つ一つの坊は

栄光と苦難の歴史を刻んだことでしょう

こちら側を下ろうとしたのは

Photo_922

日蓮さんのお墓を見ようと思ったからです

お寺の横に右に折れる道があり

矢印が案内していた

お墓への道にも

Photo_923

寺院はずっと続いていて

道際にも○○上人さんが人々に

導きの言葉をかけているようでした

どうやら日蓮さんの教えを伝えている

上人さんは皆「日○上人」と言うように

日と言う文字がついているので

分かりやすいですね

Photo_924

身延川の本流といっても小さな川だが

その川に沿って日蓮さんのお墓がありました

山を背にしたお墓は八角形で

八方睨みの獅子のついた台座も

八角形でした

久能山東照宮の

家康のお墓を見た時よりも

感動はしなかった

Photo_925

しかしそのすぐ下側にある

草庵跡を見たときはある種の思いが

こみ上げてきた

この大規模な寺院建築群の久遠寺

観光地としても聖地としても

華やかな地にあって

何もないこの更地に原点を感じた

七百数十年前何もない山陰に

草庵を組み読経に明け暮れ修行した

今の私と同年代の日蓮さん

何処で死んでも「墓は身延へ」と遺言するほど

この草庵を愛していたのは

いったいなんだったろうか

何もない草庵跡を眺めながら

今回の富士川の旅もいったん終わります

春たけなわになったら

後2回かけて「鰍沢」まで行くつもりです

なぜなら富士川が富士川と呼ばれるのは

鰍沢まででそれより上流は

戦国絵巻で有名な「釜無川」「笛吹川」だ

それと下井出と内船のわずか5~6キロも

歩き残しているのでその時一緒に

歩いてみようと思っています

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2007年2月17日 (土)

親を思う心は変わらじ

(何とか時間が出来たので急ぎ今日の分のブログUPしておきます)今日2月17日は越南(ベトナム)のテト(春節)とのこと。ところがなんと中国では明日の18日が春節になる。

太陽と月と地球が一直線になるのがベトナム時間で17日23時14分。ところが時差の関係上その時中国ではすでに18日になっていると言うことです。

テトや春節は日本のお正月に相当する盛大なお祝いの日です。その日が一日ずれるのも面白いですね。ベトナムは漢字で書くと越南で中国的には越の国の南にある場所と言う意味になる。

ベトナムの国を旅行するとインドシナ半島のその他の国に比べ随分と漢字文化であることが分かります。遺跡もそうだし人の名前も漢字から類推されるものが多く感じられます。今のベトナムは独立独歩で東南アジアの中でもすばらしいイニシアチブを持っていますがかって中国の属国的に甘んじたときもありました。

そんな時代ではテトと春節の日にちを違えることなど出来なかったのではないかと推察します。私たちの年代だとテトと聞くと「テト休戦」を思い出します。アメリカとベトコンが戦っていた頃せめて正月ぐらいは休戦しましょうという意味で、私はテト=戦争と言う風にイメージしてしまいました。今の若者の中にはそんな風に思う人は無いはずです。楽しいテトをイメージしていただきたいと思います。

じようにイスラム世界では「ラマダン明け」がそれに相当します。日本人からみると(ラマダン)断食月は食事できなくてつらいだろうなと思うかもしれませんが、私の知る限りむしろこの時期の方が人々は喜びに満ち笑顔が多く感じられました。私たちが遠慮がちに昼食をとっているとむしろ気を使ってくれて「どうぞどうぞ」と笑顔で言ってくれました。

その断食月が明けたときの喜びもまた違った意味で喜びがあふれるものなのでしょう。・・・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・⑨)

1000メートルを越えるこの山頂にも

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立派な仁王門を構えた仏閣がありました

「思親閣」といって日蓮さんが

故郷小湊(千葉県)の両親をしのんで

追慕したところとのこと

Photo_915

ロープウェーから新たに降りてきた人や

山の下から登ってきた人たちなども

一緒におまいりしました

歩いて登ってきた人のいでたちは

ストックを持って靴も登山靴だった

そうだよね・・・出なければ無理だよね

Photo_916

帰りのロープウェーを待つ間

七面山方面への裏参道を

少し下ってみたが

やはり道は凍っていて歩けない

いつの日か自分の足で登ることにして

今回は自重することにしました

Photo_917

帰りのロープウェーに揺られ

左に富士川、右に国道52号線

真下に身延の街を眺めながら

自分の歩いてきた富士川の道を

思い出していた

なるほど川筋からずっと身延山が

眺望できる訳が分かった

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2007年2月16日 (金)

霞の中の富士山と

奈良県明日香村のキトラ古墳の四神図最後の「朱雀」を壁から剥ぎ取ることに成功したそうだ。四神全てを保存できることになったが日本の気候ではそのままの位置での保存は難しいからやむを得まい。

1300年ぶりに発見されてもわずかな年月で劣化するということは日本の文化財に数千年前の物が残らない劣悪な自然環境があるということですね。以前キトラ古墳が発見されたとき風水の青龍(東)白虎(西)玄武(亀)朱雀(南)と言うのを始めて知りました。おかげでその後風水に興味を持ったことがあります。

知れば知るほど風水は面白い。相撲の白房とか青房と言うのもそうだし奈良京都の朱雀門と言うのもそうだし身近な生活空間の色々のところに何気なくかかわっていると言うことも分かってきて楽しい。

たかがお墓の壁画と言う人もいるかもしれないが世界数ある朱雀(火の鳥・鳳凰)図のなかで右向きの朱雀はほとんど無いそうだ。それだけにこの明日香村オリジナルの芸術は深遠なるロマンを秘めていて興味が尽きない。

平安京・平城京・江戸の町・紫禁城・アジア各国の城や街など風水を元にした街づくりがなされていて観光していても結構楽しめます。同じアジアでも南半球に行くと南北が逆になる。風水で風や水が如何に太陽のおかげで循環しているかが実感されます。手塚治虫の「火の鳥」そのままのキトラの朱雀。

長い眠りから醒め何処で日本の行く末を見つめようとしているのか・・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・⑧)

身延山頂上へ到着して

Photo_907

さっそく展望台へ

あれっ 富士山は霞の中にうっすらと

まるで空に溶け込んでいるようだった

私の旅は富士山と相性が良くない

転付峠も安倍峠もこの身延山も・・・

今年の暖冬が空に湿気を呼んでいるのかな

Photo_908

気を取り直し北側にある展望台へ

あれっ こちらは入り口にロープを張り

通行止め?ですか

折角来たのだから無視しましょう

脇を通って歩き出して

通行止めの意味を理解できた

Photo_909

坂道がカチカチに凍っている

ツルツルの氷の上を歩いている感じ

しかも坂道だ

スニーカーでは歩けない

引き返すべきだが展望台はすぐそこだ

道の脇の枯れ枝の上をゆっくりゆっくり

本当に一歩一歩歩きながら何とか進んだ

Photo_910

頂上の展望台付近は一面の雪だった

ここでおにぎりを食べようと思っていたのだが

あまりの空気の冷たさに食欲も無くなる

勿論あたりには人影も見えなかった

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こちら側も薄い靄の中で

さすがに南アルプスの北岳は

まったく見えなかった

でもその手前の山々は何とか見ることが出来た

Photo_912

今来た道を戻るのも同じ危険なら

と思い雪の中ぐるり頂上一周することにした

途中無線中継所の横を通り

路面は凍ってはいたが

雪がある分歩きやすかった

Photo_913

頂上のお寺の脇に出る

身延山の表参道の下山口があった

でもこの坂道も凍っている

歩いてこなくて今日は正解だったと思った

こちらは太陽が燦燦とあたっている

爬虫類の私は体温の上昇を待って

ここでおにぎりを食べることにした

・・・・・・・・・

明日から3日ほど公私ともに

ちょっと繁忙

ブログ可能な限りUPするけど

どうなることやら・・・・・

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2007年2月15日 (木)

ロープウェーにて頂上へ

明け方、関が原の合戦の夢を見ていた。「3対3」で拮抗していた両軍の勢力がいつの間にか「4対1」と「1蚊帳の外」と言う構図になりあっという間に東軍の大勝利に終わったと言うものである。

なぜそうなったかと言うと西軍のミスターK(小早川)の寝返りが大きく作用したからだ。西軍の総大将は圧倒的戦力と戦術を持ち典型的な鶴翼の陣で完全勝利を狙っていた。ところが内憂外患をかかえ判断を誤った。

たった一日で決着がついた関が原の合戦は後世、天下分け目の戦いだったと言うレッテルを貼られて今日に至る。関が原は東西の総大将がその昔代理戦争をしたまさにその場所。

今度の天下分け目の場所に誘い込んだのは東の総大将だった。西の総大将は天下を統一したと豪語し、まんまとその術中に嵌ったことになる。味方の寝返りなど微塵も疑わぬ甘さを持ち。戦には論功行賞としての戦後処理が必ず付きまとう。

負けた西軍は無条件で莫大なエネルギーを無償提供せざるを得なくなり東軍の総大将はそのほかに傍観していた諸軍勢からお祝いとしてエネルギー供給までうけ、それらを仲間の3勢力に施すことにより、ますます体制を安泰化させていく。もちろん寝返ったミスターKにも褒賞を与える。

一方蚊帳の外にされた1軍勢は「戦いには参加しなかったからエネルギー供給はする必要が無い」と尻をまくっている。東軍の総大将はその言葉に完全無視を決め込むことにした。

もう一つの戦後処理は豊太閤ジュニアを消し去ることなのか・・・・・・・・・・ここまで来て目が覚めた。寝ぼけ眼で今まで見ていた夢を思い出そうとしたが幻の彼方にすーっと消えていくようだった。・・・・・

(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・⑦)

本堂の裏手に回ると

Photo_902

身延山山頂への登山口がある

登ろうかな しばらく眺めていたが

気持ちが少し萎えてきたのでやめた

のぼりは索道(ロープウェー)にして

下りだけは歩いてこようと思った

Photo_903

登山口から目と鼻の先にある

索道乗り場に向かう

こんな時期だから誰もいないかもしれない

第一 動いているだろうか

Photo_904

窓口のお姐さんにいろいろ聞いてみる

降りるのも時間がかかりますとのこと

またまた根性なし

往復の切符を買うことにした

時間を見ると20分置きに発車しているようだ

私に切符を売った後窓口を再び塞いだ

良く見ると自動販売機があると←が・・・

私はうるさいおじさんだったようだ

Photo_905

索道を待つ間家族連れも合流して

お客は計6名になった

大きなゴンドラだったのでゆるゆる座っていける

おかしなもので人間心理としては

人は前の座席に座りたがる

やむなく私は一番後ろに座った

Photo_906

しかし今の時期一番後ろが

見晴らし最高なのだった

お客さんは皆後ろに集まってしまった

以前中国の黄山へ行ったとき

上りは断然前が良かったけど

ここは木ばかり見えて面白くない

その代わり後ろは富士川・身延の街

そして富士山も眺望できるのだ

頂上が楽しみになってきた

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2007年2月14日 (水)

悟りの境地に程遠く

伊豆の修善寺の桂川は修善寺川と言うそうだが桂川と言う方がなじみがある。伊豆の狩野川支流に京都をモデルとした街を作うとした先人たちの名残が地名に残っています。

街の中、その桂川の中に有名な「独鈷の湯(とっこのゆ)」があります。昔訪れたときお婆様が一人で入っていて「あんたたちも一緒にどうかね?」と誘われた経験があります。

ご存知と思いますが温泉街の真ん中の川の中にあるため若い僕らは遠慮しました。その独鈷の湯が洪水の災害防止のため移設するそうです。平成20年をめどに県はもっと川岸に近い方に移すとのこと。

弘法大師が旅の途中持っていた独鈷を川に突き刺し温泉を湧き上がらせた伝説の湯まさにその場所を示すモニュメントとしての湯屋でもある。

それにしても独鈷は法力をそこから発揮するアイテムで、大師や他の僧正でも右手に握ってその握った手のひら側を前に出しているのは、法力をよりパワーアップさせるためなのかなと昔から不思議に思っています。

世界文化遺産の遺跡はまさにその場所を遺産として残し、中国辺りでは古い建築物よりその近くにキンキラの新しい建築物を作ってしまう伝統があり、三国志を読んでそのままのイメージでその建築物を見てしまうと違和感を感じてしまったりする。

その場所を避けて残すのではなく建築物も自然の立ち木も今の生活不向きなものは取り除くのはいつの時代でも行ってきたこと。独鈷の湯も史実はどうあれ弘法大師以来1200年ぶりに移すとなれば県の土木事務所もかなりのエネルギーが必要でしょう。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑥)

菩提梯を登りきって悟りの境地へ

Photo_897

のつもりだったが本堂を見ても

息絶え絶えで呼吸を整えるのに

精一杯だった

昭和60年に再建された本堂は

重厚なつくりでどっしりとしています

内部は撮影禁止なので写真は無し

ひんやりとした板の間を歩き

お参りしてきました

Photo_898

境内には堂をはじめ

閣・殿・楼・院・場・寮などいろいろな建物が

ずらーっと並んでいて

とてもその全部にご挨拶できない

Photo_899

それら一つ一つに施された彫刻なども

しっかりした造りで

さすが総本山のパワーだね

節分が近いのでその準備が

もう始まっているようでした

Photo_900

桜の花だろうか

境内の池に影を落とす古木に

花が咲いていました

きっと何かのいわれのある木なんでしょうね

Photo_901

多分こちらのほうが

有名なしだれ桜の木なんでしょう

まだ花の咲く気配がありません

けれど今年の暖冬では

今頃はもう咲き始めているかもしれませんね

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2007年2月13日 (火)

悟りへの長い階段

来年秋から3ヶ月若田光一さんが国際宇宙ステーションに長期出張するそうです。日本人での最長滞在記録は土井隆雄さんの15日が最高だから一気に長期となる。

「いいな~」と言うのが正直な感想です。だれも子供のときは宇宙へ行ってみたいと思ったことでしょう。そのうち生きてる間に一度ぐらいいけるのではないかと思ったりしたが今では絶対に行くことが不可能だと諦めています。

遺灰を宇宙に散骨してくれるそうで200万ぐらいで可能なんて一時話題になったこともありましたね。海外旅行へ一週間行ってくるのと海外出張で3カ月行ってくるのでは随分と感じが違うようなもので、宇宙3カ月ではやはり絶対に感じが違うと思います。

あと百年ぐらいたてば新婚旅行に宇宙ステーションなんてことが現実になるといいですね。そのためには地球を破壊する道具を作る競争でなく、その資金や能力を大空に向けてほしいですね。ましてや地球を破壊する道具を作りあげ、人質にとってあるから放棄してほしかったら金(油)を出せなんて低次元な会談をやっている人類では先行きあまり望めないけど・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑤)

三門に到着してその大きさに

圧倒されてしまった

Photo_891

全体をカメラに収めるにはずいぶんと

後ろに下がらなければならない

江戸時代初期に建立され消失したものを

明治時代に再建したとのこと

門の両袖には勿論

阿吽の金剛力士が控えていました

Photo_892

山門を入ると杉木立の並木が続き

正面に階段が見える

周囲にも○○坊やら石像や銅像など

が見え隠れする

正面の階段が「菩提梯」

Photo_893

随分急な石段で

その一段一段が随分と高い

手すりを掴んでゆっくりしか登れない

南無妙法蓮華経の7区画に別れている

その区画ごとで休憩しながら登る

Photo_894

私の後を老夫婦が登ってくる

絶対追いつかれないように

がんばって登りました

この階段を登ることも修行の一つで

上まで登ることが悟りに近づくこと

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この階段も三門同様江戸時代に

作ったものだそうです

すごいものだね

多くの先人たちの歩いた思いが

階段の一段一段に染み付いているような

そんな気がしました

Photo_896

最後の一区画を登りきると

正面にようやく本堂が現れる仕組み

アンコールワットの参道のように

悟りに導く過程が

物理的に構成されているのですね

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2007年2月12日 (月)

総門からのあゆみ

人は勘違いしながら生きるものかもしれない。幼い頃見た時代劇ではヒーローが危なくなると最後にサスマタや捕り縄提灯を持って「御用だ御用だ」といってお役人が助けてくれるのを手を叩いて喜んだものだった。

長じて役所に書類を提出しに行ったとき「○○書士」に書いてもらわなくては受け付けないぐらいに役人に門前払いをくらった。当時は仕掛け人とか紋次郎がテレビで活躍していた時代。役所の人も自分たちは権力者だと勘違いしたのかもしれない。

普通は権力は国民にあり、役所の人間は主権者の幸せのために働く、サービス業であるはずだ。許認可も「法」がそれをするのであって役所の人間はただの代弁者だが、往々にして役人が許認可をしているかのように錯覚するものですね。

資本家のいないある国では富は国民に平等に分配されるはずだが、一度国家に吸い上げられた富を将軍様が国民に「施す」と言うのであれば、かつての封建時代の国と一緒になってしまう。

神様や他国や自然が作った物でも良い物は良い、悪いものは悪いのであって、人間や自国で作ったものしかイヤだというのは何かの勘違いだろう。

末端からトップまで些細な権力を振りかざす悲しい人間の嗚呼勘違い・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・④)

ようやく総門にたどり着きました

Photo_884

大きな門だね

お寺の門というよりお城の門みたいだ

かなりの年代物のように見える

門の左横にもさっそくお寺が建ってる

全てを見て歩くわけには行かない

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門を入るとすぐ右に

休憩所のような建物がある

名前を書いた札が所狭しと貼られています

この建物のよこがバス停にもなっていました

ちょっと休憩して歩き出す

Photo_886

ここからは身延川沿いに上る参道となる

まだ先は長そうだ

先ほどまで山陰に隠れていた

身延山が見え出してくる

日蓮さんがここへ足を踏み入れたのは

いまの私より若いはずだ

Photo_887

当時は元論門前町があったわけでなく

ただの山陰の谷川沿いの

どこにもあるような草生した所だったろう

幕府を諌めても聞き入れられない

そんな心境のままこの道を登ったのか

Photo_888

門前町の中にバスの停留所がある

中央高速バス新宿行と書いてあるところを見ると

どうやら東京からここまでバスが来るのだろう

山梨県は関東圏だものね

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2007年2月11日 (日)

まん丸な道祖神

気象庁観測130年の歴史で東京「降雪なし」の記録を更新したそうです。多分このまま行くと初の「降雪なし」の年になるかもしれないとのこと。

東京に雪が降らなくても東京の人は困らないと思うので、どうってことは無いけれど何かを暗示しているようですね。すぐ恐怖の地球温暖化と結びつけると「おだっくい」だとしかられそうだからやめます。

二酸化炭素による地球の温暖化のおかげで地球に生物が生きていられるのだ。この広い宇宙の中で、いまだに生命活動をしているものを見つけられずにいるというのに地球上のこの華やかさはすばらしい。

もし地上から二酸化炭素が無くなったら平均気温-28度ぐらいになり寒がりの私は多分生きていけないと思います。二酸化炭素があるおかげで温暖化されて今日も一日元気良く過ごせそうなのだ。

ただ地中と水中に封印されている膨大な二酸化炭素を、ほんのちょっと開放しただけで温室は熱くなりすぎ水は蒸発して高いお空のそのまた向こうへさよならしてしまい、火星のようになってしまうと言う話もあるしな~・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・③)

久遠寺に向かってボチボチと歩き出す

Photo_880

小学校の近くにひときわ目立つ家がある

玄関に雛のつるし飾りと書いてあるので

寄ってみようと思ったが反対側に

表札のがあったので個人のお宅かと思い

伺うのはやめました

イメージとしては旧小学校?かな

Photo_881

そのまた近くに「水神」の石碑と

「道祖神」の丸い玉が並んでありました

水神は富士川独特なのかな

先日の市川家に行くときもあったし

道祖神の丸い玉ははじめて見ました

今までは抱擁像か文字だけだったのに

やはり歴史のあるところは面白い

Photo_882

道の左側に「花の寺」「鏡園坊」「南部氏館跡」と

たくさんの案内がある

そうか身延町といえども

以前は南部氏の領土だったんだな

う~ん・・ 寄り道は帰りにとって置こう

いまはとりあえず真っすぐ歩きましょう

Photo_883

道はずっと波木井川沿いに上ってきて

橋に差し掛かりここを越せば

いよいよ久遠寺の総門になる

のんびりと歩いたせいか結構時間がかかった

駅から総門まで45分だった

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2007年2月10日 (土)

立派な歩行者自転車トンネル

ぼやきと希望。不安と安堵。当人たちもそれ以外の人たちも感じていること「2007年問題」が今日もNHKで特集を組んで喧々諤々やってます。

ぼやきとの一つは「この国の高度成長を成し遂げた自分たちを、やっとたどり着いた定年の段階でまたいじめるのか」で「これから若者の犠牲が多くなって、老人を養わなければならない」となり、希望は「自分のやりたいことにこれからチャレンジできる」で「社内に巣食っていた頭の上の霧のようなもやもやがやっと無くなる」でもある。不安と安堵もそれぞれの年代で感じるでしょう。

これから為政者のなす課題はいかにして今まで同様に団塊世代から金を吸い上げるかだ。江戸時代は百姓から「生かさぬように殺さぬように」年貢を収めていただいた。

現代は一番多い団塊世代には一生涯税を納めていただきい。ここで所得がなくなったといって税を払っていかないではまずいので、介護保険程度でなく寿税(長生きさせてもらっている感謝税)とか老人の医療費の自己負担を上げるとか理由は何でもいいので、今まで同様団塊世代を「生かさぬように殺さぬように」していかなければいけないだろう。

彼らはそうやって生き延びてきたのでかなり辛抱強いはずだから・・・・・・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・②)

今回の歩きのスタートは身延駅前から

Photo_874

川沿いの遊歩道を歩く

散歩道としては良いのだが

小川に突き当たるたびに通りまで戻るのが難点だ

それでも何とか観光地としての体面は

きれいなだけに保っている

身延橋を渡り真っすぐ歩く

Photo_875

国道から先ほど車で通ったトンネルがある

その右横になんともう一つトンネルがある

はてこれは何だろう

看板を見ると「歩行者自転車」と書いてある

な~んだ こちらが歩道か

トンネルは危ないんだな

Photo_876

歩行者自転車用にしてはとても立派だ

きれいでしかも私一人だけしかいない

時間が時間だけに静かなものだ

しかし今回の帰りに

もう一度差し掛かったとき

Photo_877

反対側から見ると左に見えるはずの

歩行者用トンネルが死角になって見えない

しかも歩行者も自転車も車も

みんな同じトンネルを通っている

歩行者用の立派なトンネルを

本日通過したのは私一人だけかもしれない

さすが山梨県だね

Photo_878

久遠寺方面に向かって歩くと

国道52号線と交差する

地元の人たちはバイパスと呼んで

いるらしくまだ新しい雰囲気が出ています

Photo_879

駅から35分ぐらいのんびり歩いたところに

身延高校がありました

平日の10時過ぎだから

辺りはしんとして目下勉学中

静かに前を通り過ぎました

よく身延山高校と名前を間違えられるようで

この高校出身者に念を押されたことがあります

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2007年2月 9日 (金)

山梨ロマン街道・・・

水辺を歩くのが好きなのは”波を子守の歌と聞き千里寄せ来る”海の気を吸って童となったからだと思います。静岡県は豊かな水にあふれ山の湧き水も旅人を癒してくれる。

以前ボルネオ島(インドネシアではカリマンタン島)でしばらく生活した街は大湿原の真ん中で空港も街も湿原に土を盛って作ったようなところだった。空港から街までの道は湿原の中の一本道で周りは全て水に浸かっているようでした。

私たちの地球は豊かな水の惑星だと言うことを実感しました。しかし地球上の水のうち真水はわずか2.5%でそのうち利用可能な水は0.008%だそうだ。地球の真水を風呂桶いっぱいとするとその利用可能な水は大匙2杯分でその大部分が川となって海に注いでいる。

そのわずかな水で洗濯をして風呂に入りプールで泳ぎ食事をする。体の中の3分の2の液体を維持するためにジュースを飲みお茶を飲む。

環境悪化により30年後のヨーロッパではそのわずかな水でさえ30%以上も減るそうだ。エネルギー消費大国、エネルギーを世界中貪り集めている大国、現在の異常気象など関係ないと嘯いている大国・・・・・

目覚めのときはいつになるのだろうか・・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・①)

身延山は日蓮宗の山だけど

日蓮宗の山ではない

身延山は山梨県の山なのだ

2月1日(木)にその頂上まで

行ってきました

その日は31000歩6時間でした

その日早く家を出ようと思ったが

Photo_870

相変わらずのずぼらで結局渋滞に巻き込まれ

バイパスものろのろ運転

前方の富士山も少しかすんでいるものの

何とか姿を現して

今日はチャンスと張り切った

よしっ 身延山頂上まで登り

帰りは先日パスした下井出ー内船間も

一気に歩けるかもしれない

Photo_871

興津から入った国道52号線の

宍原の峠を越えたとたん眼前に

ドカーンと富士山が現れた

この道では唯一富士山が見えるところだ

朝の光に照らされて雲の具合も良い

思わず車を止めて前後の車の安全を

十分確認しながらまずは1枚

今日は身延山頂の眺めは期待できるか

Photo_872

十島から対岸の左岸側には出ずに

そのまま国道を北上する

井出のちょうど対岸に当たるところで

巨大なタケノコが見えてきた

敢えて寄る必要も無かったが妙に気になる

車を降りて小休止「道の駅・とみざわ」

芝川に連なるこの地方は

タケノコ自慢のところなのだ

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でもここは山梨県の入り口

そう山梨県は富士の国なんだ

そしてここはロマン街道なのだ

よーしっ 今日も元気に歩き出すぞー・・・

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