« 遠州灘へ一直線 | トップページ | 感覚だけで鑑賞する絵画 »

2007年3月 9日 (金)

海に帰る夕日の中に

(フィルター)またまた日本の首相が何か言ったと世間が騒がしい。一番迷惑しているのは韓国と中国だろう。それというのも今までの経緯があり抜刀を収める名目をやっと作ってくれてほっとした現在の日本の首相に感謝していた矢先だったからだ。もう少し静かにしていてくれたら今度は高所から笑って批判できるものを昨日の今日では前回と同じことを言わざるを得ない。

二丁拳銃のカウボーイたちのデリカシーの無さに困ったのは東アジアの国全部ではなかろうか。勿論今回のことは今に始まったことではなく首相の持論だから東アジアの国々は百も承知のこと。それを踏まえて東アジアの国は容認しようとしていたのだが時期が早すぎた。

どこの国もどこの元首もどこの国民でも一概にこうと断定する性格はない。むしろ皆おんなじなのだが、それぞれがそれぞれのフィルターを持っているということです。そのフィルターで見れば紅いものは黒く見えるかもしれないし青いものは紫に見えるかもしれない。白も黄色になり黒もグレーになるかもしれない。皆それぞれの持つフィルターが違うのにわが国だけは自分だけは透明のガラス窓越しに景色を見ていると錯覚しているのです。

歴史の真実なんてものはこの世に存在していない。歴史とは勝者が書いた物語に過ぎない。敗者側には歴史を書く自由が残されていないのだ。そこさえ分かれば歴史の歪曲なんて言葉はこの世にないのは当然だ。それぞれがそれぞれの歴史を勝手に書きそれぞれの子孫につたえる。他人や他国の歴史を批判するのではなくそれぞれに都合にいい歴史を作りあって今日まで来たのだ。

少なくも4000年の間はそうして人類は歩んできたのだ。もし絶対的な真実を歴史教科書としなければならないするならば、世界中の人々は個々の責任においてその苦渋を分かち合うだけの覚悟と才覚があることを前提としなければなるまい。それなしに今日の都合の良いお互いの歴史を押し付けあってはいけないのだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(菊川・Ⅰ・・・・・・・・⑥最終回)

ますっぐ海岸まで歩いたが

工場群に阻まれ浜に出ることが出来ない

Photo_1007

工場の人に聞いて道を迂回する

しかし教えていただいた道も藪の中

もうこうなったら藪の中を進もう

ズボンにはトビツカミが一斉に襲い掛かる

Photo_1008

何とか落日に間に合った

藪の中から太平洋岸自転車道に出てみる

道は砂丘の上にあった

浜辺には風が静かに吹いていた

Photo_1009

誰もいない自転車道は真っすぐ河口に

向かっているはずだ

夕暮れの浜辺を一人歩く

これほどの贅沢があるだろうか

Photo_1010

振り返ると陽はますます

水平線に近づいてくる

闇の国から呼ぶ声に

引きづられて行くように

Photo_1011

自転車道であるはずの砂丘の道は

ところどころを砂に覆われながら

かろうじてその原型をとどめ

風紋の中に己が存在を主張している

Photo_1012

砂の上にある不思議な足跡

四本足のものでなく

二本足の様でもあるが

人間のものでもなく

ただ夕日に向かって

歩いていったものがあるはずだ

Photo_1013

人は夢の世界にあっては

夢を見ないという

人は詩の風景の中にあっては

言葉としての詩は生まれない

詩の風景のなかにあっては

人はただ黙って感じているだけだ

|

« 遠州灘へ一直線 | トップページ | 感覚だけで鑑賞する絵画 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 海に帰る夕日の中に:

« 遠州灘へ一直線 | トップページ | 感覚だけで鑑賞する絵画 »