2007年2月20日 (火)

草庵への郷愁は

10年以内に消滅すると予想される集落が全国で422地域あると、国土交通省が発表した。過疎地域にある集落数が全国で62271あるそうで、そのうちの0.7にあたるのが先ほどの数値となる。

予想だからかなならずそうなるのではないけれど、消滅することはやはり寂しいことなのですね。私も県内の水辺を歩いていて人間の生活が如何に水辺に密着したものであるかが少しずつ分かってきた。

小さな集落に出会うとこの村に初めて住もうとした人はどんな気持ちだったろうかと思ったりする。最初の人は希望に燃えた若夫婦の二人だけだったろうか。また落人のようにやむにやまれず未開のこの地域に移り住んだのだろうかと思ったりします。

廃屋になった民家や家畜小屋の崩れかかったのを見ると時々時の流れを感じたりします。「故郷の廃家」(原題「My dear old Sunny Home」)明治時代に訳詩され「故郷」とともに日本人の心の原風景として愛されてきた歌の風景が今も私たちの目の前にあるということですね。

消滅する集落は過疎化によるものですが元はゼロから始まった村が次第に発展しやがて消滅していくのは必然なのかもしれません。過疎化を食い止めるべきなのか絶対阻止しなければいけないものか分かりません。

国土交通省の発表の中に過疎地域の集落に占める消滅集落(10年以内予想)の割合が最も多いのは我々の住む中部地域で1.5%、最も少ないのは沖縄の0%だそうです。

なぜでしょうね・・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・⑩最終回)

ロープウェーを降りてから右に折れ

小さな樋沢川沿いに下る

川沿いの急坂道に沿って

Photo_921

○○坊と言う名前の寺が

たくさん建っています

長い歴史に中で一つ一つの坊は

栄光と苦難の歴史を刻んだことでしょう

こちら側を下ろうとしたのは

Photo_922

日蓮さんのお墓を見ようと思ったからです

お寺の横に右に折れる道があり

矢印が案内していた

お墓への道にも

Photo_923

寺院はずっと続いていて

道際にも○○上人さんが人々に

導きの言葉をかけているようでした

どうやら日蓮さんの教えを伝えている

上人さんは皆「日○上人」と言うように

日と言う文字がついているので

分かりやすいですね

Photo_924

身延川の本流といっても小さな川だが

その川に沿って日蓮さんのお墓がありました

山を背にしたお墓は八角形で

八方睨みの獅子のついた台座も

八角形でした

久能山東照宮の

家康のお墓を見た時よりも

感動はしなかった

Photo_925

しかしそのすぐ下側にある

草庵跡を見たときはある種の思いが

こみ上げてきた

この大規模な寺院建築群の久遠寺

観光地としても聖地としても

華やかな地にあって

何もないこの更地に原点を感じた

七百数十年前何もない山陰に

草庵を組み読経に明け暮れ修行した

今の私と同年代の日蓮さん

何処で死んでも「墓は身延へ」と遺言するほど

この草庵を愛していたのは

いったいなんだったろうか

何もない草庵跡を眺めながら

今回の富士川の旅もいったん終わります

春たけなわになったら

後2回かけて「鰍沢」まで行くつもりです

なぜなら富士川が富士川と呼ばれるのは

鰍沢まででそれより上流は

戦国絵巻で有名な「釜無川」「笛吹川」だ

それと下井出と内船のわずか5~6キロも

歩き残しているのでその時一緒に

歩いてみようと思っています

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2007年2月17日 (土)

親を思う心は変わらじ

(何とか時間が出来たので急ぎ今日の分のブログUPしておきます)今日2月17日は越南(ベトナム)のテト(春節)とのこと。ところがなんと中国では明日の18日が春節になる。

太陽と月と地球が一直線になるのがベトナム時間で17日23時14分。ところが時差の関係上その時中国ではすでに18日になっていると言うことです。

テトや春節は日本のお正月に相当する盛大なお祝いの日です。その日が一日ずれるのも面白いですね。ベトナムは漢字で書くと越南で中国的には越の国の南にある場所と言う意味になる。

ベトナムの国を旅行するとインドシナ半島のその他の国に比べ随分と漢字文化であることが分かります。遺跡もそうだし人の名前も漢字から類推されるものが多く感じられます。今のベトナムは独立独歩で東南アジアの中でもすばらしいイニシアチブを持っていますがかって中国の属国的に甘んじたときもありました。

そんな時代ではテトと春節の日にちを違えることなど出来なかったのではないかと推察します。私たちの年代だとテトと聞くと「テト休戦」を思い出します。アメリカとベトコンが戦っていた頃せめて正月ぐらいは休戦しましょうという意味で、私はテト=戦争と言う風にイメージしてしまいました。今の若者の中にはそんな風に思う人は無いはずです。楽しいテトをイメージしていただきたいと思います。

じようにイスラム世界では「ラマダン明け」がそれに相当します。日本人からみると(ラマダン)断食月は食事できなくてつらいだろうなと思うかもしれませんが、私の知る限りむしろこの時期の方が人々は喜びに満ち笑顔が多く感じられました。私たちが遠慮がちに昼食をとっているとむしろ気を使ってくれて「どうぞどうぞ」と笑顔で言ってくれました。

その断食月が明けたときの喜びもまた違った意味で喜びがあふれるものなのでしょう。・・・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・⑨)

1000メートルを越えるこの山頂にも

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立派な仁王門を構えた仏閣がありました

「思親閣」といって日蓮さんが

故郷小湊(千葉県)の両親をしのんで

追慕したところとのこと

Photo_915

ロープウェーから新たに降りてきた人や

山の下から登ってきた人たちなども

一緒におまいりしました

歩いて登ってきた人のいでたちは

ストックを持って靴も登山靴だった

そうだよね・・・出なければ無理だよね

Photo_916

帰りのロープウェーを待つ間

七面山方面への裏参道を

少し下ってみたが

やはり道は凍っていて歩けない

いつの日か自分の足で登ることにして

今回は自重することにしました

Photo_917

帰りのロープウェーに揺られ

左に富士川、右に国道52号線

真下に身延の街を眺めながら

自分の歩いてきた富士川の道を

思い出していた

なるほど川筋からずっと身延山が

眺望できる訳が分かった

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2007年2月16日 (金)

霞の中の富士山と

奈良県明日香村のキトラ古墳の四神図最後の「朱雀」を壁から剥ぎ取ることに成功したそうだ。四神全てを保存できることになったが日本の気候ではそのままの位置での保存は難しいからやむを得まい。

1300年ぶりに発見されてもわずかな年月で劣化するということは日本の文化財に数千年前の物が残らない劣悪な自然環境があるということですね。以前キトラ古墳が発見されたとき風水の青龍(東)白虎(西)玄武(亀)朱雀(南)と言うのを始めて知りました。おかげでその後風水に興味を持ったことがあります。

知れば知るほど風水は面白い。相撲の白房とか青房と言うのもそうだし奈良京都の朱雀門と言うのもそうだし身近な生活空間の色々のところに何気なくかかわっていると言うことも分かってきて楽しい。

たかがお墓の壁画と言う人もいるかもしれないが世界数ある朱雀(火の鳥・鳳凰)図のなかで右向きの朱雀はほとんど無いそうだ。それだけにこの明日香村オリジナルの芸術は深遠なるロマンを秘めていて興味が尽きない。

平安京・平城京・江戸の町・紫禁城・アジア各国の城や街など風水を元にした街づくりがなされていて観光していても結構楽しめます。同じアジアでも南半球に行くと南北が逆になる。風水で風や水が如何に太陽のおかげで循環しているかが実感されます。手塚治虫の「火の鳥」そのままのキトラの朱雀。

長い眠りから醒め何処で日本の行く末を見つめようとしているのか・・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・⑧)

身延山頂上へ到着して

Photo_907

さっそく展望台へ

あれっ 富士山は霞の中にうっすらと

まるで空に溶け込んでいるようだった

私の旅は富士山と相性が良くない

転付峠も安倍峠もこの身延山も・・・

今年の暖冬が空に湿気を呼んでいるのかな

Photo_908

気を取り直し北側にある展望台へ

あれっ こちらは入り口にロープを張り

通行止め?ですか

折角来たのだから無視しましょう

脇を通って歩き出して

通行止めの意味を理解できた

Photo_909

坂道がカチカチに凍っている

ツルツルの氷の上を歩いている感じ

しかも坂道だ

スニーカーでは歩けない

引き返すべきだが展望台はすぐそこだ

道の脇の枯れ枝の上をゆっくりゆっくり

本当に一歩一歩歩きながら何とか進んだ

Photo_910

頂上の展望台付近は一面の雪だった

ここでおにぎりを食べようと思っていたのだが

あまりの空気の冷たさに食欲も無くなる

勿論あたりには人影も見えなかった

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こちら側も薄い靄の中で

さすがに南アルプスの北岳は

まったく見えなかった

でもその手前の山々は何とか見ることが出来た

Photo_912

今来た道を戻るのも同じ危険なら

と思い雪の中ぐるり頂上一周することにした

途中無線中継所の横を通り

路面は凍ってはいたが

雪がある分歩きやすかった

Photo_913

頂上のお寺の脇に出る

身延山の表参道の下山口があった

でもこの坂道も凍っている

歩いてこなくて今日は正解だったと思った

こちらは太陽が燦燦とあたっている

爬虫類の私は体温の上昇を待って

ここでおにぎりを食べることにした

・・・・・・・・・

明日から3日ほど公私ともに

ちょっと繁忙

ブログ可能な限りUPするけど

どうなることやら・・・・・

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2007年2月15日 (木)

ロープウェーにて頂上へ

明け方、関が原の合戦の夢を見ていた。「3対3」で拮抗していた両軍の勢力がいつの間にか「4対1」と「1蚊帳の外」と言う構図になりあっという間に東軍の大勝利に終わったと言うものである。

なぜそうなったかと言うと西軍のミスターK(小早川)の寝返りが大きく作用したからだ。西軍の総大将は圧倒的戦力と戦術を持ち典型的な鶴翼の陣で完全勝利を狙っていた。ところが内憂外患をかかえ判断を誤った。

たった一日で決着がついた関が原の合戦は後世、天下分け目の戦いだったと言うレッテルを貼られて今日に至る。関が原は東西の総大将がその昔代理戦争をしたまさにその場所。

今度の天下分け目の場所に誘い込んだのは東の総大将だった。西の総大将は天下を統一したと豪語し、まんまとその術中に嵌ったことになる。味方の寝返りなど微塵も疑わぬ甘さを持ち。戦には論功行賞としての戦後処理が必ず付きまとう。

負けた西軍は無条件で莫大なエネルギーを無償提供せざるを得なくなり東軍の総大将はそのほかに傍観していた諸軍勢からお祝いとしてエネルギー供給までうけ、それらを仲間の3勢力に施すことにより、ますます体制を安泰化させていく。もちろん寝返ったミスターKにも褒賞を与える。

一方蚊帳の外にされた1軍勢は「戦いには参加しなかったからエネルギー供給はする必要が無い」と尻をまくっている。東軍の総大将はその言葉に完全無視を決め込むことにした。

もう一つの戦後処理は豊太閤ジュニアを消し去ることなのか・・・・・・・・・・ここまで来て目が覚めた。寝ぼけ眼で今まで見ていた夢を思い出そうとしたが幻の彼方にすーっと消えていくようだった。・・・・・

(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・⑦)

本堂の裏手に回ると

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身延山山頂への登山口がある

登ろうかな しばらく眺めていたが

気持ちが少し萎えてきたのでやめた

のぼりは索道(ロープウェー)にして

下りだけは歩いてこようと思った

Photo_903

登山口から目と鼻の先にある

索道乗り場に向かう

こんな時期だから誰もいないかもしれない

第一 動いているだろうか

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窓口のお姐さんにいろいろ聞いてみる

降りるのも時間がかかりますとのこと

またまた根性なし

往復の切符を買うことにした

時間を見ると20分置きに発車しているようだ

私に切符を売った後窓口を再び塞いだ

良く見ると自動販売機があると←が・・・

私はうるさいおじさんだったようだ

Photo_905

索道を待つ間家族連れも合流して

お客は計6名になった

大きなゴンドラだったのでゆるゆる座っていける

おかしなもので人間心理としては

人は前の座席に座りたがる

やむなく私は一番後ろに座った

Photo_906

しかし今の時期一番後ろが

見晴らし最高なのだった

お客さんは皆後ろに集まってしまった

以前中国の黄山へ行ったとき

上りは断然前が良かったけど

ここは木ばかり見えて面白くない

その代わり後ろは富士川・身延の街

そして富士山も眺望できるのだ

頂上が楽しみになってきた

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2007年2月14日 (水)

悟りの境地に程遠く

伊豆の修善寺の桂川は修善寺川と言うそうだが桂川と言う方がなじみがある。伊豆の狩野川支流に京都をモデルとした街を作うとした先人たちの名残が地名に残っています。

街の中、その桂川の中に有名な「独鈷の湯(とっこのゆ)」があります。昔訪れたときお婆様が一人で入っていて「あんたたちも一緒にどうかね?」と誘われた経験があります。

ご存知と思いますが温泉街の真ん中の川の中にあるため若い僕らは遠慮しました。その独鈷の湯が洪水の災害防止のため移設するそうです。平成20年をめどに県はもっと川岸に近い方に移すとのこと。

弘法大師が旅の途中持っていた独鈷を川に突き刺し温泉を湧き上がらせた伝説の湯まさにその場所を示すモニュメントとしての湯屋でもある。

それにしても独鈷は法力をそこから発揮するアイテムで、大師や他の僧正でも右手に握ってその握った手のひら側を前に出しているのは、法力をよりパワーアップさせるためなのかなと昔から不思議に思っています。

世界文化遺産の遺跡はまさにその場所を遺産として残し、中国辺りでは古い建築物よりその近くにキンキラの新しい建築物を作ってしまう伝統があり、三国志を読んでそのままのイメージでその建築物を見てしまうと違和感を感じてしまったりする。

その場所を避けて残すのではなく建築物も自然の立ち木も今の生活不向きなものは取り除くのはいつの時代でも行ってきたこと。独鈷の湯も史実はどうあれ弘法大師以来1200年ぶりに移すとなれば県の土木事務所もかなりのエネルギーが必要でしょう。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑥)

菩提梯を登りきって悟りの境地へ

Photo_897

のつもりだったが本堂を見ても

息絶え絶えで呼吸を整えるのに

精一杯だった

昭和60年に再建された本堂は

重厚なつくりでどっしりとしています

内部は撮影禁止なので写真は無し

ひんやりとした板の間を歩き

お参りしてきました

Photo_898

境内には堂をはじめ

閣・殿・楼・院・場・寮などいろいろな建物が

ずらーっと並んでいて

とてもその全部にご挨拶できない

Photo_899

それら一つ一つに施された彫刻なども

しっかりした造りで

さすが総本山のパワーだね

節分が近いのでその準備が

もう始まっているようでした

Photo_900

桜の花だろうか

境内の池に影を落とす古木に

花が咲いていました

きっと何かのいわれのある木なんでしょうね

Photo_901

多分こちらのほうが

有名なしだれ桜の木なんでしょう

まだ花の咲く気配がありません

けれど今年の暖冬では

今頃はもう咲き始めているかもしれませんね

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2007年2月13日 (火)

悟りへの長い階段

来年秋から3ヶ月若田光一さんが国際宇宙ステーションに長期出張するそうです。日本人での最長滞在記録は土井隆雄さんの15日が最高だから一気に長期となる。

「いいな~」と言うのが正直な感想です。だれも子供のときは宇宙へ行ってみたいと思ったことでしょう。そのうち生きてる間に一度ぐらいいけるのではないかと思ったりしたが今では絶対に行くことが不可能だと諦めています。

遺灰を宇宙に散骨してくれるそうで200万ぐらいで可能なんて一時話題になったこともありましたね。海外旅行へ一週間行ってくるのと海外出張で3カ月行ってくるのでは随分と感じが違うようなもので、宇宙3カ月ではやはり絶対に感じが違うと思います。

あと百年ぐらいたてば新婚旅行に宇宙ステーションなんてことが現実になるといいですね。そのためには地球を破壊する道具を作る競争でなく、その資金や能力を大空に向けてほしいですね。ましてや地球を破壊する道具を作りあげ、人質にとってあるから放棄してほしかったら金(油)を出せなんて低次元な会談をやっている人類では先行きあまり望めないけど・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑤)

三門に到着してその大きさに

圧倒されてしまった

Photo_891

全体をカメラに収めるにはずいぶんと

後ろに下がらなければならない

江戸時代初期に建立され消失したものを

明治時代に再建したとのこと

門の両袖には勿論

阿吽の金剛力士が控えていました

Photo_892

山門を入ると杉木立の並木が続き

正面に階段が見える

周囲にも○○坊やら石像や銅像など

が見え隠れする

正面の階段が「菩提梯」

Photo_893

随分急な石段で

その一段一段が随分と高い

手すりを掴んでゆっくりしか登れない

南無妙法蓮華経の7区画に別れている

その区画ごとで休憩しながら登る

Photo_894

私の後を老夫婦が登ってくる

絶対追いつかれないように

がんばって登りました

この階段を登ることも修行の一つで

上まで登ることが悟りに近づくこと

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この階段も三門同様江戸時代に

作ったものだそうです

すごいものだね

多くの先人たちの歩いた思いが

階段の一段一段に染み付いているような

そんな気がしました

Photo_896

最後の一区画を登りきると

正面にようやく本堂が現れる仕組み

アンコールワットの参道のように

悟りに導く過程が

物理的に構成されているのですね

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2007年2月12日 (月)

総門からのあゆみ

人は勘違いしながら生きるものかもしれない。幼い頃見た時代劇ではヒーローが危なくなると最後にサスマタや捕り縄提灯を持って「御用だ御用だ」といってお役人が助けてくれるのを手を叩いて喜んだものだった。

長じて役所に書類を提出しに行ったとき「○○書士」に書いてもらわなくては受け付けないぐらいに役人に門前払いをくらった。当時は仕掛け人とか紋次郎がテレビで活躍していた時代。役所の人も自分たちは権力者だと勘違いしたのかもしれない。

普通は権力は国民にあり、役所の人間は主権者の幸せのために働く、サービス業であるはずだ。許認可も「法」がそれをするのであって役所の人間はただの代弁者だが、往々にして役人が許認可をしているかのように錯覚するものですね。

資本家のいないある国では富は国民に平等に分配されるはずだが、一度国家に吸い上げられた富を将軍様が国民に「施す」と言うのであれば、かつての封建時代の国と一緒になってしまう。

神様や他国や自然が作った物でも良い物は良い、悪いものは悪いのであって、人間や自国で作ったものしかイヤだというのは何かの勘違いだろう。

末端からトップまで些細な権力を振りかざす悲しい人間の嗚呼勘違い・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・④)

ようやく総門にたどり着きました

Photo_884

大きな門だね

お寺の門というよりお城の門みたいだ

かなりの年代物のように見える

門の左横にもさっそくお寺が建ってる

全てを見て歩くわけには行かない

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門を入るとすぐ右に

休憩所のような建物がある

名前を書いた札が所狭しと貼られています

この建物のよこがバス停にもなっていました

ちょっと休憩して歩き出す

Photo_886

ここからは身延川沿いに上る参道となる

まだ先は長そうだ

先ほどまで山陰に隠れていた

身延山が見え出してくる

日蓮さんがここへ足を踏み入れたのは

いまの私より若いはずだ

Photo_887

当時は元論門前町があったわけでなく

ただの山陰の谷川沿いの

どこにもあるような草生した所だったろう

幕府を諌めても聞き入れられない

そんな心境のままこの道を登ったのか

Photo_888

門前町の中にバスの停留所がある

中央高速バス新宿行と書いてあるところを見ると

どうやら東京からここまでバスが来るのだろう

山梨県は関東圏だものね

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2007年2月11日 (日)

まん丸な道祖神

気象庁観測130年の歴史で東京「降雪なし」の記録を更新したそうです。多分このまま行くと初の「降雪なし」の年になるかもしれないとのこと。

東京に雪が降らなくても東京の人は困らないと思うので、どうってことは無いけれど何かを暗示しているようですね。すぐ恐怖の地球温暖化と結びつけると「おだっくい」だとしかられそうだからやめます。

二酸化炭素による地球の温暖化のおかげで地球に生物が生きていられるのだ。この広い宇宙の中で、いまだに生命活動をしているものを見つけられずにいるというのに地球上のこの華やかさはすばらしい。

もし地上から二酸化炭素が無くなったら平均気温-28度ぐらいになり寒がりの私は多分生きていけないと思います。二酸化炭素があるおかげで温暖化されて今日も一日元気良く過ごせそうなのだ。

ただ地中と水中に封印されている膨大な二酸化炭素を、ほんのちょっと開放しただけで温室は熱くなりすぎ水は蒸発して高いお空のそのまた向こうへさよならしてしまい、火星のようになってしまうと言う話もあるしな~・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・③)

久遠寺に向かってボチボチと歩き出す

Photo_880

小学校の近くにひときわ目立つ家がある

玄関に雛のつるし飾りと書いてあるので

寄ってみようと思ったが反対側に

表札のがあったので個人のお宅かと思い

伺うのはやめました

イメージとしては旧小学校?かな

Photo_881

そのまた近くに「水神」の石碑と

「道祖神」の丸い玉が並んでありました

水神は富士川独特なのかな

先日の市川家に行くときもあったし

道祖神の丸い玉ははじめて見ました

今までは抱擁像か文字だけだったのに

やはり歴史のあるところは面白い

Photo_882

道の左側に「花の寺」「鏡園坊」「南部氏館跡」と

たくさんの案内がある

そうか身延町といえども

以前は南部氏の領土だったんだな

う~ん・・ 寄り道は帰りにとって置こう

いまはとりあえず真っすぐ歩きましょう

Photo_883

道はずっと波木井川沿いに上ってきて

橋に差し掛かりここを越せば

いよいよ久遠寺の総門になる

のんびりと歩いたせいか結構時間がかかった

駅から総門まで45分だった

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2007年2月10日 (土)

立派な歩行者自転車トンネル

ぼやきと希望。不安と安堵。当人たちもそれ以外の人たちも感じていること「2007年問題」が今日もNHKで特集を組んで喧々諤々やってます。

ぼやきとの一つは「この国の高度成長を成し遂げた自分たちを、やっとたどり着いた定年の段階でまたいじめるのか」で「これから若者の犠牲が多くなって、老人を養わなければならない」となり、希望は「自分のやりたいことにこれからチャレンジできる」で「社内に巣食っていた頭の上の霧のようなもやもやがやっと無くなる」でもある。不安と安堵もそれぞれの年代で感じるでしょう。

これから為政者のなす課題はいかにして今まで同様に団塊世代から金を吸い上げるかだ。江戸時代は百姓から「生かさぬように殺さぬように」年貢を収めていただいた。

現代は一番多い団塊世代には一生涯税を納めていただきい。ここで所得がなくなったといって税を払っていかないではまずいので、介護保険程度でなく寿税(長生きさせてもらっている感謝税)とか老人の医療費の自己負担を上げるとか理由は何でもいいので、今まで同様団塊世代を「生かさぬように殺さぬように」していかなければいけないだろう。

彼らはそうやって生き延びてきたのでかなり辛抱強いはずだから・・・・・・・・・。

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・②)

今回の歩きのスタートは身延駅前から

Photo_874

川沿いの遊歩道を歩く

散歩道としては良いのだが

小川に突き当たるたびに通りまで戻るのが難点だ

それでも何とか観光地としての体面は

きれいなだけに保っている

身延橋を渡り真っすぐ歩く

Photo_875

国道から先ほど車で通ったトンネルがある

その右横になんともう一つトンネルがある

はてこれは何だろう

看板を見ると「歩行者自転車」と書いてある

な~んだ こちらが歩道か

トンネルは危ないんだな

Photo_876

歩行者自転車用にしてはとても立派だ

きれいでしかも私一人だけしかいない

時間が時間だけに静かなものだ

しかし今回の帰りに

もう一度差し掛かったとき

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反対側から見ると左に見えるはずの

歩行者用トンネルが死角になって見えない

しかも歩行者も自転車も車も

みんな同じトンネルを通っている

歩行者用の立派なトンネルを

本日通過したのは私一人だけかもしれない

さすが山梨県だね

Photo_878

久遠寺方面に向かって歩くと

国道52号線と交差する

地元の人たちはバイパスと呼んで

いるらしくまだ新しい雰囲気が出ています

Photo_879

駅から35分ぐらいのんびり歩いたところに

身延高校がありました

平日の10時過ぎだから

辺りはしんとして目下勉学中

静かに前を通り過ぎました

よく身延山高校と名前を間違えられるようで

この高校出身者に念を押されたことがあります

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2007年2月 9日 (金)

山梨ロマン街道・・・

水辺を歩くのが好きなのは”波を子守の歌と聞き千里寄せ来る”海の気を吸って童となったからだと思います。静岡県は豊かな水にあふれ山の湧き水も旅人を癒してくれる。

以前ボルネオ島(インドネシアではカリマンタン島)でしばらく生活した街は大湿原の真ん中で空港も街も湿原に土を盛って作ったようなところだった。空港から街までの道は湿原の中の一本道で周りは全て水に浸かっているようでした。

私たちの地球は豊かな水の惑星だと言うことを実感しました。しかし地球上の水のうち真水はわずか2.5%でそのうち利用可能な水は0.008%だそうだ。地球の真水を風呂桶いっぱいとするとその利用可能な水は大匙2杯分でその大部分が川となって海に注いでいる。

そのわずかな水で洗濯をして風呂に入りプールで泳ぎ食事をする。体の中の3分の2の液体を維持するためにジュースを飲みお茶を飲む。

環境悪化により30年後のヨーロッパではそのわずかな水でさえ30%以上も減るそうだ。エネルギー消費大国、エネルギーを世界中貪り集めている大国、現在の異常気象など関係ないと嘯いている大国・・・・・

目覚めのときはいつになるのだろうか・・・・・

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(富士川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・①)

身延山は日蓮宗の山だけど

日蓮宗の山ではない

身延山は山梨県の山なのだ

2月1日(木)にその頂上まで

行ってきました

その日は31000歩6時間でした

その日早く家を出ようと思ったが

Photo_870

相変わらずのずぼらで結局渋滞に巻き込まれ

バイパスものろのろ運転

前方の富士山も少しかすんでいるものの

何とか姿を現して

今日はチャンスと張り切った

よしっ 身延山頂上まで登り

帰りは先日パスした下井出ー内船間も

一気に歩けるかもしれない

Photo_871

興津から入った国道52号線の

宍原の峠を越えたとたん眼前に

ドカーンと富士山が現れた

この道では唯一富士山が見えるところだ

朝の光に照らされて雲の具合も良い

思わず車を止めて前後の車の安全を

十分確認しながらまずは1枚

今日は身延山頂の眺めは期待できるか

Photo_872

十島から対岸の左岸側には出ずに

そのまま国道を北上する

井出のちょうど対岸に当たるところで

巨大なタケノコが見えてきた

敢えて寄る必要も無かったが妙に気になる

車を降りて小休止「道の駅・とみざわ」

芝川に連なるこの地方は

タケノコ自慢のところなのだ

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でもここは山梨県の入り口

そう山梨県は富士の国なんだ

そしてここはロマン街道なのだ

よーしっ 今日も元気に歩き出すぞー・・・

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2007年2月 8日 (木)

古民家を訪ねて寄り道

日本の携帯電話の普及が1億台を突破したそうだ。すごいね。かつて固定電話をこつこつ作っていた時代を知っているだけにそのすごさが理解できます。

1995年からほぼ毎年1000万台も普及していったのだから無理もない。と言うことはこのところの10年が携帯電話の歴史の一番華々しかった時代として記録されるでしょう。

これからはこんな風な伸び率は人口の絶対量からいって無理でしょうね。世界で約26億台そのうち中国で4.5億台、兎に角アジアの普及率はしばらく上がるでしょう。

ところで我々おじさん族にとって持ってるだけの飾りであることが多い。その割には料金の高さには多少閉口している。何気なくすごしたこの10年が本当に一昔と実感されるそんな昨今ですね。

とんど時代に置いて行かれてしまっています。・・・・・・

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(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑧)

土手から石垣をよじ登り身延橋に戻る

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再び身延の街に戻りもと来た道を

内船方面に向かって戻ります

途中日本野鳥の会に挨拶して

再び和田峠の炭の香りをかぎながら

だらだら坂を下っていく

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峠を下りきったところに

山梨県指定文化財の古民家の看板

そこを右折して川沿いに歩く

途中「水神」と書いた大きな石碑がある

あまり他所では見かけなかった碑だった

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道は山にへばりつくように曲がりくねり

舗装されているが車一台通らない

峠越えの道が出来るまでは

きっとここは大事な道だったのではないか

Photo_866

やがて山の端に古民家が現れる

市川家と言うこの文化財の家は

茅葺の重厚なつくりだった

家に通じる道は田の中を行く道で

雰囲気が出る

Photo_867

辺りには人影は無い

無人の家に大声で声をかけてみる

勿論返事は無い

中に入ってみるとどうやら自由に

見学して良いらしく芳名帳が置いてあった

今日は私で5人目だった

戸が開いているところは土間で

その向こうの障子のところが玄関だった

Photo_868

土間はかなり広くいろいろな民具が

所狭しと展示してありました

裸電球だけで薄暗かったが

それだけ昔の生活をしのばせる

座敷も自由参観なので上がって

一回り部屋を見させていただきました

茅葺屋根の民家を現在維持させるのは

大変なことだと以前訪ねたところでは言っていた

ここでは見学料無しだから尚大変でしょう

Photo_869

見学後もとの道へ戻る

片道20分都合1時間の寄り道だった

川沿いに戻る道は道の両脇に

背の高い草に覆われて

一人旅の「旅愁」を味わいながら・・・

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2007年2月 7日 (水)

ぽかぽか陽気の土手の上

鳥インフルエンザの検体をWHOに提供することをある国が拒んだそうです。エッなんでと思ったらある製薬会社と国が契約しているのでWHOに提供するとその製薬会社以外がワクチン開発してしまい不利益をあたえるからだそうです。

今年に入って発生したウィルスの検体は「知的財産」だそうです。そんな世界が存在しているなんてはじめて知りました。鳥インフルエンザやHIVなど人類存亡のためには緊急を要するような課題でも企業と言うものの利益不利益の方が優先されてしまうのですね。

薬局へ行くとジェネリック医薬品のことが書いてありますが一般の人にはまだ認識が薄いようですね。HIV治療薬のコピー薬品を10分の一の値段で、ある国が製造したら大手の薬品会社を持つ国が相当怒ったらしいが、結局訴訟を取り下げたことにより安い薬が広まるかもしれないとのこと。

薬品を開発するのは多くの時間と労力とお金がかかるそうですがスペイン風邪のように歴史上大きな災厄が起きないよう緊急事態には世界が一致団結して当たってほしいと思います。・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑦)

身延駅前でおいしそうな饅頭を

Photo_857

お姐さんに見せられてお腹がすいてきた

おいらはどこかでおにぎりを食べよう

街の中ではちょっと食べにくいので

川をわたって向こうへ行こう

Photo_858

対岸に大きなお寺があった

そこで食事にしよう

看板から見ると相当大きなお寺のようだ

参道の工事中の車を避けながら

歩いていくと

Photo_859

大きな仁王門があった

中の仁王さんもかなり古そうだった

後ろの山が大野山でお寺の名前の由来です

あいにく正面の本堂は

Photo_860

改修中で大きな工事用の覆いの中に

すっぽり隠されていました

やむなく説明書きや写真などで

由緒を読んでみる

歴史の波にもまれた開祖の苦悩や

それを庇護した女性の話など

しばし時空に心を遊ばせました

Photo_861

残念ながら境内は工事中のため

食事を取る気にもなれず

すぐ近くの富士川の土手に上がってみた

風は強かったが天気がよく気持ちよい

ここでのんびりとおにぎりをほうばった

Photo_862

食事も終わりもう帰るだけだ

土手を歩いていくと

カラスとトンビが私の行く手をふさぐ

・・・と言うより彼らが休んでいるところに

私がお邪魔したようでした

かなり近くなるまでがんばっていたが

やむなく私に道を譲り飛び立ってゆきました

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2007年2月 6日 (火)

新しいけど落ち着いた街

日系三世の中尉が軍法会議にかけられていることがアメリカで注目されているそうだ。中尉はイラク派遣を拒否して所属部隊に合流しなかったと言うことが罪に問われているとのこと。

共和党と民主党が入り乱れてイラク増派に喧々諤々になっている最中でもあり軍法会議の行方が注目されているのでしょう。中尉の心境たるや如何に。並外れた精神を持っていないと出来ないことでしょう。普通の人間ではこういった行動はできないと思いす。

その昔アメリカがベトナム戦争を闘っていたときはそれでも共産国家に対する代理戦争のつもりで少しは錦の御旗を持っていた。

その当時モハメッド・アリは徴兵拒否をし服役までして自分の意志を貫いた。一方エルビス・プレスリーは国を守るのは国民の義務であるとして率先し徴兵されむしろ結果的に広告塔となった。

それぞれが自分のポリシーを守ったことになる。アリはカシアス・クレイと言う名前を改名してまで自分は平和主義であるイスラム教徒を明言し、プレスリーは映画「GIブルース」に主演しアメリカ市民として主張する。

今回のように現役の中尉の主張は異例なケースなのだ。それぞれが皆平和を希求しながらなんでこんな風になってしまうんだろう。

国を守るのは為政者の義務だがそのほかに守るものを何か勘違いしてしいるのではないだろうか・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑥)

峠を降りてから身延の駅まではすぐそばだった

Photo_851

身延線と言う名前がついているだけに

この駅が中心と言うことになります

途中の小さな無人駅には止まらないかの有名な

「ワイドビューふじかわ」は勿論止まります

駅から街道を見渡すと

Photo_852

とてもきれいな町並みが見えました

天気がよいのも幸いして街の雰囲気が

他の町と違う感じがしました

近づいてよく見ると

Photo_853

全ての家もお店も白壁で統一されている

なまこ壁風な塀の家もある

始めは観光関連の店だけかと思ったが

民家もクリーニング店もカメラ屋もパン屋さんも

金融機関まで統一されていた

しかもみんな新しい

と言うことは町内そろって計画したのだろう

Photo_854

どの建物にもみんな家紋が付けてある

家紋の大きさは皆同じ大きさなのも

その町の意志が感じられました

この店はどうやら薬局のようですね

少し見ていないと何のお店か分からないような

そんなお店もありました

Photo_855

町の中には日蓮さんのいわれが沢山あるらしく

案内の看板を読みながら歩くのも楽しいものです

通りの名前も「しょうにんどおり」と名づけられ

日蓮上人ゆかりの地をアッピールしています

Photo_856

歩道の一部にお庭が作られていて

街づくりで表彰されたようなことが書いてありまして

歩いていて楽しくなる街で

もっともっと紹介したい所がありますが

あとは皆さん自分で見てください

新しいけど落ち着いた良い街だと感じました

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2007年2月 5日 (月)

軟弱な鴨たち

昨日16:30頃仕事中だったが会社の電話に世論調査の電話があった。仕事中なので出だしの挨拶の言葉だけ聞いて電話を切って調査には協力しませんでした。

とても品のある女性の声でもし仕事中で無かったら調査に協力してあげたいと思ったほどです。○○の勧誘と言ってかかってくる迷惑電話と比べ同じ女性でもこんなに声に品格の差があるものかと感心した。

今朝の朝刊を見るとその電話調査の結果が二面に載っていた。全国で電話がかかった件数が1486で回答を得たのが1053だとのこと。こんな少数で統計になるのかと思うのだが3週間前の結果と比べ大きな狂いが無いところを見るとこのランダムサンプリング方法は信頼性の高いものなんだなと感心した。

RDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)と言うそうだ。貴重な体験に参加できなかったのはちょっと残念!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑤)

今年は鴨の飛来が少ないのでは

Photo_849

野鳥の会の人は言っていました

原因の一つは禁猟区が増えて鴨たちが

生息する場所が増えたことがあること

分散して生きられるようになって

一箇所での数が減って見えるそうだ

東北地方を通過南下する数は例年通り

ところで来る途中でアヒルと一緒にいた

あの鴨はなんだろうと聞くと

Photo_850

アヒルの餌を横取りしている場合と

人間が餌付けしている場合があるとのこと

そういえば富士川の川で遊んでいる鴨は見ない

富士宮の潤井川にはいたのに

本流ではでは見かけなかった

日本三大急流の富士川では

鴨たちは生きにくいのかも知れない

それとも私が見つけなかっただけなのか

・・・・・・・・・・

余談だが鳥インフルエンザの蔓延には

ワクチン説もあるそうだが

世間では騒がれていないので差し控える

それとも意識的に何かの力で抑えているのか

渡り鳥説で説明できないことが多く

かなり説得力のある説に思えた

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2007年2月 4日 (日)

峠道は竹炭の香り

「大統領として私が戦争をやめさせる」アメリカで上院議員のおばさんが息巻いています。二年後まで戦争が続いていたら私が終わらせるとのこと。

あれあれ、アメリカは2年後もまだ戦争やっているとのこと。開戦前、武力行使に賛成していたのに当時自分が大統領だったら戦争は始めなかったとも言っています。

元々は自分の亭主が浮気問題がニュースで騒がれそうになる度に他国にミサイルをぶち込んで耳目をそらしていた亭主の行動が結局はアメリカが育てた戦闘集団を目覚めさせ、アメリカ本土で大きな災害をもたらせた。

まあ結果的にその尻拭いを全部女房が引き受けると言うなら立派なことかもしれない。言葉の端には戦争を始めるのも終わらせるのも「アメリカ大統領の腹一つだ」と言うことを言いたかったのかもしれない。

凄いもんだね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は

(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・・・・・④)

甲斐大島の村を過ぎてもう一分張り

峠を越えることになる

Photo_845

だらだらと長い坂道いつものように

エッチラオッチラ歩いて登る

急坂ではないのだがちょっと疲れる

途中で水分補給の休憩

息を整えまた登る

まだ2時間ちょっとしか歩いていない

Photo_846

峠に差し掛かると

あたり一面竹炭のにおいが立ち込める

直販所の裏の林の中で炭を焼いている

和田峠と書いた幟旗に風林火山とも書いてある

私は今川の冠者ではありません

ただの通りすがりの旅人です

Photo_847

随分登った割には峠からは一気に下る

今まで身延線を目線より上に見ていたが

ここだけは上から見下ろせた

身延の町と身延橋がもう手に届く距離になった

Photo_848

峠の途中にある公園の遊歩道に

望遠鏡水筒バッグを置いて立っている人がいる

聞いてみるとあの有名な日本野鳥の会

勿論鳥の観察とのこと

話の好きな人でいろいろ面白い話を

いっぱい聞きました

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2007年2月 3日 (土)

川のあなたに身延山

インドネシアの首都ジャカルタ中心部のビジネス街で洪水のため、子供が笑顔で道路の上を泳いでいる写真が載っていた。

この時期は雨季だからしょうがないと見ていたら2002年以来最大級の洪水とのこと。私がいた頃も洪水で出勤できないと事務所の連中が言っていたのを思い出す。

ジャワ中部にいた頃はいつも歩いて通っていた道が洪水でやむなくベチャ(3輪自転車タクシー)に乗らざるを得なかったこともあった。国道一号線にトラックの行列が一週間ぐらい列を作り水の引けるのを辛抱強く待っているのがニュースでもやっていた。

それらが年中行事だと思っていたので当たり前に受け取っていたがどうやら近年のこの洪水は様子が違うらしい。

一方で雨が降らない地方もあるらしい。ゴア元米国副大統領にもっとがんばってもらうしかないかな。ファーザーコンプレックスの某大統領の眼を醒ますには。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・・・・・・・③)

内船からの道からは正面にずっと身延山が

見え出しました

Photo_841

山の正面に縦の線があるのが

ローブウェーだなと思い

歩く目標をそこに定めた

歩いても歩いても身延山が見える

多くの山の中でやはり際立つ山だった

Photo_842

桟道の多い道を抜けると

広く開けた田園地帯に差し掛かる

甲斐大島の村だった

富士川左岸としては随分広々した所だ

水田も民家もたくさんありました

Photo_843

道路わきに祭ってある大きな石も

村人のおおらかさを繁栄して

ユーモラスな形でした

注連縄で飾られてはいるものの

何のいわれも説明書きも無い

Photo_844

瀟洒なつくりの駅も他の駅同様

閑散として駅自体があくびでも

しているようなそんな長閑な村でした

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2007年2月 2日 (金)

雪の山々を眺めながら

7世紀前半の蘇我入鹿邸の武器庫と思われる石垣や建物跡が発見されたと1日発表された。日本書紀の時代ってロマンを感じますね。

西洋のプルターク英雄伝同様、歴史と真実の間の空白に読者を滑り込ませることにより、様様な解釈を成り立たせる。いつか私も奈良の明日香村を自分の中のロマンを検証しながらゆっくりいてみたいと思っています。

蘇我入鹿と言えば645年大化の改新ですね。どちらかと言えば悪役になりますけれど当時のテロにあった犠牲者です。歴史とは勝者の理論であって負けたほうは悪者になる。世界の国々も良く見てみると革命と言うテロによって成立して現在大国になっている国がほとんどだ。

消された歴史の真実が地中からときどき顔を出すところに面白さがありますね。

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(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・・・・②)

富士川右岸側には

雪をかぶった山並みが見える

Photo_836

十枚山や七面山 などかつてこれらの山の

向こう側をてくてく歩いた思い出の山だ

この時期通行禁止の安倍峠も

この尾根の中の一つでしょう

川岸には南部の町並みが明るい太陽

のもとに輝いて見える

私のような旅人には十分楽しい風景です

Photo_837

人家の無いこちら側は自動車専用

ドラム缶3本つなげた山梨県特有の

環境標語の案内板がありました

非常に眼につく案内板ですばらしい

と思いつつ周囲を見渡すと

空き缶ペットボトルコンビニの袋など

散乱していました

Photo_838

なぜか掛け布団敷布団が二組ぐらい

まとめて捨ててありました

まだ新しいところを見ると捨てたばかりか

かつて富士山を世界自然遺産候補に

出来無かった理由にゴミ問題がある

歩いていて捨てられたゴミの多さに

いつも気になっていますが

あらためてこの付近のゴミの多さ

が気になりました

Photo_839

道路際に数百本の桜を植えて

その一本一本に通し番号の名札を付けて

大事に育てて人々に潤いを与えている山梨県

道行く車のモラルに

きっと心を痛めていることでしょう

Photo_840

水清く青鷺が悠々と遊ぶ

この美しき富士川の流れが

いつまでも続くことを願いながら

南部町から身延町に歩をすすめました

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2007年2月 1日 (木)

桟道が続いていた

久しぶりに寒くなってなんとなく安心する。ここのところの暖かさで喜んでいるところと苦しんでいるところがあるらしい。

私は寒いのがきらいだと言いながらやっぱり四季のメリハリがある日本が好きだ。常夏の国に長いこと居ると「あれっ、○○はいつのことだったけかな?」なんて思うことがある。その点、日本では「あの寒い日は・・」とか「桜の花の下で・・・・」とか季節に絡めて思い出すことが出来る。

一年中同じ服で居られる国と春夏秋冬衣類を変えなければならない国では、それだけで産業構造も経済も変わるでしょう。この暖冬が地球全体の異常気象の前触れにならないことを願います。

もし世間で言う異常気象の世紀への前触れなら世界各国で一斉にしかも早急に対策をとらなければならないからだ。

根拠が無いからとか、わが国は発展中だからだとか、言ってる場合ではないはずだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(富士川・Ⅲ・・・・・・・・・・①)

1月26日(金)に内船(うつぶな)から

身延町まで歩きました

44000歩で6時間半でした

2回目の富士川で井出まで行ったので

今回はそこから歩くつもりで行ったのに

車を止めようと思った所が

工事中になっていた

そこで駐車場を探して5キロほど先の

内船まで走ってしまった

Photo_830

内船は南部町の中心地で「なんぶの湯」という

施設があり以前来たことがあるので

そこに止めさせてもらいついでにトイレも

お客さんもぼちぼち来ていたが

私は挨拶だけで出てきました

Photo_831

富士川の旅は以前県境までと言うつもりで

歩き出しわずか2回で達成してしまったが

歩いているうちに「南無妙法蓮華経」の石碑が

たくさんあることが気になって地図を見て

身延山まで行く決心をした

後2回で達成できるそれ以上は行かない

そう決めて今回の3回目になった

内船の駅はさすがに大きく急行も止まる

Photo_832

内船からも富士川左岸を歩く

小さな沢がいくつも本流に流れ込む

自動車道も身延線も一緒になって沢を越す

この沢の名前が「トヒノサワガワ」で

自動車道の橋の名前も同じ漢字で

「どびんのさわばし」だった

何度眼をこすってもトヒノではなく

どびんだったので一人苦笑

Photo_833

内船橋を過ぎてまもなく桟道が現れる

それほど山が川に迫っている地域だ

そのまま歩いていけば気が付かないが

随分と橋が多い程度しか感じないが

それらがほとんど桟道なのだ

数えていなかったが10個ぐらいは

あったように思います

Photo_834

この桟道が出来る以前はこの辺は

どうなっていたのだろうかと思った

桟道のすぐ上の身延線は桟道ではない

蜀の桟道と比べては申し訳ないが

富士川の中でこれほど集中しているところも

珍しいのではないかと思いつつ歩きました

小さな桟道にも名前がついていて

結構面白い名前があり

目立たないところにセンスのよさが

かいま見えました

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2007年1月31日 (水)

内房の本成寺

英国のストーンヘンジの近くで新石器時代の集落が発見されたと報じられた。紀元前2600年ごろだそうだ。

ストーンヘンジは私の大好きなOパーツの中の一つですがどうも英国と聞くと少し引いてしまうところがある。英国はルールを作ることが得意で戦闘や遊びにルールを作ることにより、スポーツとして作リ変える名人だ。

しかし、ネス湖のネッシーやミステリーサークルは偽者であることを数十年して暴露。世界中が英国を信頼していることがそうさせた原因かもしれない。でも冗談から始めたことだから許しあえる寛容さも必要だね。

O(オー)パーツの一つで森の中に転がっているコスタリカの石球があるが、焼津の近くの岡部町(ゴン中山出身)にも玉取と言う村に規模は小さいが玉石が発見されるところがありますよ。

いろいろイメージすると楽しいですね。

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(富士川・Ⅱ・・・・・・・・・・・・・・・⑦)

芝川町は富士川の左岸が芝川で

右岸側は古くから内房と言われていたようだ

Photo_826

尾崎トンネルを越えると富士宮や興津へ抜ける

旧街道に差し掛かる

今では通る車も少ないようだが何百年に渡り

歴史の交差点になったところでしょう

どうやら平家が敗走の元になった

富士川の合戦に竹田勢が頼朝に合流するために

この道を通ったとも言われている

Photo_827

ちょっと寄り道をして内房の村にある

本成寺を訪ねてみた

かなり古いお寺でもともとは真言宗だったらしいが

日蓮に帰依して日蓮宗になった

記念すべき第一号のお寺だそうです

お寺そのものが改宗するのは珍しいですね

日蓮さんにはそれほど魅力が

あったのでしょうね

Photo_828

境内の片隅の白鳥山の登山口がありました

ちょうど老夫婦が下山して帰るところでした

仲の良いご夫婦でうらやましい限りでした

しばらく境内をを散策した後

芝川側に橋を渡り一気に戻ることにしました

Photo_829

途中「静甲」と言う会社のグラウンドで

女性たちの元気な掛け声が聞こえました

大きな横断幕に「ソフトボール1次リーグ昇格」

とありました

ますます、練習に熱が入りそうですね

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2007年1月30日 (火)

栗林の小さな吊橋

Vistaが今日の0時に発売されて深夜にもかかわらず長い列が着いたそうだ。ブログの女王・我らがアイドル真鍋かをりさんが有楽町でクスダマ割り。ミニスカートで寒くないかとちょっと心配になりました。

列に並ぶのは子供の病院の順番取りと、テーマパークや万博の順番待ちそれと、先日のWiiのときぐらいであまり無いけど、必要とあらば人間寒さに負けずにがんばるものですね。

私も世間並みにVista待ちでパソコン買い控えていた一人だがこれまた世間並みに少し様子を見てからにしようかなとも思います。セキュリティが強化されたそうですがクラッカーどもはてぐすね引いて待って入るだろうな。

の世に絶対安全なものなんてあるわけは無いんだからあ。

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(富士川・Ⅱ・・・・・・・・・・・・・・・・・・⑥)

国道52号線と別れて少し下ったところに

Photo_822

県境の看板がある

山梨県の場合はカラフルな看板なのだが

静岡県に入ったとたん色気の無い

事務的な看板となる

山梨県は関東で静岡県は中部地区という

お国柄のせいと言うわけでもあるまいに

Photo_823

芝川町はギフチョウを保護することを条例で

決めているようですね。

歩いていて南部町と芝川町は

同じ続きの町なのだから

もっと大きなエリアで仲良く保護活動を

して貰いたいなと感じた

それとも南部町は当然のことなので

条例は不要かもしれないね

Photo_824

沢沿いに下ると小さな吊橋が現れた

富士川本流では今のところ吊橋には

出会っていないのでここでちょっと休憩

吊橋の周囲は栗林が多く

人家もちらほら現れだした

ここも古くからの街道筋なのだろうという

雰囲気がありました

Photo_825

尾崎トンネルを抜けるといよいよ芝川の町

再び富士川沿いの道に戻ることになります

昔来たことがあるはずなので

思い出しながら歩くのだが

まったく記憶と一致するところが無い

その頃の私と今の私では異次元の

世界に居るような気持ちでした

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2007年1月29日 (月)

せせらぎに沿って身延道を

ジェーン・フォンダさんが久々にテレビに登場したのを見てとてもうれしかった。かなりのお年だがその美しさはまだまだ輝いて見えた。

ずーっと昔「バーバレラ」を見ていっぺんにファンになってしまった。アメリカの反戦運動に34年ぶりに参加したと言う映像の中で「いまだに声を上げなければいけないなんてとても悲しい」と言った彼女の言葉が印象的だった。

彼女の生き方にはアメリカでも賛否両論があるが終始一貫して反戦を言い続けるところは立派ですね。反戦運動の参加者を見ていて高齢者が多いのが気になった。昔から反戦運動は若者の中から湧き上がるものだと思っていたが、今では戦死した兵士の家族や退役軍人らの参加がほとんどのようだ。

ゲームとしての戦争と実際に命のやり取りをした人たちの戦争とそして病めるアメリカと、まだ希望があるアメリカと。今アメリカは揺れだしているような気がします。

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(富士川・Ⅱ・・・・・・・・・・・・・・・・・⑤)

万沢の村を過ぎていつものように

エッチラオッチラ峠に向かって歩く

52

ここは天下の国道52号線トラックも多い

今は第二東名と中部横断道路の建設で

さらにトラックが増えている

食堂の看板に「ほうとう」を見つけた

そうここはまだ山梨県だね

52_1

万沢トンネルに差し掛かる

このトンネルまでが上り坂

ここからはいよいよ下り坂になる

この峠の左右には二つのゴルフ場がある

道は白鳥山を大きく迂回しながら下っている

52_2

トンネルを越えると沢音が聞こえる

車の騒音とせせらぎの音珍しい取り合わせ

国道でせせらぎの音を聞けるのは

ここぐらいではないか

52_3

せせらぎの音はずっと続きます

ここは昔から「身延道」と言われ

日蓮上人の信仰の道

武田信玄の駿河攻略の道であり

商人の道であり・出稼ぎの道でもあった

長い歴史に中で人々によって作り上げられ

今でも崩壊を防ぐ工事が続いています

Photo_821

せせらぎ沿いの道が三叉路になる

国道とはなれ左に曲がることにする

せせらぎも一緒に左に曲がっていました

白鳥山を半周するように芝川の町に向かう

ここが県境なので再び静岡県に戻ってきたわけだ

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2007年1月28日 (日)

国道52号を歩く

昭和○○年代のヒット曲の特集を今日テレビでやっていた。じつに懐かしい、聞いているうちにその頃の情景が眼に浮かんできてふと目頭が熱くなった。

以前会社の後輩が「先輩の頃はいい音楽がいっぱいありますね。それに引き換え今の私たちに時代は記憶に残らない音楽ばかりですよ」と言っていた。私は即座に否定したのを覚えている。

メロディーの中にその歌詞の中に自分の青春を如何に投影し生きてきたかでその曲イメージが決まってくるのだ。曲の良し悪しでなく思い入れの大きさなんだよと話したのを思い出す。

熱い思いがその頃の曲を名曲と言われるものに育てたと思います。

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(富士川・Ⅱ・・・・・・・・・・・・・・・・・・④)

下井出の土手の上でおにぎりをほうばる

Photo_817

今度来るときはここへ車を止めさせてもらおう

老人と子犬がやってきて少しお話をする

あとは静かな田園風景と川の流れ

いいね~こんなところでずっと昼寝でも

していたい気持ちになる

・・・・サテ戻るとするか・・

Photo_818

十島まで戻ったもののこのまま同じ道を

行くのもどうかと思い万栄橋を渡り

国道52号線方面に向かうことにした

芝川まで戻るにはかなりの距離と高低差

を覚悟しなければならない

Photo_819

万沢川の万沢橋で国道に出る

ツーリングのバイク軍団が信号待ちしていました

さすがにここからは車の往来に気をつけて

歩き続けなければならない

歩き始めてすぐのところにあるレストランの

入り口に振袖をきた女性と家族の姿

そうだ 今日成人式をする地区もあるんだな

Photo_820

万沢川より峠に向かう国道の右側に

万沢の村が見える

村の道祖神の前に幟が立っていて村人もいる

ひょっとしたら村で成人式でも祝うのだろうか

谷間の小さな村だけど家がいっぱい

寄り添うように建っていて不思議な雰囲気だった

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2007年1月27日 (土)

地球の暴れ跡

通勤の帰りや散歩の道すがらいつも楽しい笑顔を見せてくれる不二家のペコちゃん。薬局の前のサトウ製薬のサトちゃん同様、首降り人形のヒーロー・ヒロインだ。

誰でも一度は頭を触って首を振った経験があるでしょう。その昔ポパイのアニメのスポンサーもやっていてペコ・ポココンビで、確かポパイと歌い踊っていたような記憶がある。

不二家の経営陣に驕りがあったのか、雪印の二の舞にならないように今ならペコちゃんが救ってくれるかもしれない。

世の中で絶対にやってはいけないことはお巡りさんがピストルで強盗、銀行員が帳簿操作して横領、食品会社が賞味期限を改ざんすること教師が生徒のいじめを助長することなど。

いわゆるその職業の人しか出来ないことでルールを無視することです。食品会社の人が強盗しても、教師が賞味期限を改ざんしたとしても三面記事で終わる普通のニュースでしかないですね。

本当に腹を据えて対策を立てペコちゃんの笑顔を早く取り戻していただきたいと思います。

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(富士川・Ⅱ・・・・・・・・・・・・・・・・・・③)

県境の峠を越えると十島(とうしま)の村が見えてきた

Photo_812

右岸から渡ってくる橋が見える

国道1号線の興津から分かれた国道52号線が

山の中を走りこの十島の村で

富士川にぶつかりここから川沿いに

韮崎方面に向かうのだ

Photo_813

急行富士川号が走ってきた

芝川からは線路沿いにずっと道が続いている

ので歩きながらいつでも写真は撮れそうだが

タイミングはうまくつかめるものではない

しかも急行は各駅停車ではないので

十島の駅が近くにあってもそのまま通過だ

Photo_814

富士川を歩く楽しみは

この河原の変化があることです

今までの大井川や安倍川ではこれほどの

変化は見られなかった

さすが日本のフォッサ・マグナの前線帯

もしくは地球の暴れ跡というか

ダイナミックな鼓動が聞こえるようだ

Photo_815

十島の村と井出の村の間には

発電所がありました

日本軽金属の富士川第一発電所という名前

大井川では東海パルプだったが

こちらは日本軽金属で日本の産業界が

発電技術を先導してきたことが想像できますね

Photo_816

発電所を迂回して佐野川に架かる橋を渡ると

トンネルがありその先はもう井出の村になる

正式には下井出だそうだが

今回は井出まで到着したところで

昼食そして引き返すことにした

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2007年1月26日 (金)

日蓮さんの足跡に

インドネシアの民間航空機B737型機が今月2日に消息を断ってから、二転三転してようやくボイスレコーダーの在りかを昨日25日発見されたと報道されていた。

インドネシアのスラウェッシュ島南西部の沖合いでマジェネと言う町の沖の2000メートルの海底だそうです。深すぎて引き上げることは困難なそうです。

マジェネの町の近くパレパレと言う町で仕事をしたことがありますので妙に親しみがわきます。墜落した飛行機もスラウェシュ島北東部のマナドへ向かう飛行機で私も何度かマナドへは飛行機で行ったことがあるのでなおさら気になりました。

それにしてもここはウォーレス・ラインという地理・植生・動物の分界線が引かれているところで海もかなり深いところだ。

何とかボイスレコーダだけでも回収して今後の安全に生かしてほしいものだと思います。

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(富士川・Ⅱ・・・・・・・・・・・・・・・・②)

芝川辺りからは街道沿いに

Photo_807

南無妙法蓮華経の文字が目立って増えてくる

ここは日蓮宗開祖の日蓮さんゆかりの

身延山への街道なのである

何気ない道標やお寺も皆日蓮宗一色です

鎌倉時代にあって強烈なインパクトを

世間に与えた宗教者なのでしょう

○○宗というようにその人物の名前が

ついている例も珍しいと思いますが

どうでしょうか。

Photo_808

身延線は単線です

芝川の次のこの駅の名前は「稲子」です

てっきり「いなご」だとばかり思っていたら

「いなこ」でした

駅で写真を撮っていたら第一村人がやってきて

「一時間に一本も無いじゃ・・・・・」と言って

立ち去っていきました

なるほどお昼過ぎから3時間半ほど空白があった

Photo_809

稲子からは峠越えの道だった

ゆるやかな上り坂だけれど

いつものようにエッチラオッチラゆっくり登った

Photo_810

眼下に小さな稲子の村が広がる

この村は富士五湖方面に行く道との

分岐点になっているところです

こちらの道を選ばなければ

富士山を一周するコースになるはずでした

Photo_811

峠を登りきったところに「山梨県南部町」の

看板がありました

当初の目的地県境まで到着です

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2007年1月25日 (木)

日のあたる街道を

某国の大統領が今日の年頭の記者会見で「なぜ○○だけが特別に過去の問題を黙殺しようとするのか」と述べたそうです。たしか以前は「なぜ○○だけは歴史を歪曲して教えるのか」と言っていたと思う。

○○に世界中のどの国の名前を入れても当てはまりそうな気がしますので、あながち間違いとはいえないが、最近になって○○がどうも学生に歴史を教えていないことが分かったのか冒頭の言葉に変えてきたのだろうかね。

それにしても自分の体制を保持しようとするときの常套手段として良く使うことに「周囲の世界(人間)が劣っていることを強調する」と言うのがある。

政治の世界にもサラリーマンの世界にもあるのだから仕方ないけれど。そんじょそこらの泡沫議員なら笑って済ませるが一国の元首の認識では悲しい限りですね。

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(富士川・Ⅱ・・・・・・・・・・・・・・・①)

1月14日に松野から井出というところまで

歩いてみました

6時間半で44000歩でした

・・・・

前回松野の蓬莱橋を曲がってしまい

富士宮まで行ってしまったので今回は

その松野から県境に向かって歩きました

Photo_802

富士川沿いにゆるやかにカーブしながら

上っていくとやがて「富原橋」に差し掛かる

橋の向こうには大きくループしながら芝川と

富士宮を結ぶ身延線に沿って走る道路の

JCが見えてきた

Photo_803

川の中には古い橋桁がその存在感を示していた

もうずっと以前に来ただけだし車だったこともあり

これらの景色には見覚えが無かった

以前の記憶をたどり寄せて唯一一致したのは

Photo_804

芝川に到着してこの川の中の景色を見たときだった

芝川と言えばこの岩がごつごつした河原を

思い出します

芝川の知人が川でズガニが獲れると

言っていたのが印象的だったからだ

他には芝川で有名なのは筍がある

アクが少なく東京辺りではブランド品とのこと

そんなことを思い出しながら歩く

Photo_805

日本の川は昔から人々の交流の道筋であり

体を流れる血液のようなものだ

街道筋にはこんな立派な植木のあるお宅もある

一本の松の木で左右に広がった枝ぶりは

戦国武将の兜の飾りを彷彿とさせます

Photo_806

さすがにここまで来ると焼津とは違って

手袋無しでとても歩けない

しかし日のあたる左岸側では

菜の花が旅人を慰めていてくれました

今年は暖冬だから歩くのにも

随分楽です

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2007年1月20日 (土)

紅富士が背伸びして

南アルプスの世界自然遺産登録を目指す協議会発足したそうだ。

大井川をずっと歩いていて、昨年行ったオースラリアのケアンズを思い出していた。原生林の森、山岳鉄道、グレートバリアリーフの海。一つの町で山と海の二つの世界自然遺産を持っていた。

大井川も新空港とSLと井川線と南アルプスを抱え自然遺産に名乗りを上げて当然かもしれない。そんな思いで歩いていたわけだが何か一つ足りないようにも思う。

それが何かはしっくりと分からないが、大好きな大井川・南アルプスが登録されたらうれしく思います。いっそのこと富士山と合わせて「富士山・南アルプス」として候補に名乗りを上げたらどうだろう。

世界地図から見れば両者は点でしかないのだから。ましてや新空港の名前を「富士山静岡空港」という名前にするというとのことだからちょうど良いかもしれない。そうすると、その中に日本一の富士山と第二位の北岳も入ることになります。

二つの協議会がグローバルな視点に立って協力してはいかがなものでしょうか?

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(富士川・Ⅰ・・・・・・・・・・⑦)

富士宮浅間大社の境内に湧玉池がある

Photo_777

ここに湧き出し神田川に流れる水量

はかなりなものです

水の無い地域にとってはもったいない

限りですね

この池には渡り鳥なのか留鳥なのか

鴨がゆっくり羽を休めていました

Photo_778

池の横にはこの霊験アラタカナ水をパイプに通して

市民や観光客に提供するようになっていました

容器を持っていないお客には祠の前に空のペット

が用意されていて幾許かのお賽銭で利用できる

近くの人だろうか2人ほどたくさんポリタンクを

用意して水を汲んでいました。

Photo_779

私も残り少なくなったポカリを水で薄めるため

霊水のお裾分けをいただきました。

ウォーキングにはポカリは濃すぎて口の中が

甘くなりすぎるので本来水で5・5に薄める

ぐらいがちょうどいい

霊水で薄めたポカリはとてもおいしかった

Photo_780

水を補給したところで体力が盛り返してきた

この分なら富士まで十分歩くことが出来る

ふと振り返ると神社に着いた頃見えていなかった

富士山がこの日初めて顔を出した

しばし富士山と語らっている間に

日も傾きかけ鳥居にも半分影が迫っている

やはり富士までは電車で帰ろう

Photo_781

その昔何度も利用した富士宮の駅

おなじみの急行「ふじかわ」を見送って

各駅停車に乗りこむ

私の前に並んでいた学生が扉を手で開ける

そうなんだよな・・この身延線の扉は開ける

時だけは手で開けるんだった

初めて乗ったとき扉の前でずっと待っていた

自分の姿を懐かしく思い出した

Photo_782

電車のおかげで暗くならないうちの車まで

戻れそうだ

富士の駅に着いて振り返ると

夕日に紅く染まった雪の富士山が

私を見送るように雲の上から背伸びしながら

私にさよならを言っていました

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2007年1月19日 (金)

神田川・・青春のメロディー

焼津市は浜松市同様ブラジルから働きに来ている人が多く住んでいます。昨年大きな事件があり全国ニュースになりました。犯罪人引渡し条約が締結してないブラジルとの間では自国に戻ってしまった犯罪人に日本では手が出ない。

今日初めてブラジルの検察庁が一人の容疑者を(在宅)起訴したとニュースで伝えていた。焼津の事件の容疑者は潜伏したままという。特にブラジルというわけでなくても最近日本人でも随分犯罪が増えている。

こうしたブラジル検察庁の努力が犯罪の抑止にすこしでも寄与してくれることを願って止まない。

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(富士川・Ⅰ・・・・・・・・・・・・⑥)

あなたは~♪も~♪忘れたかしら~♪

「神田川」は青春のメロディーだった

Photo_773

富士宮浅間大社への入り口はこの神田川の流れだ

南こうせつの「神田川」とはまったく関係ないこの川だけど

この歌が巷に流行していた頃「小さな石鹸カタカタ」言わせ

この川を渡って銭湯に毎日通っていた。30年の前の青春

真っ盛りの頃の胸がうずくような思い出が川の流れに

映し出されていました。

Photo_774

こんな小さな川でもとてもきれいな水が流れている。

それもそのはずこの左側にある浅間大社の中から

沸いている泉を水源としているからだ。

春の訪れを告げる鱒釣り大会にはここに大勢釣り人が

集まることになる。

Photo_775

神田川同様浅間大社にやってきたのも30年ぶりとなる

そんな昔がつい先日のように思えます。

富士宮は全国の浅間神社の大本の大社です。昔の

人たちは富士登山の際は必ずここへ寄ってお参りして

から登ったそうだ。私は2度富士山に登っているが

いつも素通りばかりでした。

Photo_776

今回は歳のはじめということもあるのでゆっくりお参り

していくことにした。拝殿の中でお祓いを受けている人も

居ましたが私は大きなお賽銭箱に小銭を入れただけで

道中の無事だけを祈りました。

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2007年1月18日 (木)

蓬莱橋を渡る

ニフティでブログのメンテナンスをやっていた関係で2日ほどブログを書けませんでしたが今日から再開です

・・

新聞の片隅に種子島で3万年前の落とし穴が見つかったと書いてありました。落とし穴といっても狩猟用らしく昔の人は苦労して動物を獲っていたんだなと絵本などで見た狩猟風景を思い出した。

考古学には疎いが猿人350年前、原人100万年前そして現生人類10万年前だから3万年前、といえばそんなに昔ではないなと思った。20年で一世代が移り変わると考えて3万年前に生まれたA氏から数えて今の私は”ルパン3世”ならぬ”A1500世”ということになる。

落とし穴で猪を捕獲して生き延びてきたご先祖様に感謝。ありがとうございます。

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(富士川・Ⅰ・・・・・・・・⑤)

富士川楽座から右岸を北上し松野に向かった

Photo_768

富士川に流れ込む小さな支流がある

水の流れはきれいだがほとんど気にもせずに歩く

でも何気なく眼を止めた橋の名前が「新血流川橋」だった

妙に気になる名前の橋だ

何かいわれでもあるのだろうか

たとえば戦国の昔の戦の跡とか・・・

ジャワ島の大都市スラバヤを思い出した

スラバヤとはスーラとブワヤを合わせた言葉で

鰐と鮫という意味でこの両者が闘って川が真っ赤に

血に染まったことから「赤い橋」ジュンパタン・メラという

名前がついた橋があると聞き訪ねたことがあった。

この”血が流れる橋”も何か逸話があるのでしょう

Photo_769

松野の町に到着して大きなアーチ型の橋に驚いた

以前仕事で何度も通ったことがあるがこの橋の存在は

知らなかった。説明書きを見ると1999年に完成だから

無理も無い。私が通ったのはもう何十年も前のことだから

「蓬莱橋」というこの橋も昔はこのすぐ右側にあったらしい

私が通ったのはそちらの橋なのだ。

Photo_770

今回は初歩きということで軽く流すつもりだったので

ここでUターンをするつもりだったので左岸に出て

帰ろうと橋を渡った

ところが左岸沿いに富士まで帰る道が見つからず

長い坂道をずらずら登ることになってしまった

Photo_771

坂道といってもゆるい登り道でそんなに苦にならないが

何せ車が多いことにはマイッタ

歩くのには恐くて大変苦労する

前からトラックが来るとしばし足を止めてしまうほどだ

結局1時間かかって富士宮まで歩いてしまった

Photo_772

今年はあまり無理をしないことをモットーにしているので

今回は思いがけなく富士宮まできてしまったが帰りは

電車で帰ることに決めて富士宮浅間神社でゆっくり

初詣でもしていくことにした。

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2007年1月15日 (月)

細い日本の動脈

朝刊の片隅に「国際赤十字に第3のマーク」という記事を見つけました。赤いひし形です。今までは赤十字社(せきじゅうじ)赤新月社(せきしんげつ)だったが、これは何と呼ぶのかな。

赤水晶社(せきすいしょう)かな、読み方までは書いてなかった。それにしても敵味方宗教にかかわらず傷病者を救助するという本来の活動に宗教色を入れざるを得ないところに悲しい人間の性が浮き彫りにされていますね。

勿論ひし形は他の二つより「ダビデの星」に形が近いのは誰でもお分かりでしょう。非公式には他にもシンボルはあるようですので興味のある方は調べてみてください

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(富士川・Ⅰ・・・・・・・・・④)

富士川橋から県道10号線を歩き出す

Photo_763

左側の壁の上に「水神宮跡地」と書いたものが

たっていた

こちら側は富士川町で対岸の水神社との関係は

どこにも書いてないところを見ると別物かも

知れないと思える。

日本3大急流だけあって「水」という言葉を

ストレートに使用して祭ってあるところが

この富士川の特徴に思える。

大井川や安倍川ではこれほど「水」と

ストレートには言ってないように思えます

Photo_764

この県道10号線はとにかく車の往来が激しい

大型トラックも多いけれど幸い片側だけだけれど

広い歩道があるため歩くには便利だった。

静岡県は東西に大動脈が走っているが

南北にはこの富士川筋に動脈が集中している

早く「日本横断高速道路」の実現が待たれます

Photo_765

東名高速の富士川サービスエリアもこの道路と

クロスしていてそこにこの「富士川楽座」があります

こちらから入ったことが無かったので覗いてみる

ことにしました。

内部は5階建てで結構広かった

Photo_766

ぐるり一回りしてふと富士山の模型に足が止まった

じっと眺めていると富士山を一周りしたい衝動に

駆られてしまう

いずれそれには挑戦することにして

今は模型を眺めるだけにしよう

Photo_767

「富士川楽座」の県道沿いに船が展示してある

水神宮で説明されていた富士川の渡し舟だ

かなり大きいもので牛馬なら4頭ものせて

渡ることが出来たそうだ

元論人間なら30人は乗れたとのこと

この船は焼津の「近藤和船研究所」の作品

だとのこと。近藤さんは焼津が誇る現代の名工で

江戸時代幕府から唯一漁船として許されたという

「八丁櫓(八挺櫓)」を復元した人です。

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2007年1月14日 (日)

歴史の交差点

今日車の中でラジオを聞いていたら、スイスからの電話で気温が20度だったといっていました。私の聞きまちがいでは無いと思いますが、今時はスイスでは山スキーを楽しむはずだけど山で散歩しているとのこと。

すぐ誰の頭の中にも温暖化現象という言葉が浮かぶ、京都議定書の内容はご存知でしょうか。アメリカは議定書の根拠に否定的で批准はしないと言っているが、理由は他にあるだろう。

世界中が化石燃料を奪い合い、特に経済発展を急いでいる国はなりふりかまわず集め回っている。

人類が地球規模の危機に本当に目覚め、行動に移すのはいつになるだろうか・・・・・

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(富士川Ⅰ・・・・・・・・・・③)

今は県道になっている旧国道一号線の

富士川橋の袂に神社があることは知っていたが

いつも車で通り過ぎるだけ

Photo_759

何十年も通っているのに立ち寄ったことは

今回が初めてだった

その昔バイパスが出来る前は渋滞のメッカで

富士川を越えての仕事は大変だった

今でも車は多いが渋滞を起こすことは無い

Photo_760

なるほど水神社というんだ

かなり由緒のある古い神社のようです

鳥居と狛犬は新しいが境内にあるものが

みんな古い感じだった

Photo_761

旧東海道のここは船の渡し場だったところで

しかも東海道から富士登山道への

起点でもあったところである

そういった意味ですごく重要な地点でもあった

単に水を祭っただけではない

境内で昼食のおにぎりを食べ

橋を渡って右岸に出た

Photo_762

右岸側も同じく水を治めることに苦労したことで

それに関する碑文もたくさん残る

しかもこの道路は甲府からつながる道で

戦略上の要所でもある

西行や芭蕉、戦国の武将から

参勤交代の侍たちや商人庶民も

足跡をしるしたであろう

私も小さな一歩をここに刻むことにする

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2007年1月13日 (土)

小さな祠に

米中欧露アジアアフリカ世界中が勝手なことを言い出している。最近の新聞やテレビを見ているとそんな感じがする

アメリカの某誌が管理する「終末時計」の針を残り7分から進めることになったらしい。「仕掛けた○○はやめられない」のことわざみたいに、失敗した戦争を反省するために兵員増強をする。

かたや自分たちより人権侵害しているところを擁護することにより、程度の差を隠れ蓑にしたり・・・

頭の中を整理しないと訳が分からなくなってきた

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(富士川Ⅰ・・・・・・・②)

水道橋を潜ると前方にJR東海道線が見える

Jr_3

鉄橋ではちょうどオレンジに塗り分けられた

電車が通り過ぎたところだ

湘南電車では昨年廃止された車両がここでは

まだ走っている

もともとお茶の緑とみかんのオレンジだから

静岡県の方がぴったりした色なのだ

Jr_4

踏切から見ると愛鷹山を背景に富士の製紙工場の

煙突から今日も元気良く煙がたなびいていた

一時代からすると煙の量が少なくなったのか

それとも天気がよい日は少ないのか

いずれにしてもどこの町にもその町の匂いがある

住んでいる人と余所者ではその感じ方が違っていて

当然なのでしょう

Photo_757

踏切を過ぎると「三重稲荷利大明神」という名前の

小さな祠に出会った

もちろん富士川の川縁にあってひっそりとしている

今年豊川稲荷に行った手前気になって寄ってみた

Photo_758

祠を守っているお狐さまもお顔が風化して

表情が分からなくなっているが

村人に大切にされている様子が伺えます

天和・延宝などの説明書きがあって

今から350年前の江戸時代からの

由緒があるらしいことが分かった

川筋にはいつもながら歴史が埋まっていますね

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2007年1月12日 (金)

初歩きは富士川

閣僚たちの事務所費問題がローカル新聞でもトップを飾っている。細かい内容はともかく、法に対する姿勢の問題だね。

政治家は地方の殿様と勘違いしているきらいがある。それは支援者にも問題があるのだが。

政治献金というのは時代劇の越後屋がお代官に送る賄賂とどこが違うのか私にはいまだに分からない。

立法や行政に携わる人間が法の穴を潜るようなみっともないまねだけは日本にはあってほしくないね。

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富士川Ⅰ・・・・・・①)

1月9日晴天に誘われてリュックを背負った

一路一号線を東に走る

Photo_753

頭を雲の上に出~し♪ 富士山が私を呼んでいた

トラックがガンガン走っている道を快調に走る

相変わらず出発が遅いので

歩く時間も少ないのだがちょっとでも歩きたい

Photo_754

国道一号線新富士川橋の近くに

「道の駅・富士」がある

家からジャスト50km

今回はここからスタートだ

愛鷹(あしたか)山もくっきり見えている

時間は11:30近かった

さあ今年の初歩きだ

Jr

新富士川橋まで来て

海のほうを見ると意外と雲が多い

橋から海岸までは

昨年御前崎ー沼津港を歩いたとき済んでいるので

今回は橋から上流に向かって歩くことにした

勿論源流を求めていけば諏訪湖の先

日本海までいってしまうのでそれは無し

せめて目標は県境というつもりだ

Photo_755

上流側を見るとはるか彼方の

毛無山と雨ヶ岳辺りがうっすらと雪をかぶっている

それ以外は冬枯れの穏やかな風景だった

しかし

Jr_1

富士山はちょうど雪をかぶっている辺りが

すっぽりと雲に覆われていました

来るときは見えていたのになあと残念!

私の都合で姿を現してくれるわけでは無いので

せめて裾野の広がりだけでイメージすることにする

Photo_756

新幹線とJRの橋の間にもう一つ大きな橋がある

なじみのある富士川だがこの橋が何であるか

歩いて見なければ気が付かない

見た目だけではJRの鉄橋より

はるかに立派である

Jr_2

近づいてみると巨大な管路だった

「駿河湾工業用水路橋」で

右岸にある日本軽金属の水力発電の放流水を

川を渡り富士の町まで送っているのだそうだ

土手と管路の間は腰をかがめれば

十分に歩いていけるほどの空間がある

それほどこの管路は大きかった

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