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2007年3月28日 (水)

今はもう泣く事もなく

ミャンマーの首都の移転の話題をテレビでやっていた。なんと1年半前から移動が開始されているとのこと。

さすがに東南アジア大好き人間の無門でも知らなかった。私が知らなかったと言うことはさて一体何割ぐらいの日本人がこのことを知っていただろうか。ミャンマーと首都ヤンゴンという組み合わせさえあまり知らなかったと思えるし、むしろその前のビルマと首都ラングーンの組み合わせのほうが分かりやすいぐらいだ。

今度の新首都「ネーピードー」もあまり覚えておくことも難しい気がする。ちなみにネーピードーとは「王の住む土地」と言う意味だそうです。タイの首都バンコクの正式名のクルンテープ(天使の都)というのとどこか似ていますね。新しい首都名も軍事政権が昨年10月に一方的に発表したしたと言う事で世界地図もまだ対応されていないようだ。

新首都は公務員の住宅は無料で、すばらしくきれいだそうです。そして首都では携帯電話は使用禁止とのこと。なんとなく政権を護る武士を城の周りに住まわせて将軍の安泰を図ろうとする城下町でも作っているような感じですね。

世界で結構新首都移転が叫ばれているけどほとんどが合理的な政府機能を実現するものが多い。近代的な情報都市にするべきところをむしろ世界各国の干渉を遠ざけたいと言う意思のようなものを感じます。

東南アジアの国で日本のテレビであまり報道されない国は①ブルネイ②ラオス③ミャンマーですね。①②に比べてまだましかもしれませんがどちらかと言うと「アウン・サウン・スーチー」さんが有名でほかの事はほとんど話題になりません。したがって首都はと聞かれて私もヤンゴンという名前が思い出せないほうが多かった。

ところで国名首都名が変わった20年前に軍事クーデターの後いち早く政権を認めたのは日本でした。スーチーさんのことにもあまり乗り気でないのも日本の特徴だそうです。なぜでしょうか。

戦前国王を追放して植民地にしたのは英国です。しかも英領インドの1州にしてしまったため独立運動が起こり「アウン・サウン」将軍が日本軍と手を組んで英国を追い出し「ビルマ国」を独立させた。ところが日本の戦局が怪しくなったところで将軍は英国に寝返ってしまった。終戦直後は他の植民地同様日本が去った後、元の宗主国が再び植民地宣言するところを撥ね退け「ビルマ連邦」として独立したそうである。

その後紆余曲折があってのクーデターによる軍事政権樹立。そして将軍の娘「スーチー」さんの軟禁が始まり元宗主国英国が相当頭にきているようだ。そんな図式を読み解くと日本の対応などがなんとなく判るような気がします。

私がミャンマー国境のタイの町に住んでいた頃、そこの人たちは「ブーマ」とミャンマーのことを呼んでいました。後で考えると「ブーマ」が世界では一般的な呼称で「ビルマ」は日本的な呼び方みたいだ。ましてや「ミャンマー」をいまだに認めていない国も多いのだそうです。

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(菊川・Ⅳ・・・・・・・・・・・・・・・④)

前方にパラボラの塔が見えてきた

そろそろ峠に差し掛かったか

Photo_1101

駐車場が見えてきたところをみると

どうやらここが小夜の中山か

この日の目的地だ

ここまで上ってくる間ですっかり

全身に汗をかいてしまった

Photo_1102

駐車場の前に「久延寺」と言うお寺がある

かなり歴史のあるお寺のようで

境内には山内一豊が家康を接待した

茶室の跡などが残っていました

Photo_1103

山門にも本殿にも多くの名前札が

張ってあるが普段余り気にしない

しかし何気なく見上げた本殿の柱に

なにやら見覚えのある名前

これって今話題の人?

Photo_1104

境内をぶらぶら歩いていると

大きな丸い石が奉ってある

これってあの有名な「夜泣き石」と思い

説明書きを読むとまさにそのもの

国道一号線にあるとばかり思っていたので

意外な感じがした

Photo_1105

でも伝説によるとこの「久延寺」の

和尚さんも登場する場面もあるし

こちらの方がそれらしく見えるのが

なんとなくうれしい感じだ

石ももう泣く事もなく陽だまりの中で

旅人の心を癒しながら見守っているようだ

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