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2007年5月 5日 (土)

時を越えて水琴窟がささやく

高校野球の特待制度については今の日本では老若男女、誰とでも話が出来るのが愉快ですね。他の件ではこんなにも評論家が多い話題はありません。それだけにちょっとブログには書きたくなかったけど一応、人並みに書いておきます。

どうやら1932年(昭和7年)の「野球統制令」という古ぼけた規則がまたぞろ顔を出してきています。当時の日本にはプロ野球が無く、学生野球が今のプロ並みにもてはやされていたとのこと。大学も高校(中学)もその加熱振りがエスカレートしたところでこの「統制令」により、スポーツ教育の原点に戻そうと鳩山文部大臣が尽力したとのこと。

二年後の1934年(昭和9年)ベーブルース一行が来日しても、この統制令がある限り試合が出来ない。そこで沢村栄治他選手は京都商を退学させられてまでも、日本チームとしてアメリカと試合をすることになったらしい。その流れで、日本にもプロの野球チームが出来たとのこと。てっきり沢村栄治の時代にはプロが遠の昔にあったのだと思っていました、認識不足でした。

戦後になって日本学生野球憲章なるものを新たに作ったそうですが、結局はベースに「野球統制令」があり、健全なるアマチュア精神を堅持したものになったそうです。

かつて高校野球での静岡県は県立高校が圧倒的に強かった。田舎の県だから貧乏人は学費の安い県立高校しかいけなかった。しかも越境通学も無かった時代で唯一商業高校などの、地域に少ない学校には広域から生徒を集めることが出来たところもあった。当然野球も強くなる理屈である。そのころ、なぜ都会の学校は私立が強いのか不思議に感じていた。

野球王国なんてもてはやされたかつての静岡県もしばらくは選抜野球大会には出場できない年が何年もあった。ようやく最近になって私学が頑張ってくれて、今年の春のような朗報ももたらすことが出来たわけだ。ところが今度の騒ぎで何か水を指されたようになったのは残念ですね。

喧々諤々の意見が渦巻く世間の評論家に行く末はお任せするとして、時代遅れの「スポーツ原理主義」を振りかざす連盟に、何も言えないような地方の県高野連も情けないものですね。彼らにとっては商業主義のオリンピックは許せないことかもしれませんね。それとも天の声に逆らえない単なる○○的団体と言うことなのかもしれないね。

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(遠州灘・Ⅰ・・・・・・・・・・⑦)

弁天島からの帰り道

関所の入場券の割り増しで買った

もう一つの建物に寄った

Photo_1350

関所の近くにある旅籠「紀伊国屋」

こちらも格式のある旅籠でしたが

残念なことに火災で焼けたため

明治の始めごろに再建されたとのこと

Photo_1351

中に入ると「奥に水琴窟があるから」と案内する

早速奥の縁側に行くと竹を二本置いた水場

足も疲れたことなので縁側に腰をかけ

竹筒で音を聞く

遠い世界から問いかけるような水の声

しばしの静寂の世界を味わう

Photo_1352

風情のある行灯に

しばし遠い時代の旅人の吐息を聞く

私も旅人なれば

時代の中に何を残せると言うのか

Photo_1353

風呂場にはもちろん懐かしい風呂桶

そばにいるのは「お銀さん」ではないか

旅籠の人に聞いたところ

東海道400年祭で

ここへ立ち寄った時の写真とのこと

このお風呂には入らないけど

Photo_1354

ジオラマの世界の荷役夫も馬も

一生懸命働いています

旅人も旅立つばかり

さあ私も家路に急ぎましょう

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