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2007年5月25日 (金)

旅のはじめに長居して

24日天皇皇后両陛下がエストニアに到着されて、歌の広場で歓迎の歌をお聞きになられていましたね。テレビで拝見した天皇陛下の感慨深そうなお顔が印象的でした。

日本が平成になった時代、つまり平成天皇が即位した時代、バルト3国で人間の鎖によって自分たちの民族の誇りを表明したあの事柄に感慨を覚えたとのお言葉。まさに、あの時代、世界中の人々がそう感じたことでしょう。

あの時代まではソ連と言う国の存在は知っていても、その構成は良くわからなかった。○○共和国と言うのがソ連の中にあるのは知っていたが、アメリカのように州の一つでもあるかのように思っていました。ところがあの人間の鎖から、バルト3国の存在とソ連の成り立ちが見えてくるようになりました。

バルト3国の独立がきっかけになりソ連の崩壊、そして東ドイツの崩壊と続きましたね。そして世界中に小さな国家がたくさん出現しました。まさにアルビン・トフラー氏の言う「未来の衝撃」や「第3の波」の中の一断面を見る思いでした。

それとは逆に一つの国家を飲み込むような国も現れましたね。小中学校時代には確か「チベット」と言う国が存在していたはずなのに、いつの間にかおなかのぽっこり膨れたバチヘビのような地図の中国になってしまいました。かつて三蔵法師さえも恐れをなし天竺への道にチベットを避けて通りましたね。それほど中国にとっては恐怖であった国なのだ。それを武力により飲み込むと言う、第3の波とは逆行した行為に驚いたこともあります。

すっかり忘れていたバルト3国でさえ長い歴史の中から貧しくとも自分たちの誇りを取り戻すことができたのだから、チベットもいつの日かその誇りを自分たちの手に取り戻すことができるでしょう。

平成2年ごろから日本を外から見る機会に恵まれ、あの時代の世界の見方を身をもって学ぶ経験ができました。民族とは都市とは民衆の生活とはアジアの国々のおかれている位置とか、激動の時代にうまくリンクして体験できました。そんなことが、今こうして縁台に座りながら団扇で蚊を追いながらも戯言を話して居れる、一つの成果なのかなとつくづく感じています。

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(遠州灘・Ⅱ・・・・・・・・・①)

5月15日ちょっと曇りがちなので

富士山周遊は 止めにして

遠州灘のpratⅡに挑戦

弁天島ー中田島砂丘往復

46000歩7時間半でした

Photo_1465

海浜公園駐車場に車を止め

その名も弁天橋を渡ると

すぐ舞阪港があり

そこから舞阪宿が始まっている

Photo_1466

湖の西の入り口新居宿と

東のこちら側の舞阪宿

東海道の2大要所なのだ

大名たちの渡し場

北雁木(きたがんげ)は

石畳が港まで続いています

Photo_1467

広重描く東海道にも

渡し場の雰囲気が描かれています

石垣の石の色も赤茶けた色で

歴史の重みも感じました

Photo_1468

街道には数々の案内板があり

じっくり見ていると時間がかかりすぎる

脇本陣によることにする

受付のお母さんに挨拶すると

Photo_1469

気持ちよく案内してくれました

脇本陣とは本陣と言う大名の宿の

別館みたいなもので格式は同等とのこと

明治以降病院の先生が使われていた

とのことで現在まで残ったとのこと

Photo_1470

なにせ大小のトイレも風呂桶も

漆塗りだったのには驚いた

こんなトイレでは周りを汚すことなど

到底できないですね

Photo_1471

お殿様の座る座布団に

内緒で座らせていただきました

案内のお母さんがこっそり写真も

撮ってくれました

それも内緒だそうです

Photo_1472

話し好きなお母さんと気が合い

旅のはじめから長居をしてしまった

見学は無料だったが浜松市との合併で

予算を削られ案内のパンフレット代も

削減されてしまったそうで残念そうだった

合併の弊害が文化の衰退では困りものだね

Photo_1473

すぐ斜向いに本陣跡がありました

脇本陣同様間口が狭く奥行きが深い

間口税の関係で街道特有の構造とか

もちろん建物は無く脇本陣の存在が

これからも貴重な存在であることに

変わりないので大切にしてほしいですね

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