2010年7月18日 (日)

足湯に浸かりゆったりと

(伊豆東海岸の旅・ⅩⅠ・・・・・・・・・・⑧おわり)

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まどが浜とは変な名前だと思っていたら

こうして書くんだなと納得しました

前方に見えるのは須崎・爪木崎方面

まだこれから訪れる予定のところです

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公園の芝生広場ではハワイアンの生演奏

テレビの来ていましたがまだリハーサル中

それでも老若女性たちが衣装を着て

踊りのスタンバイ中でした

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公園の足湯にハワイアンの踊子たちと

一緒にゆったりと浸かり疲れを癒す

湯口から出る温泉は結構熱いけど

周囲はとても気持ちの良い温度でした

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家路に向かう海岸線の国道は

珍しく伊豆七島がくっきり見えました

展望駐車場を通り過ぎてしまったので

河津浜まで着たところで大島と利島をパチリ

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伊豆急ウォークに便乗しての今回の歩き

伊豆半島制覇も今年中には実現か

難所の南伊豆方面を残して

静岡県海岸線の旅も佳境に入る

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2010年7月16日 (金)

伊豆の踊子の時代がよみがえる

(伊豆東海岸の旅・ⅩⅠ・・・・・・・・・・・・・・・・⑦)

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街かどに大きな写真が掲げられていました

城山公園から見た下田港の一部と市街地

1916年と言えば伊豆の踊子とほぼ同時代だ

学生と踊り子が別れた当時の下田港そのものです

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港に出てみると明るい南国の陽光の中

下田港はヨットハーバーと化していた

向こうに見えるのは城山公園

仕事で来ていた時代朝の散歩で行ったものだ

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下宿先の場所を尋ねてみたが

思っていたところに思い当たる場所が無い

家並みが変わったのではなく

自分の記憶が曖昧になって来たのだろう

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下田駅へ寄った後まどが浜の公園に

向かって帰路に着きました

星条旗の中に組み込まれた日章旗が

何かを暗示しているようで可笑しいですね

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公園の端に何気なくたっている石碑

「籠で行くのはお吉じゃないか下田港の

春の雨泣けば椿の花が散る」という

かの有名な西条八十の歌詞でした

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2010年7月14日 (水)

長楽寺へ寄る

(伊豆東海岸の旅・ⅩⅠ・・・・・・・・・・・・・・・⑥)

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了仙寺をでて川沿いに海岸へ向かう道

ここがペリーロードと名付けられていて

その昔米艦隊の兵隊が歩いた道だろ

自転車に乗った若い観光客が走り回る

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ペリーロードの中ほどに右に曲がると

伊豆八十八霊場第四十一番長楽寺だ

よっこらしょっと坂を登るとなまこ壁が見える

街中には珍しく高台にあるお寺です

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このお寺で『日露和親条約』が締結された

つまり北方四島(択捉・国後・歯舞・色丹)は

日本領とうたわれた根拠の条約なのです

歴史の深さを思い出してみるの良いのかな

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ここは伊豆國七福神弁財天霊場でもあり

廃寺となった伊豆横道三十三観音第二十三番の

宝光院の聖観音立像を安置もしているそうです

境内の鐘楼から下田港が眺められる

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長楽寺を下ってペリーロードに戻り川を下る

突き当たりは港に出るので一歩手前を

左に曲がり海岸と平行に駅に向かう

このあたりにお吉さんの安直楼があった

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2010年7月12日 (月)

伊豆はあたたかく

(伊豆東海岸の旅・ⅩⅠ・・・・・・・・・・・・・・・⑤)

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大安寺から通りに戻るとすぐ本覚寺という

大きな日蓮宗の有ったけど新しそうなので

パスしてさらに先へ進むと泰平寺がある

これまた通りから長い参道あるお寺でした

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初代下田城主の戸田忠治のお墓があるのだが

あまり興味も無く歴史上有名でもなさそうなので

お寺の裏には回らないで墓参りはパスした

それよりも境内の句碑の方に興味が向く

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「伊豆はあたたかく野宿によろし波音も」山頭火

これだけ素直にこれだけ当を得た俳句を

詠えるなんて見事なものですね

私も頑張らなくっちゃと元気が出ました

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泰平寺をでて通りをさらに進むと突き当たりに

かの有名な了仙寺がありました

ここは初代米国領事館の玉泉寺と並び

下田の2大観光地でお客さんが多かった

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ここで日米和親条約付録下田条約が調印され

今日の日米関係がここに始まったのだね

陸戦隊調錬の図が扁額として飾られ

当時の姿が写真のように浮かび上がっていた

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2010年7月10日 (土)

歴史が転がっている寺々

(伊豆東海岸の旅・ⅩⅠ・・・・・・・・・・・・・・・④)

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下田八幡宮のすぐ隣には下田市民文化会館

当時黒船に備え付けられていただろう

1837年製のカノン砲や米海軍から送られた

大きな碇などがお庭に飾ってありました

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下田の観光案内図では今歩いている道が

マイマイ通りとなっているが何故かは不明

でも確かにここは寺院仏閣が並び

歴史散歩には絶好のコースです

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下田市民文化会館の隣は大安寺ですが

なんの入り口からお寺までの距離が遠い

背後にある山の麓まで長い参道が続く

この際だから歩いて行ってみよう

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伊豆八十八ヶ所霊場第四十三番乳峯山大安寺

山肌に掘られた穴には石仏が安置され

米人がこの寺で遊女を写真に撮っている錦絵が

あるそうでいにしえの青春が彷彿とされます

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またこの寺に十六烈士の墓がありました

幕府御用の材木を運ぶ途中で嵐に会い

材木の一部を捨てることで遭難を免れたが

御用材を捨てたという罪で船頭初め

15歳の水主(かこ)達も切腹したそうである

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2010年7月 8日 (木)

お父さんの子育てね

(伊豆東海岸の旅・ⅩⅠ・・・・・・・・・・・・・・・・③)

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宝福寺を出て少し歩くと下田八幡宮でした

翌日からの本格的な黒船祭りに合わせ

多分この日は宵宮なんでしょうね

縁日の屋台店がたくさん並んでいました

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屋台店の間を通り抜け拝殿まで行く

我が町内にも八幡さんはあるが

さすがここ下田は大きな神社です

祭礼の準備でいろいろ飾り付けがしてある

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拝殿への石段を登ろうとして脇を見ると

狛犬があったけど何かいつもと様子が違う

よく見ると左側の吽形が毬を抱えている

通常こちら側は子供と一緒にいるはず

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樹に隠れている右側を調べてみると

ちゃんと阿形なのだが子供を抱えている

時々こう言った逆転現象が狛犬の面白さ

子育てに男女共同参画の現代を先取りか

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石段の上にあった狛犬は通常の蹲踞型で

年代は古そうでしたけどごく普通のものだった

拝殿にお参りして戻ると少しずつ客も増え

翌日の黒船祭りに作家する水兵さんも見ていた

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下田の歴史の中には日本の夜明けがある

米国や露西亜は勿論吉田松陰や

写真の黎明期の下岡蓮杖の姿も

中でもお吉さんの若い姿に涙を誘う

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2010年7月 6日 (火)

海善寺と宝福寺へ

(伊豆東海岸の旅・Ⅺ下田散策・・・・・②)

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稲田寺を出て通りを行くと『新田御陣屋跡』

松が一本だけあり往時を偲ばせるけど

今は何もないようでした

昔住んでいたころこんな案内はなかったけどね

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次は伊豆八十八ヶ所霊場札所第41番の

『海善寺』このお寺はコンクリートで風情減退

でも三門だけは下田最大だろうと思われる

第十四代将軍徳川家茂の止宿だったそうです

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次は『宝福寺』で唐人お吉さんのお墓がある

それよりも龍馬の大きな木造を展示してあり

ここが龍馬ゆかりの寺であることを示している

なぜならこの寺に山内容堂が宿泊していて

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勝海舟が訪れ龍馬の脱藩の免罪を取り付け

龍馬がその後活躍する原点にもなったのだ

それだけに下田の観光もかなり力を入れ

この寺を売りだしているようにも思えます

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何せ下田開港に伴い下田奉行が宿舎とし

仮奉行所になったり日本側全権の打合せ場所

そして農兵調錬にも使われたとのこと

安政の大地震では津波が床上まで来たのだ

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2010年7月 4日 (日)

稲田寺へ寄る

(伊豆東海岸の旅・Ⅺ下田散策・・・・・・・・①)

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5月一杯に大急ぎで伊豆急全線完歩を終え

その報告も終わりましたがその時歩いた

下田の街の散策をしばらく書いて行きます

天然の港開国の港歴史が彩る街です

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伊豆急下田駅前には黒船の模型を展示

丁度この日黒船祭りが始まっていて

明日が盛大なパレードなどが予定されている

NHKの龍馬伝に後押しされ雰囲気最高です

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下田散策の第一歩は長期滞在して

仕事で何度も訪れたメイン道路から

街の至る所に祭りに参加する米軍の

水兵さんも散策していました

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まずは駅に一番近い『稲田寺』へ寄りました

ここは対ロシア交渉の川路聖膜の宿舎だった

いきなり歴史の洗礼を受けてわくわくする

唐人お吉の恋人鶴松のお墓もあるとのこと

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当時ロシア代表団に随行してきた画家の

モンジャイスキーが書いた細密画が展示

まるで写真のような出来栄えに関心した

川路聖膜一行が寺を出るシーンなんでしょう

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2010年7月 3日 (土)

伊豆急上下線両ルート完歩しました

(伊豆東海岸の旅・Ⅹ・・・・・・・・・・・・⑪おわり)

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最誓寺で歴史を堪能して伊東駅に向かう

松川にかかる伊東西小学校の前の橋は

その名も通学橋で北里柴三郎博士が尽力して

子供のためにかけたものと聞いたことがある

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通学橋はかつて何十回も渡った橋だ

橋を渡り右に折れて大和館前を行く

私の「おもひでぽろぽろ」の通りです

ここだけは昔と変わらない景色です

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いで湯橋そばの交差点からキネマ通りへ

そして湯の花通りへとお決まりのコース

怖いもの知らずの十代の終わりには

夜の裏街を肩で風を切って飲み歩いていた

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湯の花通りを抜けて伊東駅に到着です

今回の伊豆急全線ウォークに便乗して

伊豆東海岸の旅を続けて下田まで歩けた

いよいよ下田行き伊東行きとも完歩です

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伊東駅に到着して入場券を買い事務所へ

ところが「ここはJRだ」と言って伊豆急は

外のタクシーの案内所が事務所とのこと

ここはJRと伊豆急の接続点だと気が付いた

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伊豆急の事務所で入場券の整理をした

伊東行きルートでは847人目の完歩者だった

完歩賞のファスナートップ用の額は品切れ

二月ぐらい後に送りますとのことだった

伊豆急は上下とも完歩はしましたが

私の伊豆東海岸の旅はまだまだ続きます

請うご期待

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2010年7月 2日 (金)

もう一つの菩提寺

(伊豆東海岸の旅・Ⅹ・・・・・・・・・・・・・・・・⑩)

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東林寺で遅い昼食をして伊東駅に向かう

途中何故か気になるお寺が一つあり寄る

寶珠山最誓寺と言う街中にあるお寺です

みたところ何でもないようなお寺ですが

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伊東市文化財指定第一号になった墓所

江戸末期廃寺となった東光寺の墓所を

移した伊東家の歴代の墓所がありました

でもこのお寺は頼朝と八重姫の逢引の一宇

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その一宇が最西寺となり江戸初期に禅宗に改宗

最誓寺となったと言ういわくつきだそうで

平家方である祐親の娘と源氏の頭領の

悲恋の舞台で平安末期のロミオとジュリエットだ

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そう思ってみるとなるほど飾りなど

何気ないところに精巧な仕事ぶりがうかがえる

この獅子の持っている毬は重ね彫になっていて

毬の中にもう一つ毬が入っています

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東林寺が伊東七福神の布袋尊だったが

ここ最誓寺は寿老人が祀られていました

今回は七福神参りはしていないので

とりあえずチェックだけにとどめておく

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